「君を愛することはない」と言われたので、私も愛しません。次いきます。 〜婚約破棄はご褒美です!

放浪人

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第十七話 原本奪還!契約市へ(追跡先が“口約束も印になる街”)

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 王都の地下深くに広がる、巨大な鍾乳洞。  そこには、地上の法が及ばないもう一つの都市が存在する。

 通称『契約市(コントラクト・シティ)』。  あらゆる非合法な取引が行われ、金貨よりも「誓い」が重んじられる、混沌と欲望の街だ。

「……酷い場所だ」

 隣を歩く男が、顔をしかめて呟いた。  着古した革のコートに、無造作に下ろした銀髪。いつもの宰相服ではなく、どこか危険な香りを漂わせる傭兵風のスタイル。  アシュ様だ。  眼鏡を外し、前髪を下ろしているだけで、あの氷の宰相が「色気のあるワル」に大変身している。正直、直視するのが辛いくらい似合っている。

「我慢してください、アシュ様。ここは貴族の常識が通じない場所です。あまりキョロキョロなさらないで」

 私はフードを目深に被り、アシュ様の腕にしっかりと捕まりながら忠告した。  周囲を見渡せば、怪しげな露店が並び、紫色の煙が立ち込めている。  そして何より特徴的なのは、街の至る所で飛び交う『光の鎖』だ。

「おい、この剣を金貨十枚で買うと言ったな!」 「言ったぜ!」

 路地裏で男たちが叫ぶと、その言葉が金色の光となり、互いの手首を鎖のように結びつけた。  これが、契約市の特殊魔術『即時強制誓約(インスタント・ゲッシュ)』。  この空間では、口約束一つでさえ強力な魔法契約となり、破れば即座に『呪い』となって制裁が下る。

 だからこそ、ここでは詐欺師も嘘をつけない――わけではない。  彼らは『嘘をつかずに相手を騙す』プロフェッショナルなのだ。

「らっしゃい! ここにあるのは『竜の卵』だ! 孵化すれば一攫千金だぞ!」

 露店の男が声を張り上げる。  アシュ様が冷めた目で見やった。

「……あれはただの巨大なトカゲの卵だ。魔力波長が爬虫類科イグアナ属と一致する」

「シッ! 声が大きいですわ!」

 私は慌ててアシュ様の口を塞いだ。  『嘘がつけない契約』中の彼がここで喋ると、あらゆる商売のネタ晴らしをしてしまい、暴動が起きかねない。

「アシュ様は黙っていてください。交渉は私がやります」

「……承知した。しかし、この非衛生的な環境はなんとかならないのか。細菌の温床だ」

「潔癖症も封印してくださいまし!」

 私たちは人混みをかき分け、街の深部へと進んだ。  目指すは、あの手帳を盗んだ『金色の目の男』の行方だ。

 薄暗い路地裏にある、一軒の酒場。  看板には『沈黙のカナリア亭』と書かれている。  ここは契約市一番の情報屋がたむろする場所だ。

 ギィィ……と重い扉を開けると、紫煙と酒の匂いが鼻をついた。  荒くれ者たちの視線が一斉に私たちに突き刺さる。

「……見ない顔だな」 「迷い込んだ貴族のお遊びか?」

 下卑た笑い声が上がる。  アシュ様が一歩前に出ようとして、私が手で制した。  ここで暴力に訴えるのは三流だ。

 私はフードを払い、カツカツとヒールを鳴らしてカウンターへと歩み寄った。  バーテンダーが大げさに眉を上げる。

「お嬢ちゃん、ミルクでも飲みに来たのか?」

「いいえ。最高級の情報をいただきに来ましたの」

 私は扇子を開き、カウンターの上に一枚のコインを置いた。  ただの金貨ではない。  エルヴァイン侯爵家の紋章が入った、純金製の記念メダルだ。

「……ほう」

 バーテンダーの目が光った。

「探しているのは『手癖の悪いヤモリ』です。昨日、王宮で大きな獲物を掠め取った男の居場所を知りたいの」

「ヤモリ、か」

 バーテンダーはグラスを磨きながら、声を潜めた。

「そいつの情報は高いぜ。金貨じゃ買えない。……ここでの通貨は『リスク』だ」

 彼はカウンターの下から、毒々しい色の液体が入ったグラスを取り出した。

「『真実の酒(ヴェリタス・リキュール)』だ。これを飲み干して、あんたの一番恥ずかしい秘密を一つ暴露できたら、教えてやる」

 店内の客たちがはやし立てる。  なるほど、新入りいびりの通過儀礼というわけね。

「やめておけ、リディア。その液体には自白剤と微量の麻痺毒が含まれている」

 アシュ様が背後から警告する。  でも、私はニヤリと笑った。

「あら、秘密の暴露? そんな簡単な支払いでいいんですの?」

 私はグラスを手に取り、一気に煽った。  喉が焼けるような熱さが広がる。  ふう、と息を吐き、私は艶然と微笑んだ。

「私の秘密、それはね……」

 店中が静まり返る。

「実は私、今ここにいる連れ――アシュ・ヴァレンシュタイン宰相のことが、最近ちょっとだけ『可愛い』と思い始めていますの。あんなに冷徹で合理的なくせに、耳が赤くなるところとか、無自覚に嫉妬するところとか……本当に、どうしてやろうかと思うくらい!」

 ドッ、と店内が爆笑に包まれた。  口笛が飛び交う。

「おいおい、聞いたかよ! 氷の宰相が可愛いだと!」 「姉ちゃん、いい度胸だ!」

 私は真っ赤になって硬直しているアシュ様を振り返り、ウィンクしてみせた。  『嘘がつけない契約』があるから、これは紛れもない真実。自白剤なんて飲むまでもないのだ。

 バーテンダーも腹を抱えて笑っている。

「くっくっく……! 気に入った! あんた、最高だ!」

 彼は涙を拭いながら、一枚の地図をカウンターに滑らせた。

「その『ヤモリ』の名はザック。誓約院の元エージェントだが、今は組織を抜けて『賭博場(カジノ)・運命の輪』に入り浸っている。……奴は盗品を賭けのチップにするのが趣味でな」

「感謝しますわ」

 私は地図を受け取り、呆然としているアシュ様の手を引いて店を出た。

 外に出ると、アシュ様が壁に手をついて深呼吸をしていた。

「……リディア」

「はい?」

「今の発言は、戦略的ブラフ(はったり)か? それとも……」

「さあ、どうでしょう? 自白剤のせいかもしれませんわね」

 私はとぼけて歩き出した。  耳まで真っ赤にして「合理的説明を求める」とブツブツ言っている宰相様を放置して。

 ◇

 情報の通り、『賭博場・運命の輪』は街の一番奥にあった。  巨大なルーレットの看板が回る、毒々しい建物だ。

 中に入ると、熱気と叫び声が渦巻いていた。  カードゲーム、ダイス、ルーレット。  人々が目の色を変えて、金や宝石、時には『寿命』や『魂』らしきものを賭けている。

 その最奥のVIP席に、奴はいた。  黒い装束を脱ぎ、派手なスーツを着崩した小柄な男。  爬虫類のような金色の目。  手元には、山積みのチップと共に、あの『黒い手帳』が無造作に置かれている。

