16 / 112
第三話 硝子の小鳥。
6
しおりを挟む
「ここだよー」
ハルは自宅二階の張り出し窓から身を乗り出して手を振っている。
危なっかしくて肝を冷やすショウスケたちを尻目に、ハルは慣れたもので、腰から上が見えるまでになっている。その手には硝子のツグミが留まり、陽光をはじいていた。
「ここに飾るんだ。ここならお空も見えるし、風も気持ちいいでしょう? ねぇ、鳥さん。ぴぃ、ぴいー」
ハルはとてもご機嫌だ。少しして、ハルの母の声がすると、彼女は窓辺から姿を消した。
入れ替わりに、通りをやって来るのはコトノハ堂の奥方だ。ゴボウジでうけたお札を大事そうに胸に抱えて、小走りに帰ってきた。
「ああショウさん、おかえり。聞きましたよ、火元に居合わせるなんて大変でしたね」
「耳が早いですね、お母さん。もうそこまで広まっているんですか」
ショウスケはちらりとキョウコを窺うが、特段変わった様子はない。
「日のあるうちに色街ばかりを狙った付け火だなんて、クラサワ初めてのことですよ。それに今朝は刑番所の方々を嘲笑うように、目の前で起きたというではありませんか。どう考えてもおかしな話ですもの。口に戸は立てられないのでしょう」
一体誰がそんな大胆な犯行をしているのか、迷惑極まりないと母のネイは眉をひそめる。
「その噂。怪談……、になりつつあるのはご存知ですか?」
キヌが控えめに口を挟んだ。
彼女によるとこうだ。キヌの生家、紙問屋タナカは隣町に製紙場を持っている。それで自然と隣町の噂も耳に入ってくるのだが、発端は隣町で起きた「焼身自殺」だったという。
クラサワの色街に身売りが決まった娘が、その身を嘆いて自らを焼き殺したそうだ。
「その怨念が……今この街を焼いている、なんて向こうの人には言われ始めているんですって」
「まぁ!! なんと恐ろしい!!」
ネイは厄除けのお札をショウスケに押し付けるように渡すと、店先に厨に仏壇に……と、忙しなく動き始めた。
果たしてそれで御利益は得られるのか、ショウスケは半信半疑である。
茶を飲み終えたキヌは、すっかり長居してしまった無作法を詫びて腰を上げた。そこへ、ハルが戻ってきた。両手に重箱を確と抱えている。
「待って待って、キヌ様。これ! お母ちゃんが持って行ってって!」
ハルが小さな手で重箱の蓋を開ける。茄子や南瓜、大葉の天麩羅に、茗荷の甘酢漬けが添えられている。
「まぁ、美味しそう」
「お昼に食べて! 美味しいんだよ、お母ちゃんの天麩羅」
隣家の前で、ハルの母が深々と頭を下げている。硝子のツグミの礼とのことだが、キヌにしてみたら貰ってくれただけでありがたかったので、かえって気の毒をかけてしまったようだ。
キヌは礼儀正しい娘だ。ハルの母に駆け寄り、負けず劣らずの深いお辞儀をした。
その時、頭を下げ合う二人の足元を、光る何かが通り抜けた。
糸に引かれるようにそれを追いかけた彼女たちの視線は、空へと向かう。近くで見ていたショウスケたちも、無意識に同じように空を見上げた。
そこには空を飛ぶ透明な鳥の姿があった。さんざめく光に目がくらんでいるうちに、飛び去ってしまったが、その場にいた全員があの硝子のツグミであると口を揃えた。
「わたしの鳥さん!!」
ハルが大慌てで、階段を駆け上がる。開け放した窓から、ツグミが逃げたと思ったのだろう。
すぐに、上からハルがにこにこ顔を覗かせた。
「いたよー」
その手には、光を反射して輝くツグミが留まっている。それもそのはずだ。硝子の鳥が、窓から逃げ出すはずもない。
だったら、さっきの光景はなんだ──?
