37 / 40
第6章
第6話 Globus Aureus グロブス・アウレウス
しおりを挟む
煌めく球体の中心に、夜が落ちる。
大和テレビの象徴、Globus Aureus(グロブス・アウレウス)。
その中枢ホールは、かつてない一日を終えたばかりだった。
株主総会。
DAO構想の否決。
そして、東堂勝吾の続投劇。
懇親会という名の公式行事は、たった今、幕を下ろした。
報道陣は引き揚げ、背広姿の株主たちも順に姿を消し、残ったのは、選ばれた数人だけ。
ここからは打ち上げだ。
照明が一段階落ちる。
重厚で深紅のソファに、ワインを片手に座るのはエリカチン。
「ようやく、脱がなくていい舞台ね」
真紅のリップで微笑むその横で、アキラがグラスを掲げた。
「さーて、真帆さん! お疲れっしたー! スコア制度とやらの祭りも一区切りっすねぇ」
「アキラ君、皮肉を混ぜるならもう少しオブラートに包んでにしてくれる?」
沢木真帆はグラスに静かに水を注ぎながら、
アキラの空気の読めないテンションを見てそっと目を伏せた。
「金玉の中心で自由を叫ぶ打ち上げ、ってやつですね!」
玲奈が言い放ったその瞬間、Inovexの田中がむせた。
「少し見直して損しました。」
田中が東堂とグラスを重ねた杯をテーブルに置き、メガネをクイとする。
東堂勝吾は、そんな田中の呟きに微笑むとガラスの向こうの湾岸に顔を向け、
グラスのウイスキーをゆっくりと傾けながら闇の合間に煌めく光を眺めた。
笑い声、乾杯、そしてまだ火が消えていない眼差し。
勝者の宴というには少し気だるい、祭りの夜の様なほっとした空気が会場を包んでいた。
エリカチンがグラス片手に笑いながら、隣の玲奈の髪をつまんで揺らす。
「ねえ玲奈ちゃん、今日の髪型、わざと左右でズラしてる? それとも寝癖?」
「え、え? 寝ぐせじゃないです。」
エリカチンの手つきに少し赤面しながら玲奈は問いかけた。
「ていうかエリカチンさん、どこ行ってたんですか!? 総会のギリギリまで全然いなかったし、なんで株なんか持ってるんですか!?」
「んー? 東堂くんと薫にね、口説かれたの。
手伝えって、強引に。まあ、女は押しに弱いのよ、いい男からならなおさらね。
だから昔の知り合いに頼んじゃった。おかげで散々デートさせられたわよ。」
「それって外資の、、」
玲奈がハッと口を塞ぐ、優しい目でそれを見つめるエリカチン。
真帆がじっと東堂を見る、その視線に気づいた東堂が口を開く。
彼女は君を選んだんだ、鐵角の言葉が宙に舞う。
あなたを信頼しているからですよ、東堂はそう返した。
いつかあったやりとり。
東堂はじっと真帆をみつめエリカチンに視線を流す。
「んー鐵角さんのジェラシーだな。」
東堂の視線に揶揄いを察知したエリカチンはワインをグイと空ける。
「ジジババのそういうのは良いよ。
それよりさ、俺ずっと気になってたんだけど。あの紫藤のジジイ、なんでエリカチンにあんなにビビってたん?」
とんでもないことを言うと、真帆と玲奈が目を見合わす。
「ふふ、聞きたい? 二十年前よ、紫藤ちゃんと黒田ちゃん。二人ともカッコよかったわよ?世間をなめて負け知らずだった私に勝てる相手じゃなかったわあ。」
エリカチンは懐かしむようにワイングラスを眺めた。
「でも今度は私が「後出し」だったからね。紫藤ちゃん、目が泳いでたでしょ?」
「おっかね。復讐成功ってやつか。」
アキラが震えた演技で茶化す。
「復讐?あーそうなる?まあそれでもいいけどね、でも復讐なら私逃げてたわよ?」
ずっと黙っていた真帆がエリカチンに聞く。
「それって、愛情ですか?」
「ふふ。感情に名前つけようとするの、東堂くんの悪いクセよ。
真帆ちゃんは真似しなくていいのよ。」
ワイングラスを軽く回しながらエリカチンがはぐらかす。
「ただね、相手が油断してわき腹見せてたから搔きむしった。それだけよ?」
「なるほどねぇ、でも、あの桐生さんは? 俺にもなんかちょっかい掛けてきてたけど、あれ何がしたかったん?」
東堂が静かに口を開く。
「桐生さんは、自分だけの味方だったんだよ」
ウイスキーのグラスが小さく音を立てた。
「アキラに近づいたのも、紫藤さんに寝返ったのも、ぜんぶ保険のつもり、どっちに転んでも得をするように。」
東堂はグラスの中の琥珀を見つめたまま、ことさら静かに続けた。
「想いを伝えることを怠った、いや軽んじた。そういう人だよ彼は」
「へえ、確かになんか薄っぺらかったもんな。でもあのDAOに反対してるときは実はおお?って思ったよ俺。」
アキラがワイングラスを傾けながら言う。
その言葉を聞いて玲奈が目を剝く。
「何言ってんのよ、あんな奴の言うことなんか、」
「正論だからな。」
玲奈の言葉の途中を東堂が挟み込む。
「へ?」
「桐生さんの言うとおりだよ。DAOには穴がある。
分散化?聞こえはいいけど、要するに誰も責任を取らない仕組みだ、そんなもの誰が信用する?」
東堂の視線は、グラスの縁から誰ともなく宙に抜けていた。
「トークンで意思決定?結局、利害で動く奴らの数で決まるだけだ。株主総会と何が違う?
