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50話「神殿の誓約」
数日後の深い夜。
吹雪の晴れ間を縫うようにして、一台の質素な幌馬車が領都フォルストの辺境伯邸の裏門に滑り込んだ。
御者台から飛び降りたフィオナが、馬車の荷台から分厚い毛布にくるまった小柄な男を助け降ろす。
「セレナ様! やりました、無事にお連れしましたよ!」
出迎えたセレナとオスカーの前に進み出たのは、王立文書院の司書官、エドガー・ルーフェンだった。
彼は王都からの過酷な密航の恐怖と寒さでガタガタと震えながらも、その両腕に古い革袋をしっかりと抱きしめていた。
「よくご無事で……! お怪我はありませんか」
セレナが駆け寄り、彼を温かい執務室へと案内する。
暖炉の前で温かいスープを飲ませた後、セレナが静かに問いかけると、エドガーは震える手で革袋の紐を解いた。
「はい……。ローデリク侯爵の私兵たちが文書院を血眼で嗅ぎ回る中、なんとか旧書庫の床下に隠して持ち出しました。これが、あなたの無実を証明する唯一の記録です」
革袋の中から姿を現したのは、分厚い革表紙の『押印簿』だった。
オスカーが手袋を外し、その帳簿のページを開く。
そこには、王太子の政策として提出された数々の特秘書類の決済記録と、明確な『セレナ・アルヴェイン』の署印魔術の痕跡が、かすかに青い光を帯びて残されていた。
「よくやってくれた。お前の勇気が、この北辺を救う」
オスカーの深く温かい労いの言葉に、エドガーはポロポロと大粒の涙をこぼした。
「このまま邸に置いておくのは危険だ。すぐに神殿へ向かうぞ」
オスカーの判断で、一行は夜明け前の聖燈神殿へと急いだ。
冷たい石造りの神殿の奥、エリゼ誓約官の立ち会いのもと、エドガーは祭壇の前に進み出た。
「我、神の御前において、この記録が真実であることを誓う」
エドガーの震える声が響き、エリゼが重厚な神殿の誓約印を書類に押し当てる。
これにより、押印簿は神殿の最も厳重な地下宝物庫に保護され、エドガーの証言も法的に覆すことのできない絶対的なものとなった。
「これで、誰もこの証拠を隠滅することはできません。王都のいかなる権力者であろうとも、神殿の誓約を破ることは許されません」
エリゼの厳粛な声に、セレナは深く頭を下げた。
クラリスの証言、エドガーの押印簿、そして偽造文書の矛盾。
すべてをひっくり返すための完璧な武器が、ついに揃ったのだ。
「閣下! セレナ様!」
神殿の階段を下りようとした時、ガレスが血相を変えて馬を走らせてきた。
その手には、王家の紋章が押された仰々しい書状が握られている。
「王都から、正式な特使が来やがった! セレナ様に対する『王都召還命令』だ。五日後の公聴会に出頭し、特別監査の審問を受けよと。もし拒否すれば、辺境伯領への武力制裁も辞さないと抜かしてやがる!」
監査官バイルを論破されたローデリク侯爵が、ついに国家権力そのものを盾にして強硬手段に出てきたのだ。
オスカーは灰青色の瞳を細め、隣に立つセレナを見下ろした。
「どうする」
その問いは、強制ではなく、彼女の意志を尊重するものだった。
「行きます」
セレナは夜明けの白み始めた空を見据え、氷のように冷たく、しかし熱い闘志を秘めた声で答えた。
「彼らの望み通り、王都の法廷に立って差し上げます。すべての罪を、彼ら自身に清算させるために」
逃げる理由はもう何一つない。
北辺で得た誇りと、彼が信じてくれた力を胸に、セレナは決戦の地である王都への帰還を決意した。
吹雪の晴れ間を縫うようにして、一台の質素な幌馬車が領都フォルストの辺境伯邸の裏門に滑り込んだ。
御者台から飛び降りたフィオナが、馬車の荷台から分厚い毛布にくるまった小柄な男を助け降ろす。
「セレナ様! やりました、無事にお連れしましたよ!」
出迎えたセレナとオスカーの前に進み出たのは、王立文書院の司書官、エドガー・ルーフェンだった。
彼は王都からの過酷な密航の恐怖と寒さでガタガタと震えながらも、その両腕に古い革袋をしっかりと抱きしめていた。
「よくご無事で……! お怪我はありませんか」
セレナが駆け寄り、彼を温かい執務室へと案内する。
暖炉の前で温かいスープを飲ませた後、セレナが静かに問いかけると、エドガーは震える手で革袋の紐を解いた。
「はい……。ローデリク侯爵の私兵たちが文書院を血眼で嗅ぎ回る中、なんとか旧書庫の床下に隠して持ち出しました。これが、あなたの無実を証明する唯一の記録です」
革袋の中から姿を現したのは、分厚い革表紙の『押印簿』だった。
オスカーが手袋を外し、その帳簿のページを開く。
そこには、王太子の政策として提出された数々の特秘書類の決済記録と、明確な『セレナ・アルヴェイン』の署印魔術の痕跡が、かすかに青い光を帯びて残されていた。
「よくやってくれた。お前の勇気が、この北辺を救う」
オスカーの深く温かい労いの言葉に、エドガーはポロポロと大粒の涙をこぼした。
「このまま邸に置いておくのは危険だ。すぐに神殿へ向かうぞ」
オスカーの判断で、一行は夜明け前の聖燈神殿へと急いだ。
冷たい石造りの神殿の奥、エリゼ誓約官の立ち会いのもと、エドガーは祭壇の前に進み出た。
「我、神の御前において、この記録が真実であることを誓う」
エドガーの震える声が響き、エリゼが重厚な神殿の誓約印を書類に押し当てる。
これにより、押印簿は神殿の最も厳重な地下宝物庫に保護され、エドガーの証言も法的に覆すことのできない絶対的なものとなった。
「これで、誰もこの証拠を隠滅することはできません。王都のいかなる権力者であろうとも、神殿の誓約を破ることは許されません」
エリゼの厳粛な声に、セレナは深く頭を下げた。
クラリスの証言、エドガーの押印簿、そして偽造文書の矛盾。
すべてをひっくり返すための完璧な武器が、ついに揃ったのだ。
「閣下! セレナ様!」
神殿の階段を下りようとした時、ガレスが血相を変えて馬を走らせてきた。
その手には、王家の紋章が押された仰々しい書状が握られている。
「王都から、正式な特使が来やがった! セレナ様に対する『王都召還命令』だ。五日後の公聴会に出頭し、特別監査の審問を受けよと。もし拒否すれば、辺境伯領への武力制裁も辞さないと抜かしてやがる!」
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オスカーは灰青色の瞳を細め、隣に立つセレナを見下ろした。
「どうする」
その問いは、強制ではなく、彼女の意志を尊重するものだった。
「行きます」
セレナは夜明けの白み始めた空を見据え、氷のように冷たく、しかし熱い闘志を秘めた声で答えた。
「彼らの望み通り、王都の法廷に立って差し上げます。すべての罪を、彼ら自身に清算させるために」
逃げる理由はもう何一つない。
北辺で得た誇りと、彼が信じてくれた力を胸に、セレナは決戦の地である王都への帰還を決意した。
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