【悲報】氷の悪女と蔑まれた辺境令嬢のわたくし、冷徹公爵様に何故かロックオンされました!?~今さら溺愛されても困ります……って、あれ?

放浪人

文字の大きさ
3 / 10

第三話:迷惑千万な救いの手

しおりを挟む
翌朝、わたくしは重い足取りで公爵様の執務室へと向かいました。

昨夜の、あの不可解な命令。

「この領地の立て直しについて、お前の意見を聞きたい」

ですって?

冗談にもほどがございますわ。

この「氷の悪女」と名高いわたくしに、一体何を期待していらっしゃるというのでしょう。

あるいは、これは何かの罠?

わたくしが何か愚かなことを口走るのを待って、それを口実にさらに追い詰めるおつもりなのかしら。

そう考えると、ますます気が重くなります。

執務室の扉をノックすると、中から「入れ」という低い声が聞こえました。

相変わらず、感情の読めない、冷たい声。

わたくしは意を決して扉を開け、一歩中へと足を踏み入れました。

公爵様は、大きな執務机に向かい、何かの書類に目を通しておられました。

その真剣な横顔は、彫刻のように美しく、そして近寄りがたい威厳に満ちています。

わたくしが入室したことに気づくと、彼はゆっくりと顔を上げ、その金の瞳でわたくしを射抜きました。

「…来たか」

「はい、公爵様。お呼びにより参上いたしました」

わたくしは、できる限り平静を装い、淑女の礼をいたします。

心臓が、まるで警鐘のように早鐘を打っているのが自分でも分かりましたけれど。

「座れ」

彼が顎で示したのは、執務机の向かいに置かれた簡素な椅子。

わたくしは黙ってそれに従いました。

しばらくの沈黙。

重苦しい空気が、部屋全体に満ちているかのようです。

先に口を開いたのは、やはり公爵様でした。

「…単刀直入に聞こう。このヴァインベルク領を立て直すために、何が必要だと考える?」

その問いは、あまりにも直接的で、そしてあまりにも唐突でした。

わたくしは、一瞬言葉に詰まりましたわ。

(やはり、試していらっしゃるのね…)

そう確信いたしました。

ここで下手に具体的な策などを述べれば、それこそ揚げ足を取られ、嘲笑されるのが関の山。

わたくしは、慎重に言葉を選びました。

「…公爵様。わたくしのような者に、そのような大それたことを申し上げる資格はございません。ヴァインベルク領の現状は、ご覧の通り困窮しております。ですが、その立て直しにつきましては、公爵様のような優れたお方がご判断なさるべきことかと…」

精一杯の皮肉を込めたつもりでしたけれど、公爵様の表情は一切変わりません。

ただ、その金の瞳が、わずかに細められたような気がいたしました。

「…資格がない、か。なるほどな。では、資格のある者としてではなく、この土地で三年間暮らしてきた者としての意見を聞こう。お前が見て、感じてきたことを、ありのままに話せばよい」

その言葉は、どこか有無を言わせぬ響きを帯びておりました。

わたくしは、思わず息を呑みます。

この方は、本気でわたくしの話を聞くおつもりなのかしら…?

それとも、これはさらに巧妙な罠…?

