ストーカー竜娘と復讐鬼の王子様 ―今、あなたの後ろにいるの―

逢月 悠希

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第2章『黙した傷の在処、語らぬ想い』

35.砂上の夢

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——音が、消えた。

 誰も、視聴者コメントすらも、何も発せない。
 仕方がないなと言わんばかりに、オスカーが口を開く。

「この流れに乗りな。君ら、いまだに『活動休止』以上の情報出してないじゃん」
(本題は……これだったんだね)

 大御所であるオスカーが、わざわざALIAの深夜番組に顔を出した理由。
 それはラザラスに、現在のジュリアスの状態を話させることだったのだ。

 間違いなく、カミーユ社長のGOサインは既に出ている。
 これも、彼の中では決められた流れだったのだろう。

「……」

 全てを察したのか、ラザラスは顔を上げ、アンジェリアを一瞥する。
 それに対し、意外にも落ち着いた様子の彼女はどこか諦めたように、ぽつりと言葉をこぼす。

「確かに、言うべきではあると思う……社長も、私達に任せてくれてはいるけど、いい加減ちゃんと言って欲しいみたいだし、ね……」

 ラザラスは頷く。
 そして、重い口を静かに開いた。

「そうですね……お話しましょう」

 オスカーは、2人の反応を見て少しだけ苦しげに微笑む。

「うん、それでいい」

 そして、ちらりとコメント欄を一瞥した。
……そこには、何も流れていなかった。

「ちなみにね、俺も事情は聞いてない。視聴者さんと同じ立場で、話を聞かせてもらうよ」
「分かりました」

 少し俯きがちになっていたラザラスは、意を決して顔を上げた。

「アリスは現在、入院中です。それこそ、俺達は何度も彼の病室を訪ねています。
 ですが、話すことはまだ、一度もできていません」

 話すことは、一度もできていない。
 それが意味する事が分からないほど、オスカーは馬鹿ではない。

 そもそも彼は、ある程度ラザラスの解答を予測していたらしい。
 テーブルの上で組んでいた拳を握り締め、極めて落ち着いた様子でオスカーはおもむろに頷いた。

「まあ、予想はしてた。これこそ放送事故な質問になる気がするけれど……一体、何があったの?」

 サングラスの下で、オスカーの黄昏色の瞳が細められる。
 視線を一切合わせないまま、ラザラスは、語り出す。

「通り魔事件です。夜道で一方的に暴力を振るわれたようです。
 アリスは非常に珍しい種族ですから、変に因縁付けられたのではないかと」
「確かに、それはちょっと公にしにくいね……“人身売買”とか、変な噂もあるし。そっち系?」
(変な噂……? ていうかこの人、当たり前みたいに人身売買って言ってる……大丈夫なのかな……?)

 あまりの緊張感からか、先程からラザラスの口調が素に戻っている。
 流石のオスカーも、これには余計なちょっかいは入れる気になれないらしい。
 視聴者の方も同様で、未だにコメントが全く流れない。
 ロゼッタとしては彼が発した「変な噂」という言葉が気になったのだが、今は触れられない。

「いえ……警察の方は、タチの悪い酔っぱらいの仕業だと仰ってました。犯人も逮捕済みです」
(! 嘘だ……テレビだと、そこ掘り下げられるとまずいんだ……いや、もしかして……)

——背後にあるのは、国による隠蔽工作。

 ゆえに、ドラグゼンが何をしようが、国は動かない。
 助けを求める声が聞こえても、助けを求められても……何も、してくれない。
 それどころか、国のトップクラスの人間たちが違法組織と取引を交わしている。
 この国では、汚職が横行している。絶望的な、までに。

(そっか、そうだよね……どう考えたって、ステフィリオンは国の正規組織じゃないんだもん……)

 そうでなければ、圧倒的な戦力差を理解した上で抗い続けるステフィリオンのような存在は現れないはずだ。
 ジュリアスの事件でも隠蔽工作が行われたがために、誰も助けてくれなかったがために、ラザラスは復讐鬼となった。そして……今がある。

「……」

 ラザラスは真相を伏せたまま、言葉を紡ぐ。

「どこかに連れ去られるだとか、そういったことはなかったのですが、あまりにも外傷が酷かったんです。
 恐らく、当たり所が悪かったのでしょう……発見された時には、もう、あらゆることが手遅れでした」

