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依頼
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午前8時はまだ夜である。そう信じて疑わないのはフリーランスの特権であろう。昼夜逆転だろうが早寝遅起きだろうが許される。売れていなければ特にそうだ。
目は覚めているがまだ眠い気がする。鈴木直人は、そんな強迫観念に押さえつけられて枕から頭を離せない。
がちゃり、とドアが開く。自身が超能力に目覚めた訳ではないだろう。鍵は閉めてある。合鍵を心当たりは、一人だけいた。
「おきてるー?寝てるな起きろ!」
布団を慈悲なく引っぺがされた。雲井鈴子だ。大学の同窓生。つきあってから何年目だったろうか。今考えてもしかたないことばかりが脳内を踊り狂う。
「すず。俺、今大学卒業して何年目だっけ」
「四年!あんた今27!CGばっかいじくり回しやがって留年したでしょうが。社会人先輩になったあたしの微妙な気持ちが分かる?」
そうだった。成績優秀だった彼女は、とっくにIT系の広告企業に就職してバリバリ働いている。もう部下も何人かいるらしい。ネットを扱う所は、入れ替わりが激しいだけあって実力主義だ。
「ったく。今さら稼ぎとかなんとか言う気もないけどさ。いつまでもうじうじして腐ってるんだったら愛想つかすよ?」
「とっくに愛想尽きてもいいと思うけど」
「自分でそうゆーこと言わない!太陽を浴びろ!」
「グワー!」
鈴子の腕が刀のようにひらめくと、急激に膨れ上がった白が神経を焼いた。はためいたカーテンから降り注ぐ夏の日差し。そういえば一昨日から家を出ていないので三日ぶりの日光だ。
「風呂は、さすがに入ってるか。外に出ないと本当に体壊すよ?何人かフリーランスと話したりもするけどさ。あの人が脳梗塞になったとか血糖値がヤバいとか。まだ30,40代がだよ?寿命くらい自分で管理してよね」
「ういーす」
「はいと言え腹から!」
「はい」
素直に頷いて、ようやく顔を合わせた。鈴子は少し癖のある髪を、ゴムで一つにまとめている。清潔感はあるが、甘く見られないためか大雑把な髪型だ。昔は背中まで伸ばしてストレートパーマもかけていたが、卒業前に肩上までざっくり切ったことを思い出す。
服を見ると、袴っぽいスカートに白いシャツ。クールビズとはいえ仕事着にはならないのでは、と疑問を持つ。
「あれ、すず仕事は?」
「今日は日曜だ!」
鋭いデコピンが直人を襲った。
冷蔵庫からソーセージと卵を取り出し、油をひいて焼く。調理と言うよりただの焼く、だ。原始人だってもう少し気を遣うだろう。
「食べる?」
「あたし朝は豆乳なの」
事実鈴子はエコバッグから豆乳のパックを取り出していた。一リットルサイズの紙パックに、飲み口を入れるとぐい、と飲みだす。腕に浮かぶ筋肉が眩しい。
勢いと時間からいって半分は飲み干しただろうか。紙パックをテーブルにだん、と叩きつけると大きく息を吐く。
「ふう。で、あれ、仕事どうなの?」
言いにくいことをずばりと聞いてくる。鈴子は果断だし、脇道に逸れるということをしない人間だった。
人によっては強烈に嫌われる要素だが、直人はあまり気にしていない。
そもそも、友達にきついことを言って数日に渡り後悔していた彼女に、暇していた直人が話しかけたのが二人の出会いだった。迷いが無さすぎるだけで、善良ではあるのだ。
「ん、まあ、ぼちぼちかな」
「長期の案件だっけ?まだ続いてるの?」
「ああ、何とか軌道に乗って、しばらく食うには困らないな」
「やったじゃん。プロジェクト一つ成功させるなんて大したもんだよ」
素直な称賛に、曖昧に笑って頷く。
彼の現在一つしかない仕事、つまりスズナのことについては話していない。守秘義務があると言えば鈴子も会社勤めであるから、強いて聞こうとはしなかった。
もちろん禁止されているわけもない。噂になるのは困るが、べつに彼女も言いふらしはしないだろうし、第一スズナ自体誰もが知っている、などとはお世辞にも言えない限定的な有名人だ。仕事についてばらさないのは、単に気恥ずかしいからである。
美少女声を出してやれスイーツだの百合だのをやっているから、というのもあった。が、それよりも自分のオリジナルな成功ではない、と思う気持ちが消えないことが大きい。ありきたりなキャラが運よくうけて多少稼げるようになっただけだ。
個人でやっているので報酬はほぼ総取りできる。そのためどうにかやっていけているが、事業とはとても言えない。長続きも期待できないだろう。
気が重くなることばかりが脳裏に浮かぶ。元より直人には、事業主として重要な才覚である楽天性がさっぱりなかった。