「……見つけた」

 アシュ様の目が鋭くなる。  私たちは男のテーブルへと近づいた。

「おや? 誰かと思えば……昨日の『負け犬』のお二人さんじゃないか」

 男――ザックは、手元のカードを弄びながらニヤニヤと笑った。

「ようこそ、俺の城へ。手帳を取り返しに来たのかい?」

「その通りだ。返してもらおう」

 アシュ様が冷たく告げる。

「国家機密窃盗および公務執行妨害だ。今すぐ返還すれば、情状酌量の余地はある」

「ハッ! ここは契約市だぜ、宰相の旦那。地上の法律なんて紙切れ以下だ」

 ザックは手帳を指先で弾いた。

「返してほしけりゃ、この街のルールに従いな。『賭け』で奪い返すんだよ」

 彼はテーブルを叩いた。

「勝負はブラックジャック。俺が勝てば、あんたらの『全財産』と『身分』をいただく。あんたが勝てば、この手帳を返してやる。……どうだ?」

 挑発的な視線。  アシュ様は眉をひそめた。

「私はギャンブルをしない。不確定要素(運)に依存する行為は非合理的だ」

「あら、そうですか? 私は嫌いじゃありませんわよ」

 私はアシュ様を押しのけ、ザックの向かいの席に座った。

「リディア!?」

「アシュ様は下がっていてください。……私、数字には強いんです」

 私は扇子を閉じ、ザックを真っ直ぐに見据えた。

「その勝負、受けましょう。ただし、賭け金(レート)を吊り上げさせていただきます」

「ほう?」

「私が勝ったら、手帳だけでなく……『あなたを雇った黒幕の名前』も吐いていただきます。もちろん、この街の『絶対誓約』付きでね」

 ザックの目が細められた。  一瞬、その爬虫類のような瞳に動揺が走ったのを、私は見逃さなかった。

「……へえ。強気だねえ、お嬢ちゃん。いいぜ、乗ってやるよ!」

 ザックが指を鳴らすと、空中に光の文字が浮かび上がり、契約が成立した。  ディーラーがカードを配り始める。

 私の手札は、ハートのQと、ダイヤの7。合計17。  微妙な数字だ。  対するザックの手札は、一枚がオープンされており、スペードのA。  強い。

「どうする? もう一枚引くか?」

 ザックが嘲笑う。  アシュ様が私の肩越しに囁いた。

「……リディア。確率論から言えば、ここで引くのはリスクが高すぎる(バーストする)。ステイが定石だ」

「いいえ、アシュ様」

 私はカードを見つめ、静かに言った。

「この男は、イカサマをしています」

「なっ!?」

「カードの配り方、そしてシャッフルの癖。……私の目は誤魔化せませんわ」

 私はザックを睨んだ。  彼は余裕の笑みを崩さないが、額に汗が滲んでいる。

「言いがかりはよせよ。証拠はあるのか?」

「証拠? ええ、これから作りますわ」

 私はディーラーに向かって指を突きつけた。

「もう一枚(ヒット)!」

 会場がどよめく。17から引くなんて自殺行為だ。  ディーラーが震える手でカードをめくる。  出たのは――クラブの4。  合計21。ブラックジャックだ。

「な、バカな!」

 ザックが椅子を蹴って立ち上がった。

「どうして……そのカードは俺のところに回るはずじゃ……!」

 失言。  ザックがハッとして口を押さえるが、もう遅い。

「あら。やっぱり積み込み(イカサマ)をしていましたのね?」

 私はカードを表向きに叩きつけた。

「私が『ヒット』しなければ、あなたがこの4を引いてブラックジャックになる予定だった。……残念でしたわね。あなたの指先の微細な魔力操作、アシュ様の『解析』の前では丸見えでしたわよ」

 私がアシュ様を見ると、彼は片眼鏡を光らせて頷いた。

「その通りだ。先ほどから空間の魔素配列に不自然な歪みがあった。……イカサマを見抜いた上で、あえてその流れを利用するとは。恐ろしい妻だ」

 ザックの顔色が青ざめる。  契約市のルールにおいて、イカサマの発覚は「敗北」以上の意味を持つ。  周囲の客たちが、殺気立った目でザックを睨み始めた。

「てめぇ、この神聖な場でイカサマしやがったな!」 「俺たちの金を返せ!」

 暴動寸前の空気。  ザックは舌打ちをし、手帳を放り投げた。

「……チッ! わかったよ、俺の負けだ!」

 アシュ様が空中で手帳をキャッチする。  原本奪還。  そして、契約の履行だ。

「さあ、吐いてもらいましょうか。黒幕の名前を」

 私が詰め寄ると、ザックは観念したように両手を上げた。

「……ヴァルガス公爵じゃねえよ」

「え?」

「公爵も関わっちゃいるが、あんな爺さんに俺たち『誓約院』は動かせねえ。……俺たちに指示を出したのは、もっと『上』だ」

 ザックの声が震えた。

「誓約院の長官……いや、『沈黙の賢者』と呼ばれる男だ。奴は、この国の契約魔法そのものを書き換えようとしてる。……公爵の洗脳実験も、そのためのデータ収集に過ぎねえ」

 衝撃の事実。  公爵の上に、さらに黒幕がいた?  しかも、国の根幹である誓約魔法の管理者が?

「……なるほど。道理で、証拠隠滅の手際が良すぎるわけだ」

 アシュ様が手帳を懐にしまい、冷徹な目でザックを見下ろした。

「取引成立だ。その情報、確かに受け取った。……行くぞ、リディア」

「ええ」

 私たちは騒然とする賭博場を後にした。  背後でザックが客たちに揉みくちゃにされているのが見えたが、自業自得だ。

 外に出ると、契約市の空には偽物の月が怪しく輝いていた。  事件は終わるどころか、さらに深い闇へと繋がっていた。  でも、手元には決定的な証拠がある。

 これでようやく、反撃の準備は整った。  待っていなさい、公爵。そして、その裏にいる『賢者』とやら。  私の「愛さない契約婚」を邪魔した罪、たっぷりと償わせてあげるから!
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