 詳細については、後々ラザラスに聞くしかない。
 そしてオスカーも彼の嘘に気づいている様子ではあったが、これ以上掘り下げようとはしなかった。

「ごめん、不謹慎なこと言うよ」

 そして彼は、流石に躊躇いながらも……口を開く。

「生きては、いるんだよね? 戻ってこれる、その可能性はあるんだよね?」

 一息吐き、ラザラスは右手の甲に左手の爪を立てた。

「生きては、います。最近は、様々な数値が正常値を出すようになりました。
 ただ、アリスはろくに自発呼吸ができない状態で……お察しの通り、意識は、まだ一度も戻っていません……」
(それは……)

——本当に、『生きている』と言い切ってしまって、良いのだろうか。

 ロゼッタは、そう思わずにはいられなかった。
 しかしそれは、ラザラスとアンジェリアにとっては“禁断の問い”なのだろう。

 ラザラスは手の甲に爪を立て、必死に泣くことを堪えている様子であったし、アンジェリアの方は既に涙を見せていて、せめて嗚咽だけは漏らすまいと足掻いている状態だ。

「……。参ったね、思ったより状況がキツかったわ」

 どうやら話を聞いているだけのオスカーも少々堪えてしまったらしい。
 彼とジュリアスは少なからず面識があったのだ。それも無理もない。

「にーちゃんから事前に聞いときゃ、俺もある程度覚悟できたんだけど……そりゃ、TGの2期やらその他もろもろも制作中止ってなるわな」

 恐らくはオスカーが立て直す流れだったのだろうが、彼もあまりにも残酷な事実の発表に、即座に話題を切り替えられずにいるらしい。

 それを察したのだろう。当事者のラザラスが「ふふ」と笑ってみせた。

「確かに状況は辛いのですが……俺は、アリスは絶対に戻ってくるって信じてます。だから、代わりにここにいるんです。
 とはいえ俺が変に慣れてしまう前に、浮きまくりの炎上芸人やってるうちに帰ってきてくれないかなぁと思っています。間男はさっさと退場しなきゃ、駄目でしょう?」

 アリスの復帰と共に、芸能界を引退する。
 ラザラスの決心は、固いようだ。

「……」

 若干、視聴者コメントが動き始めた。
 そしてオスカーも、苦笑する。

「大丈夫だって、君、ユリアちゃんの翻訳係ってとこ以外は基本的に属性被ってないし」

 唐突にアンジェリアが弄られた。
 アンジェリアの涙が止まる。そして視聴者コメントが盛り上がり始めた。
 その様子を見て、オスカーは軽く首を傾げてみせる。

「ていうか、君が一番浮いてるのは容姿だと思うけどね。1人だけ方向性がまるで違うもんね」
「まあ、それはそうですね。俺は最初の方からずっと視聴者やっているのですが……てっきり、アリスはもうちょっとゴツい子だとばかり……」
「うーん、やっと警戒心MAXから契約に持ち込めた子に、外見と不一致な名前付ける嫌がらせしないかな?
……ところでその様子だと、こんな状況になるまではふたりの正体知らなかった感じ?」
「はい。ふたりとも、放送時の声と普段の声にかなり差がありますからね。とはいえ、アリスの方は大概にボロが出てました。
 TGのキサラ役、本人は相当苦しかったんだと思いますが……俺に助け求めた時に『友達が声優で演技に詰んでるから、ちょっとこういうシーンでこういう役演じてみて欲しい』って言われたんですよね」
「それは君が優しいわー、要は、騙されてあげたんでしょ?」
「ふふ、そういうことですね。そんなわけで、声優だろうなってのは分かってましたが、あえて詮索はしませんでした。当時はアニメの類も意図的に見ないようにしていましたね、どこに友人が現れるか分からないんで」
「ほんっと、優しいなー!」
「そもそも論として、長年ファンやってる芸能人が目の前にいるとか普通思わないというか……」
「それもそっか。そういや、カラオケとかいかなかったの? 年代的に好きそうだけど?」
「これでもかと、拒否されましたね……当時の俺はカラオケに何か恨みでもあるのかなって思ってました。そのレベルの拒否だったんで……」
「あっははははっ!」

 話の方向性は完全に『リアンとALIAの出会い』に向いた。
 視聴者コメントには「さらに掘り下げて欲しい」とオスカーに懇願する内容がしばしば流れていたが、オスカーはそれには一切触れずにいる。
 彼は彼で、ALIAにとって命取りになるような情報は流させないように取捨選択しているということか。

(……何か、ラズさんが試されてる気がしなくもないんだよね)

 ジュリアスの容態は、極めて重い。
 だからこそ、今でも復帰が絶望的なのだ。

 しかしそれを視聴者に隠したまま、得体の知れない青年を連れてきて“時間稼ぎ”を続けているのは不誠実なことだ。
 わざわざ深夜放送に顔を出し、ラザラスに事実を語らせたのはきっと、そういった理由なのだろう。
 いくら破天荒おじさんといえども、きっとその辺りのことは弁えているに違いない——彼は大御所。長きに渡って、芸能界の荒波と戦ってきた人物なのだから。

