だが剣が喋るはずがない

娑婆聖堂

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動地剣惑星 (どうちけんまどいぼし)

苦手なものは仕方ない エリッサ

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 このところ地図とにらめっこする仕事が続いていた。
 協力者の家より与えられた部屋で、地図を睨む。真剣ではあるのだろうが、白人にしては幼げな顔立ちと、滲み出る柔和な雰囲気の為にどうも緊張感がない。
 エリッサは地図から目を離すと、おでこのあたりを手のひらで回すようにして揉む。

 はっきり言ってこういう作業は苦手だ。
 ヨーロッパならば津々浦々に張り巡らされたカトリック教会の情報網を通じて、然るべき場所で被害を出さないで審問することに集中していれば良かった。
 しかしここは極東日本。中東よりましとはいえ、カトリックの勢力は弱い。現地機関の支援はあるが、あちらも高位吸血鬼への対応などは経験したことがないため、何もかも手探りの状態である。

 今のところは人海戦術で怪しげな場所を押さえ、あぶり出された眷族をエリッサが挽き潰すことで、小康状態を保っている。
 とはいえ所詮後手後手の対応に過ぎない。どうしても敵の本拠地を突き止めねばならないのだが。

 考え込む内に無情にも時間は過ぎたようで、時計の針が3時を示すと、ノックの音が響く。入ってきたのは線の細い、肩までかかる黒髪の少女、ではなく少年。御影光世である。

 「どうかなエリッサさん。見つかりそう?」
 「うーんむ。全然ですね。入り組みすぎですよこの街」

 気の利くことに茶と菓子を運んできた光世に、お手上げといったそぶりを見せる。
 金城市は新幹線の開通の恩恵を最も受けた地域の一つである。観光客の増加で建設の需要が増え、城下町特有の複雑な街並みも相まってちょっとした迷路になっていた。
 吸血鬼という怪異は、存在そのものが普通かは別として、普通根城を持つものである。太陽という絶対の天敵から逃れるためでもあるし、吸血鬼の権力を指向する本能故でもある。
 この根城さえ突き止めてしまえば、戦いを有利に運ぶことができる。吸血鬼の代名詞たるかの伯爵も、本拠地に乗り込まれて敗北した。

 逆に言えば突き止めない限り彼らを滅することは不可能に近い。異形の王座に君臨する存在に人類が抗する術はあまりに少なく、か細い。
 本格的な冬の訪れまでに痛手を与えなければ、現状の維持も困難になる。時間は理法の内に在る者には厳しいものだ。

 「しかし吸血鬼という奴はいやに慎重だね。ここまで数匹の眷族を暴れさせるだけで、食事・・もこっそり済ませている。これじゃあ尻尾も掴めないよ」
 光世も関係機関との折衝だけでなく、個人的な捜査も進めているが、変死体が港の倉庫や空きビルから見つかるだけで、身元の分かりそうなものも剥ぎ取られていた。

 先の大戦の敗戦によって国家から引き離された退魔機関は、民間の組織や法人として生き残ったが、相互の連携がとれているとは言い難い。
 警察の協力を得られるだけで随分違うのだが、そこはどうしても政治に左右される。分の悪い相手を押し付け合うのは事なかれ主義の基本だ。目立った被害がないこともそれを助長した。

 「慎重といいますか、長命種に見られる気の長さでしょうね。彼らは前準備に時間をかけるのが好きですから」
 「ああ、なるほど。そういえば国を移る時は語学の習得から始めるんだっけ?」
 「体のいい暇つぶしなんでしょうね。その情熱を世のために生かしてくれるなら、私としても無闇にムースにはしたくないのですが」
 「おや、なく子も黙る異端審問の裁判長とは思えないお言葉」

 光世が茶化すと、エリッサは苦笑して、やっぱりそういうイメージなんですね。と嘆いてみせる。
 
 「無理もないですけれど。私は他の化け物狩りの人からすれば変わり者ですから」

 それは光世も感じていたことだった。この少女は闇に住まう人種にしては、すれた所がない。いくら正義のためと言っても、知的存在を討ち滅ぼし、世界の残酷と相対せねばならない者達だ。
 理想は血漿と汚泥にまみれ、人を喰らう怪物への憎しみが行動原理となる。
 戦いに身を置く者の常であり、長くいればその傾向は強まる。しかしエリッサは、言わば普通の善人であり、一般人がいい人だと素直に評価できる人間だった。
 普通とは違う場所に立てば、勢い突き抜けざるを得ないはずだが、彼女はそのような面は見せなかったし、あるようなそぶりさえ見せなかった。

 エリッサがお茶に口を付ける。薔薇の色をした唇が、ストレートの紅茶の中でも映えた。
 こうしてその顔を鑑賞すれば、まさに彫刻のように整ったかんばせの聖女である。

 彼女の過去を尋ねかけて、やめた。自分は所詮連絡係、入れ込みすぎるのは双方が不快になるだけだ。
 光世も紅茶を飲む。安物のティーバッグだ。日陰の仕事は予算も足りない。

 「さて、椅子を磨いてばかりじゃ足が腐っちゃうよ。お茶を飲んだら見回りに行こうか」
 
 光世の提案にエリッサは躊躇わず食いついたのであった。
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