透明性?うちはとっくに、ブロックチェーン抜きでそれをやってる」
玲奈がぽかんと口を開ける。
「じゃあ、なんでそんなの通そうとしたんですか?」
東堂は、ふっと笑った。
「アイコンだよ、理想と言い換えてもいい。掲げる旗は新しくておしゃれな方がいいだろう?」
アキラが頷きながら言う。
「じゃあなんで、桐生さんは議決では結果的には勝ったけど、内容的には負けてたんだ?」
「桐山だよ。」
東堂はそう言って、わずかに首を振った。
「桐生さんの冷たい正しさを桐山の想いが上回った。それだけだ。」
「DAOで言ってた理念と、桐生さんが保持したかった概念。本質的には何も変わらない、なら好感持てる方に肩入れしたい。そんなもんだろう、ま全て紫藤さんに凍らされたけどな。」
「ちゃんと私が解凍してあげたでしょうが。」
エリカチンが笑いながら、東堂の隣のソファに腰を落ち着ける。ワイングラスの中で赤い液体がゆらゆらと揺れた。
ふいに、玲奈が眉をひそめる。
「でも、紫藤さん、大和テレビホールディングスの方の株はまだ持ってますよね?」
「名義はね。でも実権はもう、ウチにあるの。」
エリカチンがさらりと言い切る。玲奈が目を丸くする。
「え? でも株主総会で票を動かせたのって」
「黒田ちゃんが引いたの。薫のスマートシティ構想を止めるってのと引き換えにね。要は紫藤ちゃんも切ったのよ。」
「来なかったのって、それが理由?」
「そう。私が来るだけで十分って、黒田ちゃんが判断したわけ。結果としては正しかったけど」
「鐵角のおっちゃんも圧力に屈したってことだよなあ。カッコ悪。」
アキラがソファに沈み込むようにボヤいた。
その瞬間、扉が開いた。
「誰がカッコ悪いって?」
抑えめな声と共に、鐵角薫が現れる。ネイビーブルーのジャケットを無造作に肩にかけ、首元にはシルバーの細身のタイ。表情は淡々としていたが、その視線には微かに苦笑が混ざっていた。
「おっ、本人登場。話早えな」
アキラが口元を緩める。
鐵角は部屋を一瞥してから、ゆっくりと歩き出す。エリカチンと東堂の間の空いたソファを見つけ、少しだけ視線を逸らして隣の椅子に腰を下ろした。
「それにしても、今日のアキラはやたら正装だったな。中継見てて目を疑ったよ。ジャケット着てるなんて何年ぶりだ?」
「え、俺? まあ、決めるときは決めないとな。多少、ね?」
アキラはグラスを傾けながら軽く笑ってごまかした。
「なるほど、森さんの件か。」
鐵角が口元を緩めると、場がふわりと笑いに包まれた。
「で?」
アキラがグラス越しに鐵角を見やる。
「俺のことはいいけどさ、おっちゃんさ、スマートシティ構想、マジで捨てたん? 黒田の爺ちゃんに負けたん?」
鐵角は少し目を見開き東堂とエリカチンに視線を向ける。
東堂もエリカチンも黙って鐵角を見つめる。
「ふむ、なるほど?そういうことか。」
鐵角がわずかに眉を上げる。
「そうだな、今のところ負けだな。」
「おっちゃん、それでええんか?」
アキラが呆れたようグラスを置く。
「なんだ?アキラ政治に興味でも沸いたのか?」
「ちゃうわ、でもなんかスカッとせんわ。」
アキラが不機嫌そうにスマホを見だす。
「結局、黒田さんの一人勝ちですもんね。」
玲奈もアキラに同調するようにため息を溢す。
打ち上げ会場には忘れていた今日一日の熱気と疲労がどっと圧し掛かるような気だるい空気が広がろうとしていた。
「そんなことないぞ?」
東堂がリモコンで会場の大モニターのスイッチを入れる。
画面にはRePurge特別生放送と題したタイトルロゴとメインキャスターの浅沼蒼一が神妙な顔つきで中央に立っている。
番組が開始すると浅沼が口を開く。
「さて。本日ニュースをお届けするのは、私浅沼と久しぶりの大崎さん、そしてInovex報道部の堀口さんです。堀口さん今日はよろしくお願いします。」
浅沼が堀口を向き礼をする、堀口も浅沼にそしてカメラに向かい礼を返す。
ではひとつめです。
大崎若菜が手元のタブレットをタップする。モニターに切り替わったのはチャットアプリのスクリーンショット。
マジ泣き顔かわいい(笑)録っときゃよかった
笑っている顔。
浅沼が冷ややかに呟く。
「送信者は山田隼人。民自党黒田議員の孫にして、大和テレビ経営企画部長です。」
次に表示されたのは、ある社員の勤怠記録と死亡診断書。
月160時間超の残業。死因、過労性心不全。
「本人は、仕事に耐えられなかっただけと言ったそうです」堀口が補足する。
「え、なにこれ?若菜?なんでRePurgeに。」
突然放送の始まったRePurgeの画面、そこに映る大崎若菜に驚いた玲奈が1歩2歩とモニターに吸い寄せられる。
ふたつめ。
若菜がまた画面を切り替える。今度は振込記録と政治資金報告書のスクリーンショット。
浅沼が淡々と並べる。
「大和メディアホールディングス会長紫藤英治氏からの諸経費700万円が、黒田議員の関連企業に入金されています。」
堀口が笑う。
「諸経費って便利ですよね。何でも入る」
同時に出されたスケジュール表には、“S.KIRYU”の名が。
「桐生さん、この日、黒田グループの会食に同席。件名は「報道統制事前会議」Inovexの透明化ログから拾ったデータです。」
空気が一段、冷える。
みっつめ。
報道統制案、という内部資料。赤字で“confidential”と書かれている。
若菜が読み上げる。「不正関連は報道部門の責任とし、経営判断に基づく部分は除外」
堀口が被せる。
「記者には何も知らせない、視聴者は知らなくていい。紫藤会長の発言です。音声、ありますけど、ここで流します?」
「おいおい、これなんなん?」
アキラが振り返り東堂を見やる。
東堂はグラスを持ったまま立ち上がると、モニターの前に歩み出る。
グラスの中のウイスキーが、揺れる。
「RePurgeの特番だ。詳細は責任者へ。」
「責任者、って。」
「真帆さん?」玲奈が呆けた声を出す。
はあ、とため息を漏らし真帆が話し出す。
「浅沼さんと大崎さんの退職と左遷。堀口さんの取材妨害、それら全ての要因が大和テレビの経営体質が原因だったと言うことです。ほら、見といたほうがいいですよ」
