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ところがある日、彼はとんでもないことに気がついてしまった。
その日、彼はある友人とレストランで食事をしていた。その友人とは、度々こうして一緒に食事に行く仲だった。
彼が友人にする話は、大抵生徒の愚痴だった。その日も例に漏れず、
「最近鈴木くんが言うことを聞かなくて困っているんだ」
などと、生徒の愚痴を溢していた。
一方友人は、話の流れで最近あったことを話すことが多かった。この日も何気なく最近の話をした。
「この間さ、甥のお墓参りに行ったら、お寺でかすみ草が咲いてて、すごく綺麗だったんだ」
「へー」
彼は曇った顔で答えた。
友人が甥の話をすると、彼はいつも、どこか悲しそうな顔をする。同情してくれているのは分かっていたが、もう随分経つのだからそんな顔をする必要は無いのになと、友人は思っていた。
「ほら、写真撮ったんだ」
そう言って、友人は彼にスマホの画面を見せた。途端に彼の顔が明るくなる。
「おー、本当だ! ムレナデシコだね」
「流石は生物教師!」
その後も暫く、世間話を弾ませていると、店の奥の方から、何やら店の雰囲気にそぐわない罵声が、飛んできた。
「おいっ! ふざけるなよ!」
見ると、中年のスーツ姿のサラリーマンらしき男が、同じくスーツ姿の若い男の胸倉を摑んでいた。
それまで賑わいでいた店内が、まるで誰も居なくなったかのように静まりかえった。
「人を侮辱するのもいい加減にしろ!」
そう言って、中年の男は若い方を殴りつけた。驚いた若い方は、中年の男を睨み付け、今にも乱闘が始まりそうな、一触即発の様相を呈していた。
呆然としていた店員が、やっと我に返って仲裁に入ろうとした時には、既に彼とその友人が間に入っていた。
「まぁまぁ、そんなに怒りなさんな。 一体何があったんだ?」
彼が中年の男に尋ねると、
「お前には関係ないだろ! こいつは俺を侮辱したんだよ! だから怒るのも当然だろ!」
と怒鳴られた。どうやら中年の男は、若い方の会社の上司で、お互い酔いが回り、些細なことから喧嘩になったようだった。
そこで彼は、とにかく、若い方を友人に任せ、中年の男を落ち着かせようとした。しかし、後々これが、彼にとって、カタストロフの始まりとなるのだった。
彼は、中年の男を何とか宥めようとしたが、その男は初めの態度を一向に変えようとしなかった。それどころか、剰え彼の説得に対して更に激昂し出した。彼の性格が忍耐強ければ、事は丸く収まったかもしれない。しかし生憎、教師の性とでも言うべきか、彼は昔から、言いたいことはハッキリと言うタイプだった。元々怒りという感情を忌み嫌っていた彼は、止せばいいものを、とうとうこんなことを言い出した。
「だいたいそんなことで怒ること事態、言語道断。 お前みたいな器の小さな大人がこの社会に蔓延っているから、世の中平和にならないんだ!」
「なんだとっ!」
日頃からこの社会に持っていた不満を、中年の男についうっかり洩らしてしまったのだ。果たして、これは火に油を注ぐ結果となり、罵倒の応酬はますます激化していった。
そんな中、中年の男が彼に言い放ったある言葉に、彼は凍りついた。
「百歩譲って、お前の怒ることは罪だとする主張が、正しいとしよう。だがそうすると、お前もまた罪を犯しているということになる」
「……どういうことだ」
「お前だって、今俺に向かって怒っているではないか。 いや、俺に、というよりも、寧ろこの社会に対して、また怒りという感情そのものに対して、怒っているではないか!」
「……!」
彼は、雷に打たれたような衝撃を食らった。彼は、思わず絶句せざるを得なかった。先程まで、何か熱いものが跋扈していた胸は、いつの間にか冷えきり、寒々しく空洞になっていた。
彼は今まで、周囲の怒りに関しては、非常に敏感だったが、自分に関しては、全くもって無神経であった。俯瞰した目で冷静に見つめれば、中年の男の言うことは、至極真っ当なことであるが、彼は一度もそのように考えたことがなかった。
