辺境伯は才女を隠さない

放浪人

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57話「辺境伯は怒る」

父からの手紙で崩れ落ちたセレナを、オスカーが不器用な優しさで受け止めた夜。

感情の嵐が過ぎ去り、セレナが涙を拭って顔を上げると、オスカーは彼女を暖炉の前の椅子に座らせ、自分は向かいの椅子に深く腰掛けた。
彼の灰青色の瞳には、セレナの涙を拭った穏やかさとは別の、静かだが激しい怒りの色が渦巻いていた。

「……アルヴェイン公爵は、君を王都へ呼び戻し、またあの腐った王太子の手足として使おうというのだな」

オスカーの低く地を這うような声に、セレナは小さく頷いた。

「はい。私が罪を被って大人しくしていれば、家の名誉は守られる。それが、お父様にとっての唯一の正解なのです」

「ふざけた理屈だ。子供の人生を、家の体面のための道具としか見ていない」

オスカーは拳を固く握りしめ、暖炉の炎を睨みつけた。
その横顔には、単なる義憤を超えた、もっと深く個人的な憎しみが刻まれているように見えた。

「閣下……?」

セレナが戸惑いながら声をかけると、オスカーは深く息を吐き、静かに口を開いた。

「……俺の母は、学者だった」

唐突な告白に、セレナは息を呑んだ。

「母は北辺の厳しい自然を愛し、領民が安全に冬を越せるように、何年もかけてこの土地の地形と魔獣の生態を調べ上げ、緻密な『北辺地図帳』を完成させた。だが、当時の王都の連中は、辺境の女がそんな偉業を成し遂げたという事実を認めようとしなかった」

オスカーの声は平坦だったが、その奥には古い傷が疼くような痛みが滲んでいた。

「母の書いた地図帳は、王都の地理院に召し上げられ、当時の地理院長の名前で発表された。母の名前はどこにも残らなかった。俺の父である先代の辺境伯も、王都との軋轢を恐れてそれに抗議しなかった。『家のために我慢しろ』と言ってな」

セレナの胸が、ぎゅっと締め付けられた。
自分と同じだ。
価値ある成果を奪われ、一番守ってほしかった家族に「家のために」と切り捨てられる絶望。

「母は何も言わなかった。だが、それから少しずつ心を病み、俺が元服する前に死んだ」

オスカーはセレナの顔を真っ直ぐに見つめた。
その瞳の奥にある怒りは、母の功績を奪った王都の連中への怒りであり、そして何より、そんな理不尽から母を守れなかった過去の自分への怒りでもあった。

「俺は誓ったんだ。この北辺で、二度と同じ悲劇は起こさせないと。正当な評価を奪われ、名前を消される痛みを、俺の目の前で誰にも味わわせはしないと」

オスカーの大きな手が、机の端を強く握りしめる。

「だから、俺はお前の名前を隠さない。お前が一人で王都の連中と戦うというなら、俺は辺境伯の全権限を使って、お前の盾になり、剣になる。お前をあんな家に戻して、また道具にされるのを見過ごすつもりは毛頭ない」

その言葉は、セレナの心に深く突き刺さった。
彼が最初から、あれほどまでにセレナの実務を評価し、名前を出すことにこだわった理由。それは単なる合理性だけではなく、彼自身の魂の叫びだったのだ。

「……オスカー様」

セレナは、自分の両手で彼の手をそっと包み込んだ。
彼が自分の痛みを理解してくれたように、自分も彼の古い傷を少しでも温めたかった。

「ありがとうございます。あなたのそのお気持ちだけで、私はどんな法廷でも戦えます」

二人の手が、静かに重なり合う。
言葉以上の強い絆が、そこには確かに存在していた。
王都の闇を打ち払うための覚悟は、二人の傷が重なり合ったこの夜、完全に一つになった。

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