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バーナー島の朝
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プロローグ
それは、真夜中よりも暗くて寒い明け方だった。
大陸のとある城下町を見下ろす丘。
「制圧準備完了しました」
「うむ。よし、焼き払え」
黒いローブを着た男の声とともに、百騎ほどの騎馬が駆け出した。残ったローブの男の周囲には数騎が従い、騎乗したローブの男と共にゆっくり進む。フードの下に一瞬見えたその表情に凍り付くような瞳。
駆けだした百騎の騎馬隊が向かう先は小国の王城とそれを取り囲む城下町。町中に入ると、騎馬隊は疾走しながら馬上より何かを家々に投げつける。とたんに各所から火柱が発生した。
同時にそこかしこから悲鳴も聞こえだした。
騎馬隊が町中を迂回しながら進み、城門のあたりに到着したころ、ローブの男と数人の供も到着していた。城門には守備隊員らしき姿も見える。
「ここは私がやろう。町の殲滅フェーズに移行せよ」
「はっ」
騎馬隊長らしき男が答え、百騎は町へ散開した。
ローブの男は馬を降り、左右に二人づつ従えて城門へ歩む。従者の四人は、奇妙な鳥の顔を思わせる、クチバシのようなものが付いたヘルメットを被っていた。
「城門を閉ざして守るつもりはないようだな」
守備隊らしき数十人が近づいてくるのを見て、ローブの男は笑ったようだ。
「城の魔法使いどもはすでに逃げ出したように見える」
守備隊長らしき、剣と盾を持ち、全身鎧で武装したひときわ体の大きい男が、しかしローブの男の言葉には答えず、王家の名と自分の名を大声で告げたあとに抜刀して切りかかった。
「遊んでやろう」
守備隊長の剣先を軽くかわしながら、ローブの男は、取り囲むように様子を見守っていた守備隊のうちのひとりを指さした。
「お前でいいだろう」
そう言って何かをつぶやきつつ、守備隊長の第二撃をうしろにかわす。
指さされた男は、左右の手に握っていた剣と盾を地面に落とし、喉元を両手でおさえて一瞬苦しそうにもがいたのち、その場に前のめりに倒れてしまった。動揺しつつも他の隊員が駆け寄ろうとしたとき、ローブの男が口のなかでさらに何かをささやいた。
すると、倒れた男がむくっと起き上がり、落ちていた剣を抜いた。そして、近寄ろうとしていた三人の前に踏み込むと、一呼吸のうちに剣を三回振った。喉を切り裂かれて声も出せずに倒れる三人。一瞬のことで状況が飲み込めずに動きが止まる他の隊員たち。
その勢いのまま、その隊員は守備隊長に切りかかる。その一太刀目をかろうじて盾で受け止める守備隊長。だが、二撃目で握っていた剣を数メートルうしろへ飛ばされ、ほぼ命運が尽きた。
やっと、悲鳴と怒号で混乱しはじめる守備隊員たち。
「では、こういうのはどうだ?」
ローブの男がふたたび口の中で何かつぶやくと、今度はさきほど切り捨てられた三人が首元から血を噴出させながら起き上がり、剣を抜き、城側を向いて構えた。
少しづつ、何が起きているかを理解し始める残った守備隊員たち。何かの力で蘇った元守備隊員たちが次々に襲い掛かり、残った者は絶望する暇も与えてもらえず、ほとんど抵抗もできずに、凶悪な動く屍と化していく。
そのようにして、ローブの男が城門について数分で、手下が四人から数十名に増え、さらに城の中へ進む。
城内はまだ抗戦の構えだ。
「ハハハ、無駄だ諦めろ。おまえたちの生き様にどれだけの価値がある? 価値のある者だけが生き延びるのだ!」
男の声が城内の隅々まで響き渡った。
そして数か月後。
その町と城は新たに完全に綺麗に整備され、そして以前居た住民とまったく異なる住民が、以前あった家と全く異なる家に、外から見る限りでは幸せそうに暮らす場所となっていた。
第1話 バーナー島の朝
春のある晴れた日。
ローレシア大陸の東南端から肉眼で見える位置にある小さな島、バーナー島。
「ほら、おいでよ」
そう言って家から持ってきたニンジンを一匹の野兎にあげようとするのは、十五歳になったばかりのマルヴィナ・メイヤー。朝食前に自分の部屋から抜け出して、村の裏山の藪に囲まれた秘密の場所に来ていた。
野兎たちは地面に穴を掘って住んでいるようで、たいていここに来れば少なくとも一匹は見つかる。
