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第三十話(最終話)「退職届の結末:王妃就任、ただし自由条項付き」
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玉座の間には、砕け散った指輪の破片が星屑のように舞っていた。
システムは消滅した。
私を縛っていた絶対的な強制力も、レオンハルト殿下の脳内を支配していた過剰な執着プログラムも、もう存在しない。
目の前には、呆然と立ち尽くす老人――「真の王」を自称する歴史顧問がいる。
「バカな……。ありえん……!」
老人は震える手で虚空を掴もうとしていた。
「数百年の間、完璧に稼働していたシステムだぞ!? 愛などという不確定な感情を排除し、強制力のみで国を維持する……これこそが始祖の魔女が遺した至高の叡智! それを、貴様らごときが!」
「叡智? いいえ、それはただの『思考停止』ですわ」
私は一歩前に踏み出した。
足取りは軽い。誰に操られることもなく、自分の意思で地面を踏みしめている。
「システムに頼れば楽でしょうね。相手の心を考えなくて済むし、傷つくこともない。……でも、それは生きているとは言いません。ただの管理された家畜です」
「黙れ! 心臓ごときが生意気な!」
老人が杖を振り上げる。
玉座の間に残っていた魔力が収束し、黒い雷となって私に襲いかかる。
しかし。
キンッ!
私の目の前で、白銀の剣閃が雷を切り裂いた。
レオンハルト殿下だ。
彼は私を背に庇い、老人を鋭く睨みつけた。
「彼女に指一本触れさせない」
「……フン、システムが消えた今、貴様に何ができる? 星冠値の補正がなければ、貴様などただの若造だ!」
「ああ、そうだな。私はただの若造だ」
レオンハルトは不敵に笑った。
その笑顔は、かつてのキラキラした王子様のものではなく、もっと野性味あふれる、一人の男の顔だった。
「だが、だからこそ強い。……システムに『守れ』と命令されたから守るのではない。私が、私の意思で、彼女を愛し、守りたいと決めたからここに立っている! その覚悟の重さを、貴様の腐ったプログラムと一緒にすんな!」
レオンハルトが踏み込む。
魔法障壁を展開しようとする老人。
しかし、その障壁にはすでに亀裂が入っていた。
私が、背後からこっそりと「解呪(クラッキング)」を仕掛けていたからだ。
「殿下、右サイドの術式が甘いです! そこを!」
「応!」
私の指示に合わせて、レオンハルトの剣が正確に障壁の隙間を貫く。
魔法ではなく、連携。
システムによる同期(リンク)などなくても、私たちは呼吸を合わせて戦える。
なぜなら、この数ヶ月間、嫌というほど(主に膝の上で)時間を共有してきたからだ。
「がはっ……!」
老人の杖が弾き飛ばされ、彼は無様に床に転がった。
勝負ありだ。
「……終わりだ、亡霊」
レオンハルトが切っ先を突きつける。
老人は血を吐きながら、呪詛のように呻いた。
「愚かな……。システムなしで、どうやってこの国を統治する? 人心は移ろいやすい。今日愛し合っていても、明日は憎み合うかもしれない。……その時、誰が国を繋ぎ止める?」
「私たちが繋ぎ止めます」
私はレオンハルトの隣に並んだ。
「確かに、愛は変わるかもしれません。喧嘩もするでしょうし、顔も見たくない日だって来るかもしれません」
私はチラリとレオンハルトを見た。彼は「え、そんな日来るの?」とショックを受けていたが無視する。
「でも、そのたびに話し合い、妥協し、契約を更新すればいいのです。……完璧なシステムなんてない。あるのは、泥臭い『調整』と『努力』だけです。それが、人間が社会を営むということですわ」
私の言葉に、老人は力なく笑った。
「……人間、か。……魔女の末裔が、最も人間らしいことを言うとはな……」
老人の体が光の粒子となって崩れていく。
彼もまた、システムの一部として長生きしすぎていたのだろう。
核となる誓約が消えた今、その存在を維持できなくなったのだ。
玉座の間に、静寂が戻った。
窓の外から、朝日が差し込んでくる。
長い、長い夜が明けたのだ。
◇
数日後。
王都は復興の槌音に包まれていた。
カイル一派やセレナの残党は一掃され、神殿もエルダを中心とした改革派によって浄化が進んでいる。
そして今日、改めて延期されていた『白花の儀』……いえ、私たちの結婚式が行われることになった。
場所は、修復された大聖堂ではなく、王宮のバルコニー。
形式張った儀式ではなく、民衆に向けた「宣誓式」という形だ。
控室で、私はシンプルな白いドレスに着替えていた。
豪華な装飾も、呪いの指輪もない。
ただ、私の手には一枚の羊皮紙が握られている。
「……準備はいいか、リュシア」
レオンハルトが入ってきた。
彼もまた、飾り気のない軍服姿だ。
「はい。……でも、その前に」
私は彼に向き直り、羊皮紙を差し出した。
「これは?」
「新しい『契約書』です」
私は真剣な顔で告げた。
「システムは消えましたが、口約束だけで結婚するのは、元社畜として……いえ、ヴァルモン家の当主として不安です。なので、私たちの関係を定義する条文を作ってきました」
レオンハルトは目を丸くし、それから楽しそうに笑って書類を受け取った。
「どれどれ……。『第一条:王太子はリュシアの自由意思を尊重し、過度な束縛(半径五メートル以内への侵入制限等)を行わないこと』」
「重要です」
「『第二条:リュシアは王妃としての公務を行うが、週に二日の定休日と、年に二回の長期休暇を保証すること』」
「労働者の権利です」
「『第三条:喧嘩をした際は、翌朝までに必ず話し合いの場を設けること。ただし、美味しいスイーツを持参した場合は、その限りではない』」
「……譲歩案です」
レオンハルトは声を上げて笑った。
そして、愛おしそうに書類を見つめた。
「最高だ。……どんな愛の詩よりも、君らしい素晴らしいラブレターだ」
「ラブレターじゃありません、契約書です!」
「私からも、一つだけ条項を追加していいか?」
彼は羽ペンを取り、一番下にさらさらと書き加えた。
『特記事項:ただし、レオンハルトは生涯をかけてリュシアを愛し、彼女が「婚約破棄したい」と願う隙を与えないほど、幸せにし続ける義務を負う』
「……っ」
私は顔が熱くなるのを感じた。
義務化されてしまった。幸せになることが。
「契約成立だな?」
「……はい。異議なし、です」
私たちは書類にサインをし、そして初めて、システムに強制されないキスをした。
それはとても静かで、温かくて……甘い味がした。
◇
それから、数年後。
「リュシア様! 決裁書類が溜まっております!」
「王妃様! 隣国の使節団が面会を求めています!」
「ママー! 竜に乗って遊んでいいー?」
王宮の執務室は、相変わらず戦場だった。
私は山積みの書類と格闘しながら、叫んだ。
「もう! 少しは静かになさい! 竜はペットじゃありません! あと、その決裁は殿下に回して!」
王妃となって数年。
「隠居生活」なんて夢のまた夢。私は「敏腕王妃」として、あるいは「王国の影の支配者」として、多忙な日々を送っていた。
まあ、週休二日は死守しているけれど。
「やあ、リュシア。今日も美しいね」
窓から、レオンハルトが入ってきた(なぜかドアを使わない癖は治っていない)。
彼は国王となり、貫禄がついたが、私を見る甘い瞳は変わっていない。
いや、むしろシステムがなくなってからの方が、自発的な溺愛が加速している気がする。
「陛下。仕事をサボってどこに行っていたのですか?」
「サボってなどいない。君へのプレゼントを探していたんだ」
彼は背中に隠していた花束を差し出した。
真っ白なバラ。
あの日、私たちが誓いを立てた花だ。
「今日は結婚記念日だろう? ……契約更新の日だ」
「……覚えていらしたのですね」
「忘れるものか。君との契約は、私の命より重い」
彼は私の手を取り、薬指にキスをした。
そこには、かつての呪いの指輪ではなく、シンプルな銀の指輪が光っている。
そして、彼はいつものように、いたずらっぽく笑って言った。
「さて、更新手続きだが……今年も『継続』でいいかな? それとも……」
私は花束を受け取り、ため息をついた。
そして、あの懐かしい「退職届」を出すような仕草で、彼に微笑みかけた。
「ええ。申し上げます」
私は深く息を吸い込み、彼を見据えた。
「――婚約破棄して下さい」
レオンハルトは嬉しそうに目を細め、即答した。
「断る。……だが、君が望む自由は、これからも全部叶えよう」
これが、私たちの愛の合言葉。
何度拒絶しても、何度突き放しても、笑って受け止めてくれる。
そんな「契約」に縛られるのも、まあ、悪くはないかなと思う。
私は花束を胸に抱き、彼に抱きついた。
窓の外には、平和な王都の風景と、空を飛ぶ黒竜の姿。
私の「悪役令嬢」としての物語はここで終わる。
これからは、「最強の王妃」としての、騒がしくも幸せな日々が続いていくのだ。
……まあ、たまには有給休暇を取って、実家に家出しようとは思うけれど。
(完)
システムは消滅した。
私を縛っていた絶対的な強制力も、レオンハルト殿下の脳内を支配していた過剰な執着プログラムも、もう存在しない。
目の前には、呆然と立ち尽くす老人――「真の王」を自称する歴史顧問がいる。
「バカな……。ありえん……!」
老人は震える手で虚空を掴もうとしていた。
「数百年の間、完璧に稼働していたシステムだぞ!? 愛などという不確定な感情を排除し、強制力のみで国を維持する……これこそが始祖の魔女が遺した至高の叡智! それを、貴様らごときが!」
「叡智? いいえ、それはただの『思考停止』ですわ」
私は一歩前に踏み出した。
足取りは軽い。誰に操られることもなく、自分の意思で地面を踏みしめている。
「システムに頼れば楽でしょうね。相手の心を考えなくて済むし、傷つくこともない。……でも、それは生きているとは言いません。ただの管理された家畜です」
「黙れ! 心臓ごときが生意気な!」
老人が杖を振り上げる。
玉座の間に残っていた魔力が収束し、黒い雷となって私に襲いかかる。
しかし。
キンッ!
私の目の前で、白銀の剣閃が雷を切り裂いた。
レオンハルト殿下だ。
彼は私を背に庇い、老人を鋭く睨みつけた。
「彼女に指一本触れさせない」
「……フン、システムが消えた今、貴様に何ができる? 星冠値の補正がなければ、貴様などただの若造だ!」
「ああ、そうだな。私はただの若造だ」
レオンハルトは不敵に笑った。
その笑顔は、かつてのキラキラした王子様のものではなく、もっと野性味あふれる、一人の男の顔だった。
「だが、だからこそ強い。……システムに『守れ』と命令されたから守るのではない。私が、私の意思で、彼女を愛し、守りたいと決めたからここに立っている! その覚悟の重さを、貴様の腐ったプログラムと一緒にすんな!」
レオンハルトが踏み込む。
魔法障壁を展開しようとする老人。
しかし、その障壁にはすでに亀裂が入っていた。
私が、背後からこっそりと「解呪(クラッキング)」を仕掛けていたからだ。
「殿下、右サイドの術式が甘いです! そこを!」
「応!」
私の指示に合わせて、レオンハルトの剣が正確に障壁の隙間を貫く。
魔法ではなく、連携。
システムによる同期(リンク)などなくても、私たちは呼吸を合わせて戦える。
なぜなら、この数ヶ月間、嫌というほど(主に膝の上で)時間を共有してきたからだ。
「がはっ……!」
老人の杖が弾き飛ばされ、彼は無様に床に転がった。
勝負ありだ。
「……終わりだ、亡霊」
レオンハルトが切っ先を突きつける。
老人は血を吐きながら、呪詛のように呻いた。
「愚かな……。システムなしで、どうやってこの国を統治する? 人心は移ろいやすい。今日愛し合っていても、明日は憎み合うかもしれない。……その時、誰が国を繋ぎ止める?」
「私たちが繋ぎ止めます」
私はレオンハルトの隣に並んだ。
「確かに、愛は変わるかもしれません。喧嘩もするでしょうし、顔も見たくない日だって来るかもしれません」
私はチラリとレオンハルトを見た。彼は「え、そんな日来るの?」とショックを受けていたが無視する。
「でも、そのたびに話し合い、妥協し、契約を更新すればいいのです。……完璧なシステムなんてない。あるのは、泥臭い『調整』と『努力』だけです。それが、人間が社会を営むということですわ」
私の言葉に、老人は力なく笑った。
「……人間、か。……魔女の末裔が、最も人間らしいことを言うとはな……」
老人の体が光の粒子となって崩れていく。
彼もまた、システムの一部として長生きしすぎていたのだろう。
核となる誓約が消えた今、その存在を維持できなくなったのだ。
玉座の間に、静寂が戻った。
窓の外から、朝日が差し込んでくる。
長い、長い夜が明けたのだ。
◇
数日後。
王都は復興の槌音に包まれていた。
カイル一派やセレナの残党は一掃され、神殿もエルダを中心とした改革派によって浄化が進んでいる。
そして今日、改めて延期されていた『白花の儀』……いえ、私たちの結婚式が行われることになった。
場所は、修復された大聖堂ではなく、王宮のバルコニー。
形式張った儀式ではなく、民衆に向けた「宣誓式」という形だ。
控室で、私はシンプルな白いドレスに着替えていた。
豪華な装飾も、呪いの指輪もない。
ただ、私の手には一枚の羊皮紙が握られている。
「……準備はいいか、リュシア」
レオンハルトが入ってきた。
彼もまた、飾り気のない軍服姿だ。
「はい。……でも、その前に」
私は彼に向き直り、羊皮紙を差し出した。
「これは?」
「新しい『契約書』です」
私は真剣な顔で告げた。
「システムは消えましたが、口約束だけで結婚するのは、元社畜として……いえ、ヴァルモン家の当主として不安です。なので、私たちの関係を定義する条文を作ってきました」
レオンハルトは目を丸くし、それから楽しそうに笑って書類を受け取った。
「どれどれ……。『第一条:王太子はリュシアの自由意思を尊重し、過度な束縛(半径五メートル以内への侵入制限等)を行わないこと』」
「重要です」
「『第二条:リュシアは王妃としての公務を行うが、週に二日の定休日と、年に二回の長期休暇を保証すること』」
「労働者の権利です」
「『第三条:喧嘩をした際は、翌朝までに必ず話し合いの場を設けること。ただし、美味しいスイーツを持参した場合は、その限りではない』」
「……譲歩案です」
レオンハルトは声を上げて笑った。
そして、愛おしそうに書類を見つめた。
「最高だ。……どんな愛の詩よりも、君らしい素晴らしいラブレターだ」
「ラブレターじゃありません、契約書です!」
「私からも、一つだけ条項を追加していいか?」
彼は羽ペンを取り、一番下にさらさらと書き加えた。
『特記事項:ただし、レオンハルトは生涯をかけてリュシアを愛し、彼女が「婚約破棄したい」と願う隙を与えないほど、幸せにし続ける義務を負う』
「……っ」
私は顔が熱くなるのを感じた。
義務化されてしまった。幸せになることが。
「契約成立だな?」
「……はい。異議なし、です」
私たちは書類にサインをし、そして初めて、システムに強制されないキスをした。
それはとても静かで、温かくて……甘い味がした。
◇
それから、数年後。
「リュシア様! 決裁書類が溜まっております!」
「王妃様! 隣国の使節団が面会を求めています!」
「ママー! 竜に乗って遊んでいいー?」
王宮の執務室は、相変わらず戦場だった。
私は山積みの書類と格闘しながら、叫んだ。
「もう! 少しは静かになさい! 竜はペットじゃありません! あと、その決裁は殿下に回して!」
王妃となって数年。
「隠居生活」なんて夢のまた夢。私は「敏腕王妃」として、あるいは「王国の影の支配者」として、多忙な日々を送っていた。
まあ、週休二日は死守しているけれど。
「やあ、リュシア。今日も美しいね」
窓から、レオンハルトが入ってきた(なぜかドアを使わない癖は治っていない)。
彼は国王となり、貫禄がついたが、私を見る甘い瞳は変わっていない。
いや、むしろシステムがなくなってからの方が、自発的な溺愛が加速している気がする。
「陛下。仕事をサボってどこに行っていたのですか?」
「サボってなどいない。君へのプレゼントを探していたんだ」
彼は背中に隠していた花束を差し出した。
真っ白なバラ。
あの日、私たちが誓いを立てた花だ。
「今日は結婚記念日だろう? ……契約更新の日だ」
「……覚えていらしたのですね」
「忘れるものか。君との契約は、私の命より重い」
彼は私の手を取り、薬指にキスをした。
そこには、かつての呪いの指輪ではなく、シンプルな銀の指輪が光っている。
そして、彼はいつものように、いたずらっぽく笑って言った。
「さて、更新手続きだが……今年も『継続』でいいかな? それとも……」
私は花束を受け取り、ため息をついた。
そして、あの懐かしい「退職届」を出すような仕草で、彼に微笑みかけた。
「ええ。申し上げます」
私は深く息を吸い込み、彼を見据えた。
「――婚約破棄して下さい」
レオンハルトは嬉しそうに目を細め、即答した。
「断る。……だが、君が望む自由は、これからも全部叶えよう」
これが、私たちの愛の合言葉。
何度拒絶しても、何度突き放しても、笑って受け止めてくれる。
そんな「契約」に縛られるのも、まあ、悪くはないかなと思う。
私は花束を胸に抱き、彼に抱きついた。
窓の外には、平和な王都の風景と、空を飛ぶ黒竜の姿。
私の「悪役令嬢」としての物語はここで終わる。
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