映像はなおも進む。
堀口が、次の資料をタブレットからスワイプする。
今度は、社外秘の音声データ一覧。録音日、録音者、内容、全てがInovexの透明化サーバから抽出されたもの。
「黒田議員の言葉、録音されてます。「報道は黙らせる。あのガキには痛い目見せとけ。」まあ、わかりやすいですね。」
真帆がゆっくり振り返る。
「紫藤さんと黒田さんは終わりです。」
モニターでは浅沼と大崎が堀口の暴露に的確に解説を入れていく。
「あれ?じゃこれで鐵角のおっちゃんのスマートシティまたやんの?」
アキラのと問いかけに鐵角は首を振る。
「いや、行政主体の構想は一度棚上げしたからないくら何でもすぐに再開はできん。」
「ならやっぱ、諦めたんか。ダメ鐵かあ。」
「誰がダメ鐵だ。行政では、と言ったろうが。」
鐵角はグラスを置くと、静かに言葉を継いだ。
「行政じゃない。民間でやる。そのための資金、場所、関係者、全部揃えた。もう始まってるよ。」
アキラが目を丸くする。
鐵角は言葉を続ける。
「終わったのは構想じゃない。方法のほうだ。」
「ま、民間でやるなら誰の許可も要らないしね。」
エリカチンが笑いながらグラスを回す。
「それができるってことは、黒田側に勝ったってことですか?」
玲奈が小さく呟いた。
「勝ち負けじゃない。」
真帆が、モニターを指差す。
「彼らは、自滅したんです。」
画面では、浅沼が語る。
「なお、この一連の情報は、Inovexの透明化プラットフォームを通じて取得されたものです。データは現在、第三者機関によって検証中ですが、我々はこれを証拠とみなして報道を継続します。」
モニターの向こうで、若菜がほんの一瞬、こちらに微笑んだ気がした。
東堂のスマホが震える。
紫藤会長
の文字が振動で揺れている。
「やれやれ。」
東堂は呟くとスマホを耳に当てる。
「おい、東堂、なんのつもりや?」
電話口の紫藤の怒声が、はっきりと聞こえる。
「これ、わしに委ねた情報ちゃうんか?」
東堂は、スマホをスピーカーモードにする。
静かに、全員に声が聞こえるように。
「紫藤、会長。Inovexは大和テレビとは別法人です。
私の管理外ですので、報道内容には関与できません」
「お前、ふざけんな。お前の指示やのうて誰がこんな事、黒田はんまで巻き込んで。」
「巻き込んで?あなた方が渦の中心で周りを振り回してきただけでしょうに。」
東堂は幼子をあやすような声色でスマホに語りかける。
「どこからか情報が漏れたんでしょうね。情報の価値、こそこそ裏でまわすより、余程高まったじゃないですか。透明性が大事ですね。」
「おどれ、覚えとれよ!」
紫藤は怒鳴りながら電話を切る。
それを聞いていたアキラと玲奈は、顔を見合わせて
「こわっ」
ポソリとアキラがつぶやき、玲奈もドン引きの表情で頷いた。
「エリカチンさん、梅干し入れてもおいしいですよ?」
真帆が静かに昆布茶を注ぐ。
「あらほんと美味しいわ、真帆ちゃんが責任者なのにね。」
「私は傀儡です。」
真帆はお茶を啜る。
静けさが戻ったホールに、アキラのぼやき声が落ちる。
「なんかさ。やっぱ好きになれんのよな、あのSILVER BULLETってやつ」
「InovexのAI報道番組? あれ、けっこう評価高いじゃない」
エリカチンが眉を上げる。
「そう、それそれ」
アキラがグラスをくるくる回す。
「情報は速いし、正確やし、突っ込むとこも間違ってない。でも、人間が書いてない気して、なんか気持ち悪いんよな」
玲奈が小さく笑う。
「AIが書いてるからじゃない?」
「せやねん。」
アキラが返す。
「こう真ん中すぎると言うか、なんというか。」
「でも、確かにあれで本当に心に届くんですか?」
玲奈が首を傾げる。
「ニュースに感情はいらない。届くことそれだけが情報だ。」
東堂が玲奈に答える。
「それはつまり」
真帆が言う。
「ニュースと報道の違いね。」
「そう、観測だな」
東堂がグラスを掲げる。
「心は観測されることで初めて形になる。量子的存在だ。観られて、感じられて、そこにようやく意味が生まれる」
「不確定性原理?」
エリカチンが呟く。
「心が量子的、ってそういうことか」
玲奈が呟く。
「誰が、どう見たか。その残像が、私たちを動かす」
東堂が、うっすら笑う。
「お前ら、酒入ると途端に哲学者だな」
「AIにはできないことだよ」
エリカチンが指でグラスの縁をなぞる。
「存在しない物、本来は無価値なものに名前を付けて価値を付与すること。そこに意味を求めること。」
「でもさ」
アキラが口元に手をやりながら言う。
「最近のAIの報道って、どれもすごい!って騒ぐか、ヤバい!って煽るか、極端すぎん?」
「たしかに。銀の弾丸か、終末の兵器かって感じね」
エリカチンが頬杖をつきながら笑った。
「どっちにしても、受け取り手の感性で何とでもなるものなのよ情報なんて。」
「便利なら歓迎、脅威なら潰せってか。わかりやすいな」
鐵角がウイスキーを一口飲んで言った。
「でもさ、AIって、別に分かり合いたいとか思ってないっしょ?」
アキラが眉をひそめる。
「そこがムズムズすんねんな。あいつら、空気読まへんからな。」
鐵角が笑った。
「それ、おまいう。ってやつだな。」
一同がくすっと笑う。
「おっちゃん、無理したらあかんて。」
アキラが呆れたような視線を鐵角に向ける。
「俺らホンマの意味で分かりあうって無理やん?」
「共感のフリってやつ?」
玲奈が目を細めた。
「そ。で、AIはそれせえへん。やから、逆に信用できる気もすんのよな。
最初から心なんて無いです、分かり合えませんって感じが。」
「結局どっちなのよあんた?」
玲奈が静かに言う。
「人は見えないしわからないから、怖いし、惹かれる」
真帆が湯呑を両手で抱えながら言う。
「でも、AIは全部さらけ出してる、つまんないのよね。アキラ君は。」
「ああ、そう!つまらんのよアイツら、てか、あれよな」
アキラが急に言い出す。
「AIの話からズレるんやけどさ、幽霊って、めっちゃ人間くさくね?」
「ほう?」
鐵角が興味深そうにグラスを置いた。
「いや、あれって未練とか想いとかが残ってるから出るんたろ?
