153 / 277
第三章
それは瓦礫の表層に過ぎない
しおりを挟む
〇
カイに抱えられたラウラが浮上して目にした光景は、筆舌に尽くしがたいものだった。
縮地はカイを中心にして、直径一キロの範囲に渡って発動された。
上空から見ると、縮地にかかった場所には雪が覆いかぶさり、そこだけが白くくり抜かれているようであった。
雪化粧の先には、縮地の外にあった地は、荒れすさんでいた。
青々とした草原と山林、空がそのままこぼれ落ちたかのような透き通る湖面、豊かな自然が彩るエレヴァンの姿は、もうどこにも残っていなかった。
すべてが色褪せ、くすんでいた。煤煙が無数に立ち昇り、湖面は黒ずんだ油で覆われていた。
樹木も芝も、大小問わず、植物という植物が萎れていた。
世界はまるで生気を抜き取られてしまったかのようだった。
嵐、地震、火事、疫病、災嵐がどのような形をもって、エレヴァンを襲ったのか、目の前に広がる荒廃した山林だけでは、ラウラには判断がつかなかった。
山林に残る痕跡は、そのどれにも当てはまるようであったし、また当てはまらないようでもあった。
それでも確かなことがふたつあった。
世界は災嵐に見舞われた。
そしてすべてはもう終わってしまった。
失敗だった。なにもかも手遅れだった。
ラウラが確信をもって言えるのはそれだけだった。
ラウラにはもはや、嗚咽をもらすことしかできなかった。
カイはそんなラウラからも、変わり果てた景色からも目を逸らして、王笏の操作にだけ意識を集中させた。
それでも王笏の操作は乱れ、大きく蛇行してしまう。
「ご、ごめん」
カイは謝った。特にアフィーはこれがはじめての飛行体験だった。
なるべく揺れのないよう飛ぼうとカイは気をつかっていたが、乱れた霊操を落ち着かせることはできなかった。
「ごめん……」
カイは無意識に謝罪を続けた。
それはいつしか、アフィーとラウラにではなく、目の前に広がる光景、その中にいるであろう人びとに向けたものへ変わっていった。
目を背けても、逃げることはできなかった。
カイは高度を落とした。
遠くまで見渡せないように、山間の先にある市街地まで見えてしまわないように、低く、低く飛んだ。
「――――ない」
黙りこくっていたアフィ―が、ふいに呟いた。
「どこに……?」
カイはその場で停止し、少しだけ高度をあげる。
「洞穴、このへんなのか?」
「うん、でも、ない」
そう言うアフィーは、カイにしがみつくばかりで、眼下をろくに見ることができない。
無理もなかった。アフィーにとってはこれがはじめての飛行なのだ。
地上二十メートルの空中を、王笏一本を足場に立っているのだ。
恐怖するのも当然だろう。
「上からじゃわかんないか?」
「近いとは、思う」
「じゃあ、とりあえず下りるか」
カイはゆっくりと下降した。
三人はしばらく山林をさ迷い、やがて人の手が入った山道に出た。
そこからは、アフィーの足取りに迷いはなくなった。
「洞穴、アリエージュたちがいる。食べ物も、薬も、ある」
アフィーは先導して歩きながら、憔悴する二人を励ました。
「狼狗もいる。やわらかい毛布もある。わたしの、隠してた、飴玉もある。だから、すぐ、元気になれる」
アフィーは必死に言葉を連ねたが、カイも、ラウラも、反応を返すことはできなかった。
飛行中、まともに景色を見なかったアフィーは、二人が沈み込む理由は疲れにあると思い込んでいた。
「洞穴につけば、ゆっくり、休める」
しかし、洞穴は、上空から見る景色がそうであったように、すでに元の形を保ってはいなかった。
緩やかな斜面を、無理やり引き裂いたような穴だった。
アフィ―はその入り口で立ち竦み、呟いた。
「前と、違う」
アフィーは以前にこの洞穴を訪れたことがあった。
もしものときにはここに逃げるのだと、アリエージュに教わっていたのだ。
しかしそのときより、穴が、明らかに大きくなっている。
