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第二十九話「初めての本音:婚約破棄ではなく、選択」
王宮の正門は、異様な静寂に包まれていた。
カイル王子の反乱軍を鎮圧したはずの場所には、今はどす黒い霧が立ち込め、門扉には古の紋章――始祖の魔女の刻印が焼き付けられている。
「……空気が重いな」
レオンハルト殿下が剣を構え、私の前に立つ。
私たちはヴァルモン邸から取って返し、制圧されたという玉座の間を目指していた。
私の左手の指輪は、警報のように赤く明滅し続けている。これは、システムの管理者権限が何者かに奪われかけていることを示していた。
廊下を進むにつれ、倒れている近衛兵たちの姿が目に入った。皆、外傷はない。だが、魂を抜かれたように虚ろな目で宙を見つめ、動かない。
精神支配。
やはり、敵はシステムそのものを掌握し、王宮全体をコントロール下に置いているのだ。
「ようこそ、愛しき操り人形たちよ」
玉座の間の扉が開くと、そこには一人の男が座っていた。
王冠を戴き、漆黒のローブを纏った老人。
見覚えがある。王家の歴史顧問であり、古代魔法研究の第一人者だった男だ。
そして、その足元には、脱獄したカイル王子が力なく跪いている。どうやら用済みとして精神を壊されたらしい。
「貴様が『真の王』を名乗る黒幕か」
レオンハルトが鋭く問う。
老人は歪んだ笑みを浮かべた。
「その通り。我は始祖の魔女の意志を継ぐ者。……この国は間違っていたのだよ、レオンハルト。愛などという不確かなものでシステムを運用しようとしたことが、そもそもの歪みなのだ」
老人は指を鳴らす。
すると、私の指輪が焼けるように熱くなり、体か勝手に前へと歩き出した。
「リュシア!?」
「あ、足が……勝手に!」
システムの強制力だ。
老人は玉座から私を見下ろし、嘲笑った。
「見ろ。それが『国の心臓』の正体だ。お前は王妃ではない。ただの生体パーツだ。星冠値が無限になった今、お前は私のコマンド一つで意のままに動く奴隷となった」
屈辱だった。
私の意思とは関係なく、体はレオンハルトに剣を向けるよう強要されている。
指輪が、私の筋肉に電気信号を送っているのだ。
「愛しているのだろう? なら、殺せるはずがない。……だが、システムは残酷だ。『王太子を排除せよ』と命令されれば、お前の愛はそのための燃料として消費される!」
老人の言葉通り、私の手から攻撃魔法が生成され始める。
レオンハルトは剣を下ろし、悲痛な表情で私を見ていた。
「リュシア……抵抗しなくていい。君が私を撃つなら、私は甘んじて受けよう」
「ダメです! 避けてください!」
私は泣き叫んだ。
こんなの嫌だ。
私が欲しかったのは、穏やかな生活だ。
こんな、自分の手で大切な人を傷つけるような結末じゃない!
その時。
地下書庫で見た『黒の誓約書』の一節が、脳裏をよぎった。
『逆説的解除(パラドックス・ブレイク)』
『双方の星冠値を維持したまま、互いの目を見て、心からの「拒絶」を告げること』
今しかない。
システムが私を完全に支配しようとしている今、私の「本心」だけが、唯一の対抗手段だ。
「……殿下」
私は震える唇を開いた。
魔力を振り絞り、システムの干渉をほんの一瞬だけ押し返す。
「聞いてください。……これが、私の本当の気持ちです」
レオンハルトが目を見開く。
「私は……王妃になんて、なりたくありませんでした」
老人が鼻で笑う。「何を今更」と。
だが、私は続けた。
「私は、ただ静かに暮らしたかった。美味しいものを食べて、昼まで寝て、好きな本を読んで……誰にも縛られず、自分の人生を自分で選びたかった!」
堰を切ったように、言葉が溢れ出した。
今まで「照れ隠し」や「深慮遠謀」だと誤解されてきた、私のちっぽけで、切実な本音。
「国の心臓? システムのパーツ? ふざけないで! 私はリュシア・ヴァルモンです! 国のために死ぬなんて御免だし、あなたの重すぎる愛で窒息するのも、もううんざりなんです!」
私は叫んだ。喉が裂けんばかりに。
「私を解放して! 私を自由にして! ……婚約破棄してください!!」
今までで一番、魂を込めた「婚約破棄」の要求。