言うたら、心のバグやん?身体が消えても、感情だけ残ってるっていう」
「それ、残留思念ってやつね」
エリカチンが頷きながら言った。
「場所に染みついた気配みたいなもの。科学じゃ扱いにくいけど、感じる人はいるわ」
「そうそう。んでな、俺思ったんよ」
アキラが指を立てる。
「人間の心ってさ、もしかして負のエネルギーの塊なんちゃう? ポジティブな感情は忘れんの早いけど、恨みとか怒りとか、めっちゃ長持ちするやん?」
「嫉妬とか、ね」
玲奈がボソッと口を挟む。
「要は、物理的にはもう無いはずなのに、そこに何かあると感じてしまう時、そこに量子的な揺らぎが存在している。」
鐵角が静かに言葉を継ぐ。
「その揺らぎを確定するためのカシミール効果と負のエネルギーの増幅効果を連動させる、ええとあれは何と言ったか。昔流行ったよな。」
「井上教授の量子視線干渉仮説、そこら中に引き寄せる穴が開いてるってとんでも仮説ですよ。」
東堂が鐵角に答える。
「ああそれだそれだ。」
鐵角がうんうんと頷く。
東堂が続ける。
「誰もいなければ、そこには何もなかったことになる。でも、誰かが見れば、確かに存在していたことになる」
「ふうん、ってことは」
アキラが真顔で言う。
「幽霊って、見られることで生まれてるんじゃね?」
「それ、めっちゃあり得るわ」
エリカチンが笑う。
「見られたい残留思念と、見たい観測者の欲求が重なって、見えちゃう。」
「見たくなくても見ちゃいますよ?」
玲奈が言う。
「あら?玲奈ちゃんそっちの人?」
「違いますよ、でも見たくもないのに見えちゃう人もいるじゃないですか?」
頼まれてもお金貰ってもそんなのは御免な玲奈は問う。
「混線したアナログ電話みたいなもんなんだろうな。勝手に波長が合ってしまう。」
アナログ電話?と首を傾げる若者組にジーコジーコと擬音付きで鐵角が説明する。
「テレパシーも、そうかもな」
説明しても伝わらない二人を放置して鐵角が続ける。
「人間の意思なんてのは電気信号でしかない、感受性が高いんアンテナなら拾ってしまうこともあるんだろうよ。」
「なるほど、じゃあ俺が玲奈の怒りを感じるのもテレパシーのおかげか」
アキラが茶化すように言うと、玲奈が即座に返す。
「違います。顔がうるさいだけです」
「まあ、人間の体は量子コンピューターより演算速度が速いともいわれてますからね、実はそこら中に電波撒き散らかしてるのかもしれませんよ?」
東堂も少し酒が回ったのかいつもより雑学に付き合う。
アキラがふっと肩の力を抜く。
「幽霊でもテレパシーでも、受け取る側がいて初めて成り立つってのは、ちょっと納得やな」
「報道も同じよ」
真帆がぽつりと呟いた。
「私たちが見せたいものじゃなくて、社会が見ようとしているものを掴まないと、意味がないの」
「受け取った情報に意味をつけるのは受け取り手次第。ニュースとはそういう物だ。」
東堂が真帆の言葉に静かに重ねる。
「えーでもさ、RePurgeだって浅沼やんとか大崎ちゃんとかごちゃごちゃ言ってんじゃん?」
「ごちゃごちゃとは何よ!」
玲奈がアキラにじゃれつく。
「子ども扱いしてるのよ。」
エリカチンが即答する。
「皆さんこのニュースはこう見るんですよ、この事件酷いでしょ?みんなで怒りましょうね!ってね。」
「そんな言い方、酷いです。エリカチンさん。」
玲奈がショックを受けた顔でエリカチンを見る。
「ああ、ごめんね玲奈ちゃん。でもね、それは受け取り手、つまり視聴者の責任でもあるのよ。ニュースの見方、物事への感想の持ち方。そんなのをお箸の持ち方教えるみたいに過保護に教えてくる報道に楽でいいわあ、って甘えちゃったんだから。」
「だからただ情報を垂れ流すAI報道なのよ。そこになんの思想もない、忖度もない。ただただ延々と伝えるだけ、判断は丸投げする報道。」
真帆が微笑む。
「そこに怒りも、優しさもないけどね」
「その為のRePurgeや手を繋ぐですよ!」
玲奈がフンスと立ち上がる。
「そうだな、何が正しいと言うこともない。ただ、選択肢はあっていい。それだけだ。」
東堂が静かに玲奈を肯定する。
グラスの氷が、カランと音を立てた。
誰もすぐには口を開かない。
話題は尽きたはずなのに、沈黙はどこか心地よい。
まるで、ひとつの真理を分け合ったような、そんな気配が場を包んでいた。
東堂が、ソファにもたれかかりながら天井を見上げる。
「ま、全部を見通せる目なんてない。だからこそ、俺たちは観測し続けなきゃならないんだろうな。」
ぽつりと呟いたその言葉に、誰もツッコミは入れなかった。
照明がわずかに落ちる。
モニターの光だけが、静かに揺れていた。
深夜のグロブス・アウレウス。
煌めく球体の内部に、ほんの一瞬、宇宙の深層が覗いた気がした。
それは科学でも、哲学でも、あるいはただの酔いの幻でもよかった。
少なくともこの夜、誰もがほんの少しだけ世界の見方を変えた。かもしれない。
