明治暗殺狂句

不二本キヨナリ

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其の十五「閣下の手並みは衰えるところを知りもさんな」

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「……左右吉の死体は、十文字に斬りわけられておりもした。じゃっで、ホシは左右吉を胴斬りにして殺したあと、さらに上半身と下半身を真ん中からふたつに斬りわけたものと思われもす」
 川路利良はいまだかつて、これほどまでに居心地の悪い思いをしたことはなかった。
「……わざわざこげな真似をするからには、下手人は左右吉への恨み骨髄に徹した者にちがいごわせん――かと思いきや、左右吉の自宅はひどく荒らされてもおりもして、金子のたぐいは根こそぎ盗まれておりもす。ために、強盗のようでもごわして……」
 弾正台大巡察でありながら、虚偽の報告をしていることもある。
「……しかしまた恐れながら、左右吉は貴家の会計を任された身であるにもかかわらず、閣下の金子を着服した疑いで暇を出されたばかりと聞いておりもす。もしきゃつに共犯者がおったならば、口封じをされたこつも考えられ……つまるところ恥ずかしながら、下手人の見当はつきすぎて、かえって不明にごわす」
 しかしそれ以上に、報告の相手がつい昨日、自分が河畑に依頼した暗殺の標的――広沢真臣その人であることと……
「川路どんの見立てに異存はごわせんが――付けくわえるなら、昨今、雲井龍雄くもいたつおの残党に不穏な動きあり、との報せもごわす。きゃつらが閣下のお命を狙うに先立ち、元下男たる左右吉を拷問したのやもしれもさん」
 下手人の親玉であり、かつ広沢の命を狙っている張本人でありながら、いまそらぞらしく口を挟んだ、桐野利秋こと中村半次郎がすぐ隣で胡座をかいていることが、川路の胃を苛んでいた。
 時は暮れ六つ、ところは広沢邸の表座敷である。川路と半次郎のふたりは、広沢と向かいあって座っていた。茶のたぐいは出されていない。広沢の指図である。話の内容が内容なだけに、女を近づけたくないと見える。
 川路は広沢から前夜の左右吉殺人事件についての説明を求められ、広沢邸に出頭しているのだった。これに半次郎が同行しているのは、弾正台の視察のためだ――表向きは。
「雲井龍雄か……」
 広沢は脇息きょうそくにもたれかかりながら、うめいた。

 雲井龍雄はかつて集議院議員に任ぜられたこともあった男だ。しかし幕末に薩摩を猛烈に批判したことなどが祟って、わずか一ヶ月足らずで議員の座を追われた。
 その後、彼は上行寺じょうぎょうじ円真寺えんしんじの門前に「帰順部曲点検所きじゅんぶきょくてんけんじょ」なる看板を掲げて同志を集めたり、旧幕臣や脱藩者に帰順の道を開くべしとの嘆願書を明治政府に提出したりした。これが昨年二月のことであり――これらを政府転覆の陰謀とみなされて、雲井が斬首されたのが昨年十二月二十六日のことであった。

「逆恨みもはなはだしい」
 広沢は吐きだすようにいった。雲井に先の看板の掲出を許した者たちのひとりは、広沢真臣であった。
「わしは止めたのだ。ただでさえ薩摩に睨まれておるときに左様な真似をすれば、どうなるか……」
 広沢の話しぶりは、薩摩を責めるというよりはむしろ、それ見たことかというようなものだった。彼は苦笑いさえ浮かべていた。だから半次郎も川路も、当の薩摩出身でありながら黙って相槌を打っている。
「だが、それは承知のうえといわれたら、詮無かろう? 三計塾さんけいじゅくでともに学んだよしみでよ」
 広沢と雲井は、三計塾という私塾の同輩だった。雲井はその友誼ゆうぎを頼みに、広沢に看板の掲出を許してもらおうとしたのかもしれない。広沢はそれに応えたというわけだ。
「いや、よかご判断でごわした」
 半次郎はいった。
「許さなんだら、きゃつら、閣下に襲いかかったやもしれもさんし――あれを口実に、ようやく雲井を始末できもした。まこと、閣下のおかげでごわす。雲井に義理を立てながら、そいをもって雲井を絡めとる……見事な手並みにごわした」
「ばかな……」
 広沢はかぶりを振った。
 このあいだ、川路は妙な顔でふたりを見ていた。半次郎の賛辞とも皮肉ともつかない物言いもさることながら、広沢が口では「ばかな」といいつつも、まんざらでもなさそうな顔つきをしていたからだ。しかも、半次郎も薄く笑んでいる。
 ――してみると、桐野どんのいうとおり、閣下は雲井殺しの口実作りのために、あえて雲井の望みを聞いたのか?
 しかし、もしそうだとするとわからないことがある。
 ――では何故、閣下を殺さんけりゃならん?
 広沢の図らいで、明治政府は目の上のたんこぶめいた雲井を文字どおり切除することができた。明治政府の枢要を占める、薩摩の諸先輩方――参議の大久保利通、兵部権大丞の西郷従道さいごうつぐみち、川路の上司にあたる弾正大忠の海江田信義かいえだのぶよしや元上司の吉井友実よしいともざねなど、挙げはじめればきりがない――の溜飲も下がったことだろう。薩人なら誰でも、広沢に対し謝意を抱きこそすれ、殺意を抱く筋合いはない……はずだ。それなのに、何故?
 川路は、別に広沢に同情しているわけではない。日本のためになるのなら、誰であろうと暗殺すべきだと思っている。実際、彼はいままでに何度も、政府要人の命を受けて河畑のような胡乱な者たちに暗殺を依頼してきたし、弾正台大巡察という立場を利用し、事後処理までおこなってきた。
 それでもこうした疑問を覚えずにはいられないのは、単に川路が合理的な性格の持ち主で、上からの指示どおりに斬奸状を書いてなお、いまだに広沢暗殺の必要性を理解できていないからであった。
 川路がそんなことを考えていると、半次郎がふと、思いだしたようにいった。
「そういえば、かつて似たようなこつがありもしたな」
「似たようなこと?」
宮島誠一郎みやじませいいちろうでごわす」
 広沢が鸚鵡返おうむがえしに問いおえるよりはやく、半次郎は答えた。思いだしたように話題に出しておきながら、前もって準備していたような答えぶりだった。
「……そんなこともあったな」
 広沢のほうは、本当に思いだしたように呟いた。

