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わたしの泣き虫な番さま~お告げにあった運命の番はまさかの木でした~
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「――ですからして、貴方達が今代の世界樹様、巫女様ということなのです!」
「……は、はあ」
朗々と語る司祭にマリエンヌは、ぼんやりとした返事を返した。
どうやらマリエンヌはお告げにより巫女として選ばれたらしい。
「僕は嫌です」
同じく世界樹として選ばれた少年は、きっぱりと拒否するように鋭い声を発した。
森に囲まれた小国ティルフィアには語り継がれた伝説がある。
親から子へ、子から孫へと口伝されたその、いわばおとぎ話はこの国の信仰につながる話だった――。
むかしむかし、地上は魔物の巣くう不毛の地でした。
神々は人を哀れに思い地上の魔物を1つ残らず集め、天界の聖なる木の一節を手折って地に挿し、その封としました。
枝はみるみるうちに大きな木へと変じ、地に伏した魔物を浄化し、地上は人間の楽園へと変わりました。
神は人間へその木――世界樹を愛し、信仰を捧げるよう言づけました。
しかし、平和な世が続くうちに愚かな人間達の信仰は途絶え、世界樹の力は失われ、魔が復活を遂げようとしていました。
そこに現れたのが救世の巫女。彼女はそのたゆまぬ愛情と信仰を世界樹に注ぎ、してこの国は魔の手から逃れたのです。
「世界樹は巫女に自らの愛を捧げ、巫女の魂が巡るたびにその愛だけを求め、今もまだこの世界を守り続けている――こら、聞いておられますかな」
耳にタコができるほど聞き飽きたそのおとぎ話は、幼い子供に教えを説くための物だ。
――信仰を忘れるなかれ。
敬虔な信徒である母のもとで育ったマリエンヌも、幼い頃から聞かされ続けた物語である。
「納得いきません」
「……はぁ」
少年の言葉に、司祭の重いため息が漏れた。
マリエンヌの弟よりも少し小さい。おそらく10歳くらいだろうとあたりをつけるが、その言動も行動も弟よりしっかりとしているように見えた。
(神殿からのお役目を拒否するなんて)
信仰で成り立っているこの国で、神殿の持つ権力は絶大である。
特にお告げともなれば、神からの言葉に等しい。
ただ、マリエンヌは正直なところ、ほんの少しだけ彼がうらやましいと思っていた。
末席ながらも貴族に生まれ、厳しい躾を施されてきた彼女の人生では、こんなにも素直に感情を発露した記憶がない。
周りから望まれるように微笑み、望まれるように敬虔な信徒を演じていた彼女には、ただただ彼がまぶしかった。
思うように本音を言える人生を送ってきた彼が、どこか妬ましかった。
「司祭さま、おとぎ話は分かりましたから、この状況について教えていただけませんか。世界樹様、巫女様とは一体何ですか」
「やや、おとぎ話だと侮ってはなりませんぞ。神殿の奥深く確かにその木はあるのです」
ようやく声を発したマリエンヌに司祭はずいっと身を乗り出してくる。
まるで、ようやく人と話ができると言わんばかりの態勢に、彼女は思わず一歩下がった。
「巫女様は魂に繋がれた運命のつがいです。世界樹様が500年に一度の代替わりの時に現れてその愛を捧げ……はあああああ」
大げさなほどに抑揚をつけて語る司祭は、とうとう感極まったのか最後まで言葉にできないようだった。
傍に控える神官が説明を補足する。
どうやら、こういうことのようだった。
世界樹は500年に一度封印を更新するために新しい枝――少年を必要とする。同時におとぎ話にある巫女の魂を持った少女を求める。
2人の愛でもって封印は成され、新たに500年の平穏をもたらす。
「少年は齢10を数える年に選ばれ、10になるその前の5日で儀式を行い、世界樹様の意識を体内に宿します。巫女様は世界樹様を見守るのがお役目。生涯その愛を世界樹様の傍らで捧げていただきます」
「だから、僕は嫌ですってば」
「なんと罰当たりな! これは崇高なお役目! それに世界樹様の意識がのれば世界は魔の恐怖から解放される!」
「絶対に嫌です」
彼のかたくなな態度に司祭が匙を投げ、天を仰ぎ見た。
「あなた、お名前は?」
隣に並び立つ彼へ問いかけると、その肩がびくりと震えた。
部屋がしんと静まり返る。
司祭がぎょっとした顔をしていた。
「……あれ?」
司祭の視線の先にいる彼の顔を覗き込む。
白く陶器のような滑らかな肌。金の髪が午後の柔らかな光に照らされて輝いている。
長い前髪の隙間から見え隠れする意志の強そうな瞳。
マリエンヌはその整った顔立ちに思わず見とれた。
その緑色の瞳から不意にぼろぼろと涙がこぼれだす。
今度はマリエンヌがぎょっとする番だった。
「……僕は、シルヴァです。」
枯れた声で紡がれたそれは、ティルフィアの古い言葉で『森』を意味する言葉だった。
その日、シルヴァとマリエンヌは同じ部屋をあてがわれた。
役目がある以上屋敷に帰ることはできず、少なくとも世界樹の意識が完全に宿る5日の間神殿に留まらなければならないらしい。
同じ部屋だったのはこれから愛を捧げる者だから、というよりもシルヴァが泣き止まず、マリエンヌからも離れようとしなかったからだ。
「シルヴァ。大丈夫?」
彼は無言でうなずく。このやり取りをもう5回は続けていた。
ただ何も口にせず、ぽろぽろと涙を流す彼へかける言葉が他に見つからなかった。
「――どうしましょう」
シルヴァを連れたまま長椅子へ腰を掛ける。彼もマリエンヌに倣って隣に腰かけた。
「手を、握ってもいい?」
弟が幼い頃、あやすために手を握っていたことを思い出した。
自らの左手を指してみせると、おずおずといった様相で手を握ってくる。
マリエンヌが柔らかなそれをキュッと握り返すと照れくさかったのか、「ふふっ」と声が漏れていた。
顔を覗き込むと、繋いだ手を見ながら微かに笑顔を浮かべている。
「笑ったわね。その方が泣いているよりずっといいわ」
垣間見えた笑顔がふっと消えて、マリエンヌは惜しくなる。
春に花がそっと咲くような彼の笑顔が、もう一度見たくなった。
「あなたは?」
「え? ああ、マリエンヌよ」
繋いだ手と反対の手に、指で綴りを刻む。くすぐったそうに身をよじる彼の顔には、また笑顔が浮かんでいた。
(なんだ、笑えるみたい)
泣き顔しか見ていなかったマリエンヌは、ほっと胸をなでおろした。
愛が何かは一向に分からないけれど、泣き顔よりは笑顔の方が好ましいものだと思う。
「マリエンヌさま。マリエンヌさまは怖くないのですか」
ぎゅっと繋いだ手に力がこもる。
震える声は、彼の恐怖を切に伝えてきて、マリエンヌは視線を落とした。
怖くないはずがない。
司祭の言うつがい。世界樹と巫女の契約はきれいな言葉で飾られているけれど、その本質はただの生贄だ。
それに正直、マリエンヌには愛を捧げるという意味が分からない。
周りに促されるまま信徒を演じていた彼女にとって、愛し愛されることは錬金術の術式よりも難解なものだ。
(本当に運命のつがいなら、普通一目ぼれとかするものじゃないのかな)
自分より小さな彼に抱くのは、愛情ではなくただの庇護欲のような感情だけだった。
巣から落ちた小鳥を見つけた時と何ら変わらない感情だ。
「生涯その全ての愛を世界樹へ捧げなければならない」と神官は言った。
マリエンヌだって年頃の少女である。歌劇で歌われるような恋に焦がれる少女である。
いずれ家で定められた相手との婚姻が待っていたとしても、その相手は彼ではなかったはずだ。
それが権力や地位や財産であっても、相手は何かを持っている人だっただろう。
(愛を知らないまま恋することを諦めて、この子に生涯を捧げる? 私の人生っていったい何なのかしら)
彼女の心残りはただ1つ。恋を知らないことだけだった。
「――僕は怖いんです。世界樹の意識が完全に宿ったとき、そこに僕は残っているのでしょうか」
マリエンヌが考え込んでいると、きゅっと手を握る力が強くなった。
ぽつりとこぼされた言葉は、消え入りそうなほど小さかったのに、マリエンヌの胸を突きさすように響いた。
思わず横を見ると、エメラルドの瞳は泣きだしそうに歪みながら、まっすぐマリエンヌを見ている。
「僕はあなたが好きです。一目見たその時に、好きだと思いました。この思いは僕の物ですか? それとも世界樹の物ですか。あなたがマリエンヌだから恋しく思うのでしょうか。それとも巫女だから愛しいのでしょうか」
その小さな姿からは想像もできないほど、シルヴァは大人びた言葉を並べた。
床に足も届かないような長椅子から勢いをつけて降りると、マリエンヌの前に立つ。
「あなたが座っていなければ、その頬に手も届かないことがこんなにも悔しいのは、何故ですか」
「シ、シルヴァ?」
マリエンヌの両手をその小さな手で握り締めて、シルヴァは言葉を紡いだ。
ゆれて、かすれて、でも切実なその声はマリエンヌの耳によく届いた。
「あなたを見た一目で、僕はあなたに恋をしました。でも、同時にあなたは僕を愛してくれていないことも分かってしまったんです。これから先も愛してくれることはない、ということも。それが悲しくて、それが悲しいことが何よりも僕が世界樹である証拠のような気がして、とても悲しかったんです」
言葉を重ねているうちに、その子供らしい大きな瞳からぽろぽろ絶え間なく涙がこぼれていった。
握り締められた手に降り注いだ涙を拭うこともできずに、マリエンヌは呆然と彼を見つめていた。
見つめることしかできなかった。
「先ほどは泣いてしまってすみませんでした。……でもどうか、マリエンヌさま、お願いです」
マリエンヌの手を握った両手にぐっと力を込めて、彼は祈るように膝をついた。
そのまま両手を額にあてて、もう一度震える声で「お願いします」とつぶやく。
「あなたの人生を5日間だけ僕にください。5日間だけ僕のわがままを聞いてくれませんか。そうしたら僕はもう絶対に泣きませんし、すべての儀式が終わった後、必ずあなたをこの神殿から逃がします」
それは願ってもない提案だった。
5日間彼のわがままを聞くだけでいいのなら、愛が分からない自分でもできる気がした。
「……え、ええ。わかった、わ」
「本当ですか! ありがとうございます!」
シルヴァは本当にうれしそうに笑った。
目の下を腫らしながら、くしゃりと顔を歪めている。
(5日間、5日間だけよ……)
シルヴァの笑顔をさっきはもっと見たいと思っていたのに、なぜか胸の奥がぎゅうっと絞られたように痛んで、思わず視線をそらした。
