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15話「嘘と真実」
セレナが茶会で放った「妊娠の匂わせ」は、王都のゴシップ好きの貴族たちの間で瞬く間に広がった。
『正妻の嫉妬による職務放棄』
『新しい命を身籠った可哀想な愛人』
事実とはかけ離れた物語が、まことしやかに語られる。
侯爵家に引き籠っている私のもとにも、その噂はすぐに届いた。
「まったく、呆れた女ね。自分の首を絞めていることに気づかないなんて」
私は侯爵家の応接室で、ルーカスが持ってきた報告書に目を通しながら、冷たいお茶を一口飲んだ。
「ええ。監査の最中に、別の女性を妊娠させたとなれば、伯爵の心証はさらに悪化します。それに、王国の貴族法では、正妻の同意なく非嫡出子を次々と増やす行為は、家督の混乱を招くとして厳しく罰せられますからね」
ルーカスは黒檀の机を指先で軽く叩きながら、淡々と事実を述べる。
「医師の診断は受けているのでしょうか?」
「私の部下が探りを入れたところ、まだのようです。ただの想像か、あるいは同情を買うための完全な狂言か……。どちらにせよ、嘘であれば社交界を欺いた罪が加わりますし、真実であれば伯爵の罪が重くなる。彼らにとって逃げ道はありません」
「自業自得、という言葉がこれほど似合う状況もありませんね」
私が冷ややかに微笑むと、ルーカスもわずかに口角を上げた。
「さて、噂話はこれくらいにして、本題に入りましょう。監察院の部隊が、ルクレール領の主要な穀物倉庫の調査を完了しました」
ルーカスは鞄から新たな書類の束を取り出し、私の前に広げた。
「奥方がご指摘された通り、帳簿上の備蓄量と実際の在庫が全く合っていません。それも、微々たる誤差ではなく、領民の冬越しのための備蓄の半分が消え失せていました」
その報告に、私の胸の奥で冷たい怒りが燃え上がった。
領民の命綱である冬の備蓄。
凶作に備えて、私が何年もかけて少しずつ切り詰め、貯めてきたものだ。
それを、あの男は私欲のために売り払ったのだ。
「どこへ流れたか、特定は?」
「ええ。倉庫の裏口付近に、荷馬車の深い轍が残っていました。さらに、倉庫の管理人を尋問したところ、伯爵の直筆の指示書で、夜間に運び出していたことを自白しました」
ルーカスは一枚の紙切れを提示した。
そこには、オスヴァルドの乱雑な字で書かれた指示と、見慣れない赤い印章が押されていた。
「この印は……」
私は目を細め、その印章を凝視した。
蛇が剣に巻き付いたような、禍々しい意匠。
「奥方はご存知ないでしょう。これは、王都の裏社会で暗躍する『黒蛇商会』の印です。脱税、密輸、なんでもござれの違法な組織ですよ」
「密輸商会……!」
「ええ。伯爵は正規の商人を通さず、密輸業者に穀物を横流しし、裏金を得ていた。この印は……密輸商会のものです。これで、言い逃れは完全に不可能となりました」
ルーカスの灰色の瞳が、獲物を仕留める鷹のように鋭く光った。
もはや、単なる家庭内の問題ではない。
国家の税と領民の命を危険に晒した、重罪だ。
オスヴァルドの破滅は、もう目の前まで迫っていた。
『正妻の嫉妬による職務放棄』
『新しい命を身籠った可哀想な愛人』
事実とはかけ離れた物語が、まことしやかに語られる。
侯爵家に引き籠っている私のもとにも、その噂はすぐに届いた。
「まったく、呆れた女ね。自分の首を絞めていることに気づかないなんて」
私は侯爵家の応接室で、ルーカスが持ってきた報告書に目を通しながら、冷たいお茶を一口飲んだ。
「ええ。監査の最中に、別の女性を妊娠させたとなれば、伯爵の心証はさらに悪化します。それに、王国の貴族法では、正妻の同意なく非嫡出子を次々と増やす行為は、家督の混乱を招くとして厳しく罰せられますからね」
ルーカスは黒檀の机を指先で軽く叩きながら、淡々と事実を述べる。
「医師の診断は受けているのでしょうか?」
「私の部下が探りを入れたところ、まだのようです。ただの想像か、あるいは同情を買うための完全な狂言か……。どちらにせよ、嘘であれば社交界を欺いた罪が加わりますし、真実であれば伯爵の罪が重くなる。彼らにとって逃げ道はありません」
「自業自得、という言葉がこれほど似合う状況もありませんね」
私が冷ややかに微笑むと、ルーカスもわずかに口角を上げた。
「さて、噂話はこれくらいにして、本題に入りましょう。監察院の部隊が、ルクレール領の主要な穀物倉庫の調査を完了しました」
ルーカスは鞄から新たな書類の束を取り出し、私の前に広げた。
「奥方がご指摘された通り、帳簿上の備蓄量と実際の在庫が全く合っていません。それも、微々たる誤差ではなく、領民の冬越しのための備蓄の半分が消え失せていました」
その報告に、私の胸の奥で冷たい怒りが燃え上がった。
領民の命綱である冬の備蓄。
凶作に備えて、私が何年もかけて少しずつ切り詰め、貯めてきたものだ。
それを、あの男は私欲のために売り払ったのだ。
「どこへ流れたか、特定は?」
「ええ。倉庫の裏口付近に、荷馬車の深い轍が残っていました。さらに、倉庫の管理人を尋問したところ、伯爵の直筆の指示書で、夜間に運び出していたことを自白しました」
ルーカスは一枚の紙切れを提示した。
そこには、オスヴァルドの乱雑な字で書かれた指示と、見慣れない赤い印章が押されていた。
「この印は……」
私は目を細め、その印章を凝視した。
蛇が剣に巻き付いたような、禍々しい意匠。
「奥方はご存知ないでしょう。これは、王都の裏社会で暗躍する『黒蛇商会』の印です。脱税、密輸、なんでもござれの違法な組織ですよ」
「密輸商会……!」
「ええ。伯爵は正規の商人を通さず、密輸業者に穀物を横流しし、裏金を得ていた。この印は……密輸商会のものです。これで、言い逃れは完全に不可能となりました」
ルーカスの灰色の瞳が、獲物を仕留める鷹のように鋭く光った。
もはや、単なる家庭内の問題ではない。
国家の税と領民の命を危険に晒した、重罪だ。
オスヴァルドの破滅は、もう目の前まで迫っていた。
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