「君を愛することはない」と言われたので、私も愛しません。次いきます。 〜婚約破棄はご褒美です!

放浪人

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第二十八話 『君を愛することはない』――もう言いません

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 「け、結婚式の……やり直し?」

 お菓子工房の前の通りで、アシュ様が素っ頓狂な声を上げた。  夕暮れの街角。  通行人たちが足を止め、私たちの様子を興味津々で眺めている中、アシュ様は私の肩を掴んだまま、まるで未知の言語を聞いたかのような顔をしている。

「リディア、待ってくれ。定義を確認したい。我々はすでに法的にも魔術的にも婚姻関係にある。戸籍の登録は完了しているし、財産分与の契約も締結済みだ。これ以上、何を『やり直す』必要がある?」

 相変わらずの堅物ぶりだ。  私は呆れるよりも愛おしさを感じながら、彼の手の甲に自分の手を重ねた。

「アシュ様。あなたは法と契約のプロフェッショナルですけれど……『乙女心』に関しては落第点ですわ」

「なっ……」

「書類上の結婚なんて、ただの手続きです。私がやりたいのは、そんな事務的なことではありません。……世界で一番幸福な『誓い』を立てることです」

 私は彼の青い瞳を真っ直ぐに見つめた。

「教会が決めた定型文でもなく、法律で定められた義務でもなく。……私たち自身の言葉で、お互いを縛るのです。それが、本当の結婚式ではありませんか?」

 アシュ様が息を呑む。  その瞳に、理解の光が灯る。

「……なるほど。形式的な契約ではなく、魂の定義書き換え(リライト)か」

「言い方は可愛くありませんけど、まあ、そういうことです」

 私はクスクスと笑い、彼の手を引いた。

「さあ、帰りましょう。ここでは目立ちすぎますわ。……『契約更新』の詳細は、馬車の中でじっくり詰めましょう?」

 ◇

 宰相府の馬車の中。  二人きりの密室空間。  窓の外を流れる王都の夜景が、宝石箱をひっくり返したように輝いている。

 アシュ様は私の隣に座り、先ほどからソワソワと落ち着きがない。  私の手を握ったり離したり、ネクタイを直したり。  あの冷徹無比な氷の宰相が、初デートの中学生みたいになっている。

「……リディア」

 沈黙に耐えかねたように、アシュ様が口を開いた。

「先ほどの……『契約更新』の話だが」

「はい」

「第五条『恋愛感情の禁止』の撤廃については、合意とみなしていいのか?」

 彼は真剣な眼差しで聞いてきた。  その左手の薬指にある『真実の誓約印』が、淡く発光している。

「ええ。もちろんです」

 私は頷き、彼の手を取って、自分の膝の上に置いた。

「アシュ様。私、ずっと考えていました。あの日、レオンハルト殿下に『君を愛することはない』と宣言された時のことを」

 私の脳裏に、あの断罪舞踏会の光景が蘇る。  冷たい拒絶の言葉。  嘲笑うような視線。

「あの時、私は傷つかなかったつもりでした。『せいせいした』『自由になれた』と強がって、心を鎧で覆いました。……でも、本当は怖かったんです」

 本音がこぼれる。  『嘘がつけない契約』があるからこそ、隠していた心の奥底が暴かれる。

「『愛する』とか『愛される』とか、そんな不確かな感情に頼るから、裏切られた時に痛い目を見るのだと。だから、あなたとの『愛さない契約』は、私にとって心地よい避難場所でした」

 私はアシュ様の指輪を指先でなぞった。

「でも、あなたは教えてくれました。……言葉は人を傷つける刃にもなるけれど、人を救う魔法にもなるのだと」

 アシュ様が昨夜くれた手紙。  そして、先ほどの不器用な告白。  彼の言葉は、私の凍りついた心を、太陽のように溶かしてしまった。

「アシュ様。私、訂正します」

 私は彼の目を正面から見据えた。

「『君を愛することはない』……そんな悲しい言葉、私はもう二度と言いません」

 私は大きく息を吸い込み、万感の想いを込めて告げた。

「私は、アシュ・ヴァレンシュタインを愛しています。……合理的でも、計算高くもありません。ただ、あなたが隣にいないと寂しくて、あなたが笑うと嬉しくて、あなたのためなら世界中を敵に回しても構わないと思うくらい……大好きです」

