発酵する記憶

ユウ6109

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発酵する記憶

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広島の秋は、空気が澄んでいて、どこか懐かしい匂いがする。銀杏の葉が舞い落ちる並木道を歩きながら、佐伯はポケットの中の小瓶を指で転がしていた。中には、琥珀色の液体。祖母が遺した「発酵ワッフルの素」だ。
祖母・澄江は、広島市内で小さな喫茶店を営んでいた。店の名は「ふくふく」。昭和の香りが残る店内には、いつも甘い香りが漂っていた。特に人気だったのが、発酵ワッフル。外はカリッと、中はふんわり。ほんのり酸味があって、口に入れると記憶が蘇るような味だった。
「発酵って、記憶みたいなもんよ。時間をかけて、ゆっくり育てるの」
祖母はよくそう言っていた。佐伯が高校生の頃、進路に悩んでいたときも、祖母はワッフルを焼きながら静かに話を聞いてくれた。答えはくれなかったが、あの香りと温もりが、彼の背中を押してくれた。
それから十年。祖母は去年、静かに息を引き取った。店は閉じられ、佐伯は東京で食品開発の仕事に就いた。だが、祖母のレシピは残された。手書きのノートと、小瓶に入った発酵種。彼はそれを持ち帰り、今、広島の地に立っている。
「発酵ワッフル体験!」と銘打ったオープンキャンパスイベントの準備が進む中、佐伯は祖母のレシピを再現しようとしていた。だが、うまくいかない。温度、湿度、材料の配合。何度試しても、あの味にならない。
「記憶って、再生できないのかもしれないな…」
そう呟いたとき、ふと祖母の言葉が蘇った。
「発酵は、育てるもの。再現じゃない。今のあなたが、今の時間で育てるのよ」
佐伯は、レシピに少しだけ手を加えた。地元の米粉を使い、広島レモンの皮を少しだけ加える。祖母の味に敬意を払いながら、今の自分の感覚を信じて。
イベント当日。高校生たちが次々とワッフルを焼き始める。甘酸っぱい香りが会場に広がり、笑い声が響く。ある女子生徒が、焼きたてのワッフルを口にして目を丸くした。
「なんか…懐かしい味がする!」
佐伯は思わず笑った。
「それは、君の記憶が発酵したんだよ」
彼は空を見上げた。澄んだ秋空の向こうに、祖母の笑顔が浮かんだ気がした。
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