頭の中で様々な考えが渦巻きましたが、彼の射抜くような視線から逃れることはできませんでした。

わたくしは、観念して、ぽつりぽつりと話し始めました。

この土地の痩せた土壌のこと。

冬の異常なまでの厳しさと、春の訪れの遅さ。

作物が育ちにくく、常に食糧難に喘いでいる領民たちのこと。

古い灌漑設備の不備と、慢性的な水不足。

近隣の町との交易路も整備されておらず、物流が滞っていること。

そして何よりも、領民たちの間に蔓延する諦めと無力感…

話し始めると、意外にも言葉は次から次へと溢れ出てまいりました。

それは、この三年間、わたくしが誰にも打ち明けることなく、ただ一人胸の内に溜め込んできた想いだったのかもしれません。

この不遇な土地と、そこで懸命に、しかし報われずに生きる人々への、どうしようもない憐憫と、そして、ほんのわずかながらの希望。

わたくしは、いつしか夢中になって話しておりました。

身振り手振りを交え、時には声を荒らげそうになるのを必死で抑えながら。

公爵様は、その間、一言も口を挟むことなく、ただじっとわたくしの話に耳を傾けておられました。

その金の瞳は、相変わらず冷たく澄んでおりましたが、その奥底に、ほんのわずかな、本当にごくわずかな、興味とも驚きともつかないような光が揺らめいているように見えたのは、わたくしの気のせいだったのでしょうか。

どれほどの時間が経ったでしょう。

わたくしが話し終えた時、窓の外は既に陽が高く昇っておりました。

執務室の中には、しばしの沈黙が訪れます。

わたくしは、はっと我に返り、急に羞恥心に襲われました。

なんてことでしょう。

この「氷の公爵」様の前で、わたくしとしたことが、あんなにも熱弁を振るってしまうなんて。

きっと、心の中で嘲笑っていらっしゃるに違いないわ。

「…なるほどな」

沈黙を破ったのは、やはり公爵様でした。

「お前の話は、具体的で、かつ情熱的だった。この領地の問題点を的確に把握していることもよく分かった」

え…?

今、この方は、わたくしを評価なさった…?

信じられない思いで公爵様を見つめると、彼は静かに立ち上がり、窓辺へと歩み寄られました。

そして、外の荒涼とした景色を眺めながら、こうおっしゃったのです。

「…いくつか、お前の提案の中で、すぐにでも実行に移せそうなものがある。特に、灌漑設備の修繕と、隣町との交易路の整備。これについては、私が中央政府に働きかけ、予算を確保しよう」

「え…!? そ、それは、本当でございますか…!?」

思わず、素っ頓狂な声が出てしまいましたわ。

公爵様が、本気でこの領地のために動いてくださるなんて…

「ただし」

彼は、ゆっくりとこちらを振り返り、その金の瞳で再びわたくしを射抜きました。

「その実行にあたっては、お前にも協力してもらう。お前が、この領地の者たちをまとめ、計画を推進するのだ」

「わ、わたくしが…ですか…?」

「そうだ。お前には、その知識も、情熱もある。そして何より、この土地の人間だ。外部の者である私が指示するよりも、お前が中心となって動く方が、領民たちも協力的になるだろう」

その言葉は、あまりにも理路整然としていて、反論の余地もございません。

けれど、わたくしには、どうしても信じられませんでした。

この「氷の悪女」であるわたくしが、領民たちをまとめるですって…?

彼らが、わたくしの言葉に耳を貸してくれるはずがございませんわ。

「…公爵様。お言葉は大変ありがたく存じますが、わたくしには、そのような大役は…」

「できるかできないかではない。やるのだ」

彼の声は、有無を言わせぬ力強さに満ちておりました。

「これは、命令だ、エレオノーラ嬢」

その瞬間、わたくしは悟りました。

これは、罠でもなければ、気まぐれでもない。

この方は、本気で、わたくしにこの領地の再建を託そうとしていらっしゃるのだ、と。

そして、それは、わたくしにとって、あまりにも「迷惑千万な救いの手」でございました。

だって、そうでしょう?

わたくしは、もう誰にも期待せず、誰からも期待されず、この凍える辺境で静かに朽ちていくつもりだったのです。

それなのに、今さら、こんな…

こんな、希望の光のようなものを差し出されても、どうすればよいのか分かりませんわ!