その日、彼はある友人とレストランで食事をしていた。その友人とは、度々こうして一緒に食事に行く仲だった。
彼が友人にする話は、大抵生徒の愚痴だった。その日も例に漏れず、
「最近鈴木くんが言うことを聞かなくて困っているんだ」
などと、生徒の愚痴を溢していた。
一方友人は、話の流れで最近あったことを話すことが多かった。この日も何気なく最近の話をした。
「この間さ、甥のお墓参りに行ったら、お寺でかすみ草が咲いてて、すごく綺麗だったんだ」
「へー」
彼は曇った顔で答えた。
友人が甥の話をすると、彼はいつも、どこか悲しそうな顔をする。同情してくれているのは分かっていたが、もう随分経つのだからそんな顔をする必要は無いのになと、友人は思っていた。
「ほら、写真撮ったんだ」
そう言って、友人は彼にスマホの画面を見せた。途端に彼の顔が明るくなる。
「おー、本当だ! ムレナデシコだね」
「流石は生物教師!」
その後も暫く、世間話を弾ませていると、店の奥の方から、何やら店の雰囲気にそぐわない罵声が、飛んできた。
「おいっ! ふざけるなよ!」
見ると、中年のスーツ姿のサラリーマンらしき男が、同じくスーツ姿の若い男の胸倉を摑んでいた。
それまで賑わいでいた店内が、まるで誰も居なくなったかのように静まりかえった。
「人を侮辱するのもいい加減にしろ!」
そう言って、中年の男は若い方を殴りつけた。驚いた若い方は、中年の男を睨み付け、今にも乱闘が始まりそうな、一触即発の様相を呈していた。
呆然としていた店員が、やっと我に返って仲裁に入ろうとした時には、既に彼とその友人が間に入っていた。
「まぁまぁ、そんなに怒りなさんな。 一体何があったんだ?」
彼が中年の男に尋ねると、
「お前には関係ないだろ! こいつは俺を侮辱したんだよ! だから怒るのも当然だろ!」
と怒鳴られた。どうやら中年の男は、若い方の会社の上司で、お互い酔いが回り、些細なことから喧嘩になったようだった。
そこで彼は、とにかく、若い方を友人に任せ、中年の男を落ち着かせようとした。しかし、後々これが、彼にとって、カタストロフの始まりとなるのだった。
彼は、中年の男を何とか宥めようとしたが、その男は初めの態度を一向に変えようとしなかった。それどころか、剰え彼の説得に対して更に激昂し出した。彼の性格が忍耐強ければ、事は丸く収まったかもしれない。しかし生憎、教師の性とでも言うべきか、彼は昔から、言いたいことはハッキリと言うタイプだった。元々怒りという感情を忌み嫌っていた彼は、止せばいいものを、とうとうこんなことを言い出した。
「だいたいそんなことで怒ること事態、言語道断。 お前みたいな器の小さな大人がこの社会に蔓延っているから、世の中平和にならないんだ!」
「なんだとっ!」
日頃からこの社会に持っていた不満を、中年の男についうっかり洩らしてしまったのだ。果たして、これは火に油を注ぐ結果となり、罵倒の応酬はますます激化していった。
そんな中、中年の男が彼に言い放ったある言葉に、彼は凍りついた。
「百歩譲って、お前の怒ることは罪だとする主張が、正しいとしよう。だがそうすると、お前もまた罪を犯しているということになる」
「……どういうことだ」
「お前だって、今俺に向かって怒っているではないか。 いや、俺に、というよりも、寧ろこの社会に対して、また怒りという感情そのものに対して、怒っているではないか!」
「……!」
彼は、雷に打たれたような衝撃を食らった。彼は、思わず絶句せざるを得なかった。先程まで、何か熱いものが跋扈していた胸は、いつの間にか冷えきり、寒々しく空洞になっていた。
彼は今まで、周囲の怒りに関しては、非常に敏感だったが、自分に関しては、全くもって無神経であった。俯瞰した目で冷静に見つめれば、中年の男の言うことは、至極真っ当なことであるが、彼は一度もそのように考えたことがなかった。
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