「婚約破棄して下さい」と言い続けたら、王太子の好感度がカンストしました~悪役令嬢を引退したいのに~

放浪人

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第二十八話「誓約の真実:なぜ“身を引くほど強まる”のか」

 王宮の最奥、絶対安全区画の寝室で、私は天井のフレスコ画(レオンハルトと私が神話の神々のように描かれている新作)を見上げながら、深い溜め息をついた。

「……システムに書き換えられた設定、か」

 セレナが最後に吐き捨てた言葉が、呪いのように頭から離れない。
 左手の薬指には、脈打つように光るガントレット型の指輪。
 これが私を「国の心臓」として生かし、同時に縛り付けている。

 今の私がレオンハルトに感じる「愛しさ」や「信頼」は、本物なのだろうか?
 それとも、星冠値がカンストした瞬間に、脳のシナプスを書き換えられて出力された「理想の王妃としての反応」なのだろうか?

「……確かめなきゃ」

 私はベッドから起き上がった。
 隣で眠るレオンハルトの頬を、そっとつつく。
 彼は瞬時に目を開け、私の手を握りしめた。

「おはよう、リュシア。夜明け前だが、何かあったか?」

「殿下。……実家へ行きたいのです」

「実家? ヴァルモン邸か?」

「はい。お父様が言っていた『黒の誓約書』。あれを確認しなければなりません。……私たちが背負わされたこのシステムの、本当の意味を知るために」

 レオンハルトは真剣な眼差しで私を見つめ、そして頷いた。

「わかった。君が真実を求めるなら、私は止めない。……たとえそこに、どんな残酷な過去が待っていようとも」

          ◇

 早朝のヴァルモン公爵邸。
 「王家直轄聖域」として厳重に封鎖された我が家は、静寂に包まれていた。
 父、ヴァルモン公爵は、書斎で私たちを待っていた。

「……来たか。いつかはこの日が来ると思っていた」

 父は片眼鏡を外し、重厚な本棚の一部を操作した。
 ゴゴゴゴ……と低い音を立てて隠し扉が開き、地下へと続く階段が現れる。

「この先にあるのが、初代魔女――つまり、我が家の始祖が残した『誓約の原本』だ」

 私たちは父に続き、地下深くへと降りていった。
 カビと古書の匂いが立ち込める最深部。
 祭壇のような台座の上に、鎖で厳重に封印された黒い本が置かれていた。

 『黒の誓約書(ブラック・オース)』。

 私が近づくと、左手の指輪が激しく共鳴し、鎖がひとりでに弾け飛んだ。
 本が、まるで生き物のように開く。

「……これが、真実ですわ」

 私はページに刻まれた古代文字を読み解いた。
 そこには、美しい建国神話とはかけ離れた、血塗られた歴史が記されていた。

『初代国王アステリアと、その妻である魔女。二人は愛し合ってなどいなかった』

 私が読み上げると、レオンハルトが息を呑む。

『王は魔女の力を利用して国を興したが、平和になると彼女を疎んじ、排斥しようとした。魔女は怒り、国を割る内乱を起こそうとした。……だが、それでは民が死ぬ。国が滅びる』

 ページの文字が、赤く光る。

『故に、魔女は最期の呪いをかけた。それが《星冠の誓約》だ』

 私は震える声で続けた。

『このシステムの本質は「愛」ではない。「相互監視」と「強制力」による安全装置だ』

 ――衝撃の事実だった。
 誓約の特徴であるパラドックス、「一方が身を引こうとすると、もう一方の執着が強まる」という仕様。
 これは、仲違いした王と王妃が別居や離婚をしようとした際、システムが強制的に介入し、相手を追いかけさせ、物理的に引き離さないようにするための「脱走防止機能」だったのだ。

「……なんてこと」

 私は愕然とした。
 私が「婚約破棄して」と言うたびにレオンハルトの好感度が上がったのは、彼の愛が深かったからではない。
 システムが「エラー発生! 構成要素(王妃)が離脱しようとしています! 管理者(王太子)は直ちに捕獲行動を取れ!」と命令を出し、彼の脳内物質(ドーパミンやオキシトシン)をドバドバ分泌させて、「守りたい」「愛している」という感情を増幅させていただけなのだ。

 つまり、私たちのロマンスだと思っていたものは、すべて数百年前の魔女が仕組んだ「内乱防止プログラム」の挙動に過ぎなかった。

「……嘘だ」
 レオンハルトが膝をついた。

「そんな……私の君への想いが、プログラムされたものだと? この胸の痛みも、君を想う熱も、すべて偽物だと!?」

 彼は絶望に顔を歪めた。
 無理もない。自分の人生の根幹を否定されたのだから。

 しかし、次の瞬間。
 彼は顔を上げ、私の手を強く握りしめた。

「いいや、違う!」

「え?」

「確かに、きっかけはシステムだったかもしれない。だが、私が君を見て感じた『尊敬』や、君が私のために流してくれた『涙』……あれまで偽物だとは言わせない!」

 レオンハルトの瞳に、力強い光が戻る。

「リュシア、思い出してくれ。君はシステムに抗い、法を変え、竜と交渉し、自らの意思で国を守った。……プログラムされた人形に、あんな芸当ができるはずがない!」

 ……確かに。
 私が「給付金で竜を買収した」のは、魔女の仕様書にはないはずだ。あれは私の社畜経験(オリジナル)だ。

「始祖の魔女は『呪い』としてシステムを作ったかもしれない。だが、私たちはそれを『無限(インフィニティ)』に進化させた。……これは、私たちが呪いを乗り越え、システムさえも凌駕する愛を育んだ証拠ではないか!」