わたくしの心は、激しく揺れ動きました。

拒絶したい。

けれど、心のどこかで、この申し出を受け入れたいと願っている自分もいる。

この三年間、諦めの中に埋もれていた、ほんの小さな、けれど消えることのなかった炎が、再び燃え上がろうとしているのを感じました。

「…なぜ、わたくしなのでございますか?」

絞り出すように、そう尋ねました。

「なぜ、この『氷の悪女』とまで呼ばれるわたくしに、このような機会を…?」

公爵様は、しばし黙考されるように目を伏せられましたが、やがて、静かに顔を上げ、こうおっしゃいました。

「…人は、噂だけで判断すべきではない。私は、私自身の目で見たものを信じる。そして、私が見たお前は、決して『悪女』などではない」

その言葉は、まるで温かい陽射しのように、わたくしの凍てついた心に染み込んできました。

三年間、誰からも信じてもらえず、ただ蔑まれ続けてきたわたくしにとって、それは、あまりにも…あまりにも、甘美な響きを持っていたのです。

気づけば、わたくしの目からは、熱いものが溢れそうになっておりました。

いけません、エレオノーラ。

ここで泣いてしまっては、それこそ「悪女の芝居」だと思われてしまうわ。

わたくしは、必死で涙を堪え、深く、深く頭を下げました。

「…公爵様のご期待に沿えるかどうかは分かりませんが…このエレオノーラ・フォン・ヴァインベルク、力の限り、務めさせていただきます」

それが、わたくしに言える、精一杯の返事でした。

顔を上げると、公爵様の金の瞳が、ほんのわずかに、本当にごくわずかにですが、和らいだように見えたのは、きっと気のせいではなかったと、そう信じたい気持ちでいっぱいでございました。

こうして、わたくしの、迷惑千万で、けれどどこか心惹かれる、アレクシス公爵様との奇妙な共同作業が始まることになったのです。

この先に何が待ち受けているのか、わたくしにはまだ、想像もつきませんけれど。

ただ、一つだけ言えることは、この凍える辺境の地に、ほんの少しだけ、変化の風が吹き始めた、ということでした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

メイド令嬢は毎日磨いていた石像(救国の英雄)に求婚されていますが、粗大ゴミの回収は明日です

有沢楓花
恋愛
エセル・エヴァット男爵令嬢は、二つの意味で名が知られている。 ひとつめは、金遣いの荒い実家から追い出された可哀想な令嬢として。ふたつめは、何でも綺麗にしてしまう凄腕メイドとして。 高給を求めるエセルの次の職場は、郊外にある老伯爵の汚屋敷。 モノに溢れる家の終活を手伝って欲しいとの依頼だが――彼の偉大な魔法使いのご先祖様が残した、屋敷のガラクタは一筋縄ではいかないものばかり。 高価な絵画は勝手に話し出し、鎧はくすぐったがって身よじるし……ご先祖様の石像は、エセルに求婚までしてくるのだ。 「毎日磨いてくれてありがとう。結婚してほしい」 「石像と結婚できません。それに伯爵は、あなたを魔法資源局の粗大ゴミに申し込み済みです」 そんな時、エセルを後妻に貰いにきた、という男たちが現れて連れ去ろうとし……。 ――かつての救国の英雄は、埃まみれでひとりぼっちなのでした。 この作品は他サイトにも掲載しています。

溺愛王子の甘すぎる花嫁~悪役令嬢を追放したら、毎日が新婚初夜になりました~

紅葉山参
恋愛
侯爵令嬢リーシャは、婚約者である第一王子ビヨンド様との結婚を心から待ち望んでいた。けれど、その幸福な未来を妬む者もいた。それが、リーシャの控えめな立場を馬鹿にし、王子を我が物にしようと画策した悪役令嬢ユーリーだった。 ある夜会で、ユーリーはビヨンド様の気を引こうと、リーシャを罠にかける。しかし、あなたの王子は、そんなつまらない小細工に騙されるほど愚かではなかった。愛するリーシャを信じ、王子はユーリーを即座に糾弾し、国外追放という厳しい処分を下す。 邪魔者が消え去った後、リーシャとビヨンド様の甘美な新婚生活が始まる。彼は、人前では厳格な王子として振る舞うけれど、私と二人きりになると、とろけるような甘さでリーシャを愛し尽くしてくれるの。 「私の可愛い妻よ、きみなしの人生なんて考えられない」 そう囁くビヨンド様に、私リーシャもまた、心も身体も預けてしまう。これは、障害が取り除かれたことで、むしろ加速度的に深まる、世界一甘くて幸せな夫婦の溺愛物語。新婚の王子妃として、私は彼の、そして王国の「最愛」として、毎日を幸福に満たされて生きていきます。

