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第一章
帰郷
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「杏奈、大丈夫?もう、終わるから。」
カウンターの隅で、ぽつんと座って待っていた。
「うん。」
「今日は、もう上がっていいぞ。」
マスターが、吉行に声をかける。
「でも、まだ掃除が…。」
「トイレ掃除、ずっとやってくれてたしな。いいぞ。彼女、かわいそうだろ。」
杏奈の方を、チラッと見て言った。
「すみません。じゃあ、お言葉に甘えて。大掃除は、めちゃくちゃ頑張ります。」
吉行は、帰り支度をして、杏奈のもとへ急いだ。
「吉行…。」
「マスターが、もう上がっていいって。」
「そう。なんか、悪かったね。」
「大丈夫。気にしないで。帰ろう。」
ふたりが店を出る頃、さすがに人通りはまばらだった。ふたりは、無言で吉行の部屋まで帰った。
「実家に帰るのいつ?」
「明日、帰ろうと思ってた。」
「ついて行こうか?」
「え?」
「自分の実家には帰らないけど、杏奈の親に、神崎のこと説明して、引っ越すんだ。」
「心配かけたくない。言いづらい。」
「でも、こんなこと繰り返してる方がよくないよ。」
杏奈が両親に、DVのことを話したくない気持ちも、分からなくもない。でも、このまま、不安定な状態が続くのもよくない。
「俺じゃ、アパートの保証人になれないし、経済的にも厳しい。やっぱり、まだ親に頼るしかないよ。悔しいけど。」
杏奈は、渋々承諾した。
翌日、吉行と杏奈は、新幹線に乗って、実家のある町へ向かった。小一時間ほどで、目的の駅へ着いた。そこから杏奈や吉行の実家のある町までは、さらに私鉄で、3駅ほど。すごい田舎でも、すごい都会でもない町。なんの特徴もない、どこにでもありそうな町。9ヵ月ぶりに帰ってきた故郷の町は、吉行をすんなり受け入れた。何も変わらない。あの日、ここを出てから。何も変わることなく毎日が過ぎていたようだ。
「吉行は、久しぶりだもんね。何も変わってないでしょ?」
杏奈が遠くを見るような視線で話す。
「うん。変わらないね。」
「ほら、部活の帰りによく寄ったコンビニも、牛丼屋さんも、そのまま。懐かしいね。」
「懐かしい。」
吉行は、帽子を深く被り、下を向いて歩いた。知り合いに会いたくなかった。そんな様子を杏奈が見て、
「ごめん。本当は、来たくなかったよね?」
と、申し訳なさそうに、吉行の顔をのぞき込む。
「大丈夫。」
そう答えつつも、やっぱり知り合いに見られているような気がして、しかたなかった。
「吉行も、私も、何も悪いことしたわけじゃないんだから、堂々としよう。」
杏奈は、精一杯の無理をしていた。
杏奈の実家に着くと、両親が出迎えてくれた。
「お帰り。幸穂ちゃんも、ありがとうね。あら。何か雰囲気変わったね。髪型かな?」
杏奈の両親に、吉行が男になったことは言っていない。吉行の実家からも、そんな話はしないだろう。世間体を気にする吉行の父親が、家族以外に話すなと、緘口令を敷いているのかもしれない。
「お邪魔します。」
「はぁーい。ゆっくりしてってね。」
とりあえず、杏奈の部屋に入る。杏奈が帰って来て、両親は、嬉しそうだ。吉行も実家に帰ったら、喜んで迎えてもらえるだろうか、ふと考えてしまった。
嬉しそうな杏奈の両親に、神崎の話をするのは、気がひける。
「杏奈。俺が、だいたいの説明をするから、大丈夫なようなら、自分の言葉で、伝えて。」
「分かった。」
杏奈は、リビングにいた両親に、声をかけた。
「ちょっと、いいかな。」
「何?」
「あの、大学であったことなんですけど…。」
吉行が、杏奈の両親に、神崎にDVされていたこと。その件は、示談になり、今は何もされないが、どうしても、杏奈が今まで住んでいた部屋では、生活できないこと。引っ越しをしたいこと。
杏奈の両親は、大事な娘をそんな目に合わせた男を訴えると、言ったが、杏奈が、逆恨みが怖いし、騒ぎにしたくないし、もう思い出したくないから、これでいいと、説明した。
「そんな、怖い思いしていたから、お母さん達に、相談してくれたらよかったのに…違うわ、逃げて来たらよかったのよ。」
杏奈の母親が、目に涙を溜めて言った。
「いいの。もう、解決した。ごめん。心配かけて。」
「幸穂ちゃん、ありがとう。杏奈のこと。」
「いいえ。何も力になれなくて…。」
杏奈の両親は、早めに引っ越しができるよう、動いてくれることになった。
「よかったな。」
「ありがとう。」
「俺、幸穂ちゃんだったな。」
吉行が、苦笑いをする。
「うん。でも、何か変だなって、思ってるみたい。」
吉行は、夕方の新幹線でひとり、アパートへ帰る。夜から、バーのバイトがあった。
「本当に、実家に帰らなくていいの?」
「帰らない。」
「そっか。」
杏奈は、なんだか申し訳なさそうな顔だ。
「これ、クリスマスプレゼント。」
小さい包みを渡す。
「これ…。」
吉行が、包みを開けると、シルバーのピアスが出て来た。今度のは、少し装飾が派手だった。
「ハンドメイドの?ありがとう。」
「吉行、ずっと同じのつけてるから。」
「あぁ。気に入ってるから。」
少し違う。杏奈にもらったものを、肌身離さず身につけていたいだけだ。
「たまには、違うのも使ってね。」
「ごめん。俺、何も用意してない。」
「いいよ。吉行は、貧乏だから。」
杏奈は、クスクス笑った。ずっとそんな笑顔でいてほしい。どうか、心の傷が小さくなりますように。祈るような思いで、杏奈を見つめた。
「そろそろ行く。お邪魔しました。」
「駅まで送るよ。」
「いいよ。暗くなるから。家にいなよ。親も喜んでるよ。」
「分かった。じゃあ、年明けに。」
「良いお年を。」
吉行は、杏奈の実家を後にした。
駅までの道のりは、あまり長くはない。同級生の家がある。小さな商店街、公園、図書館。何の特徴もない普通の町。吉行が、育った町だ。
新幹線をホームで待っていると、3歳ぐらいの女の子が、その子の家族と、ベンチに座っていた。今から帰省するのだろうか。女の子が、吉行の顔をじっと見る。吉行が、笑いかけると、照れて隣に座っていた母親らしき人の胸に、顔を押し付けた。新幹線が到着して、吉行が乗り込もうとすると、さっきの女の子が、
「おにいたん、バイバイ。」
と、手を振ってくれた。吉行も、手を振ると、嬉しそうに笑っていた。ふと、あの頃のままだったら、男とか女とか、そんなに意識しない、あの時期のままだったら、どんなにいいか。そんなことは、ありえないけど、あの時期のままいたかったと、強く思わずにはいられなかった。
カウンターの隅で、ぽつんと座って待っていた。
「うん。」
「今日は、もう上がっていいぞ。」
マスターが、吉行に声をかける。
「でも、まだ掃除が…。」
「トイレ掃除、ずっとやってくれてたしな。いいぞ。彼女、かわいそうだろ。」
杏奈の方を、チラッと見て言った。
「すみません。じゃあ、お言葉に甘えて。大掃除は、めちゃくちゃ頑張ります。」
吉行は、帰り支度をして、杏奈のもとへ急いだ。
「吉行…。」
「マスターが、もう上がっていいって。」
「そう。なんか、悪かったね。」
「大丈夫。気にしないで。帰ろう。」
ふたりが店を出る頃、さすがに人通りはまばらだった。ふたりは、無言で吉行の部屋まで帰った。
「実家に帰るのいつ?」
「明日、帰ろうと思ってた。」
「ついて行こうか?」
「え?」
「自分の実家には帰らないけど、杏奈の親に、神崎のこと説明して、引っ越すんだ。」
「心配かけたくない。言いづらい。」
「でも、こんなこと繰り返してる方がよくないよ。」
杏奈が両親に、DVのことを話したくない気持ちも、分からなくもない。でも、このまま、不安定な状態が続くのもよくない。
「俺じゃ、アパートの保証人になれないし、経済的にも厳しい。やっぱり、まだ親に頼るしかないよ。悔しいけど。」
杏奈は、渋々承諾した。
翌日、吉行と杏奈は、新幹線に乗って、実家のある町へ向かった。小一時間ほどで、目的の駅へ着いた。そこから杏奈や吉行の実家のある町までは、さらに私鉄で、3駅ほど。すごい田舎でも、すごい都会でもない町。なんの特徴もない、どこにでもありそうな町。9ヵ月ぶりに帰ってきた故郷の町は、吉行をすんなり受け入れた。何も変わらない。あの日、ここを出てから。何も変わることなく毎日が過ぎていたようだ。
「吉行は、久しぶりだもんね。何も変わってないでしょ?」
杏奈が遠くを見るような視線で話す。
「うん。変わらないね。」
「ほら、部活の帰りによく寄ったコンビニも、牛丼屋さんも、そのまま。懐かしいね。」
「懐かしい。」
吉行は、帽子を深く被り、下を向いて歩いた。知り合いに会いたくなかった。そんな様子を杏奈が見て、