何か大事なことに気が付いてしまいそうで、それに気が付きたくなくてマリエンヌは無理やりに考えることをやめた。
◇ ◇ ◇
シルヴァの役目は、夜に行われるらしい。
その日の晩、神殿の地下深くへシルヴァと共に案内された。
前を行く神官が、シルヴァの役目を説く。
「今日から5日間、夜は世界樹の中で過ごしていただきます。世界樹様の意識は膨大ですから飲まれないように気をつけて。朝日が昇る前には部屋へ戻れるでしょう」
「……はい」
隣をちらりと盗み見ると、シルヴァの表情は硬かった。役目を前にして緊張しているのだろう。
マリエンヌは歩く彼の背をそっと支えた。見上げる彼が微笑んでいるのを見て、胸をなでおろす。
実感はまだ全然ないけれど、彼が儀式を無事に終えなければこの世界は滅んでしまう。
こんな小さな少年に世界の全てを託さなければいけない状況にマリエンヌは歯噛みした。
やがて最深部へたどり着くと、青白く光る大きな扉が目の前にそびえ立っていた。
その高さはマリエンヌが3人縦に並んでも足りないだろう大きさで、見上げるだけでその荘厳さに圧倒される。
神官は、この扉の向こうに世界樹があるのだと言った。
「さあ、ここから先は枝がおひとりで向かってください。扉に触れれば開く。開ければ、おのずとやらねばならないことが分かるはずです」
シルヴァがそっと一歩前に出る。不安そうに扉を見上げて、決意するように息を吐くと、マリエンヌを振り返った。
「行ってきます。――待っていてくれますか」
「もちろん。誰よりも早くあなたに『おはよう』を言うわ」
マリエンヌが勇気づけるようにそう返すとシルヴァは、ほっとしたようにはにかんだ。
「楽しみにしています」そう告げると、扉に向かいあう。そっと触れただけで彼の背丈の何倍もある扉は音を立てて開いていく。
神官とマリエンヌは、その後姿を平伏して見送った。
明け方、マリエンヌは慣れない温かさで目を覚ました。
いつの間にか帰ったシルヴァが、マリエンヌに抱き着いて眠っている。
少年とはいえ男性がこんな時間に同じ部屋にいること、あまつさえ自らに抱き着いて眠っていることに驚いて、喉がひゅっと鳴る。
思わず腕の中の彼を揺り起こそうとして、あることを思い出した。
自分の前で膝をついて祈るように彼が「5日間だけわがままを聞いてほしい」と言っていたことを。
揺り起こそうとした手で、彼の頭を撫でた。
さらさらなその金の髪を月の光にかざして遊んでいると「……んぅっ」とかすれた声がする。
身じろいだ彼は、その瞳をぱちぱちと瞬かせた。
「おはよう、シルヴァ。まだ早いからもう少しおやすみ」
「……ふふ。おやすみなさい、マリエンヌさま」
胸元に顔を寄せて寝息を立てる彼を、マリエンヌは日が昇るまで見守り続けていた。
それからシルヴァは泣かなくなった。
初めて会ったあの日よりもさらに彼は急激に大人びていった。
それが本来の彼の姿だったのか、世界樹の意識が入り込んだ影響なのかはわからない。
ただ、マリエンヌの心臓には毎日相当な負担がかかっていた。
「マリエンヌさま、今日もお美しいですね。あなたのシルヴァと今日は何をしてくださいますか?」
「マリエンヌさま! 見てください、今日は朝日が綺麗です。中庭に出てみませんか、あなたとお茶がしたいです」
「マリエンヌさま、行ってまいります。今夜もあなたの隣で寝かせてくださいね」
「大好きです、マリエンヌさま」
顔を合わせるたび、砂糖をそのまま舐めたかのような甘いセリフとはにかんだ笑顔が降ってくる。
愛情が何か分からないと斜に構えていたマリエンヌにさえ、彼から与えられる全てが愛情から来るものだとはよく理解できた。
あの日から毎日、シルヴァは夜になるたび世界樹のもとへ通い、マリエンヌは毎朝一番に腕の中にいる彼へ「おはよう」を言った。
扉の向こうで何があったのか聞いてみても、シルヴァは何も答えなかった。はぐらかしてマリエンヌへの愛の言葉をささやく。
その言葉を聞くたびに真っ赤に茹で上がる彼女を見て、満足そうに笑っていた。
2日、3日、毎日ずっと愛の言葉をささやかれて、マリエンヌの心は次第にやわらかくなっていった。
エメラルド色の瞳が脳裏に焼き付いて離れず、マリエンヌは生まれて初めて朝が待ち遠しくなった。
それでもその感情が一体何なのか、彼女はずっと分からないままだった。
5日目の夜、マリエンヌは世界樹のもとへ向かうシルヴァへ話しかけた。
「ねえ、シルヴァ。……どうして私だったのかな」
長い廊下を歩くのは2人だけだった。最終日だというのに神官は共に来ることなく、司祭に至っては初日以降、顔も見ていない。
けれどマリエンヌは、2人で歩くこの廊下がとても心地よかった。他愛のない話をしてもいいし、何も話さずに沈黙の中歩いたっていい。
それでも気まずくならないシルヴァとの距離感が好きだった。
ただ、シルヴァはこの廊下にいる時だけは愛の言葉をささやくことをしなかった。
「どうして私だったのかなあ」
それは紛れもなく彼女の本音だった。
敬虔な信徒ではあるが、それは母親に合わせて演じていただけであって、マリエンヌ自身が望んでそうしていたわけではない。もっと信心深い信徒はいくらでもいる。
周りから期待されるままに演じることが自然なマリエンヌにとって、本音を口にすることは相当勇気が必要なことだった。
けれど、取り繕うことをしない彼のまっすぐさに感化されたのかもしれない。
ごく自然に本音が口をついて出た。
「そうですね。なぜマリエンヌさまだったのでしょう」
いつの間にか2人は扉の前にいた。
不気味なくらいに荘厳な扉を前に、シルヴァは振り返る。
この数日で彼の金の髪はすっかり白く染め上がっていた。世界樹の意識が入り込んだ影響だという。
シルヴァは誰が何と言おうと世界樹の役目をこなしている。それに対して、自分は巫女だというのに何もできていない、とマリエンヌは負い目を感じていた。
(私は本当に巫女なのかな。巫女だったらいいのにな)
マリエンヌは自分が巫女だという証拠がないことに気が付いていた。
シルヴァの様に目に見える変化もなく、やっていることは毎晩の見送り、朝の出迎え、それから愛の言葉をささやいてもらうこと。
彼より何年も多く生きているのに、マリエンヌは無力だった。
それでも彼女はこの数日で、自ら巫女になりたいと思えるようになっていた。
巫女ならば、愛が何なのかまだわからなくても、分かるまでシルヴァのそばにいられる。
「でも、僕はマリエンヌさまに出会えてよかった。本当に大好きなんです」
シルヴァの瞳が愛おしそうに細められる。
マリエンヌはその瞳を見るたびに、胸の奥がぎゅうっと絞られたように痛んで、何も言えなくなってしまう。
「本当は好きだという言葉を受け取ってもらえるだけで満足なんですが――――少ししゃがんでもらえますか」
言われたとおりに膝をつくと、シルヴァがそっと両手でマリエンヌの頬を包む。
彼はおもむろにかがみこみ、微笑みながらそっと額に口づけをした。
ちゅっと音を立てて離れるそれに驚き、思わずマリエンヌは額を抑える。
心臓がドクンドクンと音を立てて今にも口から飛び出してしまいそうだった。
「え、あ、し、シルヴァ?」
「ふふふ、マリエンヌさま真っ赤ですね、かわいいです」
口元に手を当てて笑うその姿はあどけない少年そのものなのに、額に残る感触がそれを忘れさせる。
マリエンヌが顔を赤く染めているのを見ながら、シルヴァは唐突に瞳を伏せた。
2人きりの空間にシルヴァのつぶやきがこだまするように響く。
「どうしてマリエンヌさまだったのでしょう。――どうして僕だったのでしょうね。でも、僕後悔していません。あなたに出会えたから世界樹でもいいと思えたんです。本当に幸せな日々でした。確かに僕の人生で一番、幸せな日々でした」
まるで「もうおしまい」とでもいうような彼の言葉が、マリエンヌには理解できなかった。
「まだ明日もあるよ? その先も……。もし神殿を出ても手紙書くし、たまには顔を見せに来るよ。私の屋敷にも来てくれるでしょ? シルヴァの大好きなケーキを用意するから」
「……そうですね。儀式も今夜で終わりますし、明日はお昼まで寝ちゃいましょうか。マリエンヌさま一緒に寝てくれますか?」
「もちろん! そうだ、お昼に起きて一緒にお誕生日のケーキを焼こう? シルヴァにケーキ全部あげちゃう」
「あはは」と笑いながら扉に向かい合うシルヴァに、マリエンヌは平伏した。いつも見送りの時は神官に言われた通りに平伏している。
ただ、その時はなんだかシルヴァの様子が気になって、顔を上げてしまった。
シルヴァが手を触れて、扉は音を立てて開いていく。
瞬間、どろりとした靄が足元を舐めるように扉の隙間から漏れ出してくるのが見えた。
靄はぞろぞろとうごめいて、シルヴァの足にまとわりつくように這っている。見ただけで胃の奥がひっくり返るような醜悪さだった。
思わず「ひっ」と声をひきつらせると、それに気づいたシルヴァが振り返る。
「――悪いひと。だめですよ、平伏してなくちゃ」
「でも、だって、それ」
「ああ、醜いですよね。魔物が漏れ出しているんです。でも、今夜で終わりますから」
何でもないことのように言う。
その時、初めて『世界樹の意識を身体に宿らせること』が決して綺麗ごとで片づけられるような簡単な儀式ではなかったことに思い至った。
(わ、わたし知らなかった。だってシルヴァは何も……)
シルヴァが扉の向こうでの出来事を何も話そうとしなかった事をマリエンヌは思い出した。
同時にそれは、シルヴァなりの優しさだったことを思い知る。
扉の向こうで行われていることは、マリエンヌの知らない方がいいことだという証拠でもあった。
「あ、ああ……」
「大丈夫ですよ、マリエンヌさま。もう終わることです。あなたが苦しむ必要はないんですよ」
気が付くと、両目から涙があふれていた。
足元に靄を這わせながらもこちらを愛おしそうに見つめる彼が、ぼやけてよく見えなかった。
少しでも彼を見ていたくて、ごしごしと袖で涙をぬぐう。
「行ってきますね、マリエンヌさま」
「――うん、うん。行ってらっしゃい、気を付けて」
彼の後ろ姿へ、今度こそ平伏した。
ぼろぼろと床へこぼれた涙を見ながら、大扉が閉まる音を聞いた。
彼の帰りを待つ最後の夜。
マリエンヌは1人ベッドに潜ると、彼のことを考えていた。
ここ数日のマリエンヌはずっとそうだった。暗いベッドで横になると、彼のことを思い出す。
泣き虫だったシルヴァ。もう泣かないと決めてからずっと大人びていたシルヴァ。
