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21 謝罪
しおりを挟む「その子は、誰だ?」
セドリックはローレンスを目に捉えると、じっとローレンスを見つめた。見つめられたローレンスはアナスタシアにしがみついたまま小さな首を傾げている。
「その子は、あの時の……」
セドリックは瞬時に理解したらしい。ローレンスはセドリックにそっくりだからーー。
「……っ」
アナスタシアはぐっと言葉を詰まらせたが、セドリックはそんなアナスタシアを今にも泣きそうな顔で見つめた。金色の瞳がゆらゆらと揺れている。
「アナスタシア……」
アナスタシアの名を呼ぶ声が、ひどく震えていた。
「アナスタシア、話がしたい。頼む。少しだけで、いいから」
「……っ」
ローレンスのことを知られてしまった今、彼とは話さなければならないのは分かっている。
(落ち着いて……落ち着くのよ……)
アナスタシアはひとつ息を吸って兄に話しかけた。
「お兄様、ローレンスをお願いできますか?」
「……一緒に行こうか?」
アナスタシアと一緒にいるという兄の言葉に、セドリックが低い声音で突き放した。
「駄目だ。俺とアナスタシアの問題だ」
命令するような口調に兄はセドリックを睨みつけるが、王太子には逆らえないと思ったのか唇を噛み締める。
「アナスタシア、大丈夫か?」
兄の心配する声にアナスタシアは頷き、ローレンスを兄に預ける。愛しい我が子の髪を優しく一撫でして微笑むと、ローレンスはアナスタシアにふにゃりと笑いかけてくれた。
「大丈夫だ、任せろ」
兄の力強く頼もしい言葉に、アナスタシアは淡く微笑む。
そのままアナスタシアはセドリックと応接室へ向かった。
応接室へ入るとセドリックはソファに腰掛け、その正面にアナスタシアも腰掛けた。メイドが茶を淹れようとしたが、セドリックは断り人払いをする。メイドは退出時、わずかに扉を開けてくれていた。
「アナスタシア、あの子は僕の子だな?」
「いいえ」
どう見てもセドリックの子供なのだが、アナスタシアはハッキリと拒絶した。
ローレンスはアナスタシアが産み、育てた。そこにセドリックはいない。
アナスタシアの真っ直ぐな瞳に、セドリックはぐっと唸る。
アナスタシアはセドリックの金色の瞳を見据えると、強い眼差しを向けた。
「あの子は私の子です。あなたの子ではありません」
強く凛とした声で迷いなく話すアナスタシアに、セドリックは顔を歪めた。
「私たちは離縁しました。殿下には何も関係ありません」
「……関係、ないか……」
セドリックは美しい顔を更に歪め、傷付いたような表情をする。
「今更何をしに来たのです。私たちが離縁してもう五年も立っています」
アナスタシアはローレンスを絶対に渡したくなかった。願わくばこのまま大人しくセドリックが帰ってくれることを祈っていた。
アナスタシアが突き放すような鋭い視線をセドリックに向けると、彼は固い表情で呻き声をもらした。
「それは……僕は、君に、謝りたくて……」
「謝る……?」
アナスタシアは大きく目を見開く。
(何を、いまさら……)
「何に対しての謝罪ですか……五年も、経って……」
離縁する時でさえ、彼は何も言わなかった。
アナスタシアの体がかすかに震える。怒りと、哀しみで。
「君を、たくさん傷付けてしまったから……」
「何、を……」
悲痛な声を出すセドリックに、アナスタシアは胸が苦しくなり息が詰まりそうになる。
(どうして、今なの…?)
彼の考えがアナスタシアには分からなかった。
セドリックの言葉の数々は、今もアナスタシアの心に深く突き刺さっているというのに。
「アナスタシア、すまなかった……僕は……」
セドリックはそこで言葉を区切り、黙って俯いてしまった。張り詰めた沈黙が続き、アナスタシアは忘れようとしていた過去を思い出してしまう。
今まで心の奥底に、深く、押し込めていたのに……
「……殿下は、私がどれだけ傷付いたかご存知ですか?婚約時代に拒絶され、結婚したらあなたには愛人がいると言われ…っ私が殿下の言葉に、行動に、どれだけ傷付いたか……どれだけ苦しくて、どれたけつらくて……どれだけ……っ」
アナスタシアは我慢できずに心の声を漏らした。目から大粒の涙がポロポロと溢れ落ちる。
セドリックの前でこんなに自分の気持ちを曝け出し泣くのははじめてかもしれない。
長年ずっと嫌われないように、愛想をつかされないように、我慢していたからーー。
下を向いて顔を覆って泣いているアナスタシアの前に、大きな影ができる。その影はじっとしたまま動かない。アナスタシアが影の方向へと顔を上げると、セドリックが目の前に立っていた。
セドリックの金色の瞳もアナスタシアと同じように潤んでいた。
セドリックはアナスタシアの手を引き立ち上がらせると、そっとアナスタシアを抱きしめる。
「いや…っ」
アナスタシアは拒絶し彼の胸元を手で押しセドリックから距離をとる。
彼から離れるように後ろへ一歩下がると、セドリックは追いかけるように一歩進み、またアナスタシアを抱きしめてくる。
アナスタシアを抱きしめる腕はひどく震えていて、彼は何かを恐れているようだった。
「いやです……」
優しく、暖かな腕。昔を思い出してしまいそうになる。優しかった頃のセドリックを……あの頃の彼はもう居ないはずなのに。
「離して……」
「嫌だ、離したくない」
言葉とともに、絶対離さないというように今度は力強く抱きしめられる。
「殿下は、いつも勝手です……」
「………すまない」
すまない、すまない、と何度もセドリックはアナスタシアに謝罪する。
「君をもう、傷付けたくない……」
(傷付けるのは、いつだって、あなたなのに……)
アナスタシアの目にじわじわと涙が溜まる。
アナスタシアの恋心は砕け散り、恋がうまれたあの王宮に全て置いてきた。それはもう戻ることはないのに。
「すまない……」
謝罪を続けるセドリックに、アナスタシアが顔を上げると、彼の顔は苦しそうに歪み金色の瞳はゆらゆらと涙の膜が張っていた。その瞳にはアナスタシアの潤んだ顔が映っている。
ぎゅっとアナスタシアの胸が苦しくなった。
「もう謝罪はいいですから離してください……お願い……」
「愛してる」
「え…」
アナスタシアは目を見開いた。セドリックの瞳から涙が一粒こぼれ落ちる。
「アナスタシア、愛してる……」
アナスタシアの耳に届いた切ない声は、セドリックからはじめて聞いた、愛の言葉だった。
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