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深い森のすぐ側の、古くて赤貧極まりない修道院がひっそりと存在する。
ルキナ女子修道院。赤貧ではなく清貧を重んじる規律厳しい修道院である。
ボロボロで、ここって廃墟じゃないの? と思わせるその建物を、ゴリゴリの完全武装した軍隊が囲むというのは、何とも異様な光景だ。
当然、争い事に無縁な修道女たちは恐怖に震え上がった。
「ななな、なんで軍隊が!」
「あの旗印って、確かアヴェレス王国じゃない?」
「アヴェレス王国って、あの血塗られた戦争大国の……」
「たくましい殿方があんなにたくさん……♡」
最後のセリフはいささか修道女らしさに欠けるが、修道院の窓から外を見て騒ぐ彼女たちの様子はだいたいこんな感じだった。
「我らはアヴェレス王国から来た。修道院長、ここにブランシュ・ド・ユノフォスがいるであろう。ユノフォス王国の第三王女だ。悪いことは言わん。速やかに差し出すのだ」
ひときわ大柄で立派な軍服に身を包んだ男性が、堂々とした足取りで修道院長の前に歩み出た。
艶やかな黒髪に金色に光る双眸が印象的な美丈夫である。その顔立ちはやや無骨過ぎるきらいはあるが、髪を整えて盛装すれば、さぞや女性に持て囃されるだろう。
だが。
(目、目が怖すぎる……)
初老の修道院長は、男の眼光の鋭さに失神寸前だった。
――ついさっきまで戦場を駆け抜け敵を撫で斬りにしまくってましたこれからまた殺りに行きます――
そう雄弁に語り掛けてくる、狂気一歩手前です的な目をしているのだ。
こいつに逆らってはいけない。
修道院長は本能的にそう悟っていた。しかし、恐怖で腰が抜けかかっていて動けない。
そんな修道院長を見下ろし、男は眉根を寄せる。
「どうした? 聞こえぬのか?」
「ひゃい!?」
大柄な男の全身から威圧感が放たれて、修道院長は失神寸前だ。
「も~大将ってば、止めてくださいよ」
黒髪の男の横から、茶髪で垂れ目の青年が顔を出した。
大将と呼ばれた彼より細身で、軍服の襟元を緩めた、やや軟派な印象だ。
新たに人が現れて威圧感が薄れた。修道院長はようやく息をつく。
そんな修道院長に、茶髪青年がニコリとする。
「すみませんね、院長先生。この人のことはあまり気にしないでください。で、ブランシュ様はいますよね? 連れてきてくださいませんか?」
「で、でも、貴方たちはアヴェレスの方ですよね? ユノフォスの人間にどういった用があるのでしょう……?」
修道院長は顔を青くしながらも、問い掛ける。
アヴェレス王国とユノフォス王国は長年の宿敵の関係だ。そんな敵対関係の王族を差し出せと言うのだから、穏やかな話ではないと思うのは当然だ。そして中立の立場である修道院としては、積極的に加担する気はないと表明するのも当然のことだ。
「大丈夫ですって! もう戦争は終わったんですから」
場を和ませようとしてか、茶髪青年は明るい笑い声を上げる。
しかし黒髪の男がその努力を一瞬で砕いた。
「ユノフォス王国軍は壊滅し、王族は全て虜囚となり処分を待つ身。もうユノフォス王国という国は地上から消え去った」
残るは、ブランシュ第三王女のみ。
黒髪の男の目がギラリと光り、修道院長は卒倒した。
「んも~大将は交渉の場には一切出入り禁止ね!?」
「大将ではない。国王だ」
「はいはい、国王陛下ぁ~」
意識を失った院長を彼女の部屋に運んだのは、体力も腕力も有り余るアヴェレス王国軍の者たちだった。
見るからに高位の人間らしい二人の男たちを、他の修道女たちが遠巻きに見つめている。
「あの、国王陛下ということは、貴方様はアヴェレス王国のヘルムート王でございますか?」
院長より遥かに若い副院長が、恐る恐る彼らに声を掛けた。
「そうなんですよ~。この怖い顔のお兄さんがヘルムート陛下で、この軍の責任者。僕は副官のケヴィン・シュペア侯爵です。名乗りが遅れてごめんね?」
「この修道院は政治的に中立。掠奪は禁止している。だから第三王女の身柄をこちらに渡して欲しい」
ケヴィンと名乗った茶髪青年は人好きのする笑顔を見せるが、黒髪の大男アヴェレス国王の言葉はとにかく不穏だ。
掠奪されたくなければブランシュ王女を出せ、という風にしか聞こえない。
副院長の背後でバタバタと何人かの修道女たちが倒れる。
ケヴィンが己の額に手を当てた。
「とりあえず、ブランシュ様の身の安全は保証しますんで、呼んでもらってもいいですかね? 何はともあれ、話し合いをまずはしたいんですよ」