皆、不思議に思わずにはいられなかったが、窓から落ちそうになってはしゃぐハルの危なっかしさに気を取られ、それどころではなかった。
ハルは自宅二階の張り出し窓から身を乗り出して手を振っている。
危なっかしくて肝を冷やすショウスケたちを尻目に、ハルは慣れたもので、腰から上が見えるまでになっている。その手には硝子のツグミが留まり、陽光をはじいていた。
「ここに飾るんだ。ここならお空も見えるし、風も気持ちいいでしょう? ねぇ、鳥さん。ぴぃ、ぴいー」
ハルはとてもご機嫌だ。少しして、ハルの母の声がすると、彼女は窓辺から姿を消した。
入れ替わりに、通りをやって来るのはコトノハ堂の奥方だ。ゴボウジでうけたお札を大事そうに胸に抱えて、小走りに帰ってきた。
「ああショウさん、おかえり。聞きましたよ、火元に居合わせるなんて大変でしたね」
「耳が早いですね、お母さん。もうそこまで広まっているんですか」
ショウスケはちらりとキョウコを窺うが、特段変わった様子はない。
「日のあるうちに色街ばかりを狙った付け火だなんて、クラサワ初めてのことですよ。それに今朝は刑番所の方々を嘲笑うように、目の前で起きたというではありませんか。どう考えてもおかしな話ですもの。口に戸は立てられないのでしょう」
一体誰がそんな大胆な犯行をしているのか、迷惑極まりないと母のネイは眉をひそめる。
「その噂。怪談……、になりつつあるのはご存知ですか?」
キヌが控えめに口を挟んだ。
彼女によるとこうだ。キヌの生家、紙問屋タナカは隣町に製紙場を持っている。それで自然と隣町の噂も耳に入ってくるのだが、発端は隣町で起きた「焼身自殺」だったという。
クラサワの色街に身売りが決まった娘が、その身を嘆いて自らを焼き殺したそうだ。
「その怨念が……今この街を焼いている、なんて向こうの人には言われ始めているんですって」
「まぁ!! なんと恐ろしい!!」
ネイは厄除けのお札をショウスケに押し付けるように渡すと、店先に厨に仏壇に……と、忙しなく動き始めた。
果たしてそれで御利益は得られるのか、ショウスケは半信半疑である。
茶を飲み終えたキヌは、すっかり長居してしまった無作法を詫びて腰を上げた。そこへ、ハルが戻ってきた。両手に重箱を確と抱えている。
「待って待って、キヌ様。これ! お母ちゃんが持って行ってって!」
ハルが小さな手で重箱の蓋を開ける。茄子や南瓜、大葉の天麩羅に、茗荷の甘酢漬けが添えられている。
「まぁ、美味しそう」
「お昼に食べて! 美味しいんだよ、お母ちゃんの天麩羅」
隣家の前で、ハルの母が深々と頭を下げている。硝子のツグミの礼とのことだが、キヌにしてみたら貰ってくれただけでありがたかったので、かえって気の毒をかけてしまったようだ。
キヌは礼儀正しい娘だ。ハルの母に駆け寄り、負けず劣らずの深いお辞儀をした。
その時、頭を下げ合う二人の足元を、光る何かが通り抜けた。
糸に引かれるようにそれを追いかけた彼女たちの視線は、空へと向かう。近くで見ていたショウスケたちも、無意識に同じように空を見上げた。
そこには空を飛ぶ透明な鳥の姿があった。さんざめく光に目がくらんでいるうちに、飛び去ってしまったが、その場にいた全員があの硝子のツグミであると口を揃えた。
「わたしの鳥さん!!」
ハルが大慌てで、階段を駆け上がる。開け放した窓から、ツグミが逃げたと思ったのだろう。
すぐに、上からハルがにこにこ顔を覗かせた。
「いたよー」
その手には、光を反射して輝くツグミが留まっている。それもそのはずだ。硝子の鳥が、窓から逃げ出すはずもない。
だったら、さっきの光景はなんだ──?
皆、不思議に思わずにはいられなかったが、窓から落ちそうになってはしゃぐハルの危なっかしさに気を取られ、それどころではなかった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
0
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる