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第13話 父子の距離
冷たい石造りの廊下を歩きながら、私は小さく息を吐いた。
ニナから話を聞いた後、すぐにでも侍女頭のオルタンシアに怒鳴り込んでやろうかと思ったが、踏みとどまった。
感情に任せて噛み付くのは三流の悪役だ。
王都の社交界を生き抜いてきた私なら、もっと賢く、確実に彼女たちの「正しさ」を崩す方法を見つけられるはず。
まずは、この屋敷の中心である公爵、レオンハルトの足元を固めなければ。
♦︎♦︎♦︎
書物室へ向かう途中、ふと少し開いた扉の隙間から、低く硬い声が聞こえてきた。
「……本日の魔力制御の進捗はどうだったか」
レオンハルトの声だ。
私は足を止め、壁の陰に身を潜めて部屋の中を覗き込んだ。
広い応接室のソファに、レオンハルトが背筋を伸ばして座っている。
その向かいには、小さなルカがちょこんと座っていた。
いや、座っているというより、尋問を受ける罪人のように身を硬くして畏まっている。
「はい。本日は、基礎的な氷結魔法の維持を二時間行いました。出力のブレは規定値内に収まっております」
ルカは淡々と、感情を一切交えない声で答えた。
軍隊の報告のような、七歳の子どもらしからぬ完璧な受け答え。
「そうか。基礎は重要だ。怠るな」
「承知いたしました、父上」
会話が、そこで途切れた。
冷たい沈黙が部屋を満たす。
レオンハルトは紅茶のカップを手に取り、無言で一口飲んだ。
ルカは膝の上で両手をきつく組み、自分の靴のつま先をじっと見つめている。
(……何なの、この息の詰まる空間は)
私は呆れてため息をつきそうになった。
あれが、父と息子の団欒のつもりなのだろうか。
「……ルカ」
しばらくして、レオンハルトが再び口を開いた。
「風邪の具合は、完全に良くなったか」
おや、と思った。
彼にしては、少しだけ父親らしい気遣いの言葉だ。
ルカも少し驚いたように肩をビクッと跳ねさせたが、すぐにいつもの完璧な仮面を被り直した。
「はい。ご心配をおかけして申し訳ございません。すでに体調は万全であり、今後の訓練に支障はありません」
「……そうか。ならばいい」
またしても、会話が終了してしまった。
レオンハルトは少しだけ何か言いたげに口を開きかけたが、結局それ以上言葉を紡ぐことはなく、窓の外の雪景色へと視線を移してしまった。
私は、額を押さえた。
レオンハルトはルカを嫌っているわけではない。彼なりに、息子の体調を気遣おうとしたのだ。
だが、その言葉選びがあまりにも硬く、業務連絡のようになってしまっている。
そしてルカもまた、父親に甘える方法を知らず、「有能な部下」としての返事しかできない。
(不器用にもほどがあるわ……)
この父子は、互いに歩み寄ろうとしているのに、言語が通じていない異国人同士のようなのだ。
父親はどう話しかければいいかわからず、息子はどう答えれば怒られないかしか考えていない。
「……失礼いたします、父上。次の歴史学の時間が近づいておりますので、これで退室してもよろしいでしょうか」
耐えきれなくなったのか、ルカが静かに立ち上がった。
レオンハルトは小さく頷いた。
「ああ。しっかり励むように」
「はい。失礼いたします」
ルカが完璧な礼をして部屋を出てくる。
私は慌てて足音を忍ばせ、その場から離れた。
レオンハルトのあのアホみたいな不器用さを治すのは、一筋縄ではいかないだろう。
けれど、彼がルカを本気で気にかけていることだけはわかった。
それなら、私が間に入って通訳をしてやるしかない。
「手のかかる男たちね、まったく」
私は誰もいない廊下で、少しだけ意地悪く微笑んだ。
悪役令嬢としての新しい仕事が、また一つ増えたようだ。
ニナから話を聞いた後、すぐにでも侍女頭のオルタンシアに怒鳴り込んでやろうかと思ったが、踏みとどまった。
感情に任せて噛み付くのは三流の悪役だ。
王都の社交界を生き抜いてきた私なら、もっと賢く、確実に彼女たちの「正しさ」を崩す方法を見つけられるはず。
まずは、この屋敷の中心である公爵、レオンハルトの足元を固めなければ。
♦︎♦︎♦︎
書物室へ向かう途中、ふと少し開いた扉の隙間から、低く硬い声が聞こえてきた。
「……本日の魔力制御の進捗はどうだったか」
レオンハルトの声だ。
私は足を止め、壁の陰に身を潜めて部屋の中を覗き込んだ。
広い応接室のソファに、レオンハルトが背筋を伸ばして座っている。
その向かいには、小さなルカがちょこんと座っていた。
いや、座っているというより、尋問を受ける罪人のように身を硬くして畏まっている。
「はい。本日は、基礎的な氷結魔法の維持を二時間行いました。出力のブレは規定値内に収まっております」
ルカは淡々と、感情を一切交えない声で答えた。
軍隊の報告のような、七歳の子どもらしからぬ完璧な受け答え。
「そうか。基礎は重要だ。怠るな」
「承知いたしました、父上」
会話が、そこで途切れた。
冷たい沈黙が部屋を満たす。
レオンハルトは紅茶のカップを手に取り、無言で一口飲んだ。
ルカは膝の上で両手をきつく組み、自分の靴のつま先をじっと見つめている。
(……何なの、この息の詰まる空間は)
私は呆れてため息をつきそうになった。
あれが、父と息子の団欒のつもりなのだろうか。
「……ルカ」
しばらくして、レオンハルトが再び口を開いた。
「風邪の具合は、完全に良くなったか」
おや、と思った。
彼にしては、少しだけ父親らしい気遣いの言葉だ。
ルカも少し驚いたように肩をビクッと跳ねさせたが、すぐにいつもの完璧な仮面を被り直した。
「はい。ご心配をおかけして申し訳ございません。すでに体調は万全であり、今後の訓練に支障はありません」
「……そうか。ならばいい」
またしても、会話が終了してしまった。
レオンハルトは少しだけ何か言いたげに口を開きかけたが、結局それ以上言葉を紡ぐことはなく、窓の外の雪景色へと視線を移してしまった。
私は、額を押さえた。
レオンハルトはルカを嫌っているわけではない。彼なりに、息子の体調を気遣おうとしたのだ。
だが、その言葉選びがあまりにも硬く、業務連絡のようになってしまっている。
そしてルカもまた、父親に甘える方法を知らず、「有能な部下」としての返事しかできない。
(不器用にもほどがあるわ……)
この父子は、互いに歩み寄ろうとしているのに、言語が通じていない異国人同士のようなのだ。
父親はどう話しかければいいかわからず、息子はどう答えれば怒られないかしか考えていない。
「……失礼いたします、父上。次の歴史学の時間が近づいておりますので、これで退室してもよろしいでしょうか」
耐えきれなくなったのか、ルカが静かに立ち上がった。
レオンハルトは小さく頷いた。
「ああ。しっかり励むように」
「はい。失礼いたします」
ルカが完璧な礼をして部屋を出てくる。
私は慌てて足音を忍ばせ、その場から離れた。
レオンハルトのあのアホみたいな不器用さを治すのは、一筋縄ではいかないだろう。
けれど、彼がルカを本気で気にかけていることだけはわかった。
それなら、私が間に入って通訳をしてやるしかない。
「手のかかる男たちね、まったく」
私は誰もいない廊下で、少しだけ意地悪く微笑んだ。
悪役令嬢としての新しい仕事が、また一つ増えたようだ。
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