大和テレビの象徴、Globus Aureus(グロブス・アウレウス)。
その中枢ホールは、かつてない一日を終えたばかりだった。
株主総会。
DAO構想の否決。
そして、東堂勝吾の続投劇。
懇親会という名の公式行事は、たった今、幕を下ろした。
報道陣は引き揚げ、背広姿の株主たちも順に姿を消し、残ったのは、選ばれた数人だけ。
ここからは打ち上げだ。
照明が一段階落ちる。
重厚で深紅のソファに、ワインを片手に座るのはエリカチン。
「ようやく、脱がなくていい舞台ね」
真紅のリップで微笑むその横で、アキラがグラスを掲げた。
「さーて、真帆さん! お疲れっしたー! スコア制度とやらの祭りも一区切りっすねぇ」
「アキラ君、皮肉を混ぜるならもう少しオブラートに包んでにしてくれる?」
沢木真帆はグラスに静かに水を注ぎながら、
アキラの空気の読めないテンションを見てそっと目を伏せた。
「金玉の中心で自由を叫ぶ打ち上げ、ってやつですね!」
玲奈が言い放ったその瞬間、Inovexの田中がむせた。
「少し見直して損しました。」
田中が東堂とグラスを重ねた杯をテーブルに置き、メガネをクイとする。
東堂勝吾は、そんな田中の呟きに微笑むとガラスの向こうの湾岸に顔を向け、
グラスのウイスキーをゆっくりと傾けながら闇の合間に煌めく光を眺めた。
笑い声、乾杯、そしてまだ火が消えていない眼差し。
勝者の宴というには少し気だるい、祭りの夜の様なほっとした空気が会場を包んでいた。
エリカチンがグラス片手に笑いながら、隣の玲奈の髪をつまんで揺らす。
「ねえ玲奈ちゃん、今日の髪型、わざと左右でズラしてる? それとも寝癖?」
「え、え? 寝ぐせじゃないです。」
エリカチンの手つきに少し赤面しながら玲奈は問いかけた。
「ていうかエリカチンさん、どこ行ってたんですか!? 総会のギリギリまで全然いなかったし、なんで株なんか持ってるんですか!?」
「んー? 東堂くんと薫にね、口説かれたの。
手伝えって、強引に。まあ、女は押しに弱いのよ、いい男からならなおさらね。
だから昔の知り合いに頼んじゃった。おかげで散々デートさせられたわよ。」
「それって外資の、、」
玲奈がハッと口を塞ぐ、優しい目でそれを見つめるエリカチン。
真帆がじっと東堂を見る、その視線に気づいた東堂が口を開く。
彼女は君を選んだんだ、鐵角の言葉が宙に舞う。
あなたを信頼しているからですよ、東堂はそう返した。
いつかあったやりとり。
東堂はじっと真帆をみつめエリカチンに視線を流す。
「んー鐵角さんのジェラシーだな。」
東堂の視線に揶揄いを察知したエリカチンはワインをグイと空ける。
「ジジババのそういうのは良いよ。
それよりさ、俺ずっと気になってたんだけど。あの紫藤のジジイ、なんでエリカチンにあんなにビビってたん?」
とんでもないことを言うと、真帆と玲奈が目を見合わす。
「ふふ、聞きたい? 二十年前よ、紫藤ちゃんと黒田ちゃん。二人ともカッコよかったわよ?世間をなめて負け知らずだった私に勝てる相手じゃなかったわあ。」
エリカチンは懐かしむようにワイングラスを眺めた。
「でも今度は私が「後出し」だったからね。紫藤ちゃん、目が泳いでたでしょ?」
「おっかね。復讐成功ってやつか。」
アキラが震えた演技で茶化す。
「復讐?あーそうなる?まあそれでもいいけどね、でも復讐なら私逃げてたわよ?」
ずっと黙っていた真帆がエリカチンに聞く。
「それって、愛情ですか?」
「ふふ。感情に名前つけようとするの、東堂くんの悪いクセよ。
真帆ちゃんは真似しなくていいのよ。」
ワイングラスを軽く回しながらエリカチンがはぐらかす。
「ただね、相手が油断してわき腹見せてたから搔きむしった。それだけよ?」
「なるほどねぇ、でも、あの桐生さんは? 俺にもなんかちょっかい掛けてきてたけど、あれ何がしたかったん?」
東堂が静かに口を開く。
「桐生さんは、自分だけの味方だったんだよ」
ウイスキーのグラスが小さく音を立てた。
「アキラに近づいたのも、紫藤さんに寝返ったのも、ぜんぶ保険のつもり、どっちに転んでも得をするように。」
東堂はグラスの中の琥珀を見つめたまま、ことさら静かに続けた。
「想いを伝えることを怠った、いや軽んじた。そういう人だよ彼は」
「へえ、確かになんか薄っぺらかったもんな。でもあのDAOに反対してるときは実はおお?って思ったよ俺。」
アキラがワイングラスを傾けながら言う。
その言葉を聞いて玲奈が目を剝く。
「何言ってんのよ、あんな奴の言うことなんか、」
「正論だからな。」
玲奈の言葉の途中を東堂が挟み込む。
「へ?」
「桐生さんの言うとおりだよ。DAOには穴がある。
分散化?聞こえはいいけど、要するに誰も責任を取らない仕組みだ、そんなもの誰が信用する?」
東堂の視線は、グラスの縁から誰ともなく宙に抜けていた。
「トークンで意思決定?結局、利害で動く奴らの数で決まるだけだ。株主総会と何が違う?