 言ってしまった。  全部、言ってしまった。  私の顔はきっと、熟れたトマトみたいに真っ赤だろう。

 アシュ様は石像のように固まっていた。  瞬きすら忘れて、私を凝視している。

「……あ、あの? アシュ様? もしもし?」

 私が目の前で手を振ると、彼はハッとして、それからガバッと顔を両手で覆った。

「……致死量だ」

「はい?」

「幸福の供給量が、致死量を超えている。……心臓が止まりそうだ」

 彼は指の隙間から私を見た。  その顔は、見たこともないほど崩れていた。  いつものポーカーフェイスなんて欠片もない。  ただの、恋に落ちた男の顔だ。

「リディア。……私の言葉も聞いてくれ」

 アシュ様は私の手を強く握り返した。  その手は熱く、震えていた。

「私は言葉を捨てた人間だ。嘘に絶望し、契約に逃げた。……だが、君に出会って知った。真実の言葉とは、契約書に書くものではない。……心から溢れるものなのだと」

 彼は私の手を引き寄せ、その掌に頬を寄せた。

「愛している、リディア。君は私の光だ。君がいない世界になど、一秒たりとも留まりたくない」

 行政用語も、難しい理屈もない。  ただシンプルな、魂の叫び。    その瞬間。  カァァァッ!!  馬車の中が、薔薇色の光に包まれた。  私たちの薬指にある『真実の誓約印』が、共鳴し合い、眩いピンク色の輝きを放ったのだ。

「ま、眩しいですわ!」

「……これが、『真実の愛』の反応波形か。……美しいな」

 アシュ様は眩しげに目を細め、そして優しく微笑んだ。  その笑顔は、氷の宰相のものではない。  春の陽だまりのような、温かくて甘い、私の夫だけの笑顔。

 私たちは自然と引き寄せられ、口づけを交わした。  契約の印が、祝福するように輝き続ける中、私たちは長い長いキスをした。

 ◇

 しばらくして、ようやく唇を離した私たちは、お互いの顔を見て笑ってしまった。  二人とも顔が真っ赤で、髪も乱れていて、なんとも締まりがない。

「……さて、リディア」

 アシュ様が、少し照れくさそうに咳払いをした。

「契約更新(プロポーズ)は完了した。次は『結婚式のやり直し』の件だが……具体的なプランはあるのか?」

「ええ、ありますとも!」

 私は扇子を取り出し(どこに隠していたのかしら)、パチンと開いた。  これからは『鉄薔薇』の本領発揮だ。

「まず、教会での挙式は却下です。あそこは私たちを散々邪魔しましたからね。縁起が悪いですわ」

「同意する。私の妻が、あのカビ臭い建物に入るのは許容できない」

「そこで提案です。……『国法婚式(ステート・ウェディング)』を行いましょう」

「国法婚式?」

「はい。アシュ様が作った新しい法律に基づく、教会を介さない結婚式です。これを王宮の広場で、盛大に行うんです」

 私の狙いは明確だ。  教会が独占していた「結婚」という儀式を、国家の手に取り戻す。  そして、私たちがその第一号となることで、新しい時代の象徴となるのだ。

「なるほど……。教会の権威失墜を決定づけ、かつ新制度の周知も行える。非常に合理的かつ政治的効果が高い」

 アシュ様の目が、仕事人のそれに変わる。

「だが、それだけではないな? 君の狙いは」

「ふふ、バレました?」

 私は悪戯っぽく微笑んだ。

「一番の目的は……見せつけることですわ。レオンハルト殿下にも、元いじめっ子の令嬢たちにも、そして国中の人々に。……私が、世界一素敵な旦那様と、世界一幸せになった姿を!」

 アシュ様は一瞬きょとんとして、それから大きな声で笑った。

「ハハハ! 素晴らしい! やはり君は最高の悪役令嬢だ!」

 彼は私の肩を抱き寄せ、力強く宣言した。

「いいだろう。やろう、国法婚式。……この国始まって以来の、最高に派手で、最高に幸福な式典にしてやる」

 馬車は宰相府へと滑り込む。  私たちの戦いは終わったけれど、私たちの「お披露目」はこれからが本番だ。    さあ、準備にかかりましょう。  誓いの言葉は、誰かに決められたものじゃない。  私たちが紡ぐ、私たちだけの愛の言葉なのだから。
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