怒り

神尾 点睛

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 その男は人間のあらゆる感情を理解していた。だから、彼は人と会話をするのが好きであった。相手の心の機微を感じ取り、共有するのが楽しかったのだ。
 しかし、そんな彼にも唯一、理解できない感情があった。
 それは、怒りであった。

 怒り。それは、彼にとって忌むべきものであった。怒りこそ、諸悪の根源だとさえ思っていた。怒りさえなければ、喧嘩はおろか、戦争も無くなり、世界は平和になるのに、と思っていた。怒る側も怒られる側も、どちらも嫌な気持ちになるのなら、むしろ怒らなければいいのに、と思っていた。
 だから彼は、怒りだけは認めなかった。

 彼の職業は、教師だった。
 彼は、この仕事に誇りを持っていた。この世の中に満ち溢れている怒りに対して、対抗し得る人間を育てているという矜恃きょうじを持っていたからだ。実際彼は、常日頃、生徒たちに、怒りという感情が、どれほど愚かで惨めな感情かを、説いていた。何があっても怒らない人間になれ、と。
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