「分かりました……」
副院長はユノフォス王国の第三王女という者は知らないが、ブランシュという少女は知っている。とりあえずは会わせるしかないと渋々頷いた。
しかし。
「副院長、シスター・ブランシュが見当たりません……」
「確かシスター・ブランシュは洗濯室にいたと思ったのですが……」
「この時間は裏庭にいると思ったのですが……」
肝心のブランシュが見つからない。
「え……隠れているの?」
これにはケヴィンも頬を引つらせる。
副院長は縮こまった。
「わざとではないのです。シスター・ブランシュはその……少々おとなし過ぎでして……」
「え、お呼びでしたか?」
「「わあ!?」」
至近距離から声がして、副院長とケヴィンが飛び上がった。
ただヘルムートだけが、視線だけで相手を殺しそうな鋭い目を声の主に向けていた。
薄い。
色々な意味で薄い印象の修道女が、そこにいた。
まずは体つきが薄い。華奢というよりペラペラ。修道服の中で体が泳いでいる。
それこら、色素が薄い。肌は青白いほどで、大きな瞳はアイスブルー。髪は頭巾の中に隠されているので色は分からないが、眉や睫毛は白銀色だ。小さな唇だけがほんのりと紅い。
そして何より、存在感が薄い。
確かにそこにいるのに、つい見逃してしまうほどに気配自体が薄い。
「なるほど、これなら誰にも見つからないかも……」
ついこぼれたケヴィンの一言に、アヴェレス王国軍の面々は揃って頷いた。
「ブランシュ・ド・ユノフォス王女よ。迎えに来た」
ヘルムートがブランシュの前に立ちはだかった。
ブランシュは薄い上に身長も高くない。だから随分顔を上に向けなくてはならなかった。
ちょっと首が痛いので、少し傾げて見上げる形になり、傍から見るとかなりあざとい仕草になった。
ヘルムートの顔が歪み、鬼神のようになった。この顔で戦場に立てば、戦わずして敵が降伏してくること請け合いだ。
しかし、おとなしいというよりボケボケなブランシュは、キョトンとヘルムートを見上げるばかりだ。
「……貴様をアヴェレス王国に連行する。俺の手の内から逃げられると思うなよ」
地を這うようなヘルムートの低い声。その告げられた恐ろしい内容に、とうとう副院長まで倒れたのだった。
ルキナ女子修道院。赤貧ではなく清貧を重んじる規律厳しい修道院である。
ボロボロで、ここって廃墟じゃないの? と思わせるその建物を、ゴリゴリの完全武装した軍隊が囲むというのは、何とも異様な光景だ。
当然、争い事に無縁な修道女たちは恐怖に震え上がった。
「ななな、なんで軍隊が!」
「あの旗印って、確かアヴェレス王国じゃない?」
「アヴェレス王国って、あの血塗られた戦争大国の……」
「たくましい殿方があんなにたくさん……♡」
最後のセリフはいささか修道女らしさに欠けるが、修道院の窓から外を見て騒ぐ彼女たちの様子はだいたいこんな感じだった。
「我らはアヴェレス王国から来た。修道院長、ここにブランシュ・ド・ユノフォスがいるであろう。ユノフォス王国の第三王女だ。悪いことは言わん。速やかに差し出すのだ」
ひときわ大柄で立派な軍服に身を包んだ男性が、堂々とした足取りで修道院長の前に歩み出た。
艶やかな黒髪に金色に光る双眸が印象的な美丈夫である。その顔立ちはやや無骨過ぎるきらいはあるが、髪を整えて盛装すれば、さぞや女性に持て囃されるだろう。
だが。
(目、目が怖すぎる……)
初老の修道院長は、男の眼光の鋭さに失神寸前だった。
――ついさっきまで戦場を駆け抜け敵を撫で斬りにしまくってましたこれからまた殺りに行きます――
そう雄弁に語り掛けてくる、狂気一歩手前です的な目をしているのだ。
こいつに逆らってはいけない。
修道院長は本能的にそう悟っていた。しかし、恐怖で腰が抜けかかっていて動けない。
そんな修道院長を見下ろし、男は眉根を寄せる。
「どうした? 聞こえぬのか?」
「ひゃい!?」
大柄な男の全身から威圧感が放たれて、修道院長は失神寸前だ。
「も~大将ってば、止めてくださいよ」
黒髪の男の横から、茶髪で垂れ目の青年が顔を出した。
大将と呼ばれた彼より細身で、軍服の襟元を緩めた、やや軟派な印象だ。
新たに人が現れて威圧感が薄れた。修道院長はようやく息をつく。
そんな修道院長に、茶髪青年がニコリとする。
「すみませんね、院長先生。この人のことはあまり気にしないでください。で、ブランシュ様はいますよね? 連れてきてくださいませんか?」
