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第10章 影の谷の追跡
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朝霧は山の谷をゆっくりと満たし、木々の間から差す光は斑に揺れた。HarunとCelenは足跡を追い、崩れかけた小道を黙って進んだ。二人の息遣いだけが森に響く。Harunの手はポケットの中のコインに触れ、冷えた金属の感触が小さな確信を与えた。
「足跡は増えている」Celenが低く告げる。痕跡は数日前のものとは違い、周囲の枝や葉が意図的に刈り払われたような、整然とした通り道を示していた。誰かが確信を持って動いている証拠だ。
谷の奥、木立が途切れた場所に出ると、小さな集落の廃屋がいくつか見えた。屋根は崩れ、扉は外れ、壁には黒い紋章の焦げ跡が残る。Harunの胸の奥で冷たいものが広がった。村で見た傷跡と同じ匂いがここにもある。
「奴らはここで何を得たんだろう」Harunは呟く。Celenは黙って廃屋を一つずつ覗き、手際よく周囲の安全を確保する。彼の動きは熟練の狩人のように無駄がなく、Harunは自分の未熟さを改めて感じた。
廃屋の一つ、床下の空間で微かな光が揺れているのをMikなら見逃さなかっただろう。Celenは粗末な蓋をはがし、狭い隙間に手を伸ばすと、古い箱を引き出した。箱の蓋には黒い紋章が彫られており、周囲には水のような模様が回っている。Harunは息を呑む。
「これは……」彼の声は震えた。箱を開けると、中には小さな機械部品と、封印されたような薄い書片が入っていた。紙には奇妙な符号が走り、ところどころに潮のようなインクのにじみがある。箱は紋章の一端を示す証拠に違いなかった。
だがそのとき、木立の奥で葉擦れとは違う規則的な足音がした。影が一つ、二つと茂みを抜け、覆面の集団が姿を現した。彼らは静かに、だが確実に包囲を完成させていた。黒い紋章が胸に光る。Harunの胸に冷たい緊張が落ちた。
Celenは一瞬で辺りを見渡し、Harunに囁いた。「退くぞ。計略が必要だ」
しかしHarunは箱を抱えて一歩も動けなかった。目の前にある証拠と、自分たちの無力が交差する。覆面の一人が前に出て、低い声で言った。「返せ。お前たちの旅がここで終わるか、あるいは続くかは指揮官次第だ」
言葉に含まれた冷笑に、Harunは怒りと恐怖が混じった熱を感じた。だがCelenは冷静だった。短剣を引き、影の間を突くように一人を切り倒す。動きは速く、致命的。だが覆面の数は多い。反撃が来る。
混乱の中、Harunは箱ごと走り出した。足元がぬかるみ、枝が靴に絡みつく。頭の中は騒がしいが、心の中にある決意だけが静かに光る。走るうちに背後で鋭い声が上がり、Celenの名が叫ばれる。Harunは振り返ると、Celenが一人に押し倒され、覆面の刃が彼の腹部を裂く瞬間を見た。
時間がゆがんだように感じられた。Harunの体は自然に反応し、走路を切り替えて覆面に飛び掛かる。力は憤りと恐怖で満ちており、未熟な突進は不器用だが必死だった。覆面の一人とぶつかり合い、刃は互いの肩に当たり、悲鳴が上がる。Celenは苦悶の顔で刃を振り払おうとするが、膝から力が抜けているのが見て取れた。
Harunは咄嗟にコインを取り出し、掌に押し当てた。冷たい金属が指の間で鮮烈に光ると、周囲の空気が震え、目の前の風景が一瞬揺らいだ。覆面の数が束になって押し寄せるはずが、その動きが鈍くなり、視界が滲むように変わった。Harunの記憶の断片が、断続的に断片画のように流れ込む――見知らぬ海岸線、薄闇の中で笑う幼い影、そして炎に包まれた家屋の輪郭。胸の奥に刺さる痛みと共に、彼は自分が何かを共有していることを知る。
その瞬間を衝いて、Celenは再び立ち上がり、短剣を反撃に転じた。彼の動きはぎこちないが確かで、覆面の一人に致命の一撃を与える。覆面の者たちは動揺し、片足を踏み外す者、武器を落とす者が出始める。Harunもまた、足元の震えを抑えつつ、必死に戦った。
戦いが終わると、静寂が突然襲った。覆面の者たちは撤退し、黒い紋章は木立の闇へと消えていった。血の匂いと土の匂いが混ざり、Harunは膝に手をついて呼吸を整える。Celenは地面に膝を落とし、腹の傷から滲む血を両手で押さえている。
「大丈夫か」Harunの声は震えていた。Celenは浅く息を吐き、ただ一言だけ返した。「……俺はまだ、道の途中だ」
だがその目には深い疲労が宿っており、彼の体は明らかに限界を超えていた。Harunはポケットから布を取り出し、傷口を押さえる。血の温かさが掌を染める。仲間を守るという言葉の重さが、初めて生々しく胸に落ちる。