 ポジティブすぎる。
 呪いの歴史さえも、「試練を乗り越えた愛の物語」に変換してしまった。

 父が感心したように頷いた。
「さすが殿下。その強靭な精神力こそが、王の資質ですな」

 私は溜め息をつきつつ、ページをさらにめくった。
 今は精神論より、実務的な解決策が必要だ。
 このシステムが「強制力」である以上、解除コードがあるはずだ。

「……ありました」

 最後のページ。そこに小さな文字で記された条項を見つけた。

『万が一、双方が真にシステムからの解放を望む時、解除の道は開かれる』

 解除条件。
 それは、非常にシンプルかつ困難なものだった。

『双方の「星冠値」を維持したまま、互いの目を見て、心からの「拒絶」を告げること』

「……拒絶?」

 私が読み上げると、レオンハルトが首を傾げた。

「どういうことだ? 愛しているのに拒絶しろというのか?」

「いいえ。これは『逆説的解除(パラドックス・ブレイク)』です」

 私は解説した。
 システムは「離れようとするとくっつける」機能を持つ。
 ならば、その逆。
 「完全に結合した状態(星冠値∞)」で、互いに本心から「離れたい」と願えば、システムは論理矛盾を起こし、崩壊する。

 つまり、私が本心から「婚約破棄したい」と願い、レオンハルトも本心から「リュシアといらない」と願う。
 その「本音」が一致した瞬間だけ、誓約は解除されるのだ。

「無理だ」
 レオンハルトが即答した。

「私は君を拒絶なんてできない。一ミリも離れたくない。死んでも嫌だ」

「……そこが問題なんです」

 私も頭を抱えた。
 私の方は「離れたい(隠居したい)」という本音があるが、彼にはない。
 彼が私を手放したくないと思っている限り、システムは稼働し続ける。
 そして、もし彼が無理をして「嫌いだ」と嘘をついても、システムは感情の波形を読み取るからバレてしまう。

 詰んだ。
 解除条件はわかったが、実行不可能だ。

「……いや、待てよ」

 レオンハルトが何かを思いついたように顔を上げた。

「『心からの拒絶』……それは必ずしも『嫌いになる』ことではないはずだ」

「え?」

「私が君を愛するがゆえに、君を縛るこのシステムを憎み、君を解放したいと願う……。その『愛ゆえの拒絶』ならば、私の本心になり得るのではないか?」

 なるほど。
 「君が好きだから、君を自由にするために、君を手放す」。
 これなら、彼の愛とも矛盾しない。

「リュシア。……やってみよう」

 レオンハルトは私の肩を抱いた。

「君が本当に望む『自由』を、私が叶えてみせる。……このシステムを壊して、君をただのリュシアに戻す。それが、私の君への『最後の愛』だ」

 彼の言葉に、胸が締め付けられた。
 システムを壊せば、私たちは「赤い糸」を失うことになる。
 その後、私たちがどうなるかはわからない。他人に戻るかもしれない。
 それでも、彼は私のために、この絶対的な絆を断ち切る覚悟を決めたのだ。

「……はい、殿下。信じています」

 私たちは見つめ合った。
 解除の儀式は、今すぐにはできない。心の準備と、舞台が必要だ。
 そう、全ての始まりである王宮で。

 その時。
 黒の誓約書が、不吉な音を立ててひとりでに閉じた。
 バタンッ!

「……?」

 父が鋭く部屋の隅を見やった。
「誰だ!」

 影から現れたのは、一人の伝令兵だった。
 いや、その目は虚ろで、明らかに何者かに操られている。

「……報告……報告……」

 伝令兵は機械的な声で告げた。

「地下牢の……カイル・アステリア元殿下が……脱獄しました……」

「なんだと!?」
 レオンハルトが色めき立つ。

「手引きしたのは……『真の王』を名乗る者……。現在、王宮の玉座の間が……制圧されました……」

 真の王。
 カイルが言っていた「あの方」。
 ついに姿を現したのか。

「急ごう、リュシア! 誓約の解除どころではない、国が乗っ取られる!」

 私たちはヴァルモン邸を飛び出した。
 馬車の中で、私は震える指輪を抑えながら考えた。

 なぜ、このタイミングなのか。
 私たちが「誓約の真実」に辿り着いた瞬間に、黒幕が動いた。
 まるで、私たちがシステムを解除するのを待っていたかのように。
 あるいは――解除させまいと、妨害に来たのか。

「……殿下。黒幕の正体、見当がつきましたわ」

「誰だ?」

「この国のシステムを、誰よりも愛し、誰よりも利用し、そして……誰よりも『変化』を恐れている人物です」

 王宮が見えてくる。
 その尖塔には、王家の紋章旗ではなく、見たこともない古の紋章が掲げられていた。
 それは、黒の誓約書に記されていた「始祖の魔女」の紋章と同じものだった。

「まさか……死者が蘇ったとでもいうのか?」

 レオンハルトが呻く。

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