「まー、アリスくん帰ってきてからで良いんだけど。君、うちの事務所こない? 俳優やろうよ」
「へっ!?」
「面白いじゃん? ひとりだけ所属事務所が違うのって……そういう理由でさ、にーちゃんに頂戴って言っても、首を縦に振ってくんないんだわー」
「いやいやいやいや……そんな理由で首を縦に振られたら困ります……」

 ついでに、ラザラス自体がどうもかなり気に入られている様子である。
 視聴者コメント曰く、TGの3話でジュリアスが魅せた演技もそうだが、どうやら昨日の放送直後から検証動画がかなり上がっているらしい。
 ラザラスの護衛騎士テオバルドモノマネの精度がすごいのは視聴者も把握している事実なのだとか。

——視聴者さえも、ラザラスの才能に気づきつつある。

「ま、考えといて? 放送も終わるしね」
「!? も、もうこんな時間か……!」

 オスカーは時計をコンコンと叩き、わざとらしく首を傾げてみせる。
 ラザラスは即座に番組を締める体勢に入った。

「はい、色々とありましたが……本日の『SINFONI:ALIA』。サプライズゲストに俳優オスカーさんをお招きしての特別回となりました。
 俺は全く知らなかったのですが、どうやら他の面々はオスカーさんが来られることを知っていたようで……はい、見事にサプライズされてしまいましたね……」
「もう素だねぇ」
「あはは、もう今日はそのまま終わります……そうですね。アリスの件に関しては、事務所を通じて改めて正式に発表させて頂こうと考えています。
 俺たちも完全に言うタイミングを失っていたので、大変良い機会でした……オスカーさん、本当にありがとうございました」
「……うん、頑張ってね。おれもちょくちょくサプライズしにくるから~」
「それはやめてください……」
「あ、それとリアンくん、【病院行ってね】ってコメントで溢れてるよ」
「そ、そうですね、そのうち……」
「行ってね?」

 どう見ても、行く気がない。
 それを察したオスカーに追及され、ラザラスは顔を背けた。

「あはは……でも、視聴者の皆様に心配して頂けて、本当に嬉しかったです……はい、それでは、ご視聴ありがとうございました。また次回の放送でお会いしましょう!」

 そうして、波乱に満ち溢れ過ぎていた特別回は無事に終了した。
 ラザラスは深くため息を吐き、軽く椅子を引いて立ち上がる。そんな彼の頭を、いつの間にやら背後に移動していたオスカーが、ぽふぽふと叩いた。

「お疲れさん。悪いね、言い辛いこと聞いちゃって」
「いえ、本当に心から、良い機会を与えて頂いたと思っています……ずっと、隠せることではありませんから。言うべきことであったことは、事実です」
「そか。そう言ってくれると、嬉しいね……でも君、本当に病院行きなよ? 傷が残ったらどうすんのさ」
「あはは……」

 ラザラスは特に何か言うわけではなく、愛想笑いを浮かべるだけであった。
 何しろ“傷が残る”に関して言えば、彼は既に手遅れだ——それを見て、オスカーも思うところがあったらしい。

「ねえ」

 相変わらず、軽い話し方だった。
 しかし、その顔は真剣そのものであった。

「俺は本気で言ってるからね。本気で、君を売り出す気でいるよ。
 俺の勘が、君はとんでもない逸材だって言ってる……流石にちょっとは、自覚あるでしょ?」
「やめておくべきだと思いますよ。俺は……」

……憧れの人にここまで言われて、嬉しくないわけがない。

 だがラザラスの俳優としての経歴には、消えることのない深い傷が残っている。
 それ以上に、彼自身の身体にも、心にも、深刻な後遺症を残している。だからこそ、そこに触れられすぎるのは、彼の負担にしかならない。
 見かねたアンジェリアは、オスカーの横へと移動した。

「あ、あの、オスカーさん……」

 止めに入ろうとするが、彼女はオスカーの横顔を見て、立ち止まる。代わりに、スタッフに一時退出の指示を出した。

「……」

 一連の流れを見つめていたオスカーは、ほんの少しだけ緊張した面持ちをしていた。言葉を、選んでいる様子だった。
 そうして彼は軽く息を吐き出し、口を開いた。

「多分、“ラザラスくん”って、病院自体が怖いんだね? だから、行けないんだろ?
 そりゃそうだよね。嫌な思い出しかないだろうしね。仕方ないよね……ごめんね」
「……え?」

 ラザラスが抱える事実を、その過去を。
 オスカーは一切知らない——そう、誰もが思っていた。

「……君は、何も悪くないよ」

 彼は、明らかに目の前の青年の正体を確信していた。

「断罪されるべき存在は、君じゃない。昔も、今も……俺の意見は変わらない。
 絶対に、違えない。だから、自分を責めるんじゃないよ」
「なん、で……」
「気づかないとでも思ったかい? もちろん、にーちゃんが漏らしたわけではないよ」

 一体、いつからだろうか。
 オスカーはリアンの正体に、6年前に世間に殺された元俳優志望の青年であるという事実に、明確に気づいていた。

 ラザラスの声が、酷く、震える。

「俺、は……ロジャーどころか、ジュリーのことさえも、助けられなかったんです。
 何年も前のことに、縛られて……引きこもったままで……」
「何があったのかは聞かないけれど、君は引きこもってて当然だと思うけどな。
 もし仮に、そんなことでまた、君を非難する声が出てくるなら。
 俺はもう一度、声を上げる……そうしたのは、一体誰なんだって」

 オスカーが、ラザラスの頭をわしゃわしゃと撫でる……胸の奥まで染み込むような、木の葉の色を変えていく透明な風のような魔力。それを、オスカーの手から感じ取った。

「……ッ、ぅ……」

 ラザラスは崩れるように、床に両膝をつく。
 その様を見て、オスカーは穏やかな笑みを浮かべる。
 ラザラスに見えていようが見えていまいが関係ない。そんな、様子だった。

「俺は、何度だって言い返すよ。おかしいものをおかしいって言って、何が悪いんだい?」
「あ……、あ、ぁ……ッ」

 震える肩を抱き、俯く彼の頭を撫でる。今度は、幼子を撫でるような手つきだった。
 彼はこんなにも優しい振る舞いができるんだな、とロゼッタは思った……そして、気づいた。

『とにかく俺は、あの人に迷惑を掛けるのは、それだけは……絶対に、嫌だ』

 ラザラスが、オスカーに迷惑を掛けることを強く拒んでいたことも、それをアンジェリアが咎めなかったことも、すべて“そういう理由”だったのだ。

(もしかしたら、この人がいなかったら、ラズさんは、もう……)

 クロウの言葉を、思い出す。

『ただな、一応救世主が出てはきたんだ。この国には結構愉快な感じの大御所俳優がいるんだが、そいつが割と早い段階で、しかも茶化すんじゃなく大真面目に『これはおかしいだろ』って言い放ってくれたらしくてな』

 あの日、クロウが言っていた大御所俳優の正体は、オスカー・ドレイクだ。
 身も心も深く傷つき、挙句、社会的に殺され、そのまま居場所を失ってもおかしくはなかった。
 そんな彼が自ら命を絶たなかった、越えてはならない最後の“境界線”を越えなかった——その理由こそが、オスカーの行動だったのだろう。

 世間から後ろ指をさされる青年を守るために、反論の言葉を発する。
 いくら大御所といえども、それは非常に勇気が必要な行動だったはずだ……自身が積み上げてきたキャリアを失う可能性だって、あったはずなのに。しかも、彼にとっては何の利益にもならないというのに。

 それでもオスカーはたった1人の青年を守るために動いてくれた。
 ゆえにラザラスは今、ここにいる。
 彼は生きて、ここまで来ることができた。

(ラズさん……)

 ラザラスが子どものように嗚咽を上げ、泣きじゃくっている。
 包帯やガーゼが意味を無くすほどに、大粒の涙を流し続けている。

 過去のこともそうだが、ジュリアスの件で彼は相当な罪悪感を抱いていたのだろう。
 辛辣な言葉に耐え続け、アンジェリアの傍を離れなかったのはいわば“贖罪”だったのだろう。

 わずかに悲しげな表現を浮かべつつ、オスカーはラザラスの頭を撫でる。

「無理強いする気は無いけど、その気になったら、言ってよ。多分、顔に傷が残ってるんだろうけど、治療費くらいはこっちで負担する。
……だから、君が来るのを、待ってるよ。俺が生きている限りは、ずっとね」

 オスカーが、どこまでラザラスの事情を察しているか。
 それはロゼッタには分からない。

 だが、確かに彼は、ひとりの青年を救ったのだ……一度だけでなく、二度も。

 いつもより小さく、弱々しく見える彼の頭をもう一度撫で、返事も待たずにオスカーはひらひらと手を振って収録部屋を去っていく。

 狭い収録部屋の中で、ラザラスが泣く声が響く。
 アンジェリアが傍に寄ろうが、ロゼッタが声を掛けようが、彼の涙はしばらくの間、止まることを知らなかった。
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