だが剣が喋るはずがない

娑婆聖堂

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動地剣惑星 (どうちけんまどいぼし)

第二部 動地剣惑星

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 芦屋堂馬、風邪をひく。この前代未聞の珍事は瞬く間に学校を駆け巡った。
「すわバイオなウイルスか!」
「クソ、密林にデザートイーグル売ってねえじゃねえかよ!」
「桜、私怖いわ」
「大丈夫よ。私がついてる」
「桜……」
「美紀……」
「落着きたまえ!」
「「「藤堂先輩!!!」」」
 混乱に陥る教室に颯爽と扉を引いて現れる藤堂導人。そう、この非科学的混沌を収束させられるのは彼の他いない。
「無知と未知の闇に呑まれている君たちに、一つの啓蒙真実を与えよう」
「「それは!?」」
「バカが風を引かないというのは俗説に過ぎん!」
「「「そ、そうか!」」」
 その時生徒達の大脳皮質に光が差し込む。英知の、文明の無限光量だ。その輝きは蒙昧から来る不安、誤解による怯えを一掃し、百合の友情も深めた。先ほどまでの烏合の衆はもういない。学校という巨大なシステムに戻り、席について学習に励まんとする一塊の生徒がいるだけだった。科学大万歳。
「あー、うん。藤堂、礼は言っとく。ありがとう。教室戻れや」
「では失敬!」
 引き戸を閉じると規則正しい足音と共に去っていく。多少の波風はあれ、いつもの日常が過ぎていった。

修道女の技能として社交能力は人並みにあると思っていたエリッサであったが、それがただの過信か同じ文明圏でしか通用しないものでないかと不安になっていた。
「私学校の皆さんについて行けるんでしょうか。なんだか不安になってきました」
「ふふ、なんだって慣れだよ。3月も経てば立派な仲間になれるさ。保証する」
光世の励ましにそれはそれでどうかと思った自分は慈愛分が不足しているのであろうかとまた悩み出すエリッサであった。宗教人の苦悩は深い。

結局あの後、バイク並みの機動で消えた堂馬達を追っていた熊鷹がホテルの怪異を見て駆けつけ、そこで重症を負っていたエリッサと風花を発見。見知らぬとは言え大怪我をしている女子を見捨てられる筈も無く、三人を回収してホテルから脱出した。
街中で起こった火災と竜巻によって市内は恐怖に包まれたが、人間現金なもので、朝が来て大事ないと分かると、犠牲者の冥福をそれなりにお祈りしつつ日常に埋没していった。
堂馬はずぶ濡れになって真っ青な顔をしながら高笑いしている所を捜索していた熊鷹一行に捕獲される。すでに通報されていたので間一髪銃刀法違反での逮捕を免れた事になる。
川に落ちた為吸血鬼からは見逃されたようで、何かあったかと聞いても笑ってビルから川に落ちた以上におかしいことは無かったと言うだけであった。

吸血鬼は機能を取り戻した機関の総力を上げた捜査を嘲笑うように消えてしまった。勝負は振り出しに戻った訳だ。
日本勢は異端審問裁判長エリッサ・クルス=モリネーロの引き続きの助力を要求。ヨーロッパ側もこれを承認した。そも、不死者との戦いは世代を跨いで100年以上に及ぶ事も珍しくない。滅するとなれば次代の育成も含めて腰を据えてかかるものである。
強力な手駒が離れることになるが、逆に言えば現地の助力を得ながら勢力拡大に邁進出来るのだ。ここで両者は利害の一致をみた。
結果エリッサは日本に無期限で残留。生活の拠点を築く為にも九頭龍川高校にそのまま通い続けることとなった。細々とした調整に2日を費やし学業に復帰出来たところで、長い付き合いになるであろう堂馬の見舞いに放課後の夕焼けの中を歩いている訳である。
 「しかし大丈夫でしょうか。あの高さから落下して一晩入院しただけで帰るなんて」
 「怪我は問題ないと思うよ。あの剣もあるだろうし、彼自身やたらしぶといからね。吸血鬼と喧嘩しても向こうを心配するよ、僕は」

 からからと笑う光世を少し剣呑な目でたしなめる。堂馬が持っていた剣も不安の一つであった。どこで手に入れたか分からないが、かなり強力な呪いの品だ。長く魅入られれば悲劇を生む類の。回収しようとも考えたが、それは光世が止めた。
どのようなものであれ、一端の剣士が握っている武器を手放すはずがない。無理に奪おうとすればそれこそ斬り合いになる。堂馬の無駄な精神力に期待して経過を見るにとどめることにした。
芦屋家の前に着く。簡素な生垣に囲まれただけの、一戸建てとしてはかなり広さを持っている以外は取り柄もない古ぼけた家屋である。テトリスのブロックのようにやたらと折れ曲がった形は、敷地に無理やりに詰めたようにも見える。
少し離れた場所に小さい家ほどある倉が一つ建っていて、倉と家との間にだけ石畳が敷いてあった。住みやすそうには思えない上に税金ばかりかかるためなのか、土の出ている場所は丁寧に整えられて畑になっている。
入口までは比較的最近になって作ったのか、コンクリートの道になっていて、ガラスと木でできた引き戸まで一直線に続いている。

 その道を挟むようにして佇たたずむ男と女。男は抜き身の刀を八双に構え、女は右手に透明な分銅を膝のあたりまで垂らし、左手に鋭い鎌型の剣を携えている。引き戸の前に立つ、どこか男に似た顔立ちの少女は寸法の大きい真っ白な狩衣を纏い、軍配を握って両者を見据えていた。当然堂馬と風花、そして稲である。
 東西共に金板をあてた鉢巻を締め、小手をつけている。堂馬はカーキ色の厚手のズボンの裾をブーツの中に入れ、上からゲートルを巻いて機動力を挙げている。濃緑のコートは幾分不自然な揺れ方で、内に何かを仕込んでいると察せられる。風花の方は派手な装いで、赤の袴に白い小袖に白襷を巻き、三つ編みは結い上げてべっこうの簪かんざしで留めている。まるで巫女装束であるが、これは衣装に目を引き付け、より武器の視認性を低くする工夫であろう。
 間に入れば切り裂かれそうな緊張感が漂う。一瞬即発の鬼気迫る状況下で、稲が厳かに告げた。

 「えーそれでは、第一回チキチキ☆なんでこうなったか忘れたけどとにかく白黒付けちゃうぞ!大決闘会を始めます。いいね」
 「おいーす」
 堂馬が刃金のような眼光で風花を圧しつつ低い声で答える。
 「かしこまりー。です」
 眼をかっ、と開いて視界の内悉くを焼くように目を凝らし、吐息を震わせるだけのかすれた声で返事をする。
 「ルールを説明します。それぞれの武装で一回でも当てたら勝ち。行動不能で負け、大怪我とかしないさせない。勝敗が全て、遺恨はドブに捨てるかトイレに流す。あーゆーおけ?」
 「いぇあー」
 堂馬の丹田に力を込めているのがわかる良く通る唸りが響く。
 「はろーえぶりばでー」
 風花の入神の域に達した精神がなんとなく小学生並みの英語を吐き出す。
 双方気勢は十全に整い、煮えたぎる油に入る直前の氷塊のような静かな破壊力が築何年かも分からぬ民家の骨組みを軋ませた。

 「はいそれじゃあ位置についてー、よーい」
 稲の軍配が振りあがり、曇天の空を割断するかのようにおろされる。
 「どん!!」
声の波動が静まらぬうちに、錘が堂馬の鳩尾に飛ぶ。しなやかなワイヤが金棒のように伸びて、最短距離で堂馬を貫く。優に三間はある間合いでワイヤという重石のついた分銅を正確に投げ撃つ技量は驚嘆に値する。
だがいくら速いといえど、真正面から投げつけられた拳大の物体。捉えられない堂馬ではない。八面体の角に沿うように鎬を当て、半身になりつつ一跳び。一足一刀の間合いに入る。あと一歩で勝負が付く。
風花の手首が返った。真竹のように真っ直ぐ張っていたワイヤが線虫じみた不規則な動きで刀に巻きつく。一旦この体勢に入ると、体力差があっても振りほどくのは難しい。釣りと同じである。足掻けば足掻くほど体力を消耗し、迂闊に近付けば縄で崩され鎌で刺される。

ここで風花が次の一手を考えたのを油断と呼ぶのは酷であろう。人間捕らえられたと分かればある程度決まった反応を返す。即ち無理にでも脱出を試みるか、相手の出方を窺ってだし抜こうとするかである。いずれにせよ膠着に陥るはずであり、そうなれば主導権を持つ風花が有利。そのはずであった。
急激に引かれるワイヤに思わず力がこもる。百キロ級のマグロが暴れたような吸引力。いくら超人的であってもこれほどの出力は、と驚愕が神経を走り、遅れて視覚より力の正体が伝えられる。風花の身長近くまで跳躍し、恐るべき勢いで簀巻きになっていく堂馬の姿を!
まともに腕力で勝負すれば網にかかった野獣も同然。故に堂馬は跳んだ!その上にフィギュアスケートばりの高速回転でワイヤを自らの体で手繰り寄せたのだ。滑車の原理でもあるように、回転の力は直線のそれと倍近い開きがある。ましてそれを全身の力で行えば、彼我の立ち位置は逆転して余りある。狙いこそつけられはしないが、手繰る綱の先には……!