これまでの演技や建前ではない。
システムに支配されかけた恐怖が生んだ、純度100%の拒絶の叫び。
室内が静まり返る。
老人は「愚かな。そんな言葉でシステムが止まるものか」と嘲笑った。
しかし。
レオンハルトだけは、静かに微笑んでいた。
「……そうか」
彼は剣を捨て、両手を広げた。
「それが、君の真実だったんだな。……ずっと、苦しかったんだな」
彼の瞳から、涙が溢れる。
それは悲しみの涙ではなく、愛する人の痛みを知った、共感の涙だった。
「すまなかった、リュシア。私は『君を守る』と言いながら、君をシステムという檻に閉じ込め、私の理想を押し付けていただけだった」
レオンハルトは、私をまっすぐに見つめた。
そして、宣言した。
「私も、嫌だ」
「え?」
「君が望まない形で、君を縛り付けるのは嫌だ。君の自由を奪い、君をただの『機能』として扱うこのシステムを……私は心から憎む!」
彼の胸元の光が、激しく明滅し始める。
「私は、王妃としてのリュシアはいらない! 国の心臓としてのリュシアもいらない!」
レオンハルトの声が、玉座の間に響き渡る。
「私が欲しいのは、昼まで寝て、わがままで、怠惰で……それでも私のために怒ってくれる、ただの人間としての君だ!」
ピキーン……!
空気が凍りつくような音がした。
二人の「本音」が一致した。
私が「王妃の座(システム)」を拒絶し、彼もまた「システムに縛られた私」を拒絶した。
愛し合っているからこそ、互いを縛る鎖を否定したのだ。
【警告:論理矛盾(パラドックス)を検出】
【管理者と構成要素の双方が、システム存続を拒否】
【誓約の維持が不可能です。強制解除を実行します】
私の左手の指輪に亀裂が入った。
まばゆい光と共に、あの無限大の記号が歪み、崩れ落ちていく。
「な、何だと!? システムが崩壊している!? バカな、始祖の呪いは絶対のはずだ!」
老人が狼狽する。
「絶対などない!」
レオンハルトが叫ぶ。
「愛とは、互いを縛り合うことではない! 互いの『選択』を尊重し合うことだ! ……砕け散れ、星冠の誓約!」
パリィィィィィィンッ!!
盛大な破砕音と共に、私の指輪が粉々に砕け散った。
同時に、レオンハルトの胸の刻印も光を失い、消滅した。
体を縛っていた見えない糸が、ぷつりと切れる感覚。
「……動ける」
私は自分の手を見つめた。
何の変哲もない、ただの左手。
重苦しい指輪も、システムの声もない。
私は、自由だ。
「リュシア!」
レオンハルトが駆け寄ってくる。
システムによる強制力はない。彼自身の意志で、自分の足で走ってくる。
彼は私の前で立ち止まり、恐る恐る手を伸ばした。
「……誓約は消えた。君はもう、自由だ」
彼の手は震えていた。
鎖がなくなった今、私がこのまま背を向けて走り去れば、彼は私を止める術を持たない。
それを理解した上で、彼は私を解放したのだ。
私は彼の手を見た。
そして、老人の驚愕の表情を見た。
「……残念でしたわね、おじい様」
私はニヤリと笑った。
システムから解放された私は、もうただの「守られるヒロイン」ではない。
「契約解除(クーリングオフ)は成立しました。……さて、ここからは『再契約』の時間ですわ」
私はレオンハルトの手を、自らの意志で握り返した。
ギュッと。強く。
「殿下。私は自由になりました。……だからこそ、私の意志で選びます」
「リュシア……?」
「勘違いしないでください。私は『王妃という役割』が嫌だっただけで、あなたのことは……その、嫌いじゃありませんから」
顔が熱い。
こんな状況で何を言っているんだ私は。
「ただ、条件があります。これからの契約は、私が主導権を握らせていただきます。……文句は言わせませんわよ?」
レオンハルトは呆気にとられ、そしてパァァァッと顔を輝かせた。
今までで一番、人間くさい、だらしない笑顔で。
「ああ……もちろんだ! 君の望むままに!」
私たちは手を繋いだまま、老人に向き直った。
システムはない。魔女の加護もない。
あるのは、面倒くさい性格の元悪役令嬢と、愛が重すぎる王太子の、泥臭い絆だけ。
「さあ、殿下。あの老害を退場させて、新しい条文を作りましょう」
