亡国の王女と征服王

こもろう

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 ヘルムートは、恐ろしい眼光をブランシュに据える。

「二度と死ぬなどと言うな。さもないと貴様を城の一室に閉じ込めねばならん――」

 唐突に馬車の扉が開き、ケヴィンの拳がヘルムートの頭に叩き込まれた。
 ゴスッと結構いい音がしたが、ヘルムートはびくともしなかった。ただ、ますます恐ろしい顔になって背後のケヴィンを睨みつける。

「……なんのつもりだ、ケヴィン?」

「それはこっちのセリフですよ! なんでブランシュ様を脅迫してんですか。あんたが言わなくちゃならんのは、プロポーズの言葉でしょうが!」

「プロポーズ?」

 物凄く場違いな単語に、ブランシュは目を瞬いた。
 ビクリとヘルムートの肩が跳ねた。しかしその顔はケヴィンに向けられたまま。ブランシュからは黒い後頭部しか見えない。
 でも。
 黒髪の隙間から、ヘルムートの耳たぶが見えた。そしてそれは、とても真っ赤になっていた。

「え……と、プロポーズというのは、いわゆる世間様の噂するところの、結婚の申し込みのことでしょうか……?」

「うおおおおおお!!!!」

 ヘルムートが吼えた。馬車の屋根が吹っ飛ぶかと思った。幸い、繋がれた馬は暴れたりしなかった。
 暴走したのはヘルムートだった。
 馬車の外に飛び出し、そのまま何処かへと走り去っていってしまった。

 残されたブランシュとケヴィンは、しばし沈黙に包まれた。

「あの腐れポンコツめ……」

 ケヴィンの口から呪いの言葉が聞こえてきた気がしたが、聞こえなかったことにしようとブランシュは決めた。
 こういう面倒な場面では、気配を消すのが一番だ。ブランシュは昔からそうやって生き延びてきた。だからそっと息を潜めていたのだが。

「あんまり静かにしないでくださいよブランシュ様。本当にそこにいるのか分からなくなるから」

 ケヴィンは誤魔化されてくれなかった。いや、ちょっとだけ誤魔化されたようだが。

「もうあの馬鹿はいいから、帰国しよう。馬車を出してくれ」

 ヘルムートの代わりにケヴィンを乗せて、馬車は動き出した。本当に国王を置いていくようだ。

「いいのですか?」

「いいんですよ。アレは自分一人なら走ってでも帰れますので」

 側近であろうケヴィンが言うのならば大丈夫なのだろう。ブランシュは自分に言い聞かせた。

「僕から言えるのは一つだけです」

 ケヴィンが真顔になって言った。

「あのバ……いえ、ヘルムート陛下は、誤解を与えやすいお方です。ですが……ああ見えて心根は優しい男なのですよ。昔に一度だけ会ったことのある人をずっと心に留めておくくらいには」

「お優しいのは分かりますわ。あのお方は、一度も私を害したりしません。むしろ壊れ物を扱うように大切にしていただいていることは、この短い間でも理解出来ました」

 ブランシュにしてはキッパリと言うと、ケヴィンは垂れ気味の目尻をますます下げて、嬉しそうに破顔した。




 アヴェレス王国の王都サントレに到着した時、ブランシュは心底びっくりした。

「王妃様が来たぞ!」

「新しいアヴェレスの王妃様、バンザイ!」

 王都の門を潜る前から、市民たちが道路にひしめき合い、ブランシュの乗る馬車とその一行を歓迎しているのだ。

「王妃様って言ってますけど……?」

 向かいの座席のケヴィンに、ブランシュは戸惑いを隠せない顔を向ける。
 ちなみにブランシュの隣りに座るのはヘルムートではなく女性兵士である。
 ブランシュと二人きりで移動などしたら、自分の命はないとケヴィンは重々承知している。

「僕から言うのも違いますからね。もうちょっと待っててくださいね」

 馬車を止めると、ケヴィンは外に出た。その間に女性兵士の手を借りてブランシュは与えられた服に着替える。

「こんな綺麗なドレス……私が着ていいのでしょうか」

「むしろブランシュ様に着ていただかないと困ります」

 金髪をキリリと結った女性兵士は凛としていて格好良い。自分のようなぼんやりとした人間よりも、こうした女性の方が遥かに似合うと思うのだが。
 ブランシュは、金糸の刺繍も豪華なドレスを見下ろして嘆息する。

「お似合いですよ」

「有難うございます……」

 女性兵士にエスコートされて馬車を降りる。
 馬車は門の前に停められていて、門の向こうは市民たちで埋め尽くされている。

「ブランシュ様はどこかな?」

「ここです」

「わあっ!?」

 ドレスを着ているのに、いや着ているからこそなのか、ケヴィンはブランシュの姿を見つけられなかった。

「び、びっくりした……あ、美し過ぎてびっくりしたんですからね!?」

 ケヴィンは慌てて賛美する。ブランシュは全く本気にしていないが、実際のところ修道服から着替えた彼女はとても美しかった。
 存在感は限りなく薄いが、その分可憐で妖精のような幻想的な美しさがある。
 透けるような白磁のような肌、丁寧に梳かれて輝きを増した白銀の髪は残念ながら肩までの長さしかないが、風に毛先を揺らす様は愛らしい。

「あの、私はどうしたらいいのでしょうか?」

「もう少し待ってください。すみませんね」

 ケヴィンはブランシュに毛皮で裏打ちされた豪奢なマントを掛ける。
 どう見てもそれはアヴェレス王族の証である藍色のマントだ。幸い、ブランシュにはその知識がなかったが。
 緋色の僧衣と司教冠を身に着けた老人がよたよたとやって来た。王都にいた枢機卿だ。手には小振りの王冠がある。

「王妃はどこですかな?」

「おじいちゃん……じゃなかった、猊下こちらですよ」

 他の司祭たちにいざなわれて、枢機卿はブランシュの傍らに立つ。

「王妃よ、我らも祝福しますぞ」

「ブランシュ様はあちらです」

 女性兵士に挨拶する枢機卿おじいちゃん

(やっぱり、奴隷にならなくていいのね。でも、これって……本当に?)

 流されるままにここまで来たけれど、本当に自分がここにいていいのだろうかと、ブランシュは不安になる。

 どこからか、地響きのような不穏な音が近づいてくる。
 何事かと人々がざわつく中、ケヴィンだけが呑気に手を振っている。

「ようやく来たか。遅いですよ、陛下!」

 怒り狂った猛牛のように恐ろしい勢いで駆けてきたのは、数日ぶりのヘルムートだった。
 やや埃っぽい彼のその手には、この寒い時期には咲いていないはずのスミレの花束があった。
 ヘルムートは一直線にブランシュの元に駆け寄り、ドカッと地面に片膝をついた。

「ブランシュ・ド・ユノフォス! 俺は貴様……ではない!!」

 ドカッとヘルムートは己の頬を殴りつけた。
 凄まじいセルフツッコミを間近で見て、ブランシュは飛び上がる。

「はい!?」

「私は貴女を愛しています! どうか共に戦場を駆け抜け……なくていいから、王妃となり、共に歩んで欲しい! 結婚してくれ!!!」

 大柄の男に迫られて、ブランシュの頭はかつてないほどの猛スピードで回っていた。ただし、彼女の中での最速であって、他の人間からすると、大したスピードではないのだが。

(本当にプロポーズした……。そっか! 婚姻という形を取って、旧ユノフォス王国の人々の不満を抑え込むおつもりですね!?)

 己の冴え渡る推理力に、ブランシュは満足した。そして朗らかに、差し出された花束を取った。

「不束か者ですが、よろしくお願いします」

 その瞬間、ヘルムートが破顔した。
 本当に、心底、嬉しくて仕方がないというような、純粋な喜びそのものの笑顔になった。

(……あれ?)

 ヘルムートの様子は、まるで本当にブランシュのことを愛しているみたいだ。
 ブランシュの頬に熱が溜まってくる。

(もしかして……本当に本当?)

 そんなブランシュの手を取り、ヘルムートは叫ぶ。

「来世でも一緒だぞ、我が妻よ!!!」

「いきなり重いんですよっ、馬鹿陛下っ!」

 ケヴィンがツッコミを入れるが、ヘルムートはスルーだ。
 枢機卿から王冠を奪ってブランシュの小さな頭に乗せる。そして満足そうに頷いた。

「あれっ? 王冠が浮いている!?」

「怪奇現象!?」

 周囲が動揺している。ドレスを着こみ、マントを纏ってもブランシュの影の薄さは変わらないらしい。

(でも考えたら、陛下だけは一度も私を見失わなかったわ)

 そのことに気づき、ブランシュの胸が温かくなった。

 その温かな思いが育っていくのは……まだ先の話だが。





――――――――――――――

本編は完!
あと一話、ヘルムート視点の話を追加する予定です。





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