天山鳶流 飛翔投身フライング・ボディ・プレス
ぶべら、と断末魔と共に風花がビリヤード球のように吹っ飛ぶ。

「決まった……!」
観戦していた光世が、珍しく真剣な表情で呟く。
「しかしあれではただのメキシコあたりのプロレス技ルチャ・リブレでは?」
エリッサが妥当な疑問を呈する。
「否!剣士たるもの心にいつも刀の一つ抱いているもの。剣士が行えばそれは剣技!」
「なるほど」
堂馬の強弁に呑まれ納得した。
「そう言えばなんで俺ん家にいるんだ?」
「いやあ、お見舞いに来たんだけど無用な心配だったみたいだね。もうすっかりいつも通りだ」
「当然だ。最新の気合療法で治した」 
「それは最新なのかな?」
「心ハートはいつだって最新鋭さ」
「それは結構」
ニヒルな笑みを湛えてドヤる堂馬。当然簀巻きのままである。
「あ、そうでした。お見舞いの品にミカンの缶詰を買ってきましたのですが、いかがですか?」
エリッサが自転車用のバックからスーパーの袋を探し、取り出した。
「おお!ありがてえ。恩に……、ってなんじゃそりゃ」
「はえ?」
エリッサの持つ袋の向かい側、バックの中から伸びる白い手。髪が絡みついた骨である。袋を探していたエリッサに手渡した手が丸見えであった。
光世が硬直する。煉獄の乙女の使い手の情報は当然機密であり、片足を突っ込んでいるだけの一般人、一応一般人に知られていいものではない。というよりスーパーの袋を大雑把にバックに入れた時点で止めるべきだったかと今更ながらに悔いるが、まさに後の祭り。寝不足の頭で上手い言いくるめ策を探るが、こういう時に限って出てこない。
エリッサが優しく押さえるように手を伸ばした。光世と目が合う。我に秘策ありとその目が言っていた。

「見ての通り自転車ですよ?」 
「いや、見ての通りだと白骨死体なんだが」
「ヨーロッパではこれがスタンダードです」
「嘘だろロック過ぎじゃね?」
エリッサがおもむろにバックの口を開ける。地下墓地カタコンベから油紙でくるんで持ち出したと言ったら信じたであろう。肉一つ無い綺麗な骨であった。
折り畳まれていたフレームが開放と同時に伸展し、臼を持つ奇形の人骨が完成する。だがそれで終わらない。右臼を支える大腿骨が持ち上がり、百八十度回転。円盤が機体の後ろにくる。持ち手の腰骨がせり上がり、辛うじてサドルに見えなくもない形に変わる。盾を構成していた腕の関節が曲がり、ハンドルらしき姿に擬態する。自転車のシルエットをした前衛オブジェの完成であった。

「と、このように変形するのが今最新のモードでパリコレなのです!」
自信満々に言い切るエリッサ。これぞカトリック二千年の歴史が生み出した隠蔽技術である。かなり無理をしているらしく、髪の毛で支えている骨がぷるぷる震えているが、どうにかそれらしき形状を成していた。涙ぐましい努力の跡が窺える。
それは流石に無理が。と光世が言いかけ、この後に及んでは是非も無しと諦める。彼女らの運命は少年の無神経にかかっていた。

「あ」
「あ?」
「アメージン!凄えなヨーロッパ!」
如何なる化学反応か、堂馬の中では合格であったらしい。簀巻きのままバネのように飛び跳ねる。胸を撫でおろす光世。厳しい鍛錬の末に身に着けた絶技が効果を発揮したことに感極まったエリッサは煉獄の乙女に抱き着く。
「やりましたね。本当にいい子、あとで日本の少女マンガを読み聞かせてあげるからね」
 嬉しそうに震える煉獄の乙女。好きな漫画はブルボンのバラである。
興奮治まらぬ堂馬はそのまま飛び跳ね続け。
石にけつまづいて転んだ。

「む!?」
起きあがろうともがくが、アラミドで編まれた縄は舟のもやい綱のように硬く巻かれてびくともしない。
「しまった!動けん!」
転がり、海老反りになり、背筋で跳躍してみるも、体幹の動きさえままならない程に簀巻きにされては為す術も無い。無理な運動で息切れし、止まる。
暫くの間無言になり、唐突に笑った。
「ふん……。引き分けか」
芦屋堂馬VS能島風花。双方戦闘不能による引き分け。
「お兄、何だか知らないけどお兄まで運べないから自分でどうにかしてよー」
伸びてしまった風花をえっちらおっちら運びながら稲が呼びかける。

骨と髪でできた自転車のような何かに抱きつく金髪緑眼の少女。その横でどこか満足そうに微笑む簀巻きの少年。巫女服のような服装の少女をファイヤーマンズキャリーで運ぶ狩衣姿のこれまた少女。
これらを一通り見渡した後、御影光世は微笑み、言った。

「なんだこれ」
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