「御意、我が女王(クイーン)」
私たちは同時に駆け出した。
カイル王子の反乱軍を鎮圧したはずの場所には、今はどす黒い霧が立ち込め、門扉には古の紋章――始祖の魔女の刻印が焼き付けられている。
「……空気が重いな」
レオンハルト殿下が剣を構え、私の前に立つ。
私たちはヴァルモン邸から取って返し、制圧されたという玉座の間を目指していた。
私の左手の指輪は、警報のように赤く明滅し続けている。これは、システムの管理者権限が何者かに奪われかけていることを示していた。
廊下を進むにつれ、倒れている近衛兵たちの姿が目に入った。皆、外傷はない。だが、魂を抜かれたように虚ろな目で宙を見つめ、動かない。
精神支配。
やはり、敵はシステムそのものを掌握し、王宮全体をコントロール下に置いているのだ。
「ようこそ、愛しき操り人形たちよ」
玉座の間の扉が開くと、そこには一人の男が座っていた。
王冠を戴き、漆黒のローブを纏った老人。
見覚えがある。王家の歴史顧問であり、古代魔法研究の第一人者だった男だ。
そして、その足元には、脱獄したカイル王子が力なく跪いている。どうやら用済みとして精神を壊されたらしい。
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老人は歪んだ笑みを浮かべた。
「その通り。我は始祖の魔女の意志を継ぐ者。……この国は間違っていたのだよ、レオンハルト。愛などという不確かなものでシステムを運用しようとしたことが、そもそもの歪みなのだ」
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すると、私の指輪が焼けるように熱くなり、体か勝手に前へと歩き出した。
「リュシア!?」
「あ、足が……勝手に!」
システムの強制力だ。
老人は玉座から私を見下ろし、嘲笑った。
「見ろ。それが『国の心臓』の正体だ。お前は王妃ではない。ただの生体パーツだ。星冠値が無限になった今、お前は私のコマンド一つで意のままに動く奴隷となった」
屈辱だった。
私の意思とは関係なく、体はレオンハルトに剣を向けるよう強要されている。
指輪が、私の筋肉に電気信号を送っているのだ。
「愛しているのだろう? なら、殺せるはずがない。……だが、システムは残酷だ。『王太子を排除せよ』と命令されれば、お前の愛はそのための燃料として消費される!」
老人の言葉通り、私の手から攻撃魔法が生成され始める。
レオンハルトは剣を下ろし、悲痛な表情で私を見ていた。
「リュシア……抵抗しなくていい。君が私を撃つなら、私は甘んじて受けよう」
「ダメです! 避けてください!」
私は泣き叫んだ。
こんなの嫌だ。
私が欲しかったのは、穏やかな生活だ。
こんな、自分の手で大切な人を傷つけるような結末じゃない!
その時。
地下書庫で見た『黒の誓約書』の一節が、脳裏をよぎった。
『逆説的解除(パラドックス・ブレイク)』
『双方の星冠値を維持したまま、互いの目を見て、心からの「拒絶」を告げること』
今しかない。
システムが私を完全に支配しようとしている今、私の「本心」だけが、唯一の対抗手段だ。
「……殿下」
私は震える唇を開いた。
魔力を振り絞り、システムの干渉をほんの一瞬だけ押し返す。
「聞いてください。……これが、私の本当の気持ちです」
レオンハルトが目を見開く。
「私は……王妃になんて、なりたくありませんでした」
老人が鼻で笑う。「何を今更」と。
だが、私は続けた。
「私は、ただ静かに暮らしたかった。美味しいものを食べて、昼まで寝て、好きな本を読んで……誰にも縛られず、自分の人生を自分で選びたかった!」
堰を切ったように、言葉が溢れ出した。
今まで「照れ隠し」や「深慮遠謀」だと誤解されてきた、私のちっぽけで、切実な本音。
「国の心臓? システムのパーツ? ふざけないで! 私はリュシア・ヴァルモンです! 国のために死ぬなんて御免だし、あなたの重すぎる愛で窒息するのも、もううんざりなんです!」
私は叫んだ。喉が裂けんばかりに。
「私を解放して! 私を自由にして! ……婚約破棄してください!!」
今までで一番、魂を込めた「婚約破棄」の要求。