透明性?うちはとっくに、ブロックチェーン抜きでそれをやってる」
玲奈がぽかんと口を開ける。
「じゃあ、なんでそんなの通そうとしたんですか?」
東堂は、ふっと笑った。
「アイコンだよ、理想と言い換えてもいい。掲げる旗は新しくておしゃれな方がいいだろう?」
アキラが頷きながら言う。
「じゃあなんで、桐生さんは議決では結果的には勝ったけど、内容的には負けてたんだ?」
「桐山だよ。」
東堂はそう言って、わずかに首を振った。
「桐生さんの冷たい正しさを桐山の想いが上回った。それだけだ。」
「DAOで言ってた理念と、桐生さんが保持したかった概念。本質的には何も変わらない、なら好感持てる方に肩入れしたい。そんなもんだろう、ま全て紫藤さんに凍らされたけどな。」
「ちゃんと私が解凍してあげたでしょうが。」
エリカチンが笑いながら、東堂の隣のソファに腰を落ち着ける。ワイングラスの中で赤い液体がゆらゆらと揺れた。
ふいに、玲奈が眉をひそめる。
「でも、紫藤さん、大和テレビホールディングスの方の株はまだ持ってますよね?」
「名義はね。でも実権はもう、ウチにあるの。」
エリカチンがさらりと言い切る。玲奈が目を丸くする。
「え? でも株主総会で票を動かせたのって」
「黒田ちゃんが引いたの。薫のスマートシティ構想を止めるってのと引き換えにね。要は紫藤ちゃんも切ったのよ。」
「来なかったのって、それが理由?」
「そう。私が来るだけで十分って、黒田ちゃんが判断したわけ。結果としては正しかったけど」
「鐵角のおっちゃんも圧力に屈したってことだよなあ。カッコ悪。」
アキラがソファに沈み込むようにボヤいた。
その瞬間、扉が開いた。
「誰がカッコ悪いって?」
抑えめな声と共に、鐵角薫が現れる。ネイビーブルーのジャケットを無造作に肩にかけ、首元にはシルバーの細身のタイ。表情は淡々としていたが、その視線には微かに苦笑が混ざっていた。
「おっ、本人登場。話早えな」
アキラが口元を緩める。
鐵角は部屋を一瞥してから、ゆっくりと歩き出す。エリカチンと東堂の間の空いたソファを見つけ、少しだけ視線を逸らして隣の椅子に腰を下ろした。
「それにしても、今日のアキラはやたら正装だったな。中継見てて目を疑ったよ。ジャケット着てるなんて何年ぶりだ?」
「え、俺? まあ、決めるときは決めないとな。多少、ね?」
アキラはグラスを傾けながら軽く笑ってごまかした。
「なるほど、森さんの件か。」
鐵角が口元を緩めると、場がふわりと笑いに包まれた。
「で?」
アキラがグラス越しに鐵角を見やる。
「俺のことはいいけどさ、おっちゃんさ、スマートシティ構想、マジで捨てたん? 黒田の爺ちゃんに負けたん?」
鐵角は少し目を見開き東堂とエリカチンに視線を向ける。
東堂もエリカチンも黙って鐵角を見つめる。
「ふむ、なるほど?そういうことか。」
鐵角がわずかに眉を上げる。
「そうだな、今のところ負けだな。」
「おっちゃん、それでええんか?」
アキラが呆れたようグラスを置く。
「なんだ?アキラ政治に興味でも沸いたのか?」
「ちゃうわ、でもなんかスカッとせんわ。」
アキラが不機嫌そうにスマホを見だす。
「結局、黒田さんの一人勝ちですもんね。」
玲奈もアキラに同調するようにため息を溢す。
打ち上げ会場には忘れていた今日一日の熱気と疲労がどっと圧し掛かるような気だるい空気が広がろうとしていた。
「そんなことないぞ?」
東堂がリモコンで会場の大モニターのスイッチを入れる。
画面にはRePurge特別生放送と題したタイトルロゴとメインキャスターの浅沼蒼一が神妙な顔つきで中央に立っている。
番組が開始すると浅沼が口を開く。
「さて。本日ニュースをお届けするのは、私浅沼と久しぶりの大崎さん、そしてInovex報道部の堀口さんです。堀口さん今日はよろしくお願いします。」
浅沼が堀口を向き礼をする、堀口も浅沼にそしてカメラに向かい礼を返す。
ではひとつめです。
大崎若菜が手元のタブレットをタップする。モニターに切り替わったのはチャットアプリのスクリーンショット。
マジ泣き顔かわいい(笑)録っときゃよかった
笑っている顔。
浅沼が冷ややかに呟く。
「送信者は山田隼人。民自党黒田議員の孫にして、大和テレビ経営企画部長です。」
次に表示されたのは、ある社員の勤怠記録と死亡診断書。
月160時間超の残業。死因、過労性心不全。
「本人は、仕事に耐えられなかっただけと言ったそうです」堀口が補足する。
「え、なにこれ?若菜?なんでRePurgeに。」
突然放送の始まったRePurgeの画面、そこに映る大崎若菜に驚いた玲奈が1歩2歩とモニターに吸い寄せられる。
ふたつめ。
若菜がまた画面を切り替える。今度は振込記録と政治資金報告書のスクリーンショット。
浅沼が淡々と並べる。
「大和メディアホールディングス会長紫藤英治氏からの諸経費700万円が、黒田議員の関連企業に入金されています。」
堀口が笑う。
「諸経費って便利ですよね。何でも入る」
同時に出されたスケジュール表には、“S.KIRYU”の名が。
「桐生さん、この日、黒田グループの会食に同席。件名は「報道統制事前会議」Inovexの透明化ログから拾ったデータです。」
空気が一段、冷える。
みっつめ。
報道統制案、という内部資料。赤字で“confidential”と書かれている。
若菜が読み上げる。「不正関連は報道部門の責任とし、経営判断に基づく部分は除外」
堀口が被せる。
「記者には何も知らせない、視聴者は知らなくていい。紫藤会長の発言です。音声、ありますけど、ここで流します?」
「おいおい、これなんなん?」
アキラが振り返り東堂を見やる。
東堂はグラスを持ったまま立ち上がると、モニターの前に歩み出る。
グラスの中のウイスキーが、揺れる。
「RePurgeの特番だ。詳細は責任者へ。」
「責任者、って。」
「真帆さん?」玲奈が呆けた声を出す。
はあ、とため息を漏らし真帆が話し出す。
「浅沼さんと大崎さんの退職と左遷。堀口さんの取材妨害、それら全ての要因が大和テレビの経営体質が原因だったと言うことです。ほら、見といたほうがいいですよ」
