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第10話 風味の記憶
しおりを挟む🍊 第10話「風味の記憶」
料理教室「風味の記憶」は、広島市の下町にひっそりと佇んでいる。木の扉を開けると、だしの香りと焼きたてのパンの匂いが混ざり合い、訪れる人々の心をほぐしてくれる。
この教室を営む佐伯遥は、かつてフランスで修業を積んだフレンチシェフだった。華やかなレストランで働き、星付きの厨房にも立った。しかし、ある日突然、すべてを手放して日本に戻り、この小さな教室を開いた。
理由を知る者は少ない。遥自身も、あまり語らない。
ある秋の日、教室に誰もいない時間。遥は一人、厨房に立っていた。棚の奥から、古びたレシピノートを取り出す。そこには、フランス修業時代に書き留めた料理の数々が並んでいた。
「鴨のロースト・オレンジソース添え」
そのページを見つめながら、遥は静かに目を閉じた。
——パリの厨房。鋭いフライパンの音、シェフの怒号、焦げたソースの匂い。完璧を求められる日々。遥はその中で、料理を愛しながらも、次第に心をすり減らしていった。
ある夜、遥は厨房でひとり、鴨肉を焼いていた。オレンジの皮をすりおろし、赤ワインとフォン・ド・ヴォーでソースを煮詰める。皿に盛りつけた瞬間、涙がこぼれた。
「誰のために作ってるんだろう」
その問いが、遥を日本へと導いた。
「料理は、誰かの記憶に寄り添うもの。技術じゃなく、心を伝えるもの」
その思いが、教室の名前「風味の記憶」になった。
遥は、鴨肉を冷蔵庫から取り出し、ゆっくりと下処理を始めた。皮目に切り込みを入れ、塩と胡椒をふる。フライパンを熱し、皮目から焼く。脂がじゅうっと音を立て、香ばしい匂いが広がる。
オレンジソースは、果汁と皮、赤ワイン、少量の蜂蜜、フォン・ド・ヴォーで煮詰める。甘酸っぱく、深みのある香りが立ち上る。
「この味は、私の記憶」
焼き上がった鴨を皿に盛り、ソースをかける。遥はひと口食べて、静かに微笑んだ。
その夜、教室の常連たちが集まった。卵焼きの誠一、カレーの姉妹、春巻きのリュウ、味噌汁の夫婦、オムライスの悠真、煮物の沙織、パンケーキの紗季、焼き魚の悠人、グラタンの美和と千尋。
遥は、鴨のローストを一皿ずつ丁寧に盛りつけ、皆に手渡した。
「これは、私の記憶の料理です。皆さんの記憶に、少しでも残れば嬉しいです」
誰もが静かに食べ、そして笑った。
「先生の料理、やっぱり特別ですね」
「でも、皆さんの料理も、私にとって特別です。この教室は、皆さんの記憶でできていますから」
その言葉に、教室は静かな拍手に包まれた。
遥は、厨房の隅にあるレシピノートを開き、新しいページにこう記した。
「風味の記憶——人と人をつなぐ、味の記録」
そして、そっとペンを置いた。
📝 レシピ:鴨のロースト・オレンジソース添え(フレンチスタイル)
材料(2人分)
鴨ロース
• 鴨胸肉:2枚(皮付き)
• 塩・黒胡椒:適量
• サラダ油:小さじ1
オレンジソース
• オレンジ果汁:1個分
• オレンジの皮(すりおろし):少々
• 赤ワイン:50ml
• 蜂蜜:小さじ1
• フォン・ド・ヴォー(市販):100ml
• バター:10g
作り方
鴨ロース
1. 鴨肉の皮目に格子状の切り込みを入れ、塩・胡椒をふる。
2. フライパンに油を熱し、皮目から中火で焼く(約5分)。
3. 裏返して弱火で3分焼き、アルミホイルで包んで休ませる(10分)。
オレンジソース
1. 小鍋に赤ワインを入れて煮立たせ、アルコールを飛ばす。
2. オレンジ果汁・皮・蜂蜜・フォン・ド・ヴォーを加えて煮詰める。
3. とろみが出たら火を止め、バターを加えて艶を出す。
盛りつけ
1. 鴨肉を斜めにスライスし、皿に並べる。
2. オレンジソースをかけて完成。
ポイント
• 鴨肉は焼いた後に休ませることで、肉汁が落ち着きジューシーに。
• オレンジの皮は苦味が出ないよう、白い部分を避けてすりおろす。
• ソースは煮詰めすぎず、軽やかな甘酸っぱさを残す。
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