辺境伯は才女を隠さない

放浪人

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47話「俺は君を信じている」

偽造文書の脅威は退けたものの、王都の商業ギルドによる経済封鎖は、確実に北辺の息の根を止めつつあった。

領都の広場に集まった商人や一部の貴族たちの顔には、隠しきれない疲労と焦燥が浮かんでいた。
辺境伯邸の大広間で開かれた緊急会議の空気は、これまでになく重い。

「閣下……このまま布と塩の流入が止まれば、各領地の備蓄は一ヶ月と持ちません」

青ざめた顔で報告する文官の声が、石造りの壁に虚しく響く。
その時、末席に座っていた一人の領主が、震える声で口を開いた。

「恐れながら申し上げます。王都の要求は、アルヴェイン嬢の引き渡しです。彼女を王都へ送り返せば、この理不尽な経済封鎖は解かれるのではないですか」

その一言に、広間が凍りついた。
誰もが心の中で一度は考え、口に出すことを恐れていた選択肢。一人の令嬢を犠牲にして、数万の民の命を救うという残酷な天秤。

セレナは膝の上で両手を強く組み、うつむいた。
彼らを責めることはできない。領主として民の命を最優先に考えるなら、それが最も合理的で、最も被害の少ない『最善』の選択だ。

「……おっしゃる通りです」

セレナは静かに立ち上がり、広間の冷たい床を見つめたまま口を開いた。

「私がここに留まることで、皆様にこれ以上の苦痛を強いるわけにはいきません。私が王都へ赴き、監査院の審問を受ければ――」

ドンッ!

セレナの言葉を遮るように、オスカーの大きな拳が長机を叩き割らんばかりの勢いで振り下ろされた。
広間の全員が息を呑み、言葉を失う。

オスカーはゆっくりと立ち上がり、鋭い灰青色の瞳で、セレナの引き渡しを提案した領主を睨みつけた。

「彼女を差し出せば、封鎖が解かれるだと? 愚か者め。王都の連中がそんな約束を守るはずがないだろう」

低く、地鳴りのような怒りを孕んだ声だった。

「奴らの狙いは、この北辺の自立を叩き潰し、永遠に自分たちの食い物にし続けることだ。彼女はその腐った構造に気づき、一人で立ち向かった。彼女を売り渡すということは、我々北辺が誇りを捨て、王都の奴隷に成り下がるということだ!」

オスカーは長机を回り込み、セレナのすぐ隣に立った。
そして、広間の全員に聞こえるように、はっきりと宣言した。

「俺は、彼女を誰にも渡さない。彼女の計算が、彼女の知恵が、この北辺を救ってきた事実を俺は知っている」

オスカーは振り返り、うつむいたままのセレナの肩を両手でしっかりと掴んだ。

「顔を上げろ、セレナ」

その声は、先ほどの怒鳴り声とは打って変わり、不器用なほどの優しさと絶対的な熱を帯びていた。

「俺は君を信じている。君が北辺を破滅に導くような女ではないと、誰よりも分かっている。だから、君も俺たちを信じろ。一人で犠牲になろうとするな」

俺は君を信じている。
その真っ直ぐな言葉が、セレナの胸の奥深くに突き刺さった。

王宮で、父に「家のために切り捨てる」と言われた時の冷たい痛みが、彼の放つ熱によって急速に溶かされていく。
役に立つからではなく、都合がいいからでもない。彼は、セレナという人間そのものを信じ、すべてを敵に回してでも守り抜くと公の場で誓ってくれたのだ。

「……っ」

セレナの視界が、不意にぐにゃりと歪んだ。
王宮でどれほど理不尽に罵倒されても、婚約を破棄された時でさえ、決して流すことのなかった涙が、熱い塊となって喉の奥から込み上げてくる。

彼女は必死に唇を噛み締め、涙をこぼすまいと目を伏せた。
だが、オスカーの大きな手が彼女の肩を力強く支えてくれる感触に、どうしようもない安堵感と、心が甘く解けていくのを感じていた。

「……はい」

震える声で短く応えると、オスカーは満足そうに頷き、再び諸侯たちへと向き直った。

「封鎖の抜け穴は必ずある。泣き言を言う暇があるなら、裏の流通ルートを洗い出せ! グレイヴァルトの名にかけて、一人も凍え死なせはしない!」

辺境伯の力強い号令に、広間の空気は一変した。
絶望に沈んでいた者たちの顔に、再び抗うための闘志が宿る。
セレナはこみ上げる涙をグッと飲み込み、前を向いた。彼が信じてくれた自分の力を、今度こそこの地のために使い尽くすのだと心に誓って。

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