夜が近づくころ、二人は廃屋の一つに身を寄せ、簡素な応急処置を施した。Celenは眠りにつくように目を閉じ、Harunは外の闇を見つめながらじっと考えた。覆面の者たちの狙いは何か、黒い紋章の正体は何か、そして自分の中に芽生えつつある光は――ただの偶然なのか、それとも運命の断片なのか。
谷の風が古い壁を撫で、遠くで一匹の鴉が鳴いた。Harunは布切れに包んだコインを胸に押し当て、決意を新たにした。仲間を増やすこと、力を知ること、真実を掴むこと。だがその一方で、守るべきものが増えれば増えるほど、失う可能性も増えるという現実が静かに重くのしかかるのだった。
「足跡は増えている」Celenが低く告げる。痕跡は数日前のものとは違い、周囲の枝や葉が意図的に刈り払われたような、整然とした通り道を示していた。誰かが確信を持って動いている証拠だ。
谷の奥、木立が途切れた場所に出ると、小さな集落の廃屋がいくつか見えた。屋根は崩れ、扉は外れ、壁には黒い紋章の焦げ跡が残る。Harunの胸の奥で冷たいものが広がった。村で見た傷跡と同じ匂いがここにもある。
「奴らはここで何を得たんだろう」Harunは呟く。Celenは黙って廃屋を一つずつ覗き、手際よく周囲の安全を確保する。彼の動きは熟練の狩人のように無駄がなく、Harunは自分の未熟さを改めて感じた。
廃屋の一つ、床下の空間で微かな光が揺れているのをMikなら見逃さなかっただろう。Celenは粗末な蓋をはがし、狭い隙間に手を伸ばすと、古い箱を引き出した。箱の蓋には黒い紋章が彫られており、周囲には水のような模様が回っている。Harunは息を呑む。
「これは……」彼の声は震えた。箱を開けると、中には小さな機械部品と、封印されたような薄い書片が入っていた。紙には奇妙な符号が走り、ところどころに潮のようなインクのにじみがある。箱は紋章の一端を示す証拠に違いなかった。
だがそのとき、木立の奥で葉擦れとは違う規則的な足音がした。影が一つ、二つと茂みを抜け、覆面の集団が姿を現した。彼らは静かに、だが確実に包囲を完成させていた。黒い紋章が胸に光る。Harunの胸に冷たい緊張が落ちた。
Celenは一瞬で辺りを見渡し、Harunに囁いた。「退くぞ。計略が必要だ」
しかしHarunは箱を抱えて一歩も動けなかった。目の前にある証拠と、自分たちの無力が交差する。覆面の一人が前に出て、低い声で言った。「返せ。お前たちの旅がここで終わるか、あるいは続くかは指揮官次第だ」
言葉に含まれた冷笑に、Harunは怒りと恐怖が混じった熱を感じた。だがCelenは冷静だった。短剣を引き、影の間を突くように一人を切り倒す。動きは速く、致命的。だが覆面の数は多い。反撃が来る。
混乱の中、Harunは箱ごと走り出した。足元がぬかるみ、枝が靴に絡みつく。頭の中は騒がしいが、心の中にある決意だけが静かに光る。走るうちに背後で鋭い声が上がり、Celenの名が叫ばれる。Harunは振り返ると、Celenが一人に押し倒され、覆面の刃が彼の腹部を裂く瞬間を見た。
時間がゆがんだように感じられた。Harunの体は自然に反応し、走路を切り替えて覆面に飛び掛かる。力は憤りと恐怖で満ちており、未熟な突進は不器用だが必死だった。覆面の一人とぶつかり合い、刃は互いの肩に当たり、悲鳴が上がる。Celenは苦悶の顔で刃を振り払おうとするが、膝から力が抜けているのが見て取れた。
Harunは咄嗟にコインを取り出し、掌に押し当てた。冷たい金属が指の間で鮮烈に光ると、周囲の空気が震え、目の前の風景が一瞬揺らいだ。覆面の数が束になって押し寄せるはずが、その動きが鈍くなり、視界が滲むように変わった。Harunの記憶の断片が、断続的に断片画のように流れ込む――見知らぬ海岸線、薄闇の中で笑う幼い影、そして炎に包まれた家屋の輪郭。胸の奥に刺さる痛みと共に、彼は自分が何かを共有していることを知る。
その瞬間を衝いて、Celenは再び立ち上がり、短剣を反撃に転じた。彼の動きはぎこちないが確かで、覆面の一人に致命の一撃を与える。覆面の者たちは動揺し、片足を踏み外す者、武器を落とす者が出始める。Harunもまた、足元の震えを抑えつつ、必死に戦った。
戦いが終わると、静寂が突然襲った。覆面の者たちは撤退し、黒い紋章は木立の闇へと消えていった。血の匂いと土の匂いが混ざり、Harunは膝に手をついて呼吸を整える。Celenは地面に膝を落とし、腹の傷から滲む血を両手で押さえている。
「大丈夫か」Harunの声は震えていた。Celenは浅く息を吐き、ただ一言だけ返した。「……俺はまだ、道の途中だ」
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