 宮島誠一郎は米沢藩士である。
 戊辰戦争中、新政府は米沢藩や仙台藩などの東北諸藩に、旧幕府の重鎮、松平容保まつだいらかたもりを擁する会津藩の追討を命じた。しかし東北諸藩は、理由はさまざまではあろうが会津藩に同情的で、追討するどころか、逆に赦免の嘆願をおこなったりした。
 そのような中で、宮島は開戦を避けるべく、京や大阪を奔走して新政府の重鎮への直談判を試みたのである。結局、彼の努力は水泡と帰して、いわゆる会津戦争が勃発したのだが――その泡沫うたかたの夢のひとつに、当時参与を務めていた広沢との密談もあったのだった。この密談で広沢は宮島に、東北諸藩間の調停のための方便を授けたという。

「……はて、なにが似ておる?」
 広沢はしばし、時として懐古がもたらすぬるま湯めいた沈黙に身をゆだねていたが、やがて首を捻りながら問うた。川路は内心頷いた。なにが似ているのかまるでわからなかったからだ。
 すると、半次郎は薄笑いを浮かべながらいった。
「閣下とご同郷の木戸閣下は、会津藩の追討に賛成でごわした。にもかかわらず、閣下は宮島に会ってやりもして、のみならずご忠言をたまわった――薩人が忌み嫌う雲井に会ってやりもして、望みを聞いてやったこつと似ておりもす」
 川路はぎょっとした。一体、この男はなにをいいだすのかと思った。嫌み以外の何物でもないではないか。広沢を見れば、やんぬるかな、不審もあらわに眉間に皺を寄せている。
 しかし、半次郎の話には続きがあった。
「……どちらも、きゃつらの思惑とは真逆の仕儀となりもしたこつも、似ておりもすな。宮島が閣下のご忠言を持ちかえったこつで、東北諸藩は大いに揉めたにちがいありもさんし……雲井は死んだ。閣下の手並みは衰えるところを知りもさんな」
 半次郎はそう締めくくると、立ちあがり、一礼した。川路も慌てて倣い、いう。
「で、では、閣下。おいたちはこいにて」
 川路は顔を上げるときに広沢の顔色をうかがってみた。広沢は、例のまんざらでもなさそうな顔つきをしていた。

