1 / 61
第1話 無効宣告
王都ヴァルミエの中心にそびえる、暁光教会の大聖堂。
天高く伸びる尖塔から、重々しい鐘の音が響き渡っていた。
ひんやりとした石畳の冷たさが、靴底を通して足の裏まで伝わってくる。
獣脂の蝋燭が燃える特有の匂いと、乳香の香りが混ざり合う、薄暗い教会裁判所。
エリシアは祭壇の前に立ち、ただ目の前の虚空を見つめていた。
「ーーよって、辺境伯ロルフと子爵家次女エリシアの婚姻は、禁親等の疑義により無効とする」
赤い法衣を纏った司祭の言葉が、高い天井に反響する。
無効。
離縁ではない。この三年間、辺境の厳しい冬を共に乗り越え、領地の帳簿に向かい合った日々そのものが「最初から存在しなかった」と宣告されたのだ。
「ロルフ様……」
エリシアは震える唇を開き、隣に立つ夫ーーいや、今や他人となった男を見上げた。
銀色の髪に、氷のように冷たい青い瞳。
辺境伯ロルフは、エリシアの微かな声にピクリとも表情を動かさなかった。
「合理的な判断だ」
彼の口からこぼれたのは、ひどく平坦で、感情の欠落した声だった。
「辺境の統治には、より強固な後ろ盾が必要だ。疑義のある婚姻関係を続けることは、領地にとって最善ではない。君の家格では、これ以上の発展は望めない」
淡々と告げられる言葉の刃が、エリシアの胸を正確に切り裂いていく。
そこに、妻への労わりや後悔の色は一切なかった。
ただ家の存続と、領地の利益。彼が信じるのはそれだけなのだと、改めて突きつけられる。
「私の三年は……何だったのでしょうか」
絞り出した声は、ひどく掠れていた。
ロルフは冷ややかな視線をエリシアに向ける。
「君の貢献は評価している。だが、無効化は教会が認めた事実だ。君の身の回りの物は、すでに馬車に積んである。実家へ帰るがいい」
これ以上話すことはないとばかりに、ロルフは背を向ける。
床を叩く彼の硬い靴音が、無情にも遠ざかっていった。
視界がぐらりと揺れる。
実家になど、帰れるはずがない。エリシアは「辺境伯に嫁いだ娘」として、すでに家から籍を抜かれている。婚姻が無効になった今、彼女の帰る場所などこの世のどこにも存在しないのだ。
呼吸がうまくできない。
胸の奥が焼けるように痛いのに、不思議と涙は一滴も出なかった。
あまりの恐怖と屈辱に、感情が完全に凍りついてしまったようだった。
エリシアはゆっくりと、冷たい石畳の上に膝をついた。
灯りの消えかけた蝋燭の匂いが、肺の奥をひどく重く満たしていった。
♦︎♦︎♦︎
天高く伸びる尖塔から、重々しい鐘の音が響き渡っていた。
ひんやりとした石畳の冷たさが、靴底を通して足の裏まで伝わってくる。
獣脂の蝋燭が燃える特有の匂いと、乳香の香りが混ざり合う、薄暗い教会裁判所。
エリシアは祭壇の前に立ち、ただ目の前の虚空を見つめていた。
「ーーよって、辺境伯ロルフと子爵家次女エリシアの婚姻は、禁親等の疑義により無効とする」
赤い法衣を纏った司祭の言葉が、高い天井に反響する。
無効。
離縁ではない。この三年間、辺境の厳しい冬を共に乗り越え、領地の帳簿に向かい合った日々そのものが「最初から存在しなかった」と宣告されたのだ。
「ロルフ様……」
エリシアは震える唇を開き、隣に立つ夫ーーいや、今や他人となった男を見上げた。
銀色の髪に、氷のように冷たい青い瞳。
辺境伯ロルフは、エリシアの微かな声にピクリとも表情を動かさなかった。
「合理的な判断だ」
彼の口からこぼれたのは、ひどく平坦で、感情の欠落した声だった。
「辺境の統治には、より強固な後ろ盾が必要だ。疑義のある婚姻関係を続けることは、領地にとって最善ではない。君の家格では、これ以上の発展は望めない」
淡々と告げられる言葉の刃が、エリシアの胸を正確に切り裂いていく。
そこに、妻への労わりや後悔の色は一切なかった。
ただ家の存続と、領地の利益。彼が信じるのはそれだけなのだと、改めて突きつけられる。
