亡国の王女と征服王

こもろう

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 ――貴様はもう逃げられない。

 突如現れた黒髪の男は、恐ろしい声でそう言った。

「え……と、私はシスターから奴隷にジョブチェンジでしょうか……?」

 大きな瞳をさらに見開き、ブランシュは胸の前で手を合わせた。

 敗戦国の王族を戦争奴隷として使い倒す伝統がアヴェレス王国にはあるようだ。
 三年しか国にいなかったブランシュだが、仮にもユノフォス王家の血を引く人間だ。だからそれは受けなければならない責務なのだろう。

 いくらぼんやりの彼女でも、さすがにちょっと動揺した。

「私のようなぼんやりが、立派に奴隷としてやっていけるでしょうか……」




 ブランシュは確かにユノフォス王国の第三王女である。
 しかも他の兄弟姉妹と違って、正妃の娘。
 最も正統なる血を受け継ぐ者なのに、正妃が早くに儚くなったため、ブランシュは三歳でこのルキナ女子修道院に入れられた。それからずっと修道院生活だ。

 ブランシュとしては、王宮生活よりこの修道院生活の方が遥かに平和で優しい世界だ。
 何しろ王宮では、自分より年上の異母兄弟姉妹たちが幅を利かせていて、正妃である母親が病弱で後ろ盾が弱かったブランシュはひたすら虐められていたのだ。
 それに引き換え、修道院には信仰上の優しい姉妹がいる。彼女らは共に労働をしてくれるし、ブランシュに向けてゴミを投げたり矢を射るような真似はしない。

 穏やかな生活を手に入れ、ブランシュは神に心底感謝したのだ。毎日の祈祷にも気合が入るというものだ。

 ……だから、故国であるユノフォス王国が滅亡したことを知らなかった。
 え? いつの間に無くなったの?
 という間抜けな言葉を呑み込むくらい。

「お可哀想にシスター・ブランシュ……神の家に身を寄せたとは言え、生まれた国を失うのはお辛いですよね……」

 仲間のシスターから涙ながらに慰められて、ブランシュは冷めた自分に罪悪感を抱いてしまった。

「お心遣い有難うございます。でも、仕方ありません。盛者必衰の理がございますもの……」

「それ、東の異教徒の教えですよ……」

 仲間同士で話をしていると、黒髪の偉丈夫がまた近づいてきた。

「片付けは終わったか?」

 これからブランシュは、このヘルムートという国王に連れられ、アヴェレス王国に奴隷になりに行くのだ。
 さようなら、温かな私の家族……
 ブランシュにとっては、修道院が実家であり修道女たちが家族だった。正直、ユノフォス王国が滅ぼされたという話より余程ショックだ。でも、自分が行かなくてはここに迷惑がかかる。それだけは嫌だ。