映像はなおも進む。
堀口が、次の資料をタブレットからスワイプする。
今度は、社外秘の音声データ一覧。録音日、録音者、内容、全てがInovexの透明化サーバから抽出されたもの。
「黒田議員の言葉、録音されてます。「報道は黙らせる。あのガキには痛い目見せとけ。」まあ、わかりやすいですね。」
真帆がゆっくり振り返る。
「紫藤さんと黒田さんは終わりです。」
モニターでは浅沼と大崎が堀口の暴露に的確に解説を入れていく。
「あれ?じゃこれで鐵角のおっちゃんのスマートシティまたやんの?」
アキラのと問いかけに鐵角は首を振る。
「いや、行政主体の構想は一度棚上げしたからないくら何でもすぐに再開はできん。」
「ならやっぱ、諦めたんか。ダメ鐵かあ。」
「誰がダメ鐵だ。行政では、と言ったろうが。」
鐵角はグラスを置くと、静かに言葉を継いだ。
「行政じゃない。民間でやる。そのための資金、場所、関係者、全部揃えた。もう始まってるよ。」
アキラが目を丸くする。
鐵角は言葉を続ける。
「終わったのは構想じゃない。方法のほうだ。」
「ま、民間でやるなら誰の許可も要らないしね。」
エリカチンが笑いながらグラスを回す。
「それができるってことは、黒田側に勝ったってことですか?」
玲奈が小さく呟いた。
「勝ち負けじゃない。」
真帆が、モニターを指差す。
「彼らは、自滅したんです。」
画面では、浅沼が語る。
「なお、この一連の情報は、Inovexの透明化プラットフォームを通じて取得されたものです。データは現在、第三者機関によって検証中ですが、我々はこれを証拠とみなして報道を継続します。」
モニターの向こうで、若菜がほんの一瞬、こちらに微笑んだ気がした。
東堂のスマホが震える。
紫藤会長
の文字が振動で揺れている。
「やれやれ。」
東堂は呟くとスマホを耳に当てる。
「おい、東堂、なんのつもりや?」
電話口の紫藤の怒声が、はっきりと聞こえる。
「これ、わしに委ねた情報ちゃうんか?」
東堂は、スマホをスピーカーモードにする。
静かに、全員に声が聞こえるように。
「紫藤、会長。Inovexは大和テレビとは別法人です。
私の管理外ですので、報道内容には関与できません」
「お前、ふざけんな。お前の指示やのうて誰がこんな事、黒田はんまで巻き込んで。」
「巻き込んで?あなた方が渦の中心で周りを振り回してきただけでしょうに。」
東堂は幼子をあやすような声色でスマホに語りかける。
「どこからか情報が漏れたんでしょうね。情報の価値、こそこそ裏でまわすより、余程高まったじゃないですか。透明性が大事ですね。」
「おどれ、覚えとれよ!」
紫藤は怒鳴りながら電話を切る。
それを聞いていたアキラと玲奈は、顔を見合わせて
「こわっ」
ポソリとアキラがつぶやき、玲奈もドン引きの表情で頷いた。
「エリカチンさん、梅干し入れてもおいしいですよ?」
真帆が静かに昆布茶を注ぐ。
「あらほんと美味しいわ、真帆ちゃんが責任者なのにね。」
「私は傀儡です。」
真帆はお茶を啜る。
静けさが戻ったホールに、アキラのぼやき声が落ちる。
「なんかさ。やっぱ好きになれんのよな、あのSILVER BULLETってやつ」
「InovexのAI報道番組? あれ、けっこう評価高いじゃない」
エリカチンが眉を上げる。
「そう、それそれ」
アキラがグラスをくるくる回す。
「情報は速いし、正確やし、突っ込むとこも間違ってない。でも、人間が書いてない気して、なんか気持ち悪いんよな」
玲奈が小さく笑う。
「AIが書いてるからじゃない?」
「せやねん。」
アキラが返す。
「こう真ん中すぎると言うか、なんというか。」
「でも、確かにあれで本当に心に届くんですか?」
玲奈が首を傾げる。
「ニュースに感情はいらない。届くことそれだけが情報だ。」
東堂が玲奈に答える。
「それはつまり」
真帆が言う。
「ニュースと報道の違いね。」
「そう、観測だな」
東堂がグラスを掲げる。
「心は観測されることで初めて形になる。量子的存在だ。観られて、感じられて、そこにようやく意味が生まれる」
「不確定性原理?」
エリカチンが呟く。
「心が量子的、ってそういうことか」
玲奈が呟く。
「誰が、どう見たか。その残像が、私たちを動かす」
東堂が、うっすら笑う。
「お前ら、酒入ると途端に哲学者だな」
「AIにはできないことだよ」
エリカチンが指でグラスの縁をなぞる。
「存在しない物、本来は無価値なものに名前を付けて価値を付与すること。そこに意味を求めること。」
「でもさ」
アキラが口元に手をやりながら言う。
「最近のAIの報道って、どれもすごい!って騒ぐか、ヤバい!って煽るか、極端すぎん?」
「たしかに。銀の弾丸か、終末の兵器かって感じね」
エリカチンが頬杖をつきながら笑った。
「どっちにしても、受け取り手の感性で何とでもなるものなのよ情報なんて。」
「便利なら歓迎、脅威なら潰せってか。わかりやすいな」
鐵角がウイスキーを一口飲んで言った。
「でもさ、AIって、別に分かり合いたいとか思ってないっしょ?」
アキラが眉をひそめる。
「そこがムズムズすんねんな。あいつら、空気読まへんからな。」
鐵角が笑った。
「それ、おまいう。ってやつだな。」
一同がくすっと笑う。
「おっちゃん、無理したらあかんて。」
アキラが呆れたような視線を鐵角に向ける。
「俺らホンマの意味で分かりあうって無理やん?」
「共感のフリってやつ?」
玲奈が目を細めた。
「そ。で、AIはそれせえへん。やから、逆に信用できる気もすんのよな。
最初から心なんて無いです、分かり合えませんって感じが。」
「結局どっちなのよあんた?」
玲奈が静かに言う。
「人は見えないしわからないから、怖いし、惹かれる」
真帆が湯呑を両手で抱えながら言う。
「でも、AIは全部さらけ出してる、つまんないのよね。アキラ君は。」
「ああ、そう!つまらんのよアイツら、てか、あれよな」
アキラが急に言い出す。
「AIの話からズレるんやけどさ、幽霊って、めっちゃ人間くさくね?」
「ほう?」
鐵角が興味深そうにグラスを置いた。
「いや、あれって未練とか想いとかが残ってるから出るんたろ?