「私の三年は……何だったのでしょうか」
絞り出した声は、ひどく掠れていた。
ロルフは冷ややかな視線をエリシアに向ける。
「君の貢献は評価している。だが、無効化は教会が認めた事実だ。君の身の回りの物は、すでに馬車に積んである。実家へ帰るがいい」
これ以上話すことはないとばかりに、ロルフは背を向ける。
床を叩く彼の硬い靴音が、無情にも遠ざかっていった。
視界がぐらりと揺れる。
実家になど、帰れるはずがない。エリシアは「辺境伯に嫁いだ娘」として、すでに家から籍を抜かれている。婚姻が無効になった今、彼女の帰る場所などこの世のどこにも存在しないのだ。
呼吸がうまくできない。
胸の奥が焼けるように痛いのに、不思議と涙は一滴も出なかった。
あまりの恐怖と屈辱に、感情が完全に凍りついてしまったようだった。
エリシアはゆっくりと、冷たい石畳の上に膝をついた。
灯りの消えかけた蝋燭の匂いが、肺の奥をひどく重く満たしていった。
♦︎♦︎♦︎
あなたにおすすめの小説
不貞の子を身籠ったと夫に追い出されました。生まれた子供は『精霊のいとし子』のようです。
桧山 紗綺
恋愛
【完結】嫁いで5年。子供を身籠ったら追い出されました。不貞なんてしていないと言っても聞く耳をもちません。生まれた子は間違いなく夫の子です。夫の子……ですが。 私、離婚された方が良いのではないでしょうか。
戻ってきた実家で子供たちと幸せに暮らしていきます。
『精霊のいとし子』と呼ばれる存在を授かった主人公の、可愛い子供たちとの暮らしと新しい恋とか愛とかのお話です。
※※番外編も完結しました。番外編は色々な視点で書いてます。
時系列も結構バラバラに本編の間の話や本編後の色々な出来事を書きました。
一通り主人公の周りの視点で書けたかな、と。
番外編の方が本編よりも長いです。
気がついたら10万文字を超えていました。
随分と長くなりましたが、お付き合いくださってありがとうございました!
「離縁状の印が乾く前に、王太子殿下から花束が届きました」〜五年間「置物」と呼ばれた侯爵夫人、夫が青ざめるのは王家との縁が切れてからでした〜
まさき
恋愛
侯爵夫人として過ごした五年間、夫に名前を呼ばれたことが一度もなかった。
愛人を夜会に連れてきた翌朝、私は離縁状を置いて屋敷を出た。
夫は「すぐ戻る」と思っていたらしい。
でも届いたのは、王太子殿下からの白薔薇だった。
「五年、待ちすぎました。今度こそ私の隣に」
幼馴染の殿下は、いつも私を「アメリア」と呼んでくれた。
ただそれだけで、五年分の何かが、ほどけていった。
夫が全てを失うのはこれからの話。
私が本当の笑顔を取り戻すのも、これからの話。
死に物狂いで支えた公爵家から捨てられたので、回帰後は全財産を盗んで消えてあげます 〜今さら「戻れ」と言われても、私は隣国の皇太子妃ですので〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能、我が公爵家の恥だ!」
公爵家の長女エルゼは、放蕩者の父や無能な弟に代わり、寝る間も惜しんで領地経営と外交を支えてきた。しかし家族は彼女の功績を奪った挙句、政治犯の濡れ衣を着せて彼女を処刑した。
死の間際、エルゼは誓う。 「もし次があるのなら――二度と、あいつらのために働かない」
目覚めると、そこは処刑の二年前。 再び「仕事」を押し付けようとする厚顔無恥な家族に対し、エルゼは優雅に微笑んだ。
「ええ、承知いたしました。ただし、これからは**『代金』**をいただきますわ」
隠し金庫の鍵、領地の権利書、優秀な人材、そして莫大な隠し資産――。 エルゼは公爵家のすべてを自分名義に書き換え、着々と「もぬけの殻」にしていく。
そんな彼女の前に、隣国の冷徹な皇太子シオンが現れ、驚くべき提案を持ちかけてきて……?