入り口はもっと小さかった。中に入るとドーム状の空間が広がる、ラプソの一族の住居である天幕と同じ形をした洞穴だった。
それが今では、入り口は大きく割かれ、天井は崩落し、屈まないと歩けないような狭い穴が残るばかりになっていた。
「アリエージュ……?」
アフィ―は屈みながら、洞穴の中をのぞきこんだ。
「――――っ!」
洞穴の中には、ひどい悪臭が充満していた。
「なんだこの臭い……」
カイは鼻を塞ぎながら、洞穴の中に足を一歩踏み入れた。
「うわっ!」
途端に、蠅が舞った。
ブブブブブッと、蠅はカイの足元からわき出てくる。
カイはのけ反り、尻餅をつく。
「な、なんだ……?」
崩落した洞穴の天井が、瓦礫となって積み重なっている。蠅はその隙間から湧き出ている。
「下になんかあんのか?」
カイは瓦礫を持ち上げた。
「ひっ!?」
瓦礫の下には、潰れた子どもの顔があった。
「ああ!」
別の場所で瓦礫を持ち上げたアフィーも、悲鳴をあげる。
折れ曲がり、骨の露出した右手が、瓦礫の下から飛び出している。
洞穴の入り口に立っていたラウラは、その場にへたりこんだ。
(……崩れたんだ)
(洞穴の天井が落ちて、埋まったんだ)
ラウラは臭いの正体が、蠅がなにに群がっているのか悟り、その場でえずいた。
凍傷を負った指に、嘔吐物が染み、激痛が走る。
歯を食いしばって痛みに耐える。
両手が心臓になったかのように激しく脈打つ。
(痛い)
(でも、瓦礫の下敷きになるほうが、もっと痛いはずだ)
冬営地を無邪気に走り回る子供たちの笑顔。身内を亡くした悲しみをこらえて、懸命に生活を立て直そうとする女たちの、あかぎれにまみれた手。
なんの罪もない命だった。
ただ、ここに生まれ、ここで生きていただけの人たちだった。
(それなのに……!)
ただ生きていただけなのに、瓦礫に押しつぶされた。
人の形を失い、腐敗し、蠅に蝕まれた。
(そんなことが、あっていいはずがない……)
あふれた涙が、両手に滴り、さらに激しい痛みが、ラウラを襲う。
ラウラはそれを罰だと感じる。
彼女らをこんな目に合わせた自分への、罰だと。
「今出してやるからな」
カイはそういって、子どもの上に乗った瓦礫を動かそうとする。
けれど瓦礫は重く、ろくに動かすことができない。
「どけよ……どいてくれよ……!」
カイは半狂乱になって瓦礫を殴る。
「そうだ、壊せばいいんだ」
カイは王笏を手に取り、瓦礫につきたてる。
「……くそっ!」
しかし霊力をこめることはできなかった。
カイには自信がなかった。
瓦礫を粉砕することは造作もないが、その下にいる子供も、おそらく傷つけてしまうだろう。
それどころか、洞穴を再び崩落させてしまうかもしれない。
カイは王笏を投げつけ、叫ぶ。
「誰か、いませんか!」
返事はない。
ブブブブ、という蠅の羽音だけが、絶えず響いている。
それでもカイは叫び続けた。
「誰か、誰か!お願いだから、返事をしてくれ!」
くう……。
一滴の雫が落ちたような、ほんの小さな鳴き声があがる。
アフィーとラウラは、はっとして顔をあげる。
「いま……?」
三人は耳をそばだてる。
羽音にまぎれて、くうくうという小さな鳴き声が、確かに聞こえてくる。
三人は洞窟の奥へ足を進めた。
まとわりつく蠅も、鼻をつく悪臭も、瓦礫の隙間からのぞく人の身体にも目をくれず、ただひたすら、鳴き声を辿っていく。
「おまえ……!」
洞穴の奥で、狼狗の仔が、ぽつんと一匹転がっていた。
狼狗の仔は汚れていたが無傷で、空腹を訴えて鳴いていた。
アフィーは狼狗の仔を抱きあげ、声をかける。
「ずっと、ここに、いたの?お母さんは?ほかのみんなは?」
狼狗はアフィーの手を逃れるように、大きくのけ反る。
アフィーが下ろしてやると、狼狗の仔は瓦礫の隙間に小さな体を潜り込ませていく。
「この下……!」
三人は瓦礫を取り除きにかかる。