「で、でも、貴方たちはアヴェレスの方ですよね? ユノフォスの人間にどういった用があるのでしょう……?」
修道院長は顔を青くしながらも、問い掛ける。
アヴェレス王国とユノフォス王国は長年の宿敵の関係だ。そんな敵対関係の王族を差し出せと言うのだから、穏やかな話ではないと思うのは当然だ。そして中立の立場である修道院としては、積極的に加担する気はないと表明するのも当然のことだ。
「大丈夫ですって! もう戦争は終わったんですから」
場を和ませようとしてか、茶髪青年は明るい笑い声を上げる。
しかし黒髪の男がその努力を一瞬で砕いた。
「ユノフォス王国軍は壊滅し、王族は全て虜囚となり処分を待つ身。もうユノフォス王国という国は地上から消え去った」
残るは、ブランシュ第三王女のみ。
黒髪の男の目がギラリと光り、修道院長は卒倒した。
「んも~大将は交渉の場には一切出入り禁止ね!?」
「大将ではない。国王だ」
「はいはい、国王陛下ぁ~」
意識を失った院長を彼女の部屋に運んだのは、体力も腕力も有り余るアヴェレス王国軍の者たちだった。
見るからに高位の人間らしい二人の男たちを、他の修道女たちが遠巻きに見つめている。
「あの、国王陛下ということは、貴方様はアヴェレス王国のヘルムート王でございますか?」
院長より遥かに若い副院長が、恐る恐る彼らに声を掛けた。
「そうなんですよ~。この怖い顔のお兄さんがヘルムート陛下で、この軍の責任者。僕は副官のケヴィン・シュペア侯爵です。名乗りが遅れてごめんね?」
「この修道院は政治的に中立。掠奪は禁止している。だから第三王女の身柄をこちらに渡して欲しい」
ケヴィンと名乗った茶髪青年は人好きのする笑顔を見せるが、黒髪の大男アヴェレス国王の言葉はとにかく不穏だ。
掠奪されたくなければブランシュ王女を出せ、という風にしか聞こえない。
副院長の背後でバタバタと何人かの修道女たちが倒れる。
ケヴィンが己の額に手を当てた。
「とりあえず、ブランシュ様の身の安全は保証しますんで、呼んでもらってもいいですかね? 何はともあれ、話し合いをまずはしたいんですよ」
「分かりました……」
副院長はユノフォス王国の第三王女という者は知らないが、ブランシュという少女は知っている。とりあえずは会わせるしかないと渋々頷いた。
しかし。
「副院長、シスター・ブランシュが見当たりません……」
「確かシスター・ブランシュは洗濯室にいたと思ったのですが……」
「この時間は裏庭にいると思ったのですが……」
肝心のブランシュが見つからない。
「え……隠れているの?」
これにはケヴィンも頬を引つらせる。
副院長は縮こまった。
「わざとではないのです。シスター・ブランシュはその……少々おとなし過ぎでして……」
「え、お呼びでしたか?」
「「わあ!?」」
至近距離から声がして、副院長とケヴィンが飛び上がった。
ただヘルムートだけが、視線だけで相手を殺しそうな鋭い目を声の主に向けていた。
薄い。
色々な意味で薄い印象の修道女が、そこにいた。
まずは体つきが薄い。華奢というよりペラペラ。修道服の中で体が泳いでいる。
それこら、色素が薄い。肌は青白いほどで、大きな瞳はアイスブルー。髪は頭巾の中に隠されているので色は分からないが、眉や睫毛は白銀色だ。小さな唇だけがほんのりと紅い。
そして何より、存在感が薄い。
確かにそこにいるのに、つい見逃してしまうほどに気配自体が薄い。
「なるほど、これなら誰にも見つからないかも……」
ついこぼれたケヴィンの一言に、アヴェレス王国軍の面々は揃って頷いた。
「ブランシュ・ド・ユノフォス王女よ。迎えに来た」
ヘルムートがブランシュの前に立ちはだかった。
ブランシュは薄い上に身長も高くない。だから随分顔を上に向けなくてはならなかった。
ちょっと首が痛いので、少し傾げて見上げる形になり、傍から見るとかなりあざとい仕草になった。
ヘルムートの顔が歪み、鬼神のようになった。この顔で戦場に立てば、戦わずして敵が降伏してくること請け合いだ。
しかし、おとなしいというよりボケボケなブランシュは、キョトンとヘルムートを見上げるばかりだ。
「……貴様をアヴェレス王国に連行する。俺の手の内から逃げられると思うなよ」
地を這うようなヘルムートの低い声。その告げられた恐ろしい内容に、とうとう副院長まで倒れたのだった。
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