これまでの演技や建前ではない。
システムに支配されかけた恐怖が生んだ、純度100%の拒絶の叫び。
室内が静まり返る。
老人は「愚かな。そんな言葉でシステムが止まるものか」と嘲笑った。
しかし。
レオンハルトだけは、静かに微笑んでいた。
「……そうか」
彼は剣を捨て、両手を広げた。
「それが、君の真実だったんだな。……ずっと、苦しかったんだな」
彼の瞳から、涙が溢れる。
それは悲しみの涙ではなく、愛する人の痛みを知った、共感の涙だった。
「すまなかった、リュシア。私は『君を守る』と言いながら、君をシステムという檻に閉じ込め、私の理想を押し付けていただけだった」
レオンハルトは、私をまっすぐに見つめた。
そして、宣言した。
「私も、嫌だ」
「え?」
「君が望まない形で、君を縛り付けるのは嫌だ。君の自由を奪い、君をただの『機能』として扱うこのシステムを……私は心から憎む!」
彼の胸元の光が、激しく明滅し始める。
「私は、王妃としてのリュシアはいらない! 国の心臓としてのリュシアもいらない!」
レオンハルトの声が、玉座の間に響き渡る。
「私が欲しいのは、昼まで寝て、わがままで、怠惰で……それでも私のために怒ってくれる、ただの人間としての君だ!」
ピキーン……!
空気が凍りつくような音がした。
二人の「本音」が一致した。
私が「王妃の座(システム)」を拒絶し、彼もまた「システムに縛られた私」を拒絶した。
愛し合っているからこそ、互いを縛る鎖を否定したのだ。
【警告:論理矛盾(パラドックス)を検出】
【管理者と構成要素の双方が、システム存続を拒否】
【誓約の維持が不可能です。強制解除を実行します】
私の左手の指輪に亀裂が入った。
まばゆい光と共に、あの無限大の記号が歪み、崩れ落ちていく。
「な、何だと!? システムが崩壊している!? バカな、始祖の呪いは絶対のはずだ!」
老人が狼狽する。
「絶対などない!」
レオンハルトが叫ぶ。
「愛とは、互いを縛り合うことではない! 互いの『選択』を尊重し合うことだ! ……砕け散れ、星冠の誓約!」
パリィィィィィィンッ!!
盛大な破砕音と共に、私の指輪が粉々に砕け散った。
同時に、レオンハルトの胸の刻印も光を失い、消滅した。
体を縛っていた見えない糸が、ぷつりと切れる感覚。
「……動ける」
私は自分の手を見つめた。
何の変哲もない、ただの左手。
重苦しい指輪も、システムの声もない。
私は、自由だ。
「リュシア!」
レオンハルトが駆け寄ってくる。
システムによる強制力はない。彼自身の意志で、自分の足で走ってくる。
彼は私の前で立ち止まり、恐る恐る手を伸ばした。
「……誓約は消えた。君はもう、自由だ」
彼の手は震えていた。
鎖がなくなった今、私がこのまま背を向けて走り去れば、彼は私を止める術を持たない。
それを理解した上で、彼は私を解放したのだ。
私は彼の手を見た。
そして、老人の驚愕の表情を見た。
「……残念でしたわね、おじい様」
私はニヤリと笑った。
システムから解放された私は、もうただの「守られるヒロイン」ではない。
「契約解除(クーリングオフ)は成立しました。……さて、ここからは『再契約』の時間ですわ」
私はレオンハルトの手を、自らの意志で握り返した。
ギュッと。強く。
「殿下。私は自由になりました。……だからこそ、私の意志で選びます」
「リュシア……?」
「勘違いしないでください。私は『王妃という役割』が嫌だっただけで、あなたのことは……その、嫌いじゃありませんから」
顔が熱い。
こんな状況で何を言っているんだ私は。
「ただ、条件があります。これからの契約は、私が主導権を握らせていただきます。……文句は言わせませんわよ?」
レオンハルトは呆気にとられ、そしてパァァァッと顔を輝かせた。
今までで一番、人間くさい、だらしない笑顔で。
「ああ……もちろんだ! 君の望むままに!」
私たちは手を繋いだまま、老人に向き直った。
システムはない。魔女の加護もない。
あるのは、面倒くさい性格の元悪役令嬢と、愛が重すぎる王太子の、泥臭い絆だけ。
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