「君のような恐ろしい女性を、独り占めしたくなった」
資産を奪い尽くして亡命した令嬢と、彼女を溺愛する皇太子。 一方、すべてを失った公爵家が泣きついてくるが、もう遅い。 あなたの家の金庫も、土地も、働く人間も――すべて私のものですから。
置き去りにされた転生シンママはご落胤を秘かに育てるも、モトサヤはご容赦のほどを
青の雀
恋愛
シンママから玉の輿婚へ
学生時代から付き合っていた王太子のレオンハルト・バルセロナ殿下に、ある日突然、旅先で置き去りにされてしまう。
お忍び旅行で来ていたので、誰も二人の居場所を知らなく、両親のどちらかが亡くなった時にしか発動しないはずの「血の呪縛」魔法を使われた。
お腹には、殿下との子供を宿しているというのに、政略結婚をするため、バレンシア・セレナーデ公爵令嬢が邪魔になったという理由だけで、あっけなく捨てられてしまったのだ。
レオンハルトは当初、バレンシアを置き去りにする意図はなく、すぐに戻ってくるつもりでいた。
でも、王都に戻ったレオンハルトは、そのまま結婚式を挙げさせられることになる。
お相手は隣国の王女アレキサンドラ。
アレキサンドラとレオンハルトは、形式の上だけの夫婦となるが、レオンハルトには心の妻であるバレンシアがいるので、指1本アレキサンドラに触れることはない。
バレンシアガ置き去りにされて、2年が経った頃、白い結婚に不満をあらわにしたアレキサンドラは、ついに、バレンシアとその王子の存在に気付き、ご落胤である王子を手に入れようと画策するが、どれも失敗に終わってしまう。
バレンシアは、前世、京都の餅菓子屋の一人娘として、シンママをしながら子供を育てた経験があり、今世もパティシエとしての腕を生かし、パンに製菓を売り歩く行商になり、王子を育てていく。
せっかくなので、家庭でできる餅菓子レシピを載せることにしました
白い結婚のまま、旦那様は薔薇のような美人に夢中になりました
柴田はつみ
恋愛
伯爵令嬢リディアは、美貌で有名な侯爵レオンハルトに嫁いだ。
けれど結婚して二年、夫婦は一度も結ばれないまま――白い結婚だった。
それでも旦那様は優しかった。
冷たいわけではない。気づかいの言葉も、穏やかな笑顔もくれる。
だからリディアは、愛されてはいなくても、いつか少しは夫婦になれるのではないかと信じていた。
そんなある日、彼女は知ってしまう。
旦那様が薔薇の君と呼ばれる絶世の美女に心を奪われていることを。
彼が触れなかったのは私にだけだったのだと。
都合のいい奥方として、役に立っていたと悟る
静かに離縁を決意したリディアは、実家へ戻ったあと、女子学院で働き始める。
すると侯爵夫人時代には当たり前だった実務のすべてが、外では驚くほど必要とされていた。
感謝され、認められ、自分の足で立ち始めた彼女は、少しずつ見違えるほど美しくなっていく
完)嫁いだつもりでしたがメイドに間違われています
オリハルコン陸
恋愛
嫁いだはずなのに、格好のせいか本気でメイドと勘違いされた貧乏令嬢。そのままうっかりメイドとして馴染んで、その生活を楽しみ始めてしまいます。
◇◇◇◇◇◇◇
「オマケのようでオマケじゃない〜」では、本編の小話や後日談というかたちでまだ語られてない部分を補完しています。
14回恋愛大賞奨励賞受賞しました!
これも読んでくださったり投票してくださった皆様のおかげです。
ありがとうございました!
ざっくりと見直し終わりました。完璧じゃないけど、とりあえずこれで。
この後本格的に手直し予定。(多分時間がかかります)