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第30話 王都からの監査 帰還命令
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(視点:リディア)
「……来たわね」
窓の外を見下ろすと、雪の中に黒い馬車が停まっていた。
車体には、太陽と天秤を組み合わせた紋章。
光輪教会の監査官だ。
採掘場の爆発事故を聞きつけ、調査という名目で乗り込んできたのだ。
「リディア様、お客様がお待ちです」
レージが扉を開ける。
以前のような「部屋から出るな」という空気はない。
彼は私の斜め後ろに控え、私の判断を待っている。
「……通して」
応接間に通されたのは、神経質そうな細身の男だった。
司祭服に身を包み、鼻のあたりに皺(しわ)を寄せている。
部屋に入った瞬間、ツンとした香水の匂いが鼻を突いた。
薔薇(ばら)の香りだ。
けれど、それは腐臭を隠すために撒かれたような、人工的で重苦しい匂いだった。
「お初にお目にかかります、アルノー公爵令嬢。教会本部より参りました、ダミアンと申します」
男は慇懃(いんぎん)に頭を下げるが、その目は私を値踏みしていた。
『これが噂の無能令嬢か』という嘲(あざけ)りの色。
「……何の、ご用かしら? 私は療養中なのだけれど」
私は咳き込むふりをして、弱々しく首を傾げた。
「ええ、存じております。ですが、先の爆発事故……あれは『神の怒り』ではないかという懸念がありましてね」
「神の、怒り?」
「ええ。この地に潜む『不浄』が、災害を招いたのではないかと。……つきましては」
ダミアンは懐から一通の書状を取り出し、テーブルの上に置いた。
赤い封蝋(ふうろう)。
そこに押された王家の紋章を見た瞬間、私の指先が凍りついた。
「王命です。来月行われる『聖女認定の儀』に合わせて、王都へ帰還し、身の潔白を証明なさいませ」
王都へ戻れ。
それは、断罪の舞台へ上がれという死刑宣告に等しい。
「……無理よ。体調が……」
「拒否されれば、公爵家の『物流』に教会の監査が入ることになりますが? 不正がないのであれば、問題ないはずですが」
脅しだ。
帰らなければ、アルノー家ごと潰すと言っている。
私がここで無能を演じ続けようと、彼らは最初から私を引きずり出すつもりだったのだ。
封蝋の匂いがする。
あの独特の、油と樹脂が混じった焦げ臭い匂い。
それが、半年前のあの日、私の婚約破棄を告げる書類から漂っていた匂いと重なる。
(逃げられない)
私がここで拒めば、レージも、父も、領民も巻き込まれる。
白夜領という隠れ家は、もう見つかってしまった。
私は震える手でスカートの布を握りしめた。
レージの気配が背後で濃くなる。
彼は口を出さない。契約通り、私が助けを求めるのを待っている。
「……わかったわ」
私は顔を上げ、ダミアンを睨みつけた。
無能な令嬢の仮面が、少しだけ剥がれ落ちるのを感じながら。
「戻ればいいんでしょう? その代わり、私の体調が悪化したら、教会の責任にさせてもらうわ」
「……ほほう」
ダミアンは口の端を歪めて笑った。
獲物が罠にかかったことを喜ぶ、狩人の顔だった。
紙の冷たさが、指先から全身へと広がっていった。
「……来たわね」
窓の外を見下ろすと、雪の中に黒い馬車が停まっていた。
車体には、太陽と天秤を組み合わせた紋章。
光輪教会の監査官だ。
採掘場の爆発事故を聞きつけ、調査という名目で乗り込んできたのだ。
「リディア様、お客様がお待ちです」
レージが扉を開ける。
以前のような「部屋から出るな」という空気はない。
彼は私の斜め後ろに控え、私の判断を待っている。
「……通して」
応接間に通されたのは、神経質そうな細身の男だった。
司祭服に身を包み、鼻のあたりに皺(しわ)を寄せている。
部屋に入った瞬間、ツンとした香水の匂いが鼻を突いた。
薔薇(ばら)の香りだ。
けれど、それは腐臭を隠すために撒かれたような、人工的で重苦しい匂いだった。
「お初にお目にかかります、アルノー公爵令嬢。教会本部より参りました、ダミアンと申します」
男は慇懃(いんぎん)に頭を下げるが、その目は私を値踏みしていた。
『これが噂の無能令嬢か』という嘲(あざけ)りの色。
「……何の、ご用かしら? 私は療養中なのだけれど」
私は咳き込むふりをして、弱々しく首を傾げた。
「ええ、存じております。ですが、先の爆発事故……あれは『神の怒り』ではないかという懸念がありましてね」
「神の、怒り?」
「ええ。この地に潜む『不浄』が、災害を招いたのではないかと。……つきましては」
ダミアンは懐から一通の書状を取り出し、テーブルの上に置いた。
赤い封蝋(ふうろう)。
そこに押された王家の紋章を見た瞬間、私の指先が凍りついた。
「王命です。来月行われる『聖女認定の儀』に合わせて、王都へ帰還し、身の潔白を証明なさいませ」
王都へ戻れ。
それは、断罪の舞台へ上がれという死刑宣告に等しい。
「……無理よ。体調が……」
「拒否されれば、公爵家の『物流』に教会の監査が入ることになりますが? 不正がないのであれば、問題ないはずですが」
脅しだ。
帰らなければ、アルノー家ごと潰すと言っている。
私がここで無能を演じ続けようと、彼らは最初から私を引きずり出すつもりだったのだ。
封蝋の匂いがする。
あの独特の、油と樹脂が混じった焦げ臭い匂い。
それが、半年前のあの日、私の婚約破棄を告げる書類から漂っていた匂いと重なる。
(逃げられない)
私がここで拒めば、レージも、父も、領民も巻き込まれる。
白夜領という隠れ家は、もう見つかってしまった。
私は震える手でスカートの布を握りしめた。
レージの気配が背後で濃くなる。
彼は口を出さない。契約通り、私が助けを求めるのを待っている。
「……わかったわ」
私は顔を上げ、ダミアンを睨みつけた。
無能な令嬢の仮面が、少しだけ剥がれ落ちるのを感じながら。
「戻ればいいんでしょう? その代わり、私の体調が悪化したら、教会の責任にさせてもらうわ」
「……ほほう」
ダミアンは口の端を歪めて笑った。
獲物が罠にかかったことを喜ぶ、狩人の顔だった。
紙の冷たさが、指先から全身へと広がっていった。
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