「まーたあ暗い顔して。メールでも漁って仕事見つけなさいな。一匹狼はハングリーにいかないと」
「ん、まあそうだね。そうする」
促されてスマホを取り出す。仕事募集用のメールボックスを開いて、小さな青い四角が目に入った。新着が一件。一週間以上ぶりの依頼だ。
「あ、来てる」
「え、マジ?見ていい?」
「ああ、うん。短いな。相談だけかも」
文面は一行だけ。キャラクターコンテンツに関しての相談。とだけ打ってあった。詐欺か、と疑うが、それならもっと甘い言葉を胸焼けするほど送ってくるだろう。あるいは安くあがりそうなフリーランスに片っ端から声をかけて、コンペの真似事でもするのだろうか。
後ろから画面を覗き込む鈴子が、0.5秒で文面を読み終わり感心したように鼻を鳴らす。
「ほんとだ。でもこれ依頼者が個人じゃない?メアドが名前っぽいし」
言われてみるとそうだった。アドレスの末尾にhyakuya。ひゃくや、だろうか。名前かもしれない。
「個人ならメールで言いたくないこともあるでしょ。相談、行ってみたら?交通費もってくれるんなら」
しっかりしたことを言う。だが、断りをいれるのに相応しい仕事など無いのも確かだ。宗教とかその類のものでなければむしろありがたい申し入れだろう。直人は日に当たって血行が良くなったこともあってか、前向きにこの案件を考え出した。
その旨を返信すると、5分たたずにまたメールが来る。暇なだけではこう早くいかないのは、直人自身がその証明だった。人は怠けようとすれば、半永久怠けられる。いい悪いは横においても、まじめに取り組んでいるのは好感が持てた。
「すぐ会いたいってさ」
「早いなパパ活かよ」
鈴子が茶化す。
「いや、緊急らしいよ。まあ、そうでもなければフリーのやつに個人が直接会ったりなんてしないだろうけど」
「すぐっていつ?」
「今日にでもだって」
「ほんとに早いな!まあ新幹線なら日帰りでいけるだろうけど」
相談するために会う場所は、少し遠い。都内になるので、新幹線が必要になるだろう。交通費は出た。乗り気なので対面で話したいと頼んでみると、振込用の口座に即入れられたのだ。
「すげえ。そこらの企業の百倍速だ」
「よっぽど急ぎなのかもね。苦労するぞー?徹夜はしすぎるなよ?」
鈴子の迂遠な気遣いに笑って頷く。フットワークが軽いのが根無し草の唯一の利点だ。やるならさっさとするに限る。直人はスマホで新幹線の時間を調べはじめた。
目は覚めているがまだ眠い気がする。鈴木直人は、そんな強迫観念に押さえつけられて枕から頭を離せない。
がちゃり、とドアが開く。自身が超能力に目覚めた訳ではないだろう。鍵は閉めてある。合鍵を心当たりは、一人だけいた。
「おきてるー?寝てるな起きろ!」
布団を慈悲なく引っぺがされた。雲井鈴子だ。大学の同窓生。つきあってから何年目だったろうか。今考えてもしかたないことばかりが脳内を踊り狂う。
「すず。俺、今大学卒業して何年目だっけ」
「四年!あんた今27!CGばっかいじくり回しやがって留年したでしょうが。社会人先輩になったあたしの微妙な気持ちが分かる?」
そうだった。成績優秀だった彼女は、とっくにIT系の広告企業に就職してバリバリ働いている。もう部下も何人かいるらしい。ネットを扱う所は、入れ替わりが激しいだけあって実力主義だ。
「ったく。今さら稼ぎとかなんとか言う気もないけどさ。いつまでもうじうじして腐ってるんだったら愛想つかすよ?」
「とっくに愛想尽きてもいいと思うけど」
「自分でそうゆーこと言わない!太陽を浴びろ!」
「グワー!」
鈴子の腕が刀のようにひらめくと、急激に膨れ上がった白が神経を焼いた。はためいたカーテンから降り注ぐ夏の日差し。そういえば一昨日から家を出ていないので三日ぶりの日光だ。
「風呂は、さすがに入ってるか。外に出ないと本当に体壊すよ?何人かフリーランスと話したりもするけどさ。あの人が脳梗塞になったとか血糖値がヤバいとか。まだ30,40代がだよ?寿命くらい自分で管理してよね」
「ういーす」
「はいと言え腹から!」
「はい」
素直に頷いて、ようやく顔を合わせた。鈴子は少し癖のある髪を、ゴムで一つにまとめている。清潔感はあるが、甘く見られないためか大雑把な髪型だ。昔は背中まで伸ばしてストレートパーマもかけていたが、卒業前に肩上までざっくり切ったことを思い出す。
服を見ると、袴っぽいスカートに白いシャツ。クールビズとはいえ仕事着にはならないのでは、と疑問を持つ。
「あれ、すず仕事は?」
「今日は日曜だ!」
鋭いデコピンが直人を襲った。