「どげな心算にごわすか?」
「ここで話すこつではなか」
「そ、そいはそうでごわすが……」
 川路は半次郎の真意を――ひいては、広沢を暗殺しなければならない理由をはかりかね、前をゆく半次郎の背に聞いてみたが、回答は先送りにされた。半次郎の言い分はもっともである。彼らは広沢邸の縁側を歩いている最中だったからだ。ただでさえ声を潜めてするべき暗殺の話を、まさか、暗殺対象の家の中でするわけにはゆかない。そんな当たり前のことにすら考えが及ばないくらい、混乱している川路であった。
「では、場所を変えて――どげんしもしたか?」
 不意に、半次郎が立ち止まる。川路は理由を問いながら、半次郎の肩越しに向こうを見た。月光の波打ち際めいた縁側に、若い女が立っていた。
「もうお帰りになるんですか?」
 月影に青白く照らされた顔や首筋は、夜に溶けそうな灰色の着物に包まれて、ぼうと浮かびあがっている。その中にあってひときわ映える紅い唇が、まとわりつくような音をあげた。
川路はくらっとした。
「はい」
 そのかたわらで、半次郎は淡々という。すると、女――広沢の愛妾あいしょう、福井かねは張りのある唇を尖らせて、
「そうおっしゃらないでくださいましな。いくら殿さまのおいいつけでもね、遠路はるばる来なすったお客様に茶のひとつも出さないままじゃあ女が廃るってものですよ。なんだか難しいお話をされていたようですけど、喉が渇いているんじゃありません? お帰りになる前に、どうぞ一杯、おあがりになってくださいよ……一献だって構わないんですよ」
 とまくしたてると、半次郎の手に自らの手を添えた。かねはさらにいいつのる。
「あたし、薩摩の方々には感謝しているんですよ。おかげでこんな暮らしができるんですもの……ね、桐野さん。少しだけでいいから……」
 あえぐような口ぶりであった。川路は半次郎を妬んだ。自分も薩人だ。自分が先を歩いていれば、あの白くすべすべしていそうな手に愛おしげに触れられるのは自分の手ではなかったか――?
 しかし、川路ののぼせた頭は、すぐに冷えることになった。
「……おはんのような者どものためじゃなか」
 半次郎が吐きすてがちに呟くや、
「生憎、まだ仕事が残っておりもす。そうじゃな、川路どん。では」
 かねの手を振り払って、その横を通りすぎ、さっさと歩いていってしまったからだ。あとに残された川路とかねは、顔を見合わせた。ふたりとも、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
「で、では、おいもこいで……」
 が、置いてゆかれるわけにもいかない。川路はそういうと、後ろ髪を引かれながら半次郎を追いかけた。玄関で追いついたとき、半次郎はすでに草鞋を履きおえていて、引き戸も開けはなっていたが、どうしたことか、またもや立ち止まっていた。
「どげんしもしたか?」
 川路は理由を問いながら、半次郎の肩越しに向こうを見た。月は隠れたか、闇という名のあなぐらめいた軒先に、ふたりの男が立っていた。
「おはんらは……」
 ひとりは、川路の部下の邏卒である。もうひとりは、いまや川路にとって見るだに不吉な予感を禁じえない大兵――明村であった。しかしいま、川路の目には、明村はやけに小さく映った。理由はすぐにわかった。
「おはんら、こげなところでなにをしちょるか」
「桐野どんを待っておりもした……半刻ほど」
「本官は川路大巡察を……四半刻ほど」
 川路が問えば、ふたりは震えながらこう答えた。一月七日――旧暦だから、いまでいえば二月二十五日の夜である。そんな時分に、寒風吹きすさぶ軒先に立たされていれば、凍えて当然だ。
「中で待たせてもらえばよかったんじゃなかか?」
 川路が呆れながらいうと、邏卒が、
「いえ……奥さまが、『あとちょっと』とおっしゃって……忙しそうにしておったものですから、それ以上なにもいえず……」
 と自己憐憫もあらわにいった。そのかたわらで、明村がくしゃみをした。
 川路は困惑した。かねが忙しかったはずがないが――そういえば、何故彼女は、折よく表座敷を辞した自分たちと出くわせたのか? もしや、自分たち――もとい、半次郎が出てくるのを待っていたのか?
 川路がそう思いあたったとき、
「――毒婦めが、調子に乗りおって……調子に乗らせおって」
 半次郎が吐きすてた。その剣幕たるや、いまにも取ってかえしてかねを糾明しそうであったから、川路は慌てて、
「そ、そいで、何用でごわすか?」
 と自分たちを待っていたふたりにいった。
「はっ。本官は、例の殺人事件の報告にまいりました。依然、犯人の手がかりはなく……ついては、現場で次の指示を――」
 邏卒は、知らず犯人の隣でそんなことをいってから半次郎を見た。次に明村が、
「おいは――ここでは障りがありもす。桐野どん、話は道々」
 といって、川路を見て笑った。
「よか。では川路どん、また明日」
 桐野は頷くと、歩きだした。明村もそのあとに従う。
「き、桐野どん!」
 川路は思わず、その背に声をかけた。広沢暗殺の経緯について、まだ聞けていなかったからだ。半次郎と明村は立ち止まり、肩越しに振り向いた。
 しかし、声をかけてから気がついたが、なにも知らぬ邏卒の前でそんな話をできるはずがない。一方の半次郎も、明村から火急の知らせがあるようだ。川路は、今回は諦めざるをえないと知って、代わりに、
「……あまり、仕事を増やしてくれもすな」
 と小声でいった。すると、半次郎は犬歯を剥きだしにして笑いながら、こういった。
「そいは、河畑にいえ……いやさ、おはん自身にいえ」
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