カイはまともに霊操ができず、ラウラとアフィーは霊力が尽きており、瓦礫は人力でのけるほかなかった。
両手の使えないラウラは、手首を使って細かな瓦礫を。アフィーとカイは王笏をてこに、重い瓦礫をずらし、どうにか隙間を広げていった。
数十分かけて、ようやく三人は、瓦礫の下に埋まる狼狗と、その隣に寄り添うアリエージュの姿を見つけることができた。
「……う」
アリエージュはうっすらと目を開けた。
瓦礫の下で、彼女はまだ生きていた。
「アリエージュ!」
アフィーとカイは、アリエージュを急いで引き上げる。
見たところ大きな外傷はなかった。
しかしアリエージュは虫の息で、目も虚ろだった。
「アリエージュ、しっかりしてください」
「起きて、アリエージュ。目を開けて」
ラウラとアフィーが声をかけると、アリエージュはゆっくりと口を開いた。
「終わった……?」
「え?」
「災嵐は、去ったの?」
「それは……」
まったく現状をつかめていないラウラは、言葉に窮する。
ラウラたちはまだなにも知らなかった。
自分たちはどれくらいの時を飛んだのか、なぜ洞穴が崩壊したのか、いま現在は災嵐の渦中にあるのか、そうではないのか。
ラウラはなにもわからず、アリエージュの問いに答えることができなかった。
「――――終わった」
けれどアフィーは、アリエージュの両手を握りしめて、言った。
「もう、ぜんぶ終わった」
「本当に?」
「うん。災嵐は、もうない。アリエージュは、助かった」
アリエージュは身体の力を抜き、アフィーの腕の中に沈み込んだ。
「……よかった」
アリエージュは、抱きかかえるように腹に添えていた両手をそっと解いた。
「守れたのね、私」
アリエージュは頭からつま先まで泥と砂ぼこりに塗れていたが、腹にだけは、染みのひとつついていなかった。
「水が、飲みたいわ」
「……!待ってて、すぐに汲んでくる」
立ち上がったカイを見て、アリエージュは呟く。
「失敗したのね」
カイはびくりと肩を震わせる。
「アリエージュ、カイは、なにも、悪くない」
カイを庇うアフィーに、アリエージュは微笑みかける。
「言われなくてもわかってるわ、キース」
「……私は、キースじゃ、ない」
「みんなは無事?水を……私の前に、みんなに、あげて」
「うん」
「あの子のおかげなの。あの子はすごいわ。私と、自分の仔を、死んでも守った」
「……うん」
「水がほしいわ」
「すぐ、持ってくる」
アリエージュはせん盲状態にあった。
もはやまともな会話を成り立たせることはできなかった。
それでもアフィーは、一言ずつ、相槌を返した。
「私は、守り切ったわ」
「うん」
「この子のこと、ちゃんと守ったの。災嵐に飲み込ませるようなこと、しなかったの」
「うん」
「私、約束を果たしたのよ」
「うん」
「産んであげられなくて、ごめんなさい。でも、でもね、私たち、ちゃんと死ねるわ。災嵐の中に消えるんじゃない、ちゃんと、キースのところに行けるわ」
「だめ!」
アフィーは叫ぶ。
「だめ、アリエージュ!死んだら、だめ!」
アリエージュの顔に、アフィーの涙が滴り落ちる。
「……キース」
アリエージュは笑う。
これ以上の幸福はないと言わんばかりの、満面の笑みを浮かべる。
「こんなところにいたの」
「ずっと探してたのよ」
「会いたかったわ」
「一番近くにいてくれたのね」
「待っててくれたのね」
「信じてくれたのね」
「私が、災嵐をこえられるって」
「……そうよ」
「私、ちゃんと、この子を、守ったのよ」
アフィーはもはや、声を発することができなかった。
アリエージュはアフィーの頬に触れ、泣かないで、と言った。
「貴方が死んだとき、私は我慢したのに、ずるいわよ」
「これからはずっと一緒なのよ」
「三人でずっと一緒にいるの」
「本当のラプソとして、暮らすの。生きていくの」
「夢が、叶うわ」
「だから、あなたも、喜んで――――」
