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32話「白星学術院の後輩たち」
自室に戻ったセレナは、机の上に広げた数通の手紙に再び目を通していた。
王都から打診に対する厳しい条件の返書を書き上げた後、彼女は静かな安堵とともに、この私的な手紙に向き合っていた。
差出人は、王立白星学術院に在籍する数名の女生徒たち。
セレナが王太子婚約者として学園に通っていた頃、目立たない図書室の片隅で、密かに勉強を教えていた後輩たちだ。
『セレナ先輩。王都では、先輩に関する恐ろしい噂ばかりが流れています。でも、私たちは決して信じていません』
丸みを帯びた、一生懸命に綴られた文字。
そのインクの滲みから、彼女たちがどれほど心を痛め、怒ってくれているかが痛いほど伝わってきた。
王宮や社交界では「冷酷で可愛げがない」と疎まれていたセレナだったが、学園では違った。
成績が振るわず、親から見放されそうになって泣いていた下級生を見つけた時、セレナは見過ごすことができなかった。自分の時間を削ってまで彼女たちのノートを整理し、最も効率的な解法を無表情のまま教え続けたのだ。
『先輩はいつも、冷たいお顔をして、一番優しい答えをくれました。先輩のおかげで、私は落第を免れ、今も学園に残れています。先輩が国を裏切るような人ではないこと、私たちは知っています』
手紙を読み進めるうち、セレナの視界が微かに滲んだ。
誰も見ていなかったわけではなかった。
華やかな王太子の陰で、泥のように数字と向き合っていた彼女の誠実さを、この小さな後輩たちはしっかりと受け取ってくれていたのだ。
そして、束の最後の一通。
少し震えたような筆跡の手紙に、セレナの目は釘付けになった。
『先輩。実は、王立文書院に勤めている私の兄から、奇妙な話を聞きました』
セレナは思わず、手紙を握る手に力を込めた。
『兄は司書官をしているのですが、建国舞踏会の数日前から、北辺に関する特秘資料の棚が、ローデリク侯爵の命令で封鎖されているそうです。しかも、過去の政策の草案控えが、何者かによってこっそりと焼却処分されようとしているのを見た、と……。兄は巻き込まれるのを恐れて怯えていますが、私は先輩の無実を証明する証拠がそこにあるのではないかと思っています』
「……焼却処分」
セレナの唇から、冷たい吐息が漏れた。
ローデリク侯爵は、単に資料を隠すだけでなく、完全に物理的に消滅させるつもりなのだ。
もし草案の控えが灰になれば、セレナの筆跡や文章の癖を証明する手段が永遠に失われる。
だが、手紙の最後には、一縷の希望となる名前が記されていた。
『兄の名前は、エドガー・ルーフェンと言います。臆病な人ですが、本と記録を何よりも愛しています。彼なら、きっと何か重要な記録を隠し持っているはずです。私からも、兄を説得してみます』
「エドガー・ルーフェン……」
セレナはその名前を、忘れないように口の中で反芻した。
王都の監査室で証拠を隠滅された時、セレナは完全に孤立無援だと思っていた。
だが、権力の中枢である文書院の内部に、記録の真実を守ろうとする良心を持つ人間がまだ残っているかもしれない。
王都からの甘い引き抜きの打診。
それに対する、証拠開示の条件という強気の牽制。
そして、後輩たちが繋いでくれた、文書院内部の細い糸。
点と点が、今、はっきりとした反撃の線になろうとしていた。
「……王都の皆様。奪ったものは、必ず返していただきます」
セレナは手紙を丁寧に折りたたみ、引き出しの奥に大切にしまった。
冷たい窓の外では、雪雲が少しずつ切れ、北辺の空に鋭い星が瞬き始めていた。
真実を明らかにするための法廷闘争の準備が、静かに、だが確実に整いつつあった。
王都から打診に対する厳しい条件の返書を書き上げた後、彼女は静かな安堵とともに、この私的な手紙に向き合っていた。
差出人は、王立白星学術院に在籍する数名の女生徒たち。
セレナが王太子婚約者として学園に通っていた頃、目立たない図書室の片隅で、密かに勉強を教えていた後輩たちだ。
『セレナ先輩。王都では、先輩に関する恐ろしい噂ばかりが流れています。でも、私たちは決して信じていません』
丸みを帯びた、一生懸命に綴られた文字。
そのインクの滲みから、彼女たちがどれほど心を痛め、怒ってくれているかが痛いほど伝わってきた。
王宮や社交界では「冷酷で可愛げがない」と疎まれていたセレナだったが、学園では違った。
成績が振るわず、親から見放されそうになって泣いていた下級生を見つけた時、セレナは見過ごすことができなかった。自分の時間を削ってまで彼女たちのノートを整理し、最も効率的な解法を無表情のまま教え続けたのだ。
『先輩はいつも、冷たいお顔をして、一番優しい答えをくれました。先輩のおかげで、私は落第を免れ、今も学園に残れています。先輩が国を裏切るような人ではないこと、私たちは知っています』
手紙を読み進めるうち、セレナの視界が微かに滲んだ。
誰も見ていなかったわけではなかった。
華やかな王太子の陰で、泥のように数字と向き合っていた彼女の誠実さを、この小さな後輩たちはしっかりと受け取ってくれていたのだ。
そして、束の最後の一通。
少し震えたような筆跡の手紙に、セレナの目は釘付けになった。
『先輩。実は、王立文書院に勤めている私の兄から、奇妙な話を聞きました』
セレナは思わず、手紙を握る手に力を込めた。
『兄は司書官をしているのですが、建国舞踏会の数日前から、北辺に関する特秘資料の棚が、ローデリク侯爵の命令で封鎖されているそうです。しかも、過去の政策の草案控えが、何者かによってこっそりと焼却処分されようとしているのを見た、と……。兄は巻き込まれるのを恐れて怯えていますが、私は先輩の無実を証明する証拠がそこにあるのではないかと思っています』
「……焼却処分」
セレナの唇から、冷たい吐息が漏れた。
ローデリク侯爵は、単に資料を隠すだけでなく、完全に物理的に消滅させるつもりなのだ。
もし草案の控えが灰になれば、セレナの筆跡や文章の癖を証明する手段が永遠に失われる。
だが、手紙の最後には、一縷の希望となる名前が記されていた。
『兄の名前は、エドガー・ルーフェンと言います。臆病な人ですが、本と記録を何よりも愛しています。彼なら、きっと何か重要な記録を隠し持っているはずです。私からも、兄を説得してみます』
「エドガー・ルーフェン……」
セレナはその名前を、忘れないように口の中で反芻した。
王都の監査室で証拠を隠滅された時、セレナは完全に孤立無援だと思っていた。
だが、権力の中枢である文書院の内部に、記録の真実を守ろうとする良心を持つ人間がまだ残っているかもしれない。
王都からの甘い引き抜きの打診。
それに対する、証拠開示の条件という強気の牽制。
そして、後輩たちが繋いでくれた、文書院内部の細い糸。
点と点が、今、はっきりとした反撃の線になろうとしていた。
「……王都の皆様。奪ったものは、必ず返していただきます」
セレナは手紙を丁寧に折りたたみ、引き出しの奥に大切にしまった。
冷たい窓の外では、雪雲が少しずつ切れ、北辺の空に鋭い星が瞬き始めていた。
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