「ほら、もっと近くにおいで」
最近はだいぶ慣れてきたのか、足元近くまで近寄ってくるのだが、まだ体に触れることは出来なさそうだ。
「兎、飼いたいなあ」
一年前にこの島にある王城へ行った時パレードの行進があって、神輿にのった貴族の子どもが膝のうえにこれまた上品そうな兎を抱いているのを見たのだ。
「でもなあ……」
とため息をつく。
この裏山に住む野兎は遠目には可愛く見えるのだが、実際近づいてみるとやや間の抜けた顔をしていて、しかもそもそもあまり人間に慣れそうもない。飼えたところで連れて歩いていてもあまり自慢のできるペットにはなりそうになかった。
兎の餌やりにひととおり満足すると、マルヴィナはいつものように山の頂きへ登った。山頂は高い木々も少なく、全ての方位がよく見えた。
山はそこからすぐ下ったところが遠浅の砂浜になっていて、その先は大きな海が広がっていた。沖合には漁をする小さな船も見える。彼女の鴉の羽を思わせるつやのある豊かな黒髪が海風になびく。
マルヴィナはそこから見える景色がとても好きだった。なぜなら、そこからは東の水平線から昇る朝日も、西の水平線に沈む夕日もどちらも見えるから、というのもある。
「あの海の向こうに、何があるんだろう」
そこに自分の人生を激しく大きく変えてくれる何かが潜んでいるような気がしてならないのだ。そう、全く違う人生、まったく違う生き方。
海の向こうの世界で、そこでマルヴィナは女王で、絢爛で豪華な衣装を着て、宮殿のバルコニーに立ってもの凄い数の民衆の前で歌を歌うのだ。
だから、地図なんかを見せて、この向こうにはこの距離に何があって次に何があって、などと具体的に教えてくれる大人たちを、マルヴィナは嫌いだった。
その時、遠くのほうから声が聞こえたような気がした。
母が呼んでいるような気がする。現実に戻らなければいけない。
家に戻ってくると、すでに朝食が用意されていた。
「マルヴィナ、あなた、朝の屍道のお稽古は済んだの?」
目玉焼きの乗ったパンを頬張りミルクを飲みつつ、うん、と答えるマルヴィナ。実はまだ終わっていなかったが、この後部屋に戻ってやるのだ。
「しっかりお勉強して、ほら、あのお城の宮廷魔術師のお子さん、神童って呼ばれているでしょう、あなたもそういう風になりなさい」
「前から聞きたかったんだけどさ、なんでお母さんは屍道をやらないの?」
茹でた卵を半分かじりながら話すマルヴィナ。
「そうねえ、あなたのお父さんもそうだけど、私もまるっきりゾンビを動かす才能がないのよ。どうやら隔世遺伝、というらしいけど」
おじいちゃんやおばあちゃんは屍道を使えたらしいが、一族の中で全く使えない者もまれではないようだ。
「ふーん、そうなんだ」
「だから、お父さんもお母さんも、神聖屍道士としてあなたが成功することを願っているのよ」
「うん」
と小さく言ったあとに、私もゾンビ苦手なんだよね、と口の中で呟くマルヴィナ。
「ほら、今晩も満月だから、ゾンビ召喚の実地訓練をやるからね」
「えー、あ、そっかあ、いやだなあ……」
今日が満月で、実際に墓地へ行ってゾンビを呼び出す練習があることをすっかり忘れていた。
「お父さん元気にしてるかなあ」
嫌なことを忘れようと、話題を変えるマルヴィナ。
「仕事のほうは順調みたいだけどね」
マルヴィナの父は海を渡った大陸に出稼ぎに出ている。マルヴィナの父自身は屍道は使えないため屍道士ではないが、その知識を使って仕事をしているのだ。
「ところでお母さんさあ、私、なんで小さなころからお使いに行ってたの? 他の子に聞いたらたいていそんな小さいころからやってないって」
その問いに母の顔が明らかに曇る。
「お母さんね、昔から性格が悪くて、あまり空気の読めないことを言うものだから、村のみんなから嫌われてたのよ。あなたも気を付けなさい」
「へー、そうなんだ」
マルヴィナの場合、学校などで特に嫌われている、ということはない。ただ、印象が薄くて存在感がないことを気にしている。
「私、嫌われてはいないかもしれないけど、何のとりえもないからなあ」
「屍道があるじゃないの」
「苦手だし」
将来どうやって生きていこうかな、というマルヴィナのため息に、
「あなたね、自分がまったく取り柄が無かったとしても、他力本願でもなんでもいいから、夢だけは捨ててはいけないよ。自分がどんなに弱くてダメ人間でも、夢を持って挑戦するんだよ」
え、お母さんも夢持ってるの? という問いに、あたりまえよ、と答えるマルヴィナの母。早く学校の支度をしなさい、という母の言葉に、はーいと答えてマルヴィナは自室へ戻った。
部屋に戻ると、家に代々伝わる大きな屍道書を開くマルヴィナ。
毎日少しずつ読みすすめながら、実際に詠唱の練習をした後でわからないところをあらためて読み返してみたりするのだ。
「第一章、屍道の基礎、屍道とは屍術にあらず、屍道士とは屍術士にあらず。屍術とは、悪魔の力を借りて災厄を起こすものである。対して屍道とは、冥界神ニュンケ様の力をお借りして奇跡を起こすものである。すなわち屍道とは神聖なるものであり屍道士たるもの屍道を悪の道に使うことなかれ……」
「つまり、悪いことに使っちゃだめ、ってことでしょ」
少し飽きてきたのでちょっと先のページをめくってみる。
「第三章、屍道のしくみ、屍道とは一般の魔法と根本原理は同様であり、アストラル界の最下層である地獄にましますニュンケ様の選別されたるソウルをその屍体に降ろし、普段から蓄積されたるマナおよびニュンケ様のエネルギーをお借りして屍体を動作させる奇跡である。屍道士たるものゆめゆめその仕組みを忘れるべからず」
「つまり、あまりよくわからないけど、呪文を唱えたときにゾンビが動けばいい、ってことでしょ」
「でも、アストラル界ってどこにあるんだろう? アストラル界からもの凄く強くてかっこいいゾンビが来て、どこかもっと楽しい場所に連れて行ってくれないかなあ」
椅子の背もたれで大きく伸びをしながら想像してみる。
さらに先のページをめくってみた。
「第十三章、屍道究極呪文、大量マナをアーティファクトなどの魔法デバイスに蓄積し、かつ冥界神ニュンケ様のエネルギーをお借りすることで禁断の究極呪文を発動させることが可能となる。その場合、二体の超常屍体にソウルを召喚する。屍道士たるものみだりに使用するべからず」
「へえ、なんか凄そう。だけど、使うのはちょっと恐そうね」
ま、でもこんなの使う場面なんて人生においてそうないだろうな、などと思っていると、居間のほうから母親の声がした。
「マルヴィナ、あなたもう学校行く時間じゃないの?」
「やばい」
慌てて支度を始めるマルヴィナ。退屈な一日の始まりだ。
それは、真夜中よりも暗くて寒い明け方だった。
大陸のとある城下町を見下ろす丘。
「制圧準備完了しました」
「うむ。よし、焼き払え」
黒いローブを着た男の声とともに、百騎ほどの騎馬が駆け出した。残ったローブの男の周囲には数騎が従い、騎乗したローブの男と共にゆっくり進む。フードの下に一瞬見えたその表情に凍り付くような瞳。
駆けだした百騎の騎馬隊が向かう先は小国の王城とそれを取り囲む城下町。町中に入ると、騎馬隊は疾走しながら馬上より何かを家々に投げつける。とたんに各所から火柱が発生した。
同時にそこかしこから悲鳴も聞こえだした。
騎馬隊が町中を迂回しながら進み、城門のあたりに到着したころ、ローブの男と数人の供も到着していた。城門には守備隊員らしき姿も見える。
「ここは私がやろう。町の殲滅フェーズに移行せよ」
「はっ」
騎馬隊長らしき男が答え、百騎は町へ散開した。
ローブの男は馬を降り、左右に二人づつ従えて城門へ歩む。従者の四人は、奇妙な鳥の顔を思わせる、クチバシのようなものが付いたヘルメットを被っていた。
「城門を閉ざして守るつもりはないようだな」
守備隊らしき数十人が近づいてくるのを見て、ローブの男は笑ったようだ。
「城の魔法使いどもはすでに逃げ出したように見える」
守備隊長らしき、剣と盾を持ち、全身鎧で武装したひときわ体の大きい男が、しかしローブの男の言葉には答えず、王家の名と自分の名を大声で告げたあとに抜刀して切りかかった。
「遊んでやろう」
守備隊長の剣先を軽くかわしながら、ローブの男は、取り囲むように様子を見守っていた守備隊のうちのひとりを指さした。
「お前でいいだろう」
そう言って何かをつぶやきつつ、守備隊長の第二撃をうしろにかわす。
指さされた男は、左右の手に握っていた剣と盾を地面に落とし、喉元を両手でおさえて一瞬苦しそうにもがいたのち、その場に前のめりに倒れてしまった。動揺しつつも他の隊員が駆け寄ろうとしたとき、ローブの男が口のなかでさらに何かをささやいた。
すると、倒れた男がむくっと起き上がり、落ちていた剣を抜いた。そして、近寄ろうとしていた三人の前に踏み込むと、一呼吸のうちに剣を三回振った。喉を切り裂かれて声も出せずに倒れる三人。一瞬のことで状況が飲み込めずに動きが止まる他の隊員たち。
その勢いのまま、その隊員は守備隊長に切りかかる。その一太刀目をかろうじて盾で受け止める守備隊長。だが、二撃目で握っていた剣を数メートルうしろへ飛ばされ、ほぼ命運が尽きた。
やっと、悲鳴と怒号で混乱しはじめる守備隊員たち。
「では、こういうのはどうだ?」
ローブの男がふたたび口の中で何かつぶやくと、今度はさきほど切り捨てられた三人が首元から血を噴出させながら起き上がり、剣を抜き、城側を向いて構えた。
少しづつ、何が起きているかを理解し始める残った守備隊員たち。何かの力で蘇った元守備隊員たちが次々に襲い掛かり、残った者は絶望する暇も与えてもらえず、ほとんど抵抗もできずに、凶悪な動く屍と化していく。
そのようにして、ローブの男が城門について数分で、手下が四人から数十名に増え、さらに城の中へ進む。
城内はまだ抗戦の構えだ。
「ハハハ、無駄だ諦めろ。おまえたちの生き様にどれだけの価値がある? 価値のある者だけが生き延びるのだ!」
男の声が城内の隅々まで響き渡った。
そして数か月後。
その町と城は新たに完全に綺麗に整備され、そして以前居た住民とまったく異なる住民が、以前あった家と全く異なる家に、外から見る限りでは幸せそうに暮らす場所となっていた。
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春のある晴れた日。
ローレシア大陸の東南端から肉眼で見える位置にある小さな島、バーナー島。
「ほら、おいでよ」
そう言って家から持ってきたニンジンを一匹の野兎にあげようとするのは、十五歳になったばかりのマルヴィナ・メイヤー。朝食前に自分の部屋から抜け出して、村の裏山の藪に囲まれた秘密の場所に来ていた。
野兎たちは地面に穴を掘って住んでいるようで、たいていここに来れば少なくとも一匹は見つかる。
「ほら、もっと近くにおいで」
最近はだいぶ慣れてきたのか、足元近くまで近寄ってくるのだが、まだ体に触れることは出来なさそうだ。
「兎、飼いたいなあ」
一年前にこの島にある王城へ行った時パレードの行進があって、神輿にのった貴族の子どもが膝のうえにこれまた上品そうな兎を抱いているのを見たのだ。
「でもなあ……」
とため息をつく。
この裏山に住む野兎は遠目には可愛く見えるのだが、実際近づいてみるとやや間の抜けた顔をしていて、しかもそもそもあまり人間に慣れそうもない。飼えたところで連れて歩いていてもあまり自慢のできるペットにはなりそうになかった。
兎の餌やりにひととおり満足すると、マルヴィナはいつものように山の頂きへ登った。山頂は高い木々も少なく、全ての方位がよく見えた。
山はそこからすぐ下ったところが遠浅の砂浜になっていて、その先は大きな海が広がっていた。沖合には漁をする小さな船も見える。彼女の鴉の羽を思わせるつやのある豊かな黒髪が海風になびく。
マルヴィナはそこから見える景色がとても好きだった。なぜなら、そこからは東の水平線から昇る朝日も、西の水平線に沈む夕日もどちらも見えるから、というのもある。
「あの海の向こうに、何があるんだろう」
そこに自分の人生を激しく大きく変えてくれる何かが潜んでいるような気がしてならないのだ。そう、全く違う人生、まったく違う生き方。
海の向こうの世界で、そこでマルヴィナは女王で、絢爛で豪華な衣装を着て、宮殿のバルコニーに立ってもの凄い数の民衆の前で歌を歌うのだ。
だから、地図なんかを見せて、この向こうにはこの距離に何があって次に何があって、などと具体的に教えてくれる大人たちを、マルヴィナは嫌いだった。
その時、遠くのほうから声が聞こえたような気がした。
母が呼んでいるような気がする。現実に戻らなければいけない。
家に戻ってくると、すでに朝食が用意されていた。
「マルヴィナ、あなた、朝の屍道のお稽古は済んだの?」
目玉焼きの乗ったパンを頬張りミルクを飲みつつ、うん、と答えるマルヴィナ。実はまだ終わっていなかったが、この後部屋に戻ってやるのだ。
「しっかりお勉強して、ほら、あのお城の宮廷魔術師のお子さん、神童って呼ばれているでしょう、あなたもそういう風になりなさい」
「前から聞きたかったんだけどさ、なんでお母さんは屍道をやらないの?」
茹でた卵を半分かじりながら話すマルヴィナ。
「そうねえ、あなたのお父さんもそうだけど、私もまるっきりゾンビを動かす才能がないのよ。どうやら隔世遺伝、というらしいけど」
おじいちゃんやおばあちゃんは屍道を使えたらしいが、一族の中で全く使えない者もまれではないようだ。
「ふーん、そうなんだ」
「だから、お父さんもお母さんも、神聖屍道士としてあなたが成功することを願っているのよ」
「うん」
と小さく言ったあとに、私もゾンビ苦手なんだよね、と口の中で呟くマルヴィナ。
「ほら、今晩も満月だから、ゾンビ召喚の実地訓練をやるからね」
「えー、あ、そっかあ、いやだなあ……」
今日が満月で、実際に墓地へ行ってゾンビを呼び出す練習があることをすっかり忘れていた。
「お父さん元気にしてるかなあ」
嫌なことを忘れようと、話題を変えるマルヴィナ。
「仕事のほうは順調みたいだけどね」
マルヴィナの父は海を渡った大陸に出稼ぎに出ている。マルヴィナの父自身は屍道は使えないため屍道士ではないが、その知識を使って仕事をしているのだ。
「ところでお母さんさあ、私、なんで小さなころからお使いに行ってたの? 他の子に聞いたらたいていそんな小さいころからやってないって」
その問いに母の顔が明らかに曇る。
「お母さんね、昔から性格が悪くて、あまり空気の読めないことを言うものだから、村のみんなから嫌われてたのよ。あなたも気を付けなさい」
「へー、そうなんだ」
マルヴィナの場合、学校などで特に嫌われている、ということはない。ただ、印象が薄くて存在感がないことを気にしている。
「私、嫌われてはいないかもしれないけど、何のとりえもないからなあ」
「屍道があるじゃないの」
「苦手だし」
将来どうやって生きていこうかな、というマルヴィナのため息に、
「あなたね、自分がまったく取り柄が無かったとしても、他力本願でもなんでもいいから、夢だけは捨ててはいけないよ。自分がどんなに弱くてダメ人間でも、夢を持って挑戦するんだよ」
え、お母さんも夢持ってるの? という問いに、あたりまえよ、と答えるマルヴィナの母。早く学校の支度をしなさい、という母の言葉に、はーいと答えてマルヴィナは自室へ戻った。
部屋に戻ると、家に代々伝わる大きな屍道書を開くマルヴィナ。
毎日少しずつ読みすすめながら、実際に詠唱の練習をした後でわからないところをあらためて読み返してみたりするのだ。
「第一章、屍道の基礎、屍道とは屍術にあらず、屍道士とは屍術士にあらず。屍術とは、悪魔の力を借りて災厄を起こすものである。対して屍道とは、冥界神ニュンケ様の力をお借りして奇跡を起こすものである。すなわち屍道とは神聖なるものであり屍道士たるもの屍道を悪の道に使うことなかれ……」
「つまり、悪いことに使っちゃだめ、ってことでしょ」
少し飽きてきたのでちょっと先のページをめくってみる。
「第三章、屍道のしくみ、屍道とは一般の魔法と根本原理は同様であり、アストラル界の最下層である地獄にましますニュンケ様の選別されたるソウルをその屍体に降ろし、普段から蓄積されたるマナおよびニュンケ様のエネルギーをお借りして屍体を動作させる奇跡である。屍道士たるものゆめゆめその仕組みを忘れるべからず」
「つまり、あまりよくわからないけど、呪文を唱えたときにゾンビが動けばいい、ってことでしょ」
「でも、アストラル界ってどこにあるんだろう? アストラル界からもの凄く強くてかっこいいゾンビが来て、どこかもっと楽しい場所に連れて行ってくれないかなあ」
椅子の背もたれで大きく伸びをしながら想像してみる。
さらに先のページをめくってみた。
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「へえ、なんか凄そう。だけど、使うのはちょっと恐そうね」
ま、でもこんなの使う場面なんて人生においてそうないだろうな、などと思っていると、居間のほうから母親の声がした。
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