アリエージュの手が、アフィ―の頬から落ちる。
アフィーは咄嗟にその手をつかむ。
「アリエージュ!」
どれだけ呼びかけても、アリエージュが目を開くことはなかった。
二度と。
カイに抱えられたラウラが浮上して目にした光景は、筆舌に尽くしがたいものだった。
縮地はカイを中心にして、直径一キロの範囲に渡って発動された。
上空から見ると、縮地にかかった場所には雪が覆いかぶさり、そこだけが白くくり抜かれているようであった。
雪化粧の先には、縮地の外にあった地は、荒れすさんでいた。
青々とした草原と山林、空がそのままこぼれ落ちたかのような透き通る湖面、豊かな自然が彩るエレヴァンの姿は、もうどこにも残っていなかった。
すべてが色褪せ、くすんでいた。煤煙が無数に立ち昇り、湖面は黒ずんだ油で覆われていた。
樹木も芝も、大小問わず、植物という植物が萎れていた。
世界はまるで生気を抜き取られてしまったかのようだった。
嵐、地震、火事、疫病、災嵐がどのような形をもって、エレヴァンを襲ったのか、目の前に広がる荒廃した山林だけでは、ラウラには判断がつかなかった。
山林に残る痕跡は、そのどれにも当てはまるようであったし、また当てはまらないようでもあった。
それでも確かなことがふたつあった。
世界は災嵐に見舞われた。
そしてすべてはもう終わってしまった。
失敗だった。なにもかも手遅れだった。
ラウラが確信をもって言えるのはそれだけだった。
ラウラにはもはや、嗚咽をもらすことしかできなかった。
カイはそんなラウラからも、変わり果てた景色からも目を逸らして、王笏の操作にだけ意識を集中させた。
それでも王笏の操作は乱れ、大きく蛇行してしまう。
「ご、ごめん」
カイは謝った。特にアフィーはこれがはじめての飛行体験だった。
なるべく揺れのないよう飛ぼうとカイは気をつかっていたが、乱れた霊操を落ち着かせることはできなかった。
「ごめん……」
カイは無意識に謝罪を続けた。
それはいつしか、アフィーとラウラにではなく、目の前に広がる光景、その中にいるであろう人びとに向けたものへ変わっていった。
目を背けても、逃げることはできなかった。
カイは高度を落とした。
遠くまで見渡せないように、山間の先にある市街地まで見えてしまわないように、低く、低く飛んだ。
「――――ない」
黙りこくっていたアフィ―が、ふいに呟いた。
「どこに……?」
カイはその場で停止し、少しだけ高度をあげる。
「洞穴、このへんなのか?」
「うん、でも、ない」
そう言うアフィーは、カイにしがみつくばかりで、眼下をろくに見ることができない。
無理もなかった。アフィーにとってはこれがはじめての飛行なのだ。
地上二十メートルの空中を、王笏一本を足場に立っているのだ。
恐怖するのも当然だろう。
「上からじゃわかんないか?」
「近いとは、思う」
「じゃあ、とりあえず下りるか」
カイはゆっくりと下降した。
三人はしばらく山林をさ迷い、やがて人の手が入った山道に出た。
そこからは、アフィーの足取りに迷いはなくなった。
「洞穴、アリエージュたちがいる。食べ物も、薬も、ある」
アフィーは先導して歩きながら、憔悴する二人を励ました。
「狼狗もいる。やわらかい毛布もある。わたしの、隠してた、飴玉もある。だから、すぐ、元気になれる」
アフィーは必死に言葉を連ねたが、カイも、ラウラも、反応を返すことはできなかった。
飛行中、まともに景色を見なかったアフィーは、二人が沈み込む理由は疲れにあると思い込んでいた。
「洞穴につけば、ゆっくり、休める」
しかし、洞穴は、上空から見る景色がそうであったように、すでに元の形を保ってはいなかった。
緩やかな斜面を、無理やり引き裂いたような穴だった。
アフィ―はその入り口で立ち竦み、呟いた。
「前と、違う」
アフィーは以前にこの洞穴を訪れたことがあった。
もしものときにはここに逃げるのだと、アリエージュに教わっていたのだ。
しかしそのときより、穴が、明らかに大きくなっている。
入り口はもっと小さかった。中に入るとドーム状の空間が広がる、ラプソの一族の住居である天幕と同じ形をした洞穴だった。
それが今では、入り口は大きく割かれ、天井は崩落し、屈まないと歩けないような狭い穴が残るばかりになっていた。
「アリエージュ……?」
アフィ―は屈みながら、洞穴の中をのぞきこんだ。
「――――っ!」
洞穴の中には、ひどい悪臭が充満していた。
「なんだこの臭い……」
カイは鼻を塞ぎながら、洞穴の中に足を一歩踏み入れた。
「うわっ!」
途端に、蠅が舞った。
ブブブブブッと、蠅はカイの足元からわき出てくる。
カイはのけ反り、尻餅をつく。
「な、なんだ……?」
崩落した洞穴の天井が、瓦礫となって積み重なっている。蠅はその隙間から湧き出ている。
「下になんかあんのか?」
カイは瓦礫を持ち上げた。
「ひっ!?」
瓦礫の下には、潰れた子どもの顔があった。
「ああ!」
別の場所で瓦礫を持ち上げたアフィーも、悲鳴をあげる。
折れ曲がり、骨の露出した右手が、瓦礫の下から飛び出している。
洞穴の入り口に立っていたラウラは、その場にへたりこんだ。
(……崩れたんだ)
(洞穴の天井が落ちて、埋まったんだ)
ラウラは臭いの正体が、蠅がなにに群がっているのか悟り、その場でえずいた。
凍傷を負った指に、嘔吐物が染み、激痛が走る。
歯を食いしばって痛みに耐える。
両手が心臓になったかのように激しく脈打つ。
(痛い)
(でも、瓦礫の下敷きになるほうが、もっと痛いはずだ)
冬営地を無邪気に走り回る子供たちの笑顔。身内を亡くした悲しみをこらえて、懸命に生活を立て直そうとする女たちの、あかぎれにまみれた手。
なんの罪もない命だった。
ただ、ここに生まれ、ここで生きていただけの人たちだった。
(それなのに……!)
ただ生きていただけなのに、瓦礫に押しつぶされた。
人の形を失い、腐敗し、蠅に蝕まれた。
(そんなことが、あっていいはずがない……)
あふれた涙が、両手に滴り、さらに激しい痛みが、ラウラを襲う。
ラウラはそれを罰だと感じる。
彼女らをこんな目に合わせた自分への、罰だと。
「今出してやるからな」
カイはそういって、子どもの上に乗った瓦礫を動かそうとする。
けれど瓦礫は重く、ろくに動かすことができない。
「どけよ……どいてくれよ……!」
カイは半狂乱になって瓦礫を殴る。
「そうだ、壊せばいいんだ」
カイは王笏を手に取り、瓦礫につきたてる。
「……くそっ!」
しかし霊力をこめることはできなかった。
カイには自信がなかった。
瓦礫を粉砕することは造作もないが、その下にいる子供も、おそらく傷つけてしまうだろう。
それどころか、洞穴を再び崩落させてしまうかもしれない。
カイは王笏を投げつけ、叫ぶ。
「誰か、いませんか!」
返事はない。
ブブブブ、という蠅の羽音だけが、絶えず響いている。
それでもカイは叫び続けた。
「誰か、誰か!お願いだから、返事をしてくれ!」
くう……。
一滴の雫が落ちたような、ほんの小さな鳴き声があがる。
アフィーとラウラは、はっとして顔をあげる。
「いま……?」
三人は耳をそばだてる。
羽音にまぎれて、くうくうという小さな鳴き声が、確かに聞こえてくる。
三人は洞窟の奥へ足を進めた。
まとわりつく蠅も、鼻をつく悪臭も、瓦礫の隙間からのぞく人の身体にも目をくれず、ただひたすら、鳴き声を辿っていく。
「おまえ……!」
洞穴の奥で、狼狗の仔が、ぽつんと一匹転がっていた。
狼狗の仔は汚れていたが無傷で、空腹を訴えて鳴いていた。
アフィーは狼狗の仔を抱きあげ、声をかける。
「ずっと、ここに、いたの?お母さんは?ほかのみんなは?」
狼狗はアフィーの手を逃れるように、大きくのけ反る。
アフィーが下ろしてやると、狼狗の仔は瓦礫の隙間に小さな体を潜り込ませていく。
「この下……!」
三人は瓦礫を取り除きにかかる。
カイはまともに霊操ができず、ラウラとアフィーは霊力が尽きており、瓦礫は人力でのけるほかなかった。
両手の使えないラウラは、手首を使って細かな瓦礫を。アフィーとカイは王笏をてこに、重い瓦礫をずらし、どうにか隙間を広げていった。
数十分かけて、ようやく三人は、瓦礫の下に埋まる狼狗と、その隣に寄り添うアリエージュの姿を見つけることができた。
「……う」
アリエージュはうっすらと目を開けた。
瓦礫の下で、彼女はまだ生きていた。
「アリエージュ!」
アフィーとカイは、アリエージュを急いで引き上げる。
見たところ大きな外傷はなかった。
しかしアリエージュは虫の息で、目も虚ろだった。
「アリエージュ、しっかりしてください」
「起きて、アリエージュ。目を開けて」
ラウラとアフィーが声をかけると、アリエージュはゆっくりと口を開いた。
「終わった……?」
「え?」
「災嵐は、去ったの?」
「それは……」
まったく現状をつかめていないラウラは、言葉に窮する。
ラウラたちはまだなにも知らなかった。
自分たちはどれくらいの時を飛んだのか、なぜ洞穴が崩壊したのか、いま現在は災嵐の渦中にあるのか、そうではないのか。
ラウラはなにもわからず、アリエージュの問いに答えることができなかった。
「――――終わった」
けれどアフィーは、アリエージュの両手を握りしめて、言った。
「もう、ぜんぶ終わった」
「本当に?」
「うん。災嵐は、もうない。アリエージュは、助かった」
アリエージュは身体の力を抜き、アフィーの腕の中に沈み込んだ。
「……よかった」
アリエージュは、抱きかかえるように腹に添えていた両手をそっと解いた。
「守れたのね、私」
アリエージュは頭からつま先まで泥と砂ぼこりに塗れていたが、腹にだけは、染みのひとつついていなかった。
「水が、飲みたいわ」
「……!待ってて、すぐに汲んでくる」
立ち上がったカイを見て、アリエージュは呟く。
「失敗したのね」
カイはびくりと肩を震わせる。
「アリエージュ、カイは、なにも、悪くない」
カイを庇うアフィーに、アリエージュは微笑みかける。
「言われなくてもわかってるわ、キース」
「……私は、キースじゃ、ない」
「みんなは無事?水を……私の前に、みんなに、あげて」
「うん」
「あの子のおかげなの。あの子はすごいわ。私と、自分の仔を、死んでも守った」
「……うん」
「水がほしいわ」
「すぐ、持ってくる」
アリエージュはせん盲状態にあった。
もはやまともな会話を成り立たせることはできなかった。
それでもアフィーは、一言ずつ、相槌を返した。
「私は、守り切ったわ」
「うん」
「この子のこと、ちゃんと守ったの。災嵐に飲み込ませるようなこと、しなかったの」
「うん」
「私、約束を果たしたのよ」
「うん」
「産んであげられなくて、ごめんなさい。でも、でもね、私たち、ちゃんと死ねるわ。災嵐の中に消えるんじゃない、ちゃんと、キースのところに行けるわ」
「だめ!」
アフィーは叫ぶ。
「だめ、アリエージュ!死んだら、だめ!」
アリエージュの顔に、アフィーの涙が滴り落ちる。
「……キース」
アリエージュは笑う。
これ以上の幸福はないと言わんばかりの、満面の笑みを浮かべる。
「こんなところにいたの」
「ずっと探してたのよ」
「会いたかったわ」
「一番近くにいてくれたのね」
「待っててくれたのね」
「信じてくれたのね」
「私が、災嵐をこえられるって」
「……そうよ」
「私、ちゃんと、この子を、守ったのよ」
アフィーはもはや、声を発することができなかった。
アリエージュはアフィーの頬に触れ、泣かないで、と言った。
「貴方が死んだとき、私は我慢したのに、ずるいわよ」
「これからはずっと一緒なのよ」