 わずかな服と身の回りの品だけ小さなカバンに纏め、ブランシュはトテトテとヘルムートの前に進んだ。
 ヘルムートの黒い眉が寄せられた。

「荷物はそれだけか? 貴様がここに入った時、王家からそれなりの金と宝飾品が渡されたはずだが?」

「いいえ? 私はこの身一つでルキナ女子修道院に身を寄せました。私が身につける物は全て修道院から頂いたのです」

 改めて、シスターたちの優しさに感謝だ。

「へえ~! やっぱりブランシュ様を虐待していたってのは事実だったんだね」

 ケヴィンが横から声を上げた。

「……まあ、いい。貴様はこれからも、自分で身の回りの物など用意する必要はない」

「……わかりました。奴隷ですもんね」

「はあ!? どうして奴隷なんて発想が出るんですか!?」

 目を剥いたケヴィンは、ハッとなってヘルムートに顔を向ける。

「ちょっと、大将っ!」

「大将ではない。国王だ」

「そんなこと言ってる場合じゃないですよ! 完全に誤解されていますよ。ちゃんと丁寧に言わないと!」

 ケヴィンにガクガクと肩を揺さぶられていたヘルムートは、ブランシュにその鋭い目を向けた。

「…………」

 何故かそのまま無言でブランシュを見下ろしている。身長差が凄いので、どうしてもそうなってしまうのだ。

「あの……?」

 ブランシュがその視線を受けて見上げると、凄い勢いで顔を逸らすヘルムート。
 ジッと見つめてくるくせに、ブランシュが反応すると、頑なに視線を合わせようとしない。

「大将ってば!」

「時間がない。行くぞ」

 それだけ言い捨てて、ヘルムートは踵を返してさっさと行ってしまう。

「は、はい……!」

 慌ててブランシュはその後を追う。
 しかし足の長さの差のせいか、全く追いつける気がしない。

「あっ……!」

 小走りになったブランシュは、修道院の外に出たとたん、小石に躓いた。
 倒れそうになったその瞬間、フワリと体が宙に浮く。

「何をやっているのだ!?」

「ひぇっ!?」

 いきなり目の前にヘルムートのドアップが現れた。ブランシュの体はガッシリと彼の腕に支えられて……と言うより抱かれていた。
 どうやらブランシュが転びそうになった瞬間、ヘルムートが光の速さですっ飛んできて、倒れかけた彼女を抱きとめたらしい。

「すみませんでした……」

 奴隷になる自分にも丁寧な対応をするなんて、優しい人だ。顔はちょっと怖いけれど。
 ブランシュはヘルムートの腕の中から出ようとしたが、何故かガッシリと抱かれているので抜け出せない。

「……細い脚だ」

 ヘルムートは眉間に縦皺を刻み、批判的な眼差しでブランシュの脚を見ていた。

「これでも毎日のお勤めで動いておりますので、そこそこ筋肉はついております」

 修道院はほとんど自給自足の生活だ。だからもちろんブランシュも、毎日野良仕事や力仕事に精を出していた。他のシスターからは、すぐに行方不明になったと大騒ぎされたりしたが。
 だからすぐに手を離して大丈夫だと促すが、ヘルムートの腕の力は揺るがない。

 人の体は温かい。ふとブランシュは思った。今までこんな感じで他人と触れ合うことはなかった。
 ヘルムートが触れる肩から、ヘルムートの体が近い腕から、彼の体温が伝わってくる。
 安心するような、落ち着かないような。
 そんな温かさを感じて、かえって外の気温の低さを知ってしまったせいだろう。

「くしゅんっ」

 ブランシュがくしゃみをした瞬間だった。
 ヘルムートの目がカッと見開かれた。
 ブランシュの体を横抱きにして、それだけ妙に立派な馬車まで高速移動。
 フカフカの座席に彼女を座らせると、次の瞬間には大量の毛布を抱えて現れた。

「わぷっ?」

 突然大量の毛布に埋もれ、ブランシュは目を白黒させた。

「ユノフォスよりアヴェレスの王都サントレは冷える。お前に死体となられてはまずい」

(奴隷は生きていてなんぼなな訳ですね、分かりました)

 そう解釈して、ブランシュは毛布に埋もれながら頷いた。
 ヘルムートも一つ頷き、馬車の扉を閉めた。どこか満足そうな雰囲気があった。

「それにしても、こんな豪華な馬車に奴隷を乗せるなんて……アヴェレス王国は太っ腹なのね」

 一人馬車内に残されて、ブランシュはキョロキョロと観察する。

 馬車の外では、誰かが怒鳴っている。ケヴィンの声だ。明朗快活な雰囲気の彼が大きな声を出すなんて、何が起きたのだろうか。
 首を傾げていると、馬車の扉がまた開いた。
 物凄いしかめっ面のヘルムートが、「失礼する……」とぶつぶつ口の中で呟きながら馬車に乗り込んできた。

「あ、陛下もご一緒なのですね?」

「……嫌なのか?」

「とんでもないです! あ、ちょっと席を詰めますね」

「貴様は動かなくてもいい」

 毛布で馬車の中の大半は埋まっているが、ヘルムートは気にせずブランシュの隣りに腰を下ろす。広いはずの座席がぎゅうぎゅうだ。
 色々なものに押されてアップアップするブランシュを、ヘルムートが支える。

「奴隷にもお優しいのですね」

「奴隷……? 我が国に奴隷の居場所などないぞ」

「ええ……? では私の命もアヴェレスに着くまでですね……」

「何を言っているのだ。貴様の命も体も心も全て俺のものだ。勝手に死ぬことなど許さん」


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