「ごめん。本当は、来たくなかったよね?」
と、申し訳なさそうに、吉行の顔をのぞき込む。
「大丈夫。」
そう答えつつも、やっぱり知り合いに見られているような気がして、しかたなかった。
「吉行も、私も、何も悪いことしたわけじゃないんだから、堂々としよう。」
杏奈は、精一杯の無理をしていた。
杏奈の実家に着くと、両親が出迎えてくれた。
「お帰り。幸穂ちゃんも、ありがとうね。あら。何か雰囲気変わったね。髪型かな?」
杏奈の両親に、吉行が男になったことは言っていない。吉行の実家からも、そんな話はしないだろう。世間体を気にする吉行の父親が、家族以外に話すなと、緘口令を敷いているのかもしれない。
「お邪魔します。」
「はぁーい。ゆっくりしてってね。」
とりあえず、杏奈の部屋に入る。杏奈が帰って来て、両親は、嬉しそうだ。吉行も実家に帰ったら、喜んで迎えてもらえるだろうか、ふと考えてしまった。
嬉しそうな杏奈の両親に、神崎の話をするのは、気がひける。
「杏奈。俺が、だいたいの説明をするから、大丈夫なようなら、自分の言葉で、伝えて。」
「分かった。」
杏奈は、リビングにいた両親に、声をかけた。
「ちょっと、いいかな。」
「何?」
「あの、大学であったことなんですけど…。」
吉行が、杏奈の両親に、神崎にDVされていたこと。その件は、示談になり、今は何もされないが、どうしても、杏奈が今まで住んでいた部屋では、生活できないこと。引っ越しをしたいこと。
杏奈の両親は、大事な娘をそんな目に合わせた男を訴えると、言ったが、杏奈が、逆恨みが怖いし、騒ぎにしたくないし、もう思い出したくないから、これでいいと、説明した。
「そんな、怖い思いしていたから、お母さん達に、相談してくれたらよかったのに…違うわ、逃げて来たらよかったのよ。」
杏奈の母親が、目に涙を溜めて言った。
「いいの。もう、解決した。ごめん。心配かけて。」
「幸穂ちゃん、ありがとう。杏奈のこと。」
「いいえ。何も力になれなくて…。」
杏奈の両親は、早めに引っ越しができるよう、動いてくれることになった。
「よかったな。」
「ありがとう。」
「俺、幸穂ちゃんだったな。」
吉行が、苦笑いをする。
「うん。でも、何か変だなって、思ってるみたい。」
吉行は、夕方の新幹線でひとり、アパートへ帰る。夜から、バーのバイトがあった。
「本当に、実家に帰らなくていいの?」
「帰らない。」
「そっか。」
杏奈は、なんだか申し訳なさそうな顔だ。
「これ、クリスマスプレゼント。」
小さい包みを渡す。
「これ…。」
吉行が、包みを開けると、シルバーのピアスが出て来た。今度のは、少し装飾が派手だった。
「ハンドメイドの?ありがとう。」
「吉行、ずっと同じのつけてるから。」
「あぁ。気に入ってるから。」
少し違う。杏奈にもらったものを、肌身離さず身につけていたいだけだ。
「たまには、違うのも使ってね。」
「ごめん。俺、何も用意してない。」
「いいよ。吉行は、貧乏だから。」
杏奈は、クスクス笑った。ずっとそんな笑顔でいてほしい。どうか、心の傷が小さくなりますように。祈るような思いで、杏奈を見つめた。
「そろそろ行く。お邪魔しました。」
「駅まで送るよ。」
「いいよ。暗くなるから。家にいなよ。親も喜んでるよ。」
「分かった。じゃあ、年明けに。」
「良いお年を。」
吉行は、杏奈の実家を後にした。
駅までの道のりは、あまり長くはない。同級生の家がある。小さな商店街、公園、図書館。何の特徴もない普通の町。吉行が、育った町だ。
新幹線をホームで待っていると、3歳ぐらいの女の子が、その子の家族と、ベンチに座っていた。今から帰省するのだろうか。女の子が、吉行の顔をじっと見る。吉行が、笑いかけると、照れて隣に座っていた母親らしき人の胸に、顔を押し付けた。新幹線が到着して、吉行が乗り込もうとすると、さっきの女の子が、
「おにいたん、バイバイ。」
と、手を振ってくれた。吉行も、手を振ると、嬉しそうに笑っていた。ふと、あの頃のままだったら、男とか女とか、そんなに意識しない、あの時期のままだったら、どんなにいいか。そんなことは、ありえないけど、あの時期のままいたかったと、強く思わずにはいられなかった。
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