冷蔵庫からソーセージと卵を取り出し、油をひいて焼く。調理と言うよりただの焼く、だ。原始人だってもう少し気を遣うだろう。
「食べる?」
「あたし朝は豆乳なの」
事実鈴子はエコバッグから豆乳のパックを取り出していた。一リットルサイズの紙パックに、飲み口を入れるとぐい、と飲みだす。腕に浮かぶ筋肉が眩しい。
勢いと時間からいって半分は飲み干しただろうか。紙パックをテーブルにだん、と叩きつけると大きく息を吐く。
「ふう。で、あれ、仕事どうなの?」
言いにくいことをずばりと聞いてくる。鈴子は果断だし、脇道に逸れるということをしない人間だった。
人によっては強烈に嫌われる要素だが、直人はあまり気にしていない。
そもそも、友達にきついことを言って数日に渡り後悔していた彼女に、暇していた直人が話しかけたのが二人の出会いだった。迷いが無さすぎるだけで、善良ではあるのだ。
「ん、まあ、ぼちぼちかな」
「長期の案件だっけ?まだ続いてるの?」
「ああ、何とか軌道に乗って、しばらく食うには困らないな」
「やったじゃん。プロジェクト一つ成功させるなんて大したもんだよ」
素直な称賛に、曖昧に笑って頷く。
彼の現在一つしかない仕事、つまりスズナのことについては話していない。守秘義務があると言えば鈴子も会社勤めであるから、強いて聞こうとはしなかった。
もちろん禁止されているわけもない。噂になるのは困るが、べつに彼女も言いふらしはしないだろうし、第一スズナ自体誰もが知っている、などとはお世辞にも言えない限定的な有名人だ。仕事についてばらさないのは、単に気恥ずかしいからである。
美少女声を出してやれスイーツだの百合だのをやっているから、というのもあった。が、それよりも自分のオリジナルな成功ではない、と思う気持ちが消えないことが大きい。ありきたりなキャラが運よくうけて多少稼げるようになっただけだ。
個人でやっているので報酬はほぼ総取りできる。そのためどうにかやっていけているが、事業とはとても言えない。長続きも期待できないだろう。
気が重くなることばかりが脳裏に浮かぶ。元より直人には、事業主として重要な才覚である楽天性がさっぱりなかった。
「まーたあ暗い顔して。メールでも漁って仕事見つけなさいな。一匹狼はハングリーにいかないと」
「ん、まあそうだね。そうする」
促されてスマホを取り出す。仕事募集用のメールボックスを開いて、小さな青い四角が目に入った。新着が一件。一週間以上ぶりの依頼だ。
「あ、来てる」
「え、マジ?見ていい?」
「ああ、うん。短いな。相談だけかも」
文面は一行だけ。キャラクターコンテンツに関しての相談。とだけ打ってあった。詐欺か、と疑うが、それならもっと甘い言葉を胸焼けするほど送ってくるだろう。あるいは安くあがりそうなフリーランスに片っ端から声をかけて、コンペの真似事でもするのだろうか。
後ろから画面を覗き込む鈴子が、0.5秒で文面を読み終わり感心したように鼻を鳴らす。
「ほんとだ。でもこれ依頼者が個人じゃない?メアドが名前っぽいし」
言われてみるとそうだった。アドレスの末尾にhyakuya。ひゃくや、だろうか。名前かもしれない。
「個人ならメールで言いたくないこともあるでしょ。相談、行ってみたら?交通費もってくれるんなら」
しっかりしたことを言う。だが、断りをいれるのに相応しい仕事など無いのも確かだ。宗教とかその類のものでなければむしろありがたい申し入れだろう。直人は日に当たって血行が良くなったこともあってか、前向きにこの案件を考え出した。
その旨を返信すると、5分たたずにまたメールが来る。暇なだけではこう早くいかないのは、直人自身がその証明だった。人は怠けようとすれば、半永久怠けられる。いい悪いは横においても、まじめに取り組んでいるのは好感が持てた。
「すぐ会いたいってさ」
「早いなパパ活かよ」
鈴子が茶化す。
「いや、緊急らしいよ。まあ、そうでもなければフリーのやつに個人が直接会ったりなんてしないだろうけど」
「すぐっていつ?」
「今日にでもだって」
「ほんとに早いな!まあ新幹線なら日帰りでいけるだろうけど」
相談するために会う場所は、少し遠い。都内になるので、新幹線が必要になるだろう。交通費は出た。乗り気なので対面で話したいと頼んでみると、振込用の口座に即入れられたのだ。
「すげえ。そこらの企業の百倍速だ」
「よっぽど急ぎなのかもね。苦労するぞー?徹夜はしすぎるなよ?」
鈴子の迂遠な気遣いに笑って頷く。フットワークが軽いのが根無し草の唯一の利点だ。やるならさっさとするに限る。直人はスマホで新幹線の時間を調べはじめた。
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