マリエンヌを安心させるように微笑むシルヴァ。つらいことをあの小さな身体に閉じ込めて、マリエンヌへ何も話さなかったシルヴァ。
大好きだと目を細めながら笑いかけてくる、小さなマリアンヌのシルヴァ。
初めて会った日、彼に抱いたのは庇護欲だった。
小さな彼を守ってやるのがマリエンヌに課された役目だったし、事実マリエンヌもそうしなければならないと思っていた。
(でも――)
事実守られていたのは彼女の方だった。
彼はずっとずっと、マリエンヌの心を守ってくれていた。彼がいたから、この誰もが他人に冷たい神殿で笑っていられたのだ。
マリエンヌは恥ずかしくて仕方がなくなった。
巫女だったらいいのに、そうしたら彼のそばにいられる理由になるのに、と彼の心情も考えず話してしまった。
誰よりも世界樹であることを拒んでいた彼に、ひどいことを言ってしまった。
マリエンヌは心に決める。
「明日は、朝一番に私も大好きだって伝えよう。それから、お誕生日おめでとうって伝えよう」
もう神殿から逃がさなくてもいいのだと。もし叶うなら、愛しい貴方のそばにいさせてほしいと伝えてみよう。
腕の中にいる彼へ伝える言葉を想像しながら、ゆっくりと眠りにつく。
――――だけど次の日の朝、彼女は1人で目を覚ました。
◇ ◇ ◇
シルヴァは帰ってこなかった。
1日が過ぎ、2日が過ぎ、3日が過ぎた頃、神殿はシルヴァが死んだのではないかとにわかに慌ただしくなった。
マリエンヌはまるで雑踏の中で一人佇むみたいに、世界に置いていかれた。
周りは騒がしいのに、何だか水の中にいるみたいにぼんやりとして、思考がまとまらない。
それでも、シルヴァの痕跡を追っている時だけが自分を保っていられる唯一の時間になった。
1人で眠るベッドが広くて淋しいからと、毎日シルヴァの服を抱いて眠った。
神殿は代わりの世界樹様を探し出すことに躍起になった。
500年に一度の代替わりの時、何らかの理由で枝が亡くなったとき、お告げにより新しく代わりの枝が決まるらしい。
お告げを得ようと、終日神殿では祈りの言葉が響き渡った。
それも1年過ぎれば誰も祈らなくなった。
お告げもなく、大扉から魔物が漏れ出ることもない。シルヴァは世界樹の中で生きているとされた。
神殿は静まり返り、マリエンヌは忘れられたかのようにただ生きるだけの日々を送っている。
彼と過ごした部屋。彼とお茶を飲んだ中庭。花が咲くように温かい彼の笑顔を探して神殿をさ迷い歩いているうちに、気が狂った者として誰にも話しかけられなくなった。
それでも、あのきらめくエメラルドの瞳と、祈るようにささやかれた言葉、陽だまりのようなあの温かい日々が忘れられない。
毎日、何度も地下の大扉へ向かった。
マリエンヌが手を触れても何も反応を示さない扉へ「シルヴァ、シルヴァ」と声をかけ続ける。
自分が本当に巫女ならば、選ばれた人間ならば、大扉も開くはずだと何度も扉へ手のひらを打ち付ける。
「お願いだから開いて、シルヴァの声を聞かせて」声が枯れても叫び続けた。
ある日、司祭が神官を連れて大扉までやってきた。魔物が漏れ出していないかを定期的に調査しているという。
「シルヴァとはどなたですかな」
耳を疑った。今この時も身を削って魔物を食い止めているだろう彼に対して、曲がりなりにも神殿の長たる者が投げていい言葉ではない。
マリエンヌは、かっと頭に血が上るのを感じた。
彼が帰ってこなくなってから、久しぶりに感じる激情だった。
「なにをおっしゃっている、ん、です? あの扉の向こうで、今も身を犠牲にしている彼に対して恥じる言葉はありませんかっ!」
「ああ、枝の彼ですか。そのようなお名前でしたか」
なんてことない様子で口にする司祭へ、思わず掴みかかっていた。
周りに控えていた神官に取り押さえられ、床に組み伏せられる。
すっかりこの1年でそげた頬を床に強打して鈍い音がした。
「巫女様。……彼は立派にお役目を果たしておりますな」
包み込むようなあたたかい声色に、マリエンヌは耳を疑う。
司祭の色のない瞳が、きらりと光った気がした。
「いや、申し訳ない。私とて、幼い彼1人に全てを背負わせている現状に何も思わないわけではありません。彼は本当によくやってくれている。しかし――」
神官が制止するのもいとわずに司祭が床に膝をつき、マリエンヌへ視線を合わせる。
彼女を押さえつけていた神官に合図をすると、彼女の身体にかかっていた重みが消える。
手を取ってその場に座らせ、彼は重い口を開いた。
「巫女様、貴方はどうですかな。彼が明日にでも世界樹から戻ってきたとき、貴方は彼に胸を張って役目を果たしていたと言えますか」
「それ、は」
久しぶりに発した声はひどく掠れてつたない。
食事も喉を通らずに頬はそげ、手足も一回りは細くなっている。
「巫女様。もう一度立ち上がりましょう。微力ながら私共がお支えします。――きっと彼が戻るその日まで」
司祭の手が、マリエンヌの手を握り、ぐいっと引き上げた。
久しぶりに感じる人のぬくもりが身体の隅まで染みわたって、やがて涙に変わる。
励まされるように強い力で肩を叩かれ思わず「いたいです」とつぶやくと、朗らかな笑い声が大扉の前で響いた。
それからマリエンヌは、下働きとして神殿で働き始めた。
落ちた体力を取り戻すのに半年、実家の母へ手紙を書く決心をするのにさらに半年かかった。
年単位で音信不通だった娘に、母はその日のうちに馬車に飛び乗って神殿へ駆けつけ、涙ながらに抱きしめてくれた。
何度も神殿へ足を運んでくれていたそうだが、精神的に不安定だったマリエンヌを心配して司祭が現状を話すに留めていたらしい。
司祭は「実家に戻ってもいい」とおっしゃったけれど、マリエンヌは帰らなかった。
家に帰っている間にシルヴァが戻ってきたら、目も当てられない。
毎年、シルヴァの誕生日にはケーキを焼いた。
戻ってきた時におめでとうが言えるように、彼の歳を数えて1人でお祝いをした。
毎年祝い続けて5年が過ぎた頃、神官の1人が今年は一緒にお祝いがしたいと言った。
なら、一緒にケーキを焼こうと提案すると、翌日には厨房に入りきらない人数が押し寄せた。
「いま世界が平和なのは、世界樹様のお陰です!」
「実は、世界樹様が儀式を始めるまで多かった地震や嵐や水害が、ぴたりと止まったんです!」
「たくさんのケーキを焼きましょう。街のみんなにも配れるくらいたくさんのケーキを!」
その年、シルヴァの誕生日は盛大に祝われた。
ケーキをたくさん作り、シルヴァによく似た黄色いデイジーの花で街中を飾った。
街の人も世界樹様をたたえるお祭りだと聞けば、こぞって参加した。
子供たちはデイジーの花をドレスのそこかしこに挿しておめかしをする。
街中が活気づき、あちらこちらで人形劇や紙芝居や歌劇でおとぎ話が上演された。
(シルヴァ、見ている? あなたへこんなにも大きな愛が降り注いでいるよ)
祭りの日、もしかしたらシルヴァが帰ってくるんじゃないかと思って、マリエンヌは眠れない夜を過ごした。
だけど朝日が昇ったとき、やっぱりマリエンヌは1人きりだった。
おとぎ話の巫女は、聖人君子だったんだろうか。
その純真な愛を世界樹だけに捧げ続けて、それで満足だったんだろうか。
シルヴァを愛していることに気が付くまで、マリエンヌは随分と利己的な性格をしていたことに気が付いた。
周りに望まれる通り演じることが、周りの誰かのためになると本気で思っていた。
誰かに嫌われるのが怖くて、長い間本心をさらけ出すこともできなかっただけなのに。
最初の頃はシルヴァのことを、わがままな子供だと思っていた。
いやだいやだと駄々をこねることは、役目を任された彼女にとって理解できないことであり、無責任だとさえ思っていた。
けれど、シルヴァは彼女より何倍も利他的な人だった。
人をいつくしみ、どんな時でも笑顔を絶やさない彼に、今もなお確かにマリエンヌは救われている。
――シルヴァの帰りを待ち続けて、10年が経った。
その頃になると、マリエンヌは聖女と呼ばれるようになった。
人をいつくしみ、貧しい者に求める者にも平等に施しを与え、誰よりも深く世界樹を愛している。
もうずいぶんと前に、マリエンヌは愛の意味を知り、それを他人に与えられるようになっていた。
シルヴァにもらった愛を、今度はマリエンヌが手の届く範囲の全てに捧げている。
神官は始めに愛の全てを世界樹へ捧げろと言っていたけれど、シルヴァは今のマリエンヌを受け止めてくれる気がしている。
毎年シルヴァの誕生日に催されていた祭りが、今年もつつがなく終わった。
街の男たちは酒を酌み交わし、神官でさえ遅くまで世界樹をたたえる歌を歌う。
とっくに月は高くなり、さすがに神殿も街も静まり返った夜、マリエンヌはベッドの上に座り込んで1人丸い月を見上げていた。
(まるで、あの日のシルヴァに似てる)
月は、世界樹の意識を宿したシルヴァの髪の色によく似ていた。
静かに夜空にたたずみ、その柔らかな光をそっと夜道に投げかけている。
もうマリエンヌは彼の顔をよく覚えていなかった。
覚えているのは、エメラルド色の瞳と、彼にもらった沢山の愛の言葉。
10年の間で、こぼれ落ちてしまった記憶に、彼女はどうしようもない焦燥感にかられた。
(大好きな彼をずっと覚えていたかった。……ああ。会いたい、なあ)
手の中にある彼の服は、もう古びてところどころ擦り切れている。
彼の匂いもとっくに消えたそれをマリエンヌは手放すことができない。
毎晩毎晩、彼を抱きしめるようにその服を抱いて眠っている。
その夜も、いつもと変わらず彼の服をぎゅうっと抱きしめて眠りについた。
真夜中マリエンヌは、ぎしりという音を聞いた。
同時にベッドが沈み込む感覚がする。ああ、また夢? と思いながら、改めて眠りに入ろうとする。
くすっと笑い声がして、マリエンヌの頬をあたたかな何かが撫でる。
ようやくこれは夢ではないと気が付いて、あわてて闇の中に目を凝らした。
淡い月明りの中、誰かが覆いかぶさるようにマリエンヌを覗き込んでいる。
さらさらした長い髪が視界を覆いつくしていた。
月の光に透かしたそれは白く、まるで髪自体が光り輝いているようだ。
影になっていて表情はわからないけれど、欲にまみれた暗い緑の瞳がこちらを見つめている。
「マリィ、おはよう」
低く甘い声が耳に届いて、マリエンヌは思わず「へ?」と聖女らしからぬ声を上げてしまった。
親しげに名を呼ぶこの青年はいったい誰だろうか。
こんな夜更けに女性の寝床へ忍び込む青年に心当たりがなく、思わず突き飛ばしてベッドから転がり落ちた。
「ああ、そうか。……彼はマリエンヌさまと呼んでいたね」
「そ、んな……」
暗闇から月明りに出て、彼の顔がよく見えた。
子供らしかった丸みはそげ落ちているが、愛しい彼の面影が確かにそこにある。
それなのに、剣呑な雰囲気を宿した瞳は全く別人のものだ。
「こほんっ」わざとらしい咳払いをして、床に倒れたマリエンヌへ手を伸ばした。
「マリエンヌさま! ただいま戻りました」
思わず心臓が跳ねあがる。
彼の顔で天真爛漫に笑う姿は、記憶の中のシルヴァにぴったりと重なる。
思わず手を取りそうになったのを、ほんの少し残った理性で押しとどめた。
自らに伸ばされかけて止まった手を見て、目の前の何かは、瞳からすっと笑みを消した。
その瞳に暗い欲が戻ってきたのを察し、マリエンヌは思わず後ずさった。
転がり落ちた時に巻き込んだシーツが滑る。手足をばたつかせてもがいても、距離は一向に広がらない。
彼女のあられもない姿を見ながら、目の前の何かはゆったりと腕を組み愉しそうに笑った。
「ふふ、やっと会えたね愛しいマリィ。ずっと会いたかったんだ。根を通じて君のことを見ていたよ」
一歩、一歩、音もなく彼女へ近寄るとその場にしゃがみ込み、ずいっと彼女を覗き込む。
「だというのに、彼は君に会うのを良しとしてくれなくてねえ」
肩をとんっと押され、床に押し倒される。マリエンヌの髪が、床に、シーツに散らばった。
窓の外の月に目の前の何かが重なって、視界が黒く染まる。ギラリと輝く瞳がマリエンヌを捕らえている。
怖い、と思った。
シルヴァを失ってから10年、いつもどこか空虚に生きてきた彼女は、その時初めて畏怖の念を抱いていた。
――目の前の何かは、確かに神の一節だった。
恐怖に駆られて視線を逸らすと、シーツに紛れて何かが見える。
10年毎晩抱いて眠った、愛しい彼のボロボロになった服だった。
「……シ、シルヴァ」
口からこぼれたのは、愛しい人の名前だった。
縋るような声音に、目の前の何かはぴたりと動きを止めた。
顔を正面から鷲掴みにして「ぐっ」とうめく。月明りを背に、瞳がぶれるように揺れている。
「ふ、ふふ。……ふふふ。やだな、傷つけたりしないって。ああ、ダメ? ……ダメかあ」
もう一方の手のひらをマリエンヌに伸ばし、頬に届きそうになったところで、その手は力を失ったようにぱたりと落ちた。
顔を掴む指の隙間から覗いた瞳が、どんどん見開かれていく。
「――マリエンヌ、さま」
かすれて消えそうなその声は、記憶の彼の声よりだいぶ低かったけれど、それが確かにシルヴァの声だとすぐに分かった。
「シルヴァ!」
思わず彼の頭を抱きしめ、その細い髪に頬を寄せた。
10年ぶりにシルヴァを腕の中に抱いて、胸の奥がぎゅうっと痛んだ。懐かしい恋の痛みだ。
気づくと、ぽろぽろと涙が頬を伝って、シルヴァの髪に染み込んでいく。
ぐすっと鼻をすすると、気が付いたシルヴァがそっと身じろいで、マリエンヌの両頬をその手で包みこむ。
呆然と表情を失くした彼の視線が、マリエンヌの視線と絡み合う。
瞳が揺れて、彼女をもっとよく見たいと言わんばかりに、ぐっと近づいた。
「マリエンヌさま。どうしたんですか、何かつらいことがありましたか。それとも、会わないうちに泣き虫さんになっちゃったんですか」
エメラルド色の瞳がそっと細められて、マリエンヌの顔にかかる髪を払う。
涙でぐっしょりと濡れた顔を見て、ふっと息をこぼすように笑った。
「話したいことが、話さないといけないことがたくさんあるの」
「聞いてあげたいところですが、時間がありません。あのお方が戻る前に君との約束を守らなくては」
シルヴァは早口でそう言うと、マリエンヌの身体を抱き上げた。
あまりにも簡単に抱き上げるので、あわててその首に縋りつくように腕を回す。
「まって」という声も聞かずに、シルヴァは歩き出し、窓を開け放つ。
「え? シルヴァなに、ここ3階よ?」
「――舌噛みますよ」
思わず口をつぐんだマリエンヌを確かめて、シルヴァの足は窓枠を蹴った。
「んんんんんんんんっ!?」
「は、あはははっ」
言われた通り口をつぐんだまま叫ぶマリエンヌに、シルヴァは笑い声をあげた。
そのまま地面に音もなく降り立つ。常人ではないその動きに、彼が確かに人ではなくなったことを知る。
走り出した彼に振り落とされないように、ぎゅっとその胸元の服を握り締めた。
「元気そうで何よりです。とても、安心しました」
走りながら、シルヴァはマリエンヌの耳元でささやく。
「もうあなたは神殿にいないものだとばかり思っていたので、それはそれはおどろきました。何をされていたんです? ――――ああ、ここまでですか」
軽やかに走り続けていた足が不自然にぴたりと止まる。
後ろから引っ張られるように少し足が下がり、頭上から「ぐっ」とこらえる声がした。
シルヴァはマリエンヌをゆっくりと下ろす。
そこは、小高い丘の上だった。月が照らした丘には微かに風が吹いて、並び立つ2人の髪を揺らしている。
マリエンヌがシルヴァを振り返ると、彼は頷いて、そっと彼女の背を押した。
「あの人が戻らないうちに行ってください。ここから先へ僕は出られない」
いつの間にか彼の身体には白く輝く葉の模様が浮かび上がっていた。
彼がマリエンヌに近づこうと一歩を踏み出すと、ツタが巻き付くように葉が動いて、その動きを止める。
世界樹の呪縛だと、マリエンヌは察した。
「あのね、わたしね、巫女でいることを受け入れたのよ。シルヴァのそばにいたいって、今はそう思ってる」
「はっ」
マリエンヌの必死の告白を、シルヴァは鼻で笑った。
聞き分けのない子供に対するように、話しかけてくる。
「あの人が戻れば、今度こそ僕は完全に世界樹の意識を取り込んでしまう。そうなったら遅いんです。彼はあなたを決して離さない。それがどういうことか分かって言っているんですか」
「わかっているわ」
「分かっていません!」
初めて聞く彼の怒声に、マリエンヌはびくりと肩を跳ねさせた。
シルヴァは激情を抑え込むように瞳を閉じて、震える息を吐いた。
「お願いです、逃げてください」
「でも、巫女がいなくなったら封印はどうなるの? 魔物が漏れ出したら――」
「そんなことどうだっていい!」
カッと苛立ちに見開かれた瞳が、マリエンヌに向けられる。
マリエンヌは、もうどういう言葉で伝えれば彼に届くのか、わからなくなった。
「僕はもう子供じゃありません。……僕に、あなたを守らせてくれませんか」
懇願するような響きに、マリエンヌは呆然とする。
傍にいたいと伝えることができたら、それで傍にいられると思っていた。
まさか彼から拒否されるなんて、思ってもみなかった。
「……もしかしたら、世界樹の意識を取り込んでも、シルヴァのままでいられるかもしれないでしょ?」
ぽつりとこぼした言葉に、シルヴァは哀しそうに眉根を寄せた。
10年ぶりに会えた彼は、記憶の中のどの彼とも違う。
頬に触れるのに背伸びをする必要もなく、紡がれる言葉の全てでマリエンヌを諭している。直接的な言葉で愛をささやかれることもない。
(まるで、わたしがわがままを言う子供みたい)
うつむいたマリエンヌを見て、シルヴァはそっと手を伸ばし、地に膝をつく。
彼女の手を、その大きな手のひらで包み込むように握り、祈るように額へ当てた。
「お願いです、あなたを傷つけたくない。……きっとあの人は僕に成り代わるつもりなんです。この声で、この顔で、僕の言葉を真似るあの方をマリエンヌさまは見分けることができますか」
「できるわ!」
「いいえ、できません。……僕とあなたは、たかだか5日を共に過ごしただけでしかない」
シルヴァは諦めたような笑みを浮かべている。
マリエンヌと共に生きる未来はないのだと、その笑みが語っている。ここでもう『おしまい』なのだとはっきり伝えてくる。
ここでの別れを、彼は望んでいる。
「いやよ」
「……え?」
マリエンヌは人生で初めて、「いや」と口にした。
周りに望まれるがまま生きてきた彼女の、初めての反抗だった。
マリエンヌは、どうしても彼との人生を歩みたい。誰かの望みではなく、自らの望みを優先したいと、初めて思った。
顔を上げ、目の前で驚いたまま動けないシルヴァをにらみつける。
髪の色が何色に変わっても、背がどれだけ伸びたって、目の前にいるのは愛しい『マリエンヌのシルヴァ』だ。
「……っ!?」
ぐっと顎をすくいあげ、見開かれた瞳を見ながら、彼に口づけをする。
固まったままの彼の唇を開放し、ゆっくりと額を合わせる。目の前のエメラルド色は見開かれたまま、ゆらゆらと揺れている。
繋がった額からざわめいた白い葉がマリエンヌの肌へ伸びても、2人は身動きもとれずに見つめあった。
「たかだか5日じゃないわ。10年と5日よ。1日だってあなたのことを思わない日はなかった。10年と5日をかけて、私はあなたに恋をしたの」
見開かれた瞳が、さらに広がっていく。
震えた手のひらが、どんどん葉に覆われていくマリエンヌの頬を包む。
「ねえ、愛してるわ。シルヴァ」
「……ま、さか」
彼女の愛しい人を見つめる甘くとろけるような瞳を見て、シルヴァは珍しく不器用な笑みを浮かべる。
「こんな幸せ、あっていいんでしょうか」
「ふふ」
「ああ、やだな。心に決めていたはずなのに、世界樹に意識を渡してやるのが惜しくなりました。……もっとあなたといたい」
ぐっと握ったシルヴァの手にマリエンヌはその手を重ねて、優しく伝える。
「大丈夫。私が一緒にいる」
「心強いですね」
シルヴァは、マリエンヌの手を決して離さないように指を絡めた。
少しためらうような間のあとに、彼の低く甘い声が響く。
「……僕も、10年と5日前から、あなたを愛しています」
2人の唇が再び重なったとき、肌の上をざわめく白い葉が伸びていく。
体のすべてを包み込んで光を放ち、夜の帳を切り裂いていく。2人の意識はその光を最後に途絶えた。
◇ ◇ ◇
マリエンヌは、ぎしりという音を聞いた。
同時にベッドが沈み込む感覚がする。ああ、また夢? と思いながら、改めて眠りに入ろうとする。
マリエンヌの頬をあたたかな何かが撫でる。
ようやくこれは夢ではないと気が付いて、まぶたを開いた。
光降り注ぐ部屋の中で、覆いかぶさるように覗き込むエメラルド色が瞬いている。
ぽたり、ぽたり。
とめどなく落ちる彼の涙が、マリエンヌの頬を伝い落ちる。
「――――おはよう、大好きな私のシルヴァ。それからお誕生日、おめでとう」
森に囲まれた小国ティルフィアには、語り継がれた伝説がある。
親から子へ、子から孫へと口伝されたその、いわばおとぎ話には、続きの物語が存在した。
500年に一度。世界樹はその身を新しい枝へと移し封印を敷きなおさんとしました。その時世界に救世の聖女が現れます。
聖女のあふれる愛は世界を満たし、末永く、末永く平和な世が訪れました。
おしまい
「……は、はあ」
朗々と語る司祭にマリエンヌは、ぼんやりとした返事を返した。
どうやらマリエンヌはお告げにより巫女として選ばれたらしい。
「僕は嫌です」
同じく世界樹として選ばれた少年は、きっぱりと拒否するように鋭い声を発した。
森に囲まれた小国ティルフィアには語り継がれた伝説がある。
親から子へ、子から孫へと口伝されたその、いわばおとぎ話はこの国の信仰につながる話だった――。
むかしむかし、地上は魔物の巣くう不毛の地でした。
神々は人を哀れに思い地上の魔物を1つ残らず集め、天界の聖なる木の一節を手折って地に挿し、その封としました。
枝はみるみるうちに大きな木へと変じ、地に伏した魔物を浄化し、地上は人間の楽園へと変わりました。
神は人間へその木――世界樹を愛し、信仰を捧げるよう言づけました。
しかし、平和な世が続くうちに愚かな人間達の信仰は途絶え、世界樹の力は失われ、魔が復活を遂げようとしていました。
そこに現れたのが救世の巫女。彼女はそのたゆまぬ愛情と信仰を世界樹に注ぎ、してこの国は魔の手から逃れたのです。
「世界樹は巫女に自らの愛を捧げ、巫女の魂が巡るたびにその愛だけを求め、今もまだこの世界を守り続けている――こら、聞いておられますかな」
耳にタコができるほど聞き飽きたそのおとぎ話は、幼い子供に教えを説くための物だ。
――信仰を忘れるなかれ。
敬虔な信徒である母のもとで育ったマリエンヌも、幼い頃から聞かされ続けた物語である。
「納得いきません」
「……はぁ」
少年の言葉に、司祭の重いため息が漏れた。
マリエンヌの弟よりも少し小さい。おそらく10歳くらいだろうとあたりをつけるが、その言動も行動も弟よりしっかりとしているように見えた。
(神殿からのお役目を拒否するなんて)
信仰で成り立っているこの国で、神殿の持つ権力は絶大である。
特にお告げともなれば、神からの言葉に等しい。
ただ、マリエンヌは正直なところ、ほんの少しだけ彼がうらやましいと思っていた。
末席ながらも貴族に生まれ、厳しい躾を施されてきた彼女の人生では、こんなにも素直に感情を発露した記憶がない。
周りから望まれるように微笑み、望まれるように敬虔な信徒を演じていた彼女には、ただただ彼がまぶしかった。
思うように本音を言える人生を送ってきた彼が、どこか妬ましかった。
「司祭さま、おとぎ話は分かりましたから、この状況について教えていただけませんか。世界樹様、巫女様とは一体何ですか」
「やや、おとぎ話だと侮ってはなりませんぞ。神殿の奥深く確かにその木はあるのです」
ようやく声を発したマリエンヌに司祭はずいっと身を乗り出してくる。
まるで、ようやく人と話ができると言わんばかりの態勢に、彼女は思わず一歩下がった。
「巫女様は魂に繋がれた運命のつがいです。世界樹様が500年に一度の代替わりの時に現れてその愛を捧げ……はあああああ」
大げさなほどに抑揚をつけて語る司祭は、とうとう感極まったのか最後まで言葉にできないようだった。
傍に控える神官が説明を補足する。
どうやら、こういうことのようだった。
世界樹は500年に一度封印を更新するために新しい枝――少年を必要とする。同時におとぎ話にある巫女の魂を持った少女を求める。
2人の愛でもって封印は成され、新たに500年の平穏をもたらす。
「少年は齢10を数える年に選ばれ、10になるその前の5日で儀式を行い、世界樹様の意識を体内に宿します。巫女様は世界樹様を見守るのがお役目。生涯その愛を世界樹様の傍らで捧げていただきます」
「だから、僕は嫌ですってば」
「なんと罰当たりな! これは崇高なお役目! それに世界樹様の意識がのれば世界は魔の恐怖から解放される!」
「絶対に嫌です」
彼のかたくなな態度に司祭が匙を投げ、天を仰ぎ見た。
「あなた、お名前は?」
隣に並び立つ彼へ問いかけると、その肩がびくりと震えた。
部屋がしんと静まり返る。
司祭がぎょっとした顔をしていた。
「……あれ?」
司祭の視線の先にいる彼の顔を覗き込む。
白く陶器のような滑らかな肌。金の髪が午後の柔らかな光に照らされて輝いている。
長い前髪の隙間から見え隠れする意志の強そうな瞳。
マリエンヌはその整った顔立ちに思わず見とれた。
その緑色の瞳から不意にぼろぼろと涙がこぼれだす。
今度はマリエンヌがぎょっとする番だった。
「……僕は、シルヴァです。」
枯れた声で紡がれたそれは、ティルフィアの古い言葉で『森』を意味する言葉だった。
その日、シルヴァとマリエンヌは同じ部屋をあてがわれた。
役目がある以上屋敷に帰ることはできず、少なくとも世界樹の意識が完全に宿る5日の間神殿に留まらなければならないらしい。
同じ部屋だったのはこれから愛を捧げる者だから、というよりもシルヴァが泣き止まず、マリエンヌからも離れようとしなかったからだ。
「シルヴァ。大丈夫?」
彼は無言でうなずく。このやり取りをもう5回は続けていた。
ただ何も口にせず、ぽろぽろと涙を流す彼へかける言葉が他に見つからなかった。
「――どうしましょう」
シルヴァを連れたまま長椅子へ腰を掛ける。彼もマリエンヌに倣って隣に腰かけた。
「手を、握ってもいい?」
弟が幼い頃、あやすために手を握っていたことを思い出した。
自らの左手を指してみせると、おずおずといった様相で手を握ってくる。
マリエンヌが柔らかなそれをキュッと握り返すと照れくさかったのか、「ふふっ」と声が漏れていた。
顔を覗き込むと、繋いだ手を見ながら微かに笑顔を浮かべている。
「笑ったわね。その方が泣いているよりずっといいわ」
垣間見えた笑顔がふっと消えて、マリエンヌは惜しくなる。
春に花がそっと咲くような彼の笑顔が、もう一度見たくなった。
「あなたは?」
「え? ああ、マリエンヌよ」
繋いだ手と反対の手に、指で綴りを刻む。くすぐったそうに身をよじる彼の顔には、また笑顔が浮かんでいた。
(なんだ、笑えるみたい)
泣き顔しか見ていなかったマリエンヌは、ほっと胸をなでおろした。
愛が何かは一向に分からないけれど、泣き顔よりは笑顔の方が好ましいものだと思う。
「マリエンヌさま。マリエンヌさまは怖くないのですか」
ぎゅっと繋いだ手に力がこもる。
震える声は、彼の恐怖を切に伝えてきて、マリエンヌは視線を落とした。
怖くないはずがない。
司祭の言うつがい。世界樹と巫女の契約はきれいな言葉で飾られているけれど、その本質はただの生贄だ。
それに正直、マリエンヌには愛を捧げるという意味が分からない。
周りに促されるまま信徒を演じていた彼女にとって、愛し愛されることは錬金術の術式よりも難解なものだ。
(本当に運命のつがいなら、普通一目ぼれとかするものじゃないのかな)
自分より小さな彼に抱くのは、愛情ではなくただの庇護欲のような感情だけだった。
巣から落ちた小鳥を見つけた時と何ら変わらない感情だ。
「生涯その全ての愛を世界樹へ捧げなければならない」と神官は言った。
マリエンヌだって年頃の少女である。歌劇で歌われるような恋に焦がれる少女である。
いずれ家で定められた相手との婚姻が待っていたとしても、その相手は彼ではなかったはずだ。
それが権力や地位や財産であっても、相手は何かを持っている人だっただろう。
(愛を知らないまま恋することを諦めて、この子に生涯を捧げる? 私の人生っていったい何なのかしら)
彼女の心残りはただ1つ。恋を知らないことだけだった。
「――僕は怖いんです。世界樹の意識が完全に宿ったとき、そこに僕は残っているのでしょうか」
マリエンヌが考え込んでいると、きゅっと手を握る力が強くなった。
ぽつりとこぼされた言葉は、消え入りそうなほど小さかったのに、マリエンヌの胸を突きさすように響いた。
思わず横を見ると、エメラルドの瞳は泣きだしそうに歪みながら、まっすぐマリエンヌを見ている。
「僕はあなたが好きです。一目見たその時に、好きだと思いました。この思いは僕の物ですか? それとも世界樹の物ですか。あなたがマリエンヌだから恋しく思うのでしょうか。それとも巫女だから愛しいのでしょうか」
その小さな姿からは想像もできないほど、シルヴァは大人びた言葉を並べた。
床に足も届かないような長椅子から勢いをつけて降りると、マリエンヌの前に立つ。
「あなたが座っていなければ、その頬に手も届かないことがこんなにも悔しいのは、何故ですか」
「シ、シルヴァ?」
マリエンヌの両手をその小さな手で握り締めて、シルヴァは言葉を紡いだ。
ゆれて、かすれて、でも切実なその声はマリエンヌの耳によく届いた。
「あなたを見た一目で、僕はあなたに恋をしました。でも、同時にあなたは僕を愛してくれていないことも分かってしまったんです。これから先も愛してくれることはない、ということも。それが悲しくて、それが悲しいことが何よりも僕が世界樹である証拠のような気がして、とても悲しかったんです」
言葉を重ねているうちに、その子供らしい大きな瞳からぽろぽろ絶え間なく涙がこぼれていった。
握り締められた手に降り注いだ涙を拭うこともできずに、マリエンヌは呆然と彼を見つめていた。
見つめることしかできなかった。
「先ほどは泣いてしまってすみませんでした。……でもどうか、マリエンヌさま、お願いです」
マリエンヌの手を握った両手にぐっと力を込めて、彼は祈るように膝をついた。
そのまま両手を額にあてて、もう一度震える声で「お願いします」とつぶやく。
「あなたの人生を5日間だけ僕にください。5日間だけ僕のわがままを聞いてくれませんか。そうしたら僕はもう絶対に泣きませんし、すべての儀式が終わった後、必ずあなたをこの神殿から逃がします」
それは願ってもない提案だった。
5日間彼のわがままを聞くだけでいいのなら、愛が分からない自分でもできる気がした。
「……え、ええ。わかった、わ」
「本当ですか! ありがとうございます!」
シルヴァは本当にうれしそうに笑った。
目の下を腫らしながら、くしゃりと顔を歪めている。
(5日間、5日間だけよ……)
シルヴァの笑顔をさっきはもっと見たいと思っていたのに、なぜか胸の奥がぎゅうっと絞られたように痛んで、思わず視線をそらした。
何か大事なことに気が付いてしまいそうで、それに気が付きたくなくてマリエンヌは無理やりに考えることをやめた。
◇ ◇ ◇
シルヴァの役目は、夜に行われるらしい。
その日の晩、神殿の地下深くへシルヴァと共に案内された。
前を行く神官が、シルヴァの役目を説く。
「今日から5日間、夜は世界樹の中で過ごしていただきます。世界樹様の意識は膨大ですから飲まれないように気をつけて。朝日が昇る前には部屋へ戻れるでしょう」
「……はい」
隣をちらりと盗み見ると、シルヴァの表情は硬かった。役目を前にして緊張しているのだろう。
マリエンヌは歩く彼の背をそっと支えた。見上げる彼が微笑んでいるのを見て、胸をなでおろす。
実感はまだ全然ないけれど、彼が儀式を無事に終えなければこの世界は滅んでしまう。
こんな小さな少年に世界の全てを託さなければいけない状況にマリエンヌは歯噛みした。
やがて最深部へたどり着くと、青白く光る大きな扉が目の前にそびえ立っていた。
その高さはマリエンヌが3人縦に並んでも足りないだろう大きさで、見上げるだけでその荘厳さに圧倒される。
神官は、この扉の向こうに世界樹があるのだと言った。
「さあ、ここから先は枝がおひとりで向かってください。扉に触れれば開く。開ければ、おのずとやらねばならないことが分かるはずです」
シルヴァがそっと一歩前に出る。不安そうに扉を見上げて、決意するように息を吐くと、マリエンヌを振り返った。
「行ってきます。――待っていてくれますか」
「もちろん。誰よりも早くあなたに『おはよう』を言うわ」
マリエンヌが勇気づけるようにそう返すとシルヴァは、ほっとしたようにはにかんだ。
「楽しみにしています」そう告げると、扉に向かいあう。そっと触れただけで彼の背丈の何倍もある扉は音を立てて開いていく。
神官とマリエンヌは、その後姿を平伏して見送った。
明け方、マリエンヌは慣れない温かさで目を覚ました。
いつの間にか帰ったシルヴァが、マリエンヌに抱き着いて眠っている。
少年とはいえ男性がこんな時間に同じ部屋にいること、あまつさえ自らに抱き着いて眠っていることに驚いて、喉がひゅっと鳴る。
思わず腕の中の彼を揺り起こそうとして、あることを思い出した。
自分の前で膝をついて祈るように彼が「5日間だけわがままを聞いてほしい」と言っていたことを。
揺り起こそうとした手で、彼の頭を撫でた。
さらさらなその金の髪を月の光にかざして遊んでいると「……んぅっ」とかすれた声がする。
身じろいだ彼は、その瞳をぱちぱちと瞬かせた。
「おはよう、シルヴァ。まだ早いからもう少しおやすみ」
「……ふふ。おやすみなさい、マリエンヌさま」
胸元に顔を寄せて寝息を立てる彼を、マリエンヌは日が昇るまで見守り続けていた。
それからシルヴァは泣かなくなった。
初めて会ったあの日よりもさらに彼は急激に大人びていった。
それが本来の彼の姿だったのか、世界樹の意識が入り込んだ影響なのかはわからない。
ただ、マリエンヌの心臓には毎日相当な負担がかかっていた。
「マリエンヌさま、今日もお美しいですね。あなたのシルヴァと今日は何をしてくださいますか?」
「マリエンヌさま! 見てください、今日は朝日が綺麗です。中庭に出てみませんか、あなたとお茶がしたいです」
「マリエンヌさま、行ってまいります。今夜もあなたの隣で寝かせてくださいね」
「大好きです、マリエンヌさま」
顔を合わせるたび、砂糖をそのまま舐めたかのような甘いセリフとはにかんだ笑顔が降ってくる。
愛情が何か分からないと斜に構えていたマリエンヌにさえ、彼から与えられる全てが愛情から来るものだとはよく理解できた。
あの日から毎日、シルヴァは夜になるたび世界樹のもとへ通い、マリエンヌは毎朝一番に腕の中にいる彼へ「おはよう」を言った。
扉の向こうで何があったのか聞いてみても、シルヴァは何も答えなかった。はぐらかしてマリエンヌへの愛の言葉をささやく。
その言葉を聞くたびに真っ赤に茹で上がる彼女を見て、満足そうに笑っていた。
2日、3日、毎日ずっと愛の言葉をささやかれて、マリエンヌの心は次第にやわらかくなっていった。
エメラルド色の瞳が脳裏に焼き付いて離れず、マリエンヌは生まれて初めて朝が待ち遠しくなった。
それでもその感情が一体何なのか、彼女はずっと分からないままだった。
5日目の夜、マリエンヌは世界樹のもとへ向かうシルヴァへ話しかけた。
「ねえ、シルヴァ。……どうして私だったのかな」
長い廊下を歩くのは2人だけだった。最終日だというのに神官は共に来ることなく、司祭に至っては初日以降、顔も見ていない。
けれどマリエンヌは、2人で歩くこの廊下がとても心地よかった。他愛のない話をしてもいいし、何も話さずに沈黙の中歩いたっていい。
それでも気まずくならないシルヴァとの距離感が好きだった。
ただ、シルヴァはこの廊下にいる時だけは愛の言葉をささやくことをしなかった。
「どうして私だったのかなあ」
それは紛れもなく彼女の本音だった。
敬虔な信徒ではあるが、それは母親に合わせて演じていただけであって、マリエンヌ自身が望んでそうしていたわけではない。もっと信心深い信徒はいくらでもいる。
周りから期待されるままに演じることが自然なマリエンヌにとって、本音を口にすることは相当勇気が必要なことだった。
けれど、取り繕うことをしない彼のまっすぐさに感化されたのかもしれない。
ごく自然に本音が口をついて出た。
「そうですね。なぜマリエンヌさまだったのでしょう」
いつの間にか2人は扉の前にいた。
不気味なくらいに荘厳な扉を前に、シルヴァは振り返る。
この数日で彼の金の髪はすっかり白く染め上がっていた。世界樹の意識が入り込んだ影響だという。
シルヴァは誰が何と言おうと世界樹の役目をこなしている。それに対して、自分は巫女だというのに何もできていない、とマリエンヌは負い目を感じていた。
(私は本当に巫女なのかな。巫女だったらいいのにな)
マリエンヌは自分が巫女だという証拠がないことに気が付いていた。
シルヴァの様に目に見える変化もなく、やっていることは毎晩の見送り、朝の出迎え、それから愛の言葉をささやいてもらうこと。
彼より何年も多く生きているのに、マリエンヌは無力だった。
それでも彼女はこの数日で、自ら巫女になりたいと思えるようになっていた。
巫女ならば、愛が何なのかまだわからなくても、分かるまでシルヴァのそばにいられる。
「でも、僕はマリエンヌさまに出会えてよかった。本当に大好きなんです」
シルヴァの瞳が愛おしそうに細められる。
マリエンヌはその瞳を見るたびに、胸の奥がぎゅうっと絞られたように痛んで、何も言えなくなってしまう。
「本当は好きだという言葉を受け取ってもらえるだけで満足なんですが――――少ししゃがんでもらえますか」
言われたとおりに膝をつくと、シルヴァがそっと両手でマリエンヌの頬を包む。
彼はおもむろにかがみこみ、微笑みながらそっと額に口づけをした。
ちゅっと音を立てて離れるそれに驚き、思わずマリエンヌは額を抑える。
心臓がドクンドクンと音を立てて今にも口から飛び出してしまいそうだった。
「え、あ、し、シルヴァ?」
「ふふふ、マリエンヌさま真っ赤ですね、かわいいです」
口元に手を当てて笑うその姿はあどけない少年そのものなのに、額に残る感触がそれを忘れさせる。
マリエンヌが顔を赤く染めているのを見ながら、シルヴァは唐突に瞳を伏せた。
2人きりの空間にシルヴァのつぶやきがこだまするように響く。
「どうしてマリエンヌさまだったのでしょう。――どうして僕だったのでしょうね。でも、僕後悔していません。あなたに出会えたから世界樹でもいいと思えたんです。本当に幸せな日々でした。確かに僕の人生で一番、幸せな日々でした」
まるで「もうおしまい」とでもいうような彼の言葉が、マリエンヌには理解できなかった。
「まだ明日もあるよ? その先も……。もし神殿を出ても手紙書くし、たまには顔を見せに来るよ。私の屋敷にも来てくれるでしょ? シルヴァの大好きなケーキを用意するから」
「……そうですね。儀式も今夜で終わりますし、明日はお昼まで寝ちゃいましょうか。マリエンヌさま一緒に寝てくれますか?」
「もちろん! そうだ、お昼に起きて一緒にお誕生日のケーキを焼こう? シルヴァにケーキ全部あげちゃう」
「あはは」と笑いながら扉に向かい合うシルヴァに、マリエンヌは平伏した。いつも見送りの時は神官に言われた通りに平伏している。
ただ、その時はなんだかシルヴァの様子が気になって、顔を上げてしまった。
シルヴァが手を触れて、扉は音を立てて開いていく。
瞬間、どろりとした靄が足元を舐めるように扉の隙間から漏れ出してくるのが見えた。
靄はぞろぞろとうごめいて、シルヴァの足にまとわりつくように這っている。見ただけで胃の奥がひっくり返るような醜悪さだった。
思わず「ひっ」と声をひきつらせると、それに気づいたシルヴァが振り返る。
「――悪いひと。だめですよ、平伏してなくちゃ」
「でも、だって、それ」
「ああ、醜いですよね。魔物が漏れ出しているんです。でも、今夜で終わりますから」
何でもないことのように言う。
その時、初めて『世界樹の意識を身体に宿らせること』が決して綺麗ごとで片づけられるような簡単な儀式ではなかったことに思い至った。
(わ、わたし知らなかった。だってシルヴァは何も……)
シルヴァが扉の向こうでの出来事を何も話そうとしなかった事をマリエンヌは思い出した。
同時にそれは、シルヴァなりの優しさだったことを思い知る。
扉の向こうで行われていることは、マリエンヌの知らない方がいいことだという証拠でもあった。
「あ、ああ……」
「大丈夫ですよ、マリエンヌさま。もう終わることです。あなたが苦しむ必要はないんですよ」
気が付くと、両目から涙があふれていた。
足元に靄を這わせながらもこちらを愛おしそうに見つめる彼が、ぼやけてよく見えなかった。
少しでも彼を見ていたくて、ごしごしと袖で涙をぬぐう。
「行ってきますね、マリエンヌさま」
「――うん、うん。行ってらっしゃい、気を付けて」
彼の後ろ姿へ、今度こそ平伏した。
ぼろぼろと床へこぼれた涙を見ながら、大扉が閉まる音を聞いた。
彼の帰りを待つ最後の夜。
マリエンヌは1人ベッドに潜ると、彼のことを考えていた。
ここ数日のマリエンヌはずっとそうだった。暗いベッドで横になると、彼のことを思い出す。
泣き虫だったシルヴァ。もう泣かないと決めてからずっと大人びていたシルヴァ。
マリエンヌを安心させるように微笑むシルヴァ。つらいことをあの小さな身体に閉じ込めて、マリエンヌへ何も話さなかったシルヴァ。
大好きだと目を細めながら笑いかけてくる、小さなマリアンヌのシルヴァ。
初めて会った日、彼に抱いたのは庇護欲だった。
小さな彼を守ってやるのがマリエンヌに課された役目だったし、事実マリエンヌもそうしなければならないと思っていた。
(でも――)
事実守られていたのは彼女の方だった。
彼はずっとずっと、マリエンヌの心を守ってくれていた。彼がいたから、この誰もが他人に冷たい神殿で笑っていられたのだ。
マリエンヌは恥ずかしくて仕方がなくなった。
巫女だったらいいのに、そうしたら彼のそばにいられる理由になるのに、と彼の心情も考えず話してしまった。
誰よりも世界樹であることを拒んでいた彼に、ひどいことを言ってしまった。
マリエンヌは心に決める。
「明日は、朝一番に私も大好きだって伝えよう。それから、お誕生日おめでとうって伝えよう」
もう神殿から逃がさなくてもいいのだと。もし叶うなら、愛しい貴方のそばにいさせてほしいと伝えてみよう。
腕の中にいる彼へ伝える言葉を想像しながら、ゆっくりと眠りにつく。
――――だけど次の日の朝、彼女は1人で目を覚ました。
◇ ◇ ◇
シルヴァは帰ってこなかった。
1日が過ぎ、2日が過ぎ、3日が過ぎた頃、神殿はシルヴァが死んだのではないかとにわかに慌ただしくなった。
マリエンヌはまるで雑踏の中で一人佇むみたいに、世界に置いていかれた。
周りは騒がしいのに、何だか水の中にいるみたいにぼんやりとして、思考がまとまらない。
それでも、シルヴァの痕跡を追っている時だけが自分を保っていられる唯一の時間になった。
1人で眠るベッドが広くて淋しいからと、毎日シルヴァの服を抱いて眠った。
神殿は代わりの世界樹様を探し出すことに躍起になった。
500年に一度の代替わりの時、何らかの理由で枝が亡くなったとき、お告げにより新しく代わりの枝が決まるらしい。
お告げを得ようと、終日神殿では祈りの言葉が響き渡った。
それも1年過ぎれば誰も祈らなくなった。
お告げもなく、大扉から魔物が漏れ出ることもない。シルヴァは世界樹の中で生きているとされた。
神殿は静まり返り、マリエンヌは忘れられたかのようにただ生きるだけの日々を送っている。
彼と過ごした部屋。彼とお茶を飲んだ中庭。花が咲くように温かい彼の笑顔を探して神殿をさ迷い歩いているうちに、気が狂った者として誰にも話しかけられなくなった。
それでも、あのきらめくエメラルドの瞳と、祈るようにささやかれた言葉、陽だまりのようなあの温かい日々が忘れられない。
毎日、何度も地下の大扉へ向かった。
マリエンヌが手を触れても何も反応を示さない扉へ「シルヴァ、シルヴァ」と声をかけ続ける。
自分が本当に巫女ならば、選ばれた人間ならば、大扉も開くはずだと何度も扉へ手のひらを打ち付ける。
「お願いだから開いて、シルヴァの声を聞かせて」声が枯れても叫び続けた。
ある日、司祭が神官を連れて大扉までやってきた。魔物が漏れ出していないかを定期的に調査しているという。
「シルヴァとはどなたですかな」
耳を疑った。今この時も身を削って魔物を食い止めているだろう彼に対して、曲がりなりにも神殿の長たる者が投げていい言葉ではない。
マリエンヌは、かっと頭に血が上るのを感じた。
彼が帰ってこなくなってから、久しぶりに感じる激情だった。
「なにをおっしゃっている、ん、です? あの扉の向こうで、今も身を犠牲にしている彼に対して恥じる言葉はありませんかっ!」
「ああ、枝の彼ですか。そのようなお名前でしたか」
なんてことない様子で口にする司祭へ、思わず掴みかかっていた。
周りに控えていた神官に取り押さえられ、床に組み伏せられる。
すっかりこの1年でそげた頬を床に強打して鈍い音がした。
「巫女様。……彼は立派にお役目を果たしておりますな」
包み込むようなあたたかい声色に、マリエンヌは耳を疑う。
司祭の色のない瞳が、きらりと光った気がした。
「いや、申し訳ない。私とて、幼い彼1人に全てを背負わせている現状に何も思わないわけではありません。彼は本当によくやってくれている。しかし――」
神官が制止するのもいとわずに司祭が床に膝をつき、マリエンヌへ視線を合わせる。
彼女を押さえつけていた神官に合図をすると、彼女の身体にかかっていた重みが消える。
手を取ってその場に座らせ、彼は重い口を開いた。
「巫女様、貴方はどうですかな。彼が明日にでも世界樹から戻ってきたとき、貴方は彼に胸を張って役目を果たしていたと言えますか」
「それ、は」
久しぶりに発した声はひどく掠れてつたない。
食事も喉を通らずに頬はそげ、手足も一回りは細くなっている。
「巫女様。もう一度立ち上がりましょう。微力ながら私共がお支えします。――きっと彼が戻るその日まで」
司祭の手が、マリエンヌの手を握り、ぐいっと引き上げた。
久しぶりに感じる人のぬくもりが身体の隅まで染みわたって、やがて涙に変わる。
励まされるように強い力で肩を叩かれ思わず「いたいです」とつぶやくと、朗らかな笑い声が大扉の前で響いた。
それからマリエンヌは、下働きとして神殿で働き始めた。
落ちた体力を取り戻すのに半年、実家の母へ手紙を書く決心をするのにさらに半年かかった。
年単位で音信不通だった娘に、母はその日のうちに馬車に飛び乗って神殿へ駆けつけ、涙ながらに抱きしめてくれた。
何度も神殿へ足を運んでくれていたそうだが、精神的に不安定だったマリエンヌを心配して司祭が現状を話すに留めていたらしい。
司祭は「実家に戻ってもいい」とおっしゃったけれど、マリエンヌは帰らなかった。
家に帰っている間にシルヴァが戻ってきたら、目も当てられない。
毎年、シルヴァの誕生日にはケーキを焼いた。
戻ってきた時におめでとうが言えるように、彼の歳を数えて1人でお祝いをした。
毎年祝い続けて5年が過ぎた頃、神官の1人が今年は一緒にお祝いがしたいと言った。
なら、一緒にケーキを焼こうと提案すると、翌日には厨房に入りきらない人数が押し寄せた。
「いま世界が平和なのは、世界樹様のお陰です!」
「実は、世界樹様が儀式を始めるまで多かった地震や嵐や水害が、ぴたりと止まったんです!」
「たくさんのケーキを焼きましょう。街のみんなにも配れるくらいたくさんのケーキを!」
その年、シルヴァの誕生日は盛大に祝われた。
ケーキをたくさん作り、シルヴァによく似た黄色いデイジーの花で街中を飾った。
街の人も世界樹様をたたえるお祭りだと聞けば、こぞって参加した。
子供たちはデイジーの花をドレスのそこかしこに挿しておめかしをする。
街中が活気づき、あちらこちらで人形劇や紙芝居や歌劇でおとぎ話が上演された。
(シルヴァ、見ている? あなたへこんなにも大きな愛が降り注いでいるよ)
祭りの日、もしかしたらシルヴァが帰ってくるんじゃないかと思って、マリエンヌは眠れない夜を過ごした。
だけど朝日が昇ったとき、やっぱりマリエンヌは1人きりだった。
おとぎ話の巫女は、聖人君子だったんだろうか。
その純真な愛を世界樹だけに捧げ続けて、それで満足だったんだろうか。
シルヴァを愛していることに気が付くまで、マリエンヌは随分と利己的な性格をしていたことに気が付いた。
周りに望まれる通り演じることが、周りの誰かのためになると本気で思っていた。
誰かに嫌われるのが怖くて、長い間本心をさらけ出すこともできなかっただけなのに。
最初の頃はシルヴァのことを、わがままな子供だと思っていた。
いやだいやだと駄々をこねることは、役目を任された彼女にとって理解できないことであり、無責任だとさえ思っていた。
けれど、シルヴァは彼女より何倍も利他的な人だった。
人をいつくしみ、どんな時でも笑顔を絶やさない彼に、今もなお確かにマリエンヌは救われている。
――シルヴァの帰りを待ち続けて、10年が経った。
その頃になると、マリエンヌは聖女と呼ばれるようになった。
人をいつくしみ、貧しい者に求める者にも平等に施しを与え、誰よりも深く世界樹を愛している。
もうずいぶんと前に、マリエンヌは愛の意味を知り、それを他人に与えられるようになっていた。
シルヴァにもらった愛を、今度はマリエンヌが手の届く範囲の全てに捧げている。
神官は始めに愛の全てを世界樹へ捧げろと言っていたけれど、シルヴァは今のマリエンヌを受け止めてくれる気がしている。
毎年シルヴァの誕生日に催されていた祭りが、今年もつつがなく終わった。
街の男たちは酒を酌み交わし、神官でさえ遅くまで世界樹をたたえる歌を歌う。
とっくに月は高くなり、さすがに神殿も街も静まり返った夜、マリエンヌはベッドの上に座り込んで1人丸い月を見上げていた。
(まるで、あの日のシルヴァに似てる)
月は、世界樹の意識を宿したシルヴァの髪の色によく似ていた。
静かに夜空にたたずみ、その柔らかな光をそっと夜道に投げかけている。
もうマリエンヌは彼の顔をよく覚えていなかった。
覚えているのは、エメラルド色の瞳と、彼にもらった沢山の愛の言葉。
10年の間で、こぼれ落ちてしまった記憶に、彼女はどうしようもない焦燥感にかられた。
(大好きな彼をずっと覚えていたかった。……ああ。会いたい、なあ)
手の中にある彼の服は、もう古びてところどころ擦り切れている。
彼の匂いもとっくに消えたそれをマリエンヌは手放すことができない。
毎晩毎晩、彼を抱きしめるようにその服を抱いて眠っている。
その夜も、いつもと変わらず彼の服をぎゅうっと抱きしめて眠りについた。
真夜中マリエンヌは、ぎしりという音を聞いた。
同時にベッドが沈み込む感覚がする。ああ、また夢? と思いながら、改めて眠りに入ろうとする。
くすっと笑い声がして、マリエンヌの頬をあたたかな何かが撫でる。
ようやくこれは夢ではないと気が付いて、あわてて闇の中に目を凝らした。
淡い月明りの中、誰かが覆いかぶさるようにマリエンヌを覗き込んでいる。
さらさらした長い髪が視界を覆いつくしていた。
月の光に透かしたそれは白く、まるで髪自体が光り輝いているようだ。
影になっていて表情はわからないけれど、欲にまみれた暗い緑の瞳がこちらを見つめている。
「マリィ、おはよう」
低く甘い声が耳に届いて、マリエンヌは思わず「へ?」と聖女らしからぬ声を上げてしまった。
親しげに名を呼ぶこの青年はいったい誰だろうか。
こんな夜更けに女性の寝床へ忍び込む青年に心当たりがなく、思わず突き飛ばしてベッドから転がり落ちた。
「ああ、そうか。……彼はマリエンヌさまと呼んでいたね」
「そ、んな……」
暗闇から月明りに出て、彼の顔がよく見えた。
子供らしかった丸みはそげ落ちているが、愛しい彼の面影が確かにそこにある。
それなのに、剣呑な雰囲気を宿した瞳は全く別人のものだ。
「こほんっ」わざとらしい咳払いをして、床に倒れたマリエンヌへ手を伸ばした。
「マリエンヌさま! ただいま戻りました」
思わず心臓が跳ねあがる。
彼の顔で天真爛漫に笑う姿は、記憶の中のシルヴァにぴったりと重なる。
思わず手を取りそうになったのを、ほんの少し残った理性で押しとどめた。
自らに伸ばされかけて止まった手を見て、目の前の何かは、瞳からすっと笑みを消した。
その瞳に暗い欲が戻ってきたのを察し、マリエンヌは思わず後ずさった。
転がり落ちた時に巻き込んだシーツが滑る。手足をばたつかせてもがいても、距離は一向に広がらない。
彼女のあられもない姿を見ながら、目の前の何かはゆったりと腕を組み愉しそうに笑った。
「ふふ、やっと会えたね愛しいマリィ。ずっと会いたかったんだ。根を通じて君のことを見ていたよ」
一歩、一歩、音もなく彼女へ近寄るとその場にしゃがみ込み、ずいっと彼女を覗き込む。
「だというのに、彼は君に会うのを良しとしてくれなくてねえ」
肩をとんっと押され、床に押し倒される。マリエンヌの髪が、床に、シーツに散らばった。
窓の外の月に目の前の何かが重なって、視界が黒く染まる。ギラリと輝く瞳がマリエンヌを捕らえている。
怖い、と思った。
シルヴァを失ってから10年、いつもどこか空虚に生きてきた彼女は、その時初めて畏怖の念を抱いていた。
――目の前の何かは、確かに神の一節だった。
恐怖に駆られて視線を逸らすと、シーツに紛れて何かが見える。
10年毎晩抱いて眠った、愛しい彼のボロボロになった服だった。
「……シ、シルヴァ」
口からこぼれたのは、愛しい人の名前だった。
縋るような声音に、目の前の何かはぴたりと動きを止めた。
顔を正面から鷲掴みにして「ぐっ」とうめく。月明りを背に、瞳がぶれるように揺れている。
「ふ、ふふ。……ふふふ。やだな、傷つけたりしないって。ああ、ダメ? ……ダメかあ」
もう一方の手のひらをマリエンヌに伸ばし、頬に届きそうになったところで、その手は力を失ったようにぱたりと落ちた。
顔を掴む指の隙間から覗いた瞳が、どんどん見開かれていく。
「――マリエンヌ、さま」
かすれて消えそうなその声は、記憶の彼の声よりだいぶ低かったけれど、それが確かにシルヴァの声だとすぐに分かった。
「シルヴァ!」
思わず彼の頭を抱きしめ、その細い髪に頬を寄せた。
10年ぶりにシルヴァを腕の中に抱いて、胸の奥がぎゅうっと痛んだ。懐かしい恋の痛みだ。
気づくと、ぽろぽろと涙が頬を伝って、シルヴァの髪に染み込んでいく。
ぐすっと鼻をすすると、気が付いたシルヴァがそっと身じろいで、マリエンヌの両頬をその手で包みこむ。
呆然と表情を失くした彼の視線が、マリエンヌの視線と絡み合う。
瞳が揺れて、彼女をもっとよく見たいと言わんばかりに、ぐっと近づいた。
「マリエンヌさま。どうしたんですか、何かつらいことがありましたか。それとも、会わないうちに泣き虫さんになっちゃったんですか」
エメラルド色の瞳がそっと細められて、マリエンヌの顔にかかる髪を払う。
涙でぐっしょりと濡れた顔を見て、ふっと息をこぼすように笑った。
「話したいことが、話さないといけないことがたくさんあるの」
「聞いてあげたいところですが、時間がありません。あのお方が戻る前に君との約束を守らなくては」
シルヴァは早口でそう言うと、マリエンヌの身体を抱き上げた。
あまりにも簡単に抱き上げるので、あわててその首に縋りつくように腕を回す。
「まって」という声も聞かずに、シルヴァは歩き出し、窓を開け放つ。
「え? シルヴァなに、ここ3階よ?」
「――舌噛みますよ」
思わず口をつぐんだマリエンヌを確かめて、シルヴァの足は窓枠を蹴った。
「んんんんんんんんっ!?」
「は、あはははっ」
言われた通り口をつぐんだまま叫ぶマリエンヌに、シルヴァは笑い声をあげた。
そのまま地面に音もなく降り立つ。常人ではないその動きに、彼が確かに人ではなくなったことを知る。
走り出した彼に振り落とされないように、ぎゅっとその胸元の服を握り締めた。
「元気そうで何よりです。とても、安心しました」
走りながら、シルヴァはマリエンヌの耳元でささやく。
「もうあなたは神殿にいないものだとばかり思っていたので、それはそれはおどろきました。何をされていたんです? ――――ああ、ここまでですか」
軽やかに走り続けていた足が不自然にぴたりと止まる。
後ろから引っ張られるように少し足が下がり、頭上から「ぐっ」とこらえる声がした。
シルヴァはマリエンヌをゆっくりと下ろす。
そこは、小高い丘の上だった。月が照らした丘には微かに風が吹いて、並び立つ2人の髪を揺らしている。
マリエンヌがシルヴァを振り返ると、彼は頷いて、そっと彼女の背を押した。
「あの人が戻らないうちに行ってください。ここから先へ僕は出られない」
いつの間にか彼の身体には白く輝く葉の模様が浮かび上がっていた。
彼がマリエンヌに近づこうと一歩を踏み出すと、ツタが巻き付くように葉が動いて、その動きを止める。
世界樹の呪縛だと、マリエンヌは察した。
「あのね、わたしね、巫女でいることを受け入れたのよ。シルヴァのそばにいたいって、今はそう思ってる」
「はっ」
マリエンヌの必死の告白を、シルヴァは鼻で笑った。
聞き分けのない子供に対するように、話しかけてくる。
「あの人が戻れば、今度こそ僕は完全に世界樹の意識を取り込んでしまう。そうなったら遅いんです。彼はあなたを決して離さない。それがどういうことか分かって言っているんですか」
「わかっているわ」
「分かっていません!」
初めて聞く彼の怒声に、マリエンヌはびくりと肩を跳ねさせた。
シルヴァは激情を抑え込むように瞳を閉じて、震える息を吐いた。
「お願いです、逃げてください」
「でも、巫女がいなくなったら封印はどうなるの? 魔物が漏れ出したら――」
「そんなことどうだっていい!」
カッと苛立ちに見開かれた瞳が、マリエンヌに向けられる。
マリエンヌは、もうどういう言葉で伝えれば彼に届くのか、わからなくなった。
「僕はもう子供じゃありません。……僕に、あなたを守らせてくれませんか」
懇願するような響きに、マリエンヌは呆然とする。
傍にいたいと伝えることができたら、それで傍にいられると思っていた。
まさか彼から拒否されるなんて、思ってもみなかった。
「……もしかしたら、世界樹の意識を取り込んでも、シルヴァのままでいられるかもしれないでしょ?」
ぽつりとこぼした言葉に、シルヴァは哀しそうに眉根を寄せた。
10年ぶりに会えた彼は、記憶の中のどの彼とも違う。
頬に触れるのに背伸びをする必要もなく、紡がれる言葉の全てでマリエンヌを諭している。直接的な言葉で愛をささやかれることもない。
(まるで、わたしがわがままを言う子供みたい)
うつむいたマリエンヌを見て、シルヴァはそっと手を伸ばし、地に膝をつく。
彼女の手を、その大きな手のひらで包み込むように握り、祈るように額へ当てた。
「お願いです、あなたを傷つけたくない。……きっとあの人は僕に成り代わるつもりなんです。この声で、この顔で、僕の言葉を真似るあの方をマリエンヌさまは見分けることができますか」
「できるわ!」
「いいえ、できません。……僕とあなたは、たかだか5日を共に過ごしただけでしかない」
シルヴァは諦めたような笑みを浮かべている。
マリエンヌと共に生きる未来はないのだと、その笑みが語っている。ここでもう『おしまい』なのだとはっきり伝えてくる。
ここでの別れを、彼は望んでいる。
「いやよ」
「……え?」
マリエンヌは人生で初めて、「いや」と口にした。
周りに望まれるがまま生きてきた彼女の、初めての反抗だった。
マリエンヌは、どうしても彼との人生を歩みたい。誰かの望みではなく、自らの望みを優先したいと、初めて思った。
顔を上げ、目の前で驚いたまま動けないシルヴァをにらみつける。
髪の色が何色に変わっても、背がどれだけ伸びたって、目の前にいるのは愛しい『マリエンヌのシルヴァ』だ。
「……っ!?」
ぐっと顎をすくいあげ、見開かれた瞳を見ながら、彼に口づけをする。
固まったままの彼の唇を開放し、ゆっくりと額を合わせる。目の前のエメラルド色は見開かれたまま、ゆらゆらと揺れている。
繋がった額からざわめいた白い葉がマリエンヌの肌へ伸びても、2人は身動きもとれずに見つめあった。
「たかだか5日じゃないわ。10年と5日よ。1日だってあなたのことを思わない日はなかった。10年と5日をかけて、私はあなたに恋をしたの」
見開かれた瞳が、さらに広がっていく。
震えた手のひらが、どんどん葉に覆われていくマリエンヌの頬を包む。
「ねえ、愛してるわ。シルヴァ」
「……ま、さか」
彼女の愛しい人を見つめる甘くとろけるような瞳を見て、シルヴァは珍しく不器用な笑みを浮かべる。
「こんな幸せ、あっていいんでしょうか」
「ふふ」
「ああ、やだな。心に決めていたはずなのに、世界樹に意識を渡してやるのが惜しくなりました。……もっとあなたといたい」
ぐっと握ったシルヴァの手にマリエンヌはその手を重ねて、優しく伝える。
「大丈夫。私が一緒にいる」
「心強いですね」
シルヴァは、マリエンヌの手を決して離さないように指を絡めた。
少しためらうような間のあとに、彼の低く甘い声が響く。
「……僕も、10年と5日前から、あなたを愛しています」
2人の唇が再び重なったとき、肌の上をざわめく白い葉が伸びていく。
体のすべてを包み込んで光を放ち、夜の帳を切り裂いていく。2人の意識はその光を最後に途絶えた。
◇ ◇ ◇
マリエンヌは、ぎしりという音を聞いた。
同時にベッドが沈み込む感覚がする。ああ、また夢? と思いながら、改めて眠りに入ろうとする。
マリエンヌの頬をあたたかな何かが撫でる。
ようやくこれは夢ではないと気が付いて、まぶたを開いた。
光降り注ぐ部屋の中で、覆いかぶさるように覗き込むエメラルド色が瞬いている。
ぽたり、ぽたり。
とめどなく落ちる彼の涙が、マリエンヌの頬を伝い落ちる。
「――――おはよう、大好きな私のシルヴァ。それからお誕生日、おめでとう」
森に囲まれた小国ティルフィアには、語り継がれた伝説がある。
親から子へ、子から孫へと口伝されたその、いわばおとぎ話には、続きの物語が存在した。
500年に一度。世界樹はその身を新しい枝へと移し封印を敷きなおさんとしました。その時世界に救世の聖女が現れます。
聖女のあふれる愛は世界を満たし、末永く、末永く平和な世が訪れました。
おしまい
2
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