災嵐回記 ―世界を救わなかった救世主は、すべてを忘れて繰りかえす―

牛飼山羊

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第三章

それは瓦礫の表層に過ぎない

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カイに抱えられたラウラが浮上して目にした光景は、筆舌に尽くしがたいものだった。
縮地はカイを中心にして、直径一キロの範囲に渡って発動された。
上空から見ると、縮地にかかった場所には雪が覆いかぶさり、そこだけが白くくり抜かれているようであった。
雪化粧の先には、縮地の外にあった地は、荒れすさんでいた。
青々とした草原と山林、空がそのままこぼれ落ちたかのような透き通る湖面、豊かな自然が彩るエレヴァンの姿は、もうどこにも残っていなかった。
すべてが色褪せ、くすんでいた。煤煙が無数に立ち昇り、湖面は黒ずんだ油で覆われていた。
樹木も芝も、大小問わず、植物という植物が萎れていた。
世界はまるで生気を抜き取られてしまったかのようだった。
嵐、地震、火事、疫病、災嵐がどのような形をもって、エレヴァンを襲ったのか、目の前に広がる荒廃した山林だけでは、ラウラには判断がつかなかった。
山林に残る痕跡は、そのどれにも当てはまるようであったし、また当てはまらないようでもあった。
それでも確かなことがふたつあった。
世界は災嵐に見舞われた。
そしてすべてはもう終わってしまった。
失敗だった。なにもかも手遅れだった。
ラウラが確信をもって言えるのはそれだけだった。
ラウラにはもはや、嗚咽をもらすことしかできなかった。
カイはそんなラウラからも、変わり果てた景色からも目を逸らして、王笏の操作にだけ意識を集中させた。
それでも王笏の操作は乱れ、大きく蛇行してしまう。
「ご、ごめん」
カイは謝った。特にアフィーはこれがはじめての飛行体験だった。
なるべく揺れのないよう飛ぼうとカイは気をつかっていたが、乱れた霊操を落ち着かせることはできなかった。
「ごめん……」
カイは無意識に謝罪を続けた。
それはいつしか、アフィーとラウラにではなく、目の前に広がる光景、その中にいるであろう人びとに向けたものへ変わっていった。
目を背けても、逃げることはできなかった。
カイは高度を落とした。
遠くまで見渡せないように、山間の先にある市街地まで見えてしまわないように、低く、低く飛んだ。
「――――ない」
黙りこくっていたアフィ―が、ふいに呟いた。
「どこに……?」
カイはその場で停止し、少しだけ高度をあげる。
「洞穴、このへんなのか?」
「うん、でも、ない」
そう言うアフィーは、カイにしがみつくばかりで、眼下をろくに見ることができない。
無理もなかった。アフィーにとってはこれがはじめての飛行なのだ。
地上二十メートルの空中を、王笏一本を足場に立っているのだ。
恐怖するのも当然だろう。
「上からじゃわかんないか?」
「近いとは、思う」
「じゃあ、とりあえず下りるか」
カイはゆっくりと下降した。

三人はしばらく山林をさ迷い、やがて人の手が入った山道に出た。
そこからは、アフィーの足取りに迷いはなくなった。
「洞穴、アリエージュたちがいる。食べ物も、薬も、ある」
アフィーは先導して歩きながら、憔悴する二人を励ました。
「狼狗もいる。やわらかい毛布もある。わたしの、隠してた、飴玉もある。だから、すぐ、元気になれる」
アフィーは必死に言葉を連ねたが、カイも、ラウラも、反応を返すことはできなかった。
飛行中、まともに景色を見なかったアフィーは、二人が沈み込む理由は疲れにあると思い込んでいた。
「洞穴につけば、ゆっくり、休める」
しかし、洞穴は、上空から見る景色がそうであったように、すでに元の形を保ってはいなかった。

