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『故郷』フェルデン
02.旅立ちの朝
しおりを挟む大木の枝に生った顔つきのカボチャが、ケタケタと笑い声をあげて熟したのを報せる収穫季。
山のほうから吹き降ろす風に赤色や黄色の葉が舞って、陽が昇る空を目指した。
「じゃあ、行ってくるよ」
腕の長さと同じほどの木の棒と、果物をつめた麻のバッグ。それからベルトに水袋をくくりつけて、ミゲルはすっくと立ちあがる。
「これから寂しくなるな」
旅立ちを前に、嬉々とした様子のミゲル。そんな彼とは対照的に、白髪頭の老爺はそういって苦笑いを浮かべた。
母とその腹のなかにいたミゲルを残して村をでていった白状者の父と、体が弱く産後に死んでしまった母に代わって身寄りのない彼をずっと育ててきたのだ。
血は繋がってなくとも老爺はミゲルのことを本当の子のように想っているし、ミゲルもまた老爺のことを本当の親のように慕っている。
「村長、そんな顔すんなって」
飽きもせず、毎日毎日ミゲルが木の棒で素振りしていたこと。
文句もいわず、畑仕事や家畜の世話を手伝ってくれたこと。
好き嫌いせず、「美味い美味い」と幸せそうな顔で飯を食べてくれたこと。
それらひとつひとつを、老爺は昨日のことのように思いだす。
「都で立派な兵士になって、綺麗な嫁さんもらって、必ず村に帰ってくっから」
見送りにきた村の大人たちもまた、老爺につられて寂しそうな顔をするものだから、ミゲルはそういって小さく笑った。
彼らに気をつかって言いだせずにいたが、十代の多感な時期にミゲルは心の奥底でこの村のことを嫌悪していた。
一緒に遊ぶような同世代の友だちはおらず、大半を爺さん婆さんが占めるような村でやることは畑仕事や家畜の世話の手伝い。
楽しみといえば、表紙にカビの生えた童話の本を読むか、素振りや走りこみの鍛錬くらいのもの。
多感な少年が暇に喘ぎ、一刻も早く村をでたいと望むのも無理はなかった。
「おう、都のべっぴんさん連れて帰ってこいよ!」
「都は亜人族のべっぴんが沢山いんだろ? オイラにも見合いさせてくれよ」
とはいえ、それも十代の半ばまでの話。
今となっては村長である白髪頭の老爺をはじめ、村一丸となって大切に育ててくれた彼らにはどれだけ感謝しても足りないと思っているし、村を離れるのは嬉しさ半分寂しさ半分といったところだろう。
「あんたに嫁ぐ女なんかいないよ、その前に豚みたいな体をなんとかするこったね!」
毎日毎日騒がしくて、今日したことが明日には村中に広まっているようなプライバシーのカケラもない村が、ミゲルは好きだった。
「兵士になって名声をあげりゃ、人間だろうが亜人族だろうがイヤでもついてくるさ」
隣山のてっぺんから顔をだす陽を背にしたミゲルは、木の棒を高く掲げて自慢げに笑う。
「俺とこの魔剣レーヴァテインがあれば、誰にも負けねえからな」
「ミゲル、その本からとってつけた名前、都では人にいうなよ」
「なんでさ、かっこいいじゃん」
「そりゃおめぇ……おめぇが傷つくからだよ」
ミゲル曰く、レーヴァテインというのは彼が読んだ本のなかでメチャクチャ強いおっさんが振るっている剣のことらしい。
物語では決して善良なものではなく、あくまで災いをもたらす魔剣。しかし少年ミゲルの心を射止めたのは、ひと振りで目に見える全てを蹂躙するその無茶苦茶な強さだった。
今となっては物語のなかでどんな扱いのものだったかすらミゲルは覚えておらず、「めっちゃ強い剣」というカッコいい名前を彼は二十年ともにしてきた樫の木の棒に与えたのだ。
「なんだ、意味わかんねぇ」
村の大人の忠告もむなしく、不思議そうに首をかしげたミゲルは多分理解していない。
「いけねぇ、さっさと行かねえと山超える前に陽が暮れちまう。そんじゃあな」
そういってミゲルはくるりと踵を返す。
彼の門出を祝い、そして寂しがる村人たちの声をうけるミゲルの大きな背中は、陽のでている東の方角へ消えてしまった。
*
ピタリと足をとめ、振り返った先に村の姿はない。
それが寂しくもあり、嬉しくもあったミゲル。
「もう、こんなトコまで来ちまったか」
まだ全然進んでもいないというのに、彼の感情は距離と反比例していた。
「でも、俺には夢がある。感傷に浸ってる場合じゃないんだ」
しかし感傷に浸るような距離ではない。
立ち止まったその場所から走って戻れば、すぐに村へたどり着いてしまう。
「これは俺の夢への第一歩」
距離感もわからないほど高ぶった心で踏みだしたその一歩の先に、地面はなかった。
ミゲルのいるそこは、崖の縁。
「あれ?」
踏みだした足を戻すような暇などあるはずもなく、ミゲルの体は崖を勢いよく転がっていく。
頭も、背中も、尻も、体のいたるところを突起した岩や木の根にうちつけながら、ゴロゴロと転がるミゲル。
ぐるぐると回転する視界が、ミゲルから上下左右の感覚を奪い去ったその時、大きく迫りだした岩が見事にジャンプ台となって彼の体を勢いよく空へ放った。
悲鳴を散らしながら空を飛ぶミゲルに森で暮らす小動物たちは驚き、幹のなかへ隠れていく。
崖から放物線を描いて森のなかへと放り投げられたミゲルの体が地面に叩きつけられる寸前、なにかとぶつかった感覚が確かに彼にはあった。
とはいえ、空も地面も分からぬほどグチャグチャになった視界ではなにかを捉えられるはずもない。
「あいててて……」
全身を襲う痛みに悶えながら、起きあがるミゲル。
しかし地面についたはずの彼の右手には、まるで水を掴んだような柔らかく心地よい感覚があった。
額から流れだす血が視界を奪うものだから、ミゲルは柔らかいそれを確かめるように握ってみる。
「あんっ」
可愛らしい喘ぎ声と、甘い香りのする吐息がミゲルの鼻さきをくすぶる。
「もしかして、これ」
額から流れる血を拭ったミゲルが見たのは、自分の下敷きになって気を失っているエルフ族の少女。
そして右手が触れているのは、白と赤のローブのうえからでもわかるほど大きく柔らかい、彼女の胸。どうりで心地よい感触なワケだと納得し、ミゲルは頷きながらも揉み続ける。
冒険初日の朝、ミゲルは『おっぱい』と出会った。
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