「三人でずっと一緒にいるの」
「本当のラプソとして、暮らすの。生きていくの」
「夢が、叶うわ」
「だから、あなたも、喜んで――――」
アリエージュの手が、アフィ―の頬から落ちる。
アフィーは咄嗟にその手をつかむ。
「アリエージュ!」
どれだけ呼びかけても、アリエージュが目を開くことはなかった。
二度と。
0
あなたにおすすめの小説
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
【完結】転生したら最強の魔法使いでした~元ブラック企業OLの異世界無双~
きゅちゃん
ファンタジー
過労死寸前のブラック企業OL・田中美咲(28歳)が、残業中に倒れて異世界に転生。転生先では「セリア・アルクライト」という名前で、なんと世界最強クラスの魔法使いとして生まれ変わる。
前世で我慢し続けた鬱憤を晴らすかのように、理不尽な権力者たちを魔法でバッサバッサと成敗し、困っている人々を助けていく。持ち前の社会人経験と常識、そして圧倒的な魔法力で、この世界の様々な問題を解決していく痛快ストーリー。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
おいでよ!死にゲーの森~異世界転生したら地獄のような死にゲーファンタジー世界だったが俺のステータスとスキルだけがスローライフゲーム仕様
あけちともあき
ファンタジー
上澄タマルは過労死した。
死に際にスローライフを夢見た彼が目覚めた時、そこはファンタジー世界だった。
「異世界転生……!? 俺のスローライフの夢が叶うのか!」
だが、その世界はダークファンタジーばりばり。
人々が争い、魔が跳梁跋扈し、天はかき曇り地は荒れ果て、死と滅びがすぐ隣りにあるような地獄だった。
こんな世界でタマルが手にしたスキルは、スローライフ。
あらゆる環境でスローライフを敢行するためのスキルである。
ダンジョンを採掘して素材を得、毒沼を干拓して畑にし、モンスターを捕獲して飼いならす。
死にゲー世界よ、これがほんわかスローライフの力だ!
タマルを異世界に呼び込んだ謎の神ヌキチータ。
様々な道具を売ってくれ、何でも買い取ってくれる怪しい双子の魔人が経営する店。
世界の異形をコレクションし、タマルのゲットしたモンスターやアイテムたちを寄付できる博物館。
地獄のような世界をスローライフで侵食しながら、タマルのドキドキワクワクの日常が始まる。
『急所』を突いてドロップ率100%。魔物から奪ったSSRスキルと最強装備で、俺だけが規格外の冒険者になる
仙道
ファンタジー
気がつくと、俺は森の中に立っていた。目の前には実体化した女神がいて、ここがステータスやスキルの存在する異世界だと告げてくる。女神は俺に特典として【鑑定】と、魔物の『ドロップ急所』が見える眼を与えて消えた。 この世界では、魔物は倒した際に稀にアイテムやスキルを落とす。俺の眼には、魔物の体に赤い光の点が見えた。そこを攻撃して倒せば、【鑑定】で表示されたレアアイテムが確実に手に入るのだ。 俺は実験のために、森でオークに襲われているエルフの少女を見つける。オークのドロップリストには『剛力の腕輪(攻撃力+500)』があった。俺はエルフを助けるというよりも、その腕輪が欲しくてオークの急所を剣で貫く。 オークは光となって消え、俺の手には強力な腕輪が残った。 腰を抜かしていたエルフの少女、リーナは俺の圧倒的な一撃と、伝説級の装備を平然と手に入れる姿を見て、俺に同行を申し出る。 俺は効率よく強くなるために、彼女を前衛の盾役として採用した。 こうして、欲しいドロップ品を狙って魔物を狩り続ける、俺の異世界冒険が始まる。
12/23 HOT男性向け1位
スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる