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第4話:雨中の追放
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夜が明け、小鳥のさえずりが、窓の外から聞こえてくる。
いつもなら、メイドが、銀の盆に載せた紅茶を持って、起こしに来てくれる時間。
しかし、今日、その扉がノックされることは、なかった。
私は、一睡もできないまま、朝を迎えた。
ぼんやりとした頭で、ゆっくりと、身を起こす。
部屋の中は、驚くほど、静かだった。
まるで、私という存在が、最初から、この世界にいなかったかのように。
着替えるためのドレスは、昨日着ていた、くすんだものしかない。
クローゼットを開けても、そこは、もぬけの殻だった。
私のささやかな持ち物は、すでに全て、ゴミのように、処分されてしまったようだった。
「本当に、追い出す気なのだな……」
改めて、リンドバーグ家の人々の、冷酷さを思い知らされる。
涙は、もう枯れ果てていた。
ただ、言われた通りに、この家を出て行こう。
もはや、ここに、未練など、ひとかけらもなかった。
ギィ、と古びた音を立てて、部屋の扉を開ける。
長い廊下を歩いても、誰一人として、すれ違うことはない。
使用人たちも、腫れ物に触るかのように、私を避けているのだろう。
『無能才女』で、家を追われる令嬢など、関わりたくもないに違いない。
屋敷の玄関ホールまでたどり着くと、そこには、執事のセバスチャンだけが、硬い表情で、立っていた。
彼は、私が、まだ幼い頃から、リンドバーグ家に仕えている、年老いた執事だ。
「……エリアーナ様」
その声には、僅かながら、同情の色が滲んでいるように聞こえた。
この、冷たい家で、唯一、私のことを、案じてくれているのかもしれない。
「セバスチャン……」
「旦那様からの、言伝でございます。『二度と、我々の前に、姿を現すな』と」
非情な言葉を、彼は、淡々と告げる。
それが、彼の仕事だからだ。
「……わかっています」
「そして……これは、私個人からの、ささやかな、餞別でございます。どうか、お受け取りください」
セバスチャンは、震える手で、小さな、革袋を、私に差し出した。
リリアナが持ってきた、きらびやかな包みよりも、ずっと、小さく、軽い。
けれど、その重みは、比べ物にならないほど、温かく感じられた。
「……ありがとう、セバスチャン」
私は、その革袋を、お守りのように、しっかりと握りしめた。
これが、私の全財産。
そして、この家で得た、最後の、優しさ。
重い、重い、樫の扉が、私の目の前で、開かれる。
外は、まるで、私の心を、映したかのように、冷たい雨が、降っていた。
ザアザアと、音を立てて降りしきる雨が、あっという間に、私の体を、濡らしていく。
振り返ると、セバスチャンが、深々と、頭を下げていた。
そして、無情にも、扉は、閉ざされた。
ガチャン、という、重く、冷たい音が、私の背後で響き渡る。
その音は、私が、リンドバーグ家の人間では、なくなったことを、明確に、告げていた。
行くあてなどない。
それでも、ここに、立ち尽くしているわけには、いかなかった。
私は、雨に打たれながら、ただ、ひたすらに、歩き始めた。
濡れたドレスが、鉛のように重く、肌に張り付いて、冷たい。
体温が、どんどん、奪われていく。
道行く人々は、ずぶ濡れで歩く私を、奇異なものを見るような目で見て、足早に、通り過ぎていく。
誰も、助けてはくれない。
誰も、手を差し伸べてはくれない。
それが、今の、私の、現実。
どれくらい、歩いただろうか。
王都の、華やかな大通りを抜け、次第に、寂れた、裏路地へと、足を踏み入れていた。
雨足は、さらに、強くなる。
空腹と、寒さで、もう、立っているのも、限界だった。
足が、もつれ、私は、ぬかるんだ、汚い地面に、倒れ込んでしまう。
泥と、雨水にまみれて、自分の姿が、ひどく、惨めに思えた。
「このまま、死んでしまうのかな……」
意識が、だんだんと、遠のいていく。
リリアナの、勝ち誇った顔が、脳裏に、浮かんだ。
父の、冷たい目が。
アルフォンス殿下の、侮蔑の言葉が。
「嫌だ……。こんなところで……終わりたくない……」
後悔させてやるんじゃなかったの?
見返してやるんじゃなかったの?
歯を食いしばり、必死に、立ち上がろうとする。
けれど、指一本、動かすことが、できなかった。
冷たい雨が、容赦なく、私の体を、叩き続ける。
ああ、もう、ダメかもしれない。
薄れゆく意識の中、誰かの、足音が、すぐそばで、止まったのが、分かった。
見上げる力も、もう、残っていない。
黒い、上質な、革靴。
それが、私の視界に入った、最後の光景だった。
そして、冷たく、それでいて、どこか、心地よい、低い声が、頭上から、降ってきた。
「……そこで何をしている。邪魔だ」
その声が、私の運命を、大きく、変えることになるなど、この時の私は、知る由も、なかった。
いつもなら、メイドが、銀の盆に載せた紅茶を持って、起こしに来てくれる時間。
しかし、今日、その扉がノックされることは、なかった。
私は、一睡もできないまま、朝を迎えた。
ぼんやりとした頭で、ゆっくりと、身を起こす。
部屋の中は、驚くほど、静かだった。
まるで、私という存在が、最初から、この世界にいなかったかのように。
着替えるためのドレスは、昨日着ていた、くすんだものしかない。
クローゼットを開けても、そこは、もぬけの殻だった。
私のささやかな持ち物は、すでに全て、ゴミのように、処分されてしまったようだった。
「本当に、追い出す気なのだな……」
改めて、リンドバーグ家の人々の、冷酷さを思い知らされる。
涙は、もう枯れ果てていた。
ただ、言われた通りに、この家を出て行こう。
もはや、ここに、未練など、ひとかけらもなかった。
ギィ、と古びた音を立てて、部屋の扉を開ける。
長い廊下を歩いても、誰一人として、すれ違うことはない。
使用人たちも、腫れ物に触るかのように、私を避けているのだろう。
『無能才女』で、家を追われる令嬢など、関わりたくもないに違いない。
屋敷の玄関ホールまでたどり着くと、そこには、執事のセバスチャンだけが、硬い表情で、立っていた。
彼は、私が、まだ幼い頃から、リンドバーグ家に仕えている、年老いた執事だ。
「……エリアーナ様」
その声には、僅かながら、同情の色が滲んでいるように聞こえた。
この、冷たい家で、唯一、私のことを、案じてくれているのかもしれない。
「セバスチャン……」
「旦那様からの、言伝でございます。『二度と、我々の前に、姿を現すな』と」
非情な言葉を、彼は、淡々と告げる。
それが、彼の仕事だからだ。
「……わかっています」
「そして……これは、私個人からの、ささやかな、餞別でございます。どうか、お受け取りください」
セバスチャンは、震える手で、小さな、革袋を、私に差し出した。
リリアナが持ってきた、きらびやかな包みよりも、ずっと、小さく、軽い。
けれど、その重みは、比べ物にならないほど、温かく感じられた。
「……ありがとう、セバスチャン」
私は、その革袋を、お守りのように、しっかりと握りしめた。
これが、私の全財産。
そして、この家で得た、最後の、優しさ。
重い、重い、樫の扉が、私の目の前で、開かれる。
外は、まるで、私の心を、映したかのように、冷たい雨が、降っていた。
ザアザアと、音を立てて降りしきる雨が、あっという間に、私の体を、濡らしていく。
振り返ると、セバスチャンが、深々と、頭を下げていた。
そして、無情にも、扉は、閉ざされた。
ガチャン、という、重く、冷たい音が、私の背後で響き渡る。
その音は、私が、リンドバーグ家の人間では、なくなったことを、明確に、告げていた。
行くあてなどない。
それでも、ここに、立ち尽くしているわけには、いかなかった。
私は、雨に打たれながら、ただ、ひたすらに、歩き始めた。
濡れたドレスが、鉛のように重く、肌に張り付いて、冷たい。
体温が、どんどん、奪われていく。
道行く人々は、ずぶ濡れで歩く私を、奇異なものを見るような目で見て、足早に、通り過ぎていく。
誰も、助けてはくれない。
誰も、手を差し伸べてはくれない。
それが、今の、私の、現実。
どれくらい、歩いただろうか。
王都の、華やかな大通りを抜け、次第に、寂れた、裏路地へと、足を踏み入れていた。
雨足は、さらに、強くなる。
空腹と、寒さで、もう、立っているのも、限界だった。
足が、もつれ、私は、ぬかるんだ、汚い地面に、倒れ込んでしまう。
泥と、雨水にまみれて、自分の姿が、ひどく、惨めに思えた。
「このまま、死んでしまうのかな……」
意識が、だんだんと、遠のいていく。
リリアナの、勝ち誇った顔が、脳裏に、浮かんだ。
父の、冷たい目が。
アルフォンス殿下の、侮蔑の言葉が。
「嫌だ……。こんなところで……終わりたくない……」
後悔させてやるんじゃなかったの?
見返してやるんじゃなかったの?
歯を食いしばり、必死に、立ち上がろうとする。
けれど、指一本、動かすことが、できなかった。
冷たい雨が、容赦なく、私の体を、叩き続ける。
ああ、もう、ダメかもしれない。
薄れゆく意識の中、誰かの、足音が、すぐそばで、止まったのが、分かった。
見上げる力も、もう、残っていない。
黒い、上質な、革靴。
それが、私の視界に入った、最後の光景だった。
そして、冷たく、それでいて、どこか、心地よい、低い声が、頭上から、降ってきた。
「……そこで何をしている。邪魔だ」
その声が、私の運命を、大きく、変えることになるなど、この時の私は、知る由も、なかった。
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