かしましくかがやいて

優蘭みこ

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硝子の心たち

20.凜の披瀝《ひれき》

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茶室の中は物音一つ無くしんと静まり返り耳がつんとする様に感じられた。この茶道教室の先生、佐々木恵美子はその年齢とは思えないくらいにすらりと背筋を伸ばし正座し、流れる様な手捌てさばきで抹茶をてると優雅さの中に年季を感じる無駄の無い動きで凜の前に差し出した。

「どうぞ、薄茶うすちゃですよ。飲みやすいから落ち着くと思うから作法なんか気にしないで好きに飲んで頂戴」
「……は、はい」

膝の前に置かれたのは白いうわぐすりで透明感のある白が基調で横に一筋、深い紺色の雫が走る端反はたぞりで両手ですっぽりと包み込めるくらいのサイズの茶碗、それ程高価な物ではないらしいが恵美子のお気に入りの物だった。中身のお茶は恵美子の言葉通り、普通の抹茶に比べるとかなり薄い緑色で、濃い目に入れた緑茶に似た風情でふんわりと豊かな香りが立ち上る。

凜は両手で茶碗を挟み込むように持ち上げると、茶道の作法は一切無視してそれに口をつけてお茶を一口啜る。そして、ほうっと小さく溜息をついた。

「どうかしら?」
「……あ、はい、美味しいです」
「そう、それは良かったわ」

柔らかで春の日差しの様な恵美子の微笑み、年輪の様に顔に刻まれた皺の様子を見詰めると、掻き乱された心は次第に平常に戻り始め、視点は再びゆっくりと収束していく。そしてお茶を全部飲み干す頃、凜は何時もの穏やかさを取り戻していた。

「落ち着けたかしら」
「はい、すみませんでした……取り乱してしまって」
「ううん、人間なんてそんな物よ、些細な事に心を痛めて混乱して取り乱して……良く有る事よ」
「そう……ですか」
「でもね、それがあんまり長く続いたり何回も起こったりすると嫌になっちゃうわよね」
「は、い……」
「そ何が有ったの、力になれるかどうかは分からないけど、少なくとも気は楽になる、それだけは保証するわ」

両手で持っていた茶碗をゆっくりと膝の上に下ろし、凜は暫くの間黙り込んだ後ゆっくりと顔を上げ、静かに口を開くと、吐き出す様に恵美子に経緯を披歴ひれきする。

「僕、取り返しのつかない事をしちゃったのかも知れない。だって、本当に好きなのが誰なのか分かってるのに、告白された人に心が傾いて受け入れちゃってキスまでしちゃって、その上、その人に告白した人には断られたことを打ち明けられて、僕、その人の顔が見られなくなっちゃって……でも、本当に好きな人はいつも僕の傍にいてくれていつも優しく微笑んでくれてるのに、何にも言ってあげられなくて、一方的だけど僕の事を好きだって言ってくれる子もいるんだけど、僕なんか好きになってもらえる資格なんて無いし……」

いろんなものがまぜこぜになった露骨であからさまで裸の何のフィルターも無いリアルな話を人生を重ねたその人は何も口を挟む事無く、相槌を交えながら穏やかで春の陽だまりの様な笑顔のまま凜の話を聞き続ける。とりとめのない彼女の話を受け止め、昇華するにはかなりの懐の深さが必要だった、それくらい凜の話は切羽詰まって追い詰められた内容だった。

……茶室に再び沈黙が訪れる。

「どう、気が済んだかしら」

全てを吐き出した凜の瞳は先程のどんよりと曇り、死んだ魚の様相から生気と少女の輝きを取り戻した。

「少し、整理してみましょうか」
「……え、は、はい」

恵美子は正座し直すと真直ぐな視線を凜に向ける。

「凜ちゃんが本当に好きだって思えた人は誰なのかしら?」
「あ、あの、それは……その…」
「ふふ、いいわ、それは胸の中にしまっておきなさい」
「は、はい」
「でもね、時が来たら、その子にはちゃんと言わないといけないわ」

頬を染めて恥じらう凜の仕草が可愛らしすぎて思わずくすくす笑いが出そうになり恵美子は思わず右掌で口を覆う。そしてそれが治まると再び凜に視線を戻す、そして一言こう言った。

「それが何時の事になるのかは今のところ分からないけど、凜ちゃんならきっと分かると思うわ」
「そ、そうですか……」
「うん、ぜったいそうよ」
「……はい」

恵美子の表情に釣られたのか凜も思わず口角を上げる。

「それで、告白された人に心が傾いたのはどうしてなの」
「その人、病気になっちゃって、来年の高校受験を諦めなくちゃならなくなって、それが可哀そうだなって思った……って言うのは些細な事で、その人がかかった病気って一生引き摺らなきゃならない病気で下手すると死んじゃうかもしれない厄介な病気で、今でも心が折れそうになってるのに、もし、本当に心が折れちゃったら、僕が傍に居てあげないといけないのかなって……思って…」

唇をきゅっと結んではっきりしない語尾の話に恵美子は少し考えてからちょっと深刻な表情で話し始める。

「凜ちゃんは『ストックホルム症候群しょうこうぐん』って知ってる?」
「……え?」
「精神医学用語の一つなんだけど……ちょっと冷たいたとえかも知れないけど聞いてちょうだいね」
「はぁ……」

恵美子は言葉を選び、かなり気を使いながら慎重に話を始める。それは、凜の思いに対する明らかな否定ともとらえられる発言だったからだ。

「あのね、とある人が誘拐犯に誘拐されて人質になったとするでしょ」
「え、ええ」
「その人質と誘拐犯は当然会話を交わす訳で、その中でその人の人となりとか身の上とか、犯行に至った事情とかを聞いて、その深刻さから犯行に至った事情に共感して、その人の味方になっちゃう……って言うのがストックホルム症候群と言われてる物なの」

凜の眉尻がピクリと動く、それは明らかに恵美子に対する反感だった。

「あの、何が言いたいんですか……」
「じゃぁ、落ち着いて聞いてね、あまり耳触りの良い話じゃないかも知れないけど」

茶室の中にちょっとした緊張が走る。凜がこれから聞く話は彼女にとってかなり辛い内容かもしれない。それは予測する事が出来た、そしてそれを受け入れるだけの度量を今は持っていなかった。
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