冷徹公爵閣下は、書庫の片隅で私に求婚なさった ~理由不明の政略結婚のはずが、なぜか溺愛されています~

白桃
恋愛
「お前を私の妻にする」――王宮書庫で働く地味な子爵令嬢エレノアは、ある日突然、<氷龍公爵>と恐れられる冷徹なヴァレリウス公爵から理由も告げられず求婚された。政略結婚だと割り切り、孤独と不安を抱えて嫁いだ先は、まるで氷の城のような公爵邸。しかし、彼女が唯一安らぎを見出したのは、埃まみれの広大な書庫だった。ひたすら書物と向き合う彼女の姿が、感情がないはずの公爵の心を少しずつ溶かし始め…? 全7話です。

下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~

イシュタル
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。 王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。 そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。 これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。 ⚠️本作はAIとの共同製作です。

婚約破棄ブームに乗ってみた結果、婚約者様が本性を現しました

ラム猫
恋愛
『最新のトレンドは、婚約破棄!  フィアンセに婚約破棄を提示して、相手の反応で本心を知ってみましょう。これにより、仲が深まったと答えたカップルは大勢います!  ※結果がどうなろうと、我々は責任を負いません』  ……という特設ページを親友から見せられたエレアノールは、なかなか距離の縮まらない婚約者が自分のことをどう思っているのかを知るためにも、この流行に乗ってみることにした。  彼が他の女性と仲良くしているところを目撃した今、彼と婚約破棄して身を引くのが正しいのかもしれないと、そう思いながら。  しかし実際に婚約破棄を提示してみると、彼は豹変して……!? ※『小説家になろう』様、『カクヨム』様にも投稿しています

氷の騎士と陽だまりの薬師令嬢 ~呪われた最強騎士様を、没落貴族の私がこっそり全力で癒します!~

放浪人
恋愛
薬師として細々と暮らす没落貴族の令嬢リリア。ある夜、彼女は森で深手を負い倒れていた騎士団副団長アレクシスを偶然助ける。彼は「氷の騎士」と噂されるほど冷徹で近寄りがたい男だったが、リリアの作る薬とささやかな治癒魔法だけが、彼を蝕む古傷の痛みを和らげることができた。 「……お前の薬だけが、頼りだ」 秘密の治療を続けるうち、リリアはアレクシスの不器用な優しさや孤独に触れ、次第に惹かれていく。しかし、彼の立場を狙う政敵や、リリアの才能を妬む者の妨害が二人を襲う。身分違いの恋、迫りくる危機。リリアは愛する人を守るため、薬師としての知識と勇気を武器に立ち向かうことを決意する。

ルンルン気分な悪役令嬢、パンをくわえた騎士と曲がり角でぶつかる。

待鳥園子
恋愛
婚約者である王太子デニスから聖女エリカに嫌がらせした悪事で婚約破棄され、それを粛々と受け入れたスカーレット公爵令嬢アンジェラ。 しかし、アンジェラは既にデニスの両親と自分の両親へすべての事情を説明済で、これから罰せられるのはデニス側となった。 アンジェラはルンルン気分で卒業式会場から出て、パンをくわえた騎士リアムと曲がり角でぶつかって!?

触れると魔力が暴走する王太子殿下が、なぜか私だけは大丈夫みたいです

ちよこ
恋愛
異性に触れれば、相手の魔力が暴走する。 そんな宿命を背負った王太子シルヴェスターと、 ただひとり、触れても何も起きない天然令嬢リュシア。 誰にも触れられなかった王子の手が、 初めて触れたやさしさに出会ったとき、 ふたりの物語が始まる。 これは、孤独な王子と、おっとり令嬢の、 触れることから始まる恋と癒やしの物語

処理中です...