言うたら、心のバグやん?身体が消えても、感情だけ残ってるっていう」
「それ、残留思念ってやつね」
エリカチンが頷きながら言った。
「場所に染みついた気配みたいなもの。科学じゃ扱いにくいけど、感じる人はいるわ」
「そうそう。んでな、俺思ったんよ」
アキラが指を立てる。
「人間の心ってさ、もしかして負のエネルギーの塊なんちゃう? ポジティブな感情は忘れんの早いけど、恨みとか怒りとか、めっちゃ長持ちするやん?」
「嫉妬とか、ね」
玲奈がボソッと口を挟む。
「要は、物理的にはもう無いはずなのに、そこに何かあると感じてしまう時、そこに量子的な揺らぎが存在している。」
鐵角が静かに言葉を継ぐ。
「その揺らぎを確定するためのカシミール効果と負のエネルギーの増幅効果を連動させる、ええとあれは何と言ったか。昔流行ったよな。」
「井上教授の量子視線干渉仮説、そこら中に引き寄せる穴が開いてるってとんでも仮説ですよ。」
東堂が鐵角に答える。
「ああそれだそれだ。」
鐵角がうんうんと頷く。
東堂が続ける。
「誰もいなければ、そこには何もなかったことになる。でも、誰かが見れば、確かに存在していたことになる」
「ふうん、ってことは」
アキラが真顔で言う。
「幽霊って、見られることで生まれてるんじゃね?」
「それ、めっちゃあり得るわ」
エリカチンが笑う。
「見られたい残留思念と、見たい観測者の欲求が重なって、見えちゃう。」
「見たくなくても見ちゃいますよ?」
玲奈が言う。
「あら?玲奈ちゃんそっちの人?」
「違いますよ、でも見たくもないのに見えちゃう人もいるじゃないですか?」
頼まれてもお金貰ってもそんなのは御免な玲奈は問う。
「混線したアナログ電話みたいなもんなんだろうな。勝手に波長が合ってしまう。」
アナログ電話?と首を傾げる若者組にジーコジーコと擬音付きで鐵角が説明する。
「テレパシーも、そうかもな」
説明しても伝わらない二人を放置して鐵角が続ける。
「人間の意思なんてのは電気信号でしかない、感受性が高いんアンテナなら拾ってしまうこともあるんだろうよ。」
「なるほど、じゃあ俺が玲奈の怒りを感じるのもテレパシーのおかげか」
アキラが茶化すように言うと、玲奈が即座に返す。
「違います。顔がうるさいだけです」
「まあ、人間の体は量子コンピューターより演算速度が速いともいわれてますからね、実はそこら中に電波撒き散らかしてるのかもしれませんよ?」
東堂も少し酒が回ったのかいつもより雑学に付き合う。
アキラがふっと肩の力を抜く。
「幽霊でもテレパシーでも、受け取る側がいて初めて成り立つってのは、ちょっと納得やな」
「報道も同じよ」
真帆がぽつりと呟いた。
「私たちが見せたいものじゃなくて、社会が見ようとしているものを掴まないと、意味がないの」
「受け取った情報に意味をつけるのは受け取り手次第。ニュースとはそういう物だ。」
東堂が真帆の言葉に静かに重ねる。
「えーでもさ、RePurgeだって浅沼やんとか大崎ちゃんとかごちゃごちゃ言ってんじゃん?」
「ごちゃごちゃとは何よ!」
玲奈がアキラにじゃれつく。
「子ども扱いしてるのよ。」
エリカチンが即答する。
「皆さんこのニュースはこう見るんですよ、この事件酷いでしょ?みんなで怒りましょうね!ってね。」
「そんな言い方、酷いです。エリカチンさん。」
玲奈がショックを受けた顔でエリカチンを見る。
「ああ、ごめんね玲奈ちゃん。でもね、それは受け取り手、つまり視聴者の責任でもあるのよ。ニュースの見方、物事への感想の持ち方。そんなのをお箸の持ち方教えるみたいに過保護に教えてくる報道に楽でいいわあ、って甘えちゃったんだから。」
「だからただ情報を垂れ流すAI報道なのよ。そこになんの思想もない、忖度もない。ただただ延々と伝えるだけ、判断は丸投げする報道。」
真帆が微笑む。
「そこに怒りも、優しさもないけどね」
「その為のRePurgeや手を繋ぐですよ!」
玲奈がフンスと立ち上がる。
「そうだな、何が正しいと言うこともない。ただ、選択肢はあっていい。それだけだ。」
東堂が静かに玲奈を肯定する。
グラスの氷が、カランと音を立てた。
誰もすぐには口を開かない。
話題は尽きたはずなのに、沈黙はどこか心地よい。
まるで、ひとつの真理を分け合ったような、そんな気配が場を包んでいた。
東堂が、ソファにもたれかかりながら天井を見上げる。
「ま、全部を見通せる目なんてない。だからこそ、俺たちは観測し続けなきゃならないんだろうな。」
ぽつりと呟いたその言葉に、誰もツッコミは入れなかった。
照明がわずかに落ちる。
モニターの光だけが、静かに揺れていた。
深夜のグロブス・アウレウス。
煌めく球体の内部に、ほんの一瞬、宇宙の深層が覗いた気がした。
それは科学でも、哲学でも、あるいはただの酔いの幻でもよかった。
少なくともこの夜、誰もがほんの少しだけ世界の見方を変えた。かもしれない。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる