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浮舟の章
浮舟の章㉑
しおりを挟むアズィーザの自殺は一気に広まった。
それまで彼女を馬鹿にしていた連中は掌を返し、その死を賞賛した。
『流石はアズィーザ殿だ。自ら進んで夫に殉じるとは。正に妻の鑑だ』
『イフラース殿を守る為でもあるのでしょう。負担になるくらいなら自ら身を引く。母親としても最高だ』
『それに比べてあの義両親は・・・』
『クズだな』
批判と悪意は母をいじめ抜いた祖父母に向けられた。
見栄と世間体を気にする彼らはこの状況に耐えきれず、祖父は憤死した。
祖母も祖父の後を追うようにひっそりと亡くなった。
イフラースは淡々と祖父母の葬儀をあげ、両親とは距離のある墓地に埋葬した。
人は汚い。
両親を失ったイフラースが学んだのは人の汚さと愚かさだ。
もう誰も信じられなくなって業務を全て屋敷に移し、引き籠もった。
今更母を賞賛されてもイフラースの心は動かない。
ただあの一言がイフラースの頭から離れなかった。
「お母さんは私を守る為に死んだのでしょうか?気弱で情けない息子の負担になるのが嫌で、自ら死を選んだのでしょうか・・・?」
イフラースは喋りながら泣いていた。
「それから自分の顔を見るのが辛くて。私はお母さんそっくりだから」
自らの顔を通して、母が自分を責めているような気がした。
もっと強くて頼りがいのある息子だったらお母さんも安心できたのに。
ごめんなさい。
「・・・謝る必要なんてない」
浮舟は立ち上がると、イフラースを強く抱きしめた。
「絶対違う。私が断言する。貴方のお母さんは事故だ。自殺じゃない」
「え・・・」
「私は知っている。勝手なの。私の父がそうだった」
『知っているか浮舟。俺みたいな才能なしでも一発逆転できる方法があるんだよ』
ニタリと笑った父はそこから一心不乱にこの絵を描き始めた。
完成した次の日、父は美術協会に反論と恨みを綴った手紙を送り自決した。
第一発見者は浮舟だ。
浮草はアトリエで首を掻き切り、自害した。
部屋中に飛び散った血を見た浮舟は恐怖で立ち尽くした。
『・・・父さん・・・』
父は笑っていた。
笑いながら死んでいた。
浮舟は震えながら人を呼んだ。そこから先は記憶がない。
『己の才能は死して花開く。真の評価は百年後に下るであろう』
美術協会に送った手紙はそう締めくくられていたらしい。
センセーショナルな死に様は話題となり、父の絵は美術館で一番良い場所で展示された。
しかし、誰も足を止めてまで見なかった。
父の絵はあっという間に取り外され、浮舟の元に戻ってきた。
何をやっても評価されず、命すら無駄になった父。
あの日見た死に顔と血が頭から離れなかった。浮舟は嫌な記憶をこそぎ落とすように父の絵を模倣した。
恨み、辛み、妬み、嫉み。
やるせなさに怒り。負の感情に飲み込まれ、やがて身を委ねてゆく。
浮舟の中に元々備わっていた破壊衝動と、父によって引き出された狂気が溢れ出ていく。
キャンパスに絵の具をぶつけ、叫び、暴れて部屋を破壊する。
ああ、絵の道は何と過酷なのか。
綺麗なままでいたいのに、もう綺麗なだけの絵は描けない。
気が付いたら笑っていた。
笑いながら泣いていた。
『くっだらない・・・!』
完成した絵を見て吐き捨てた。
それ以降、二枚の絵はアトリエの奥に追いやられ埃を被った。
お見合いの最終審査を決めておくように言われていた浮舟はふと父の絵を思い出した。
これを最終審査にしよう。
誰にも選ばれなかった絵でも、きっと価値を見出してくれる誰かが現れると信じて。
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