緩やかな斜面を、無理やり引き裂いたような穴だった。
アフィ―はその入り口で立ち竦み、呟いた。
「前と、違う」
アフィーは以前にこの洞穴を訪れたことがあった。
もしものときにはここに逃げるのだと、アリエージュに教わっていたのだ。
しかしそのときより、穴が、明らかに大きくなっている。
入り口はもっと小さかった。中に入るとドーム状の空間が広がる、ラプソの一族の住居である天幕と同じ形をした洞穴だった。
それが今では、入り口は大きく割かれ、天井は崩落し、屈まないと歩けないような狭い穴が残るばかりになっていた。
「アリエージュ……?」
アフィ―は屈みながら、洞穴の中をのぞきこんだ。
「――――っ!」
洞穴の中には、ひどい悪臭が充満していた。
「なんだこの臭い……」
カイは鼻を塞ぎながら、洞穴の中に足を一歩踏み入れた。
「うわっ!」
途端に、蠅が舞った。
ブブブブブッと、蠅はカイの足元からわき出てくる。
カイはのけ反り、尻餅をつく。
「な、なんだ……?」
崩落した洞穴の天井が、瓦礫となって積み重なっている。蠅はその隙間から湧き出ている。
「下になんかあんのか?」
カイは瓦礫を持ち上げた。
「ひっ!?」
瓦礫の下には、潰れた子どもの顔があった。
「ああ!」
別の場所で瓦礫を持ち上げたアフィーも、悲鳴をあげる。
折れ曲がり、骨の露出した右手が、瓦礫の下から飛び出している。
洞穴の入り口に立っていたラウラは、その場にへたりこんだ。
(……崩れたんだ)
(洞穴の天井が落ちて、埋まったんだ)
ラウラは臭いの正体が、蠅がなにに群がっているのか悟り、その場でえずいた。
凍傷を負った指に、嘔吐物が染み、激痛が走る。
歯を食いしばって痛みに耐える。
両手が心臓になったかのように激しく脈打つ。
(痛い)
(でも、瓦礫の下敷きになるほうが、もっと痛いはずだ)
冬営地を無邪気に走り回る子供たちの笑顔。身内を亡くした悲しみをこらえて、懸命に生活を立て直そうとする女たちの、あかぎれにまみれた手。
なんの罪もない命だった。
ただ、ここに生まれ、ここで生きていただけの人たちだった。
(それなのに……!)
ただ生きていただけなのに、瓦礫に押しつぶされた。
人の形を失い、腐敗し、蠅に蝕まれた。
(そんなことが、あっていいはずがない……)
あふれた涙が、両手に滴り、さらに激しい痛みが、ラウラを襲う。
ラウラはそれを罰だと感じる。
彼女らをこんな目に合わせた自分への、罰だと。
「今出してやるからな」
カイはそういって、子どもの上に乗った瓦礫を動かそうとする。
けれど瓦礫は重く、ろくに動かすことができない。
「どけよ……どいてくれよ……!」
カイは半狂乱になって瓦礫を殴る。
「そうだ、壊せばいいんだ」
カイは王笏を手に取り、瓦礫につきたてる。
「……くそっ!」
しかし霊力をこめることはできなかった。
カイには自信がなかった。
瓦礫を粉砕することは造作もないが、その下にいる子供も、おそらく傷つけてしまうだろう。
それどころか、洞穴を再び崩落させてしまうかもしれない。
カイは王笏を投げつけ、叫ぶ。
「誰か、いませんか!」
返事はない。
ブブブブ、という蠅の羽音だけが、絶えず響いている。
それでもカイは叫び続けた。
「誰か、誰か!お願いだから、返事をしてくれ!」

くう……。

一滴の雫が落ちたような、ほんの小さな鳴き声があがる。
アフィーとラウラは、はっとして顔をあげる。
「いま……?」
三人は耳をそばだてる。
羽音にまぎれて、くうくうという小さな鳴き声が、確かに聞こえてくる。
三人は洞窟の奥へ足を進めた。
まとわりつく蠅も、鼻をつく悪臭も、瓦礫の隙間からのぞく人の身体にも目をくれず、ただひたすら、鳴き声を辿っていく。
「おまえ……!」
洞穴の奥で、狼狗の仔が、ぽつんと一匹転がっていた。
狼狗の仔は汚れていたが無傷で、空腹を訴えて鳴いていた。
アフィーは狼狗の仔を抱きあげ、声をかける。
「ずっと、ここに、いたの?お母さんは?ほかのみんなは?」
狼狗はアフィーの手を逃れるように、大きくのけ反る。
アフィーが下ろしてやると、狼狗の仔は瓦礫の隙間に小さな体を潜り込ませていく。
「この下……!」
三人は瓦礫を取り除きにかかる。
カイはまともに霊操ができず、ラウラとアフィーは霊力が尽きており、瓦礫は人力でのけるほかなかった。
両手の使えないラウラは、手首を使って細かな瓦礫を。アフィーとカイは王笏をてこに、重い瓦礫をずらし、どうにか隙間を広げていった。
数十分かけて、ようやく三人は、瓦礫の下に埋まる狼狗と、その隣に寄り添うアリエージュの姿を見つけることができた。
「……う」
アリエージュはうっすらと目を開けた。
瓦礫の下で、彼女はまだ生きていた。
「アリエージュ!」
アフィーとカイは、アリエージュを急いで引き上げる。
見たところ大きな外傷はなかった。
しかしアリエージュは虫の息で、目も虚ろだった。
「アリエージュ、しっかりしてください」
「起きて、アリエージュ。目を開けて」
ラウラとアフィーが声をかけると、アリエージュはゆっくりと口を開いた。
「終わった……?」
「え?」
「災嵐は、去ったの?」
「それは……」
まったく現状をつかめていないラウラは、言葉に窮する。
ラウラたちはまだなにも知らなかった。
自分たちはどれくらいの時を飛んだのか、なぜ洞穴が崩壊したのか、いま現在は災嵐の渦中にあるのか、そうではないのか。
ラウラはなにもわからず、アリエージュの問いに答えることができなかった。
「――――終わった」
けれどアフィーは、アリエージュの両手を握りしめて、言った。
「もう、ぜんぶ終わった」
「本当に?」
「うん。災嵐は、もうない。アリエージュは、助かった」
アリエージュは身体の力を抜き、アフィーの腕の中に沈み込んだ。
「……よかった」
アリエージュは、抱きかかえるように腹に添えていた両手をそっと解いた。
「守れたのね、私」
アリエージュは頭からつま先まで泥と砂ぼこりに塗れていたが、腹にだけは、染みのひとつついていなかった。
「水が、飲みたいわ」
「……!待ってて、すぐに汲んでくる」
立ち上がったカイを見て、アリエージュは呟く。
「失敗したのね」
カイはびくりと肩を震わせる。
「アリエージュ、カイは、なにも、悪くない」
カイを庇うアフィーに、アリエージュは微笑みかける。
「言われなくてもわかってるわ、キース」
「……私は、キースじゃ、ない」
「みんなは無事?水を……私の前に、みんなに、あげて」
「うん」
「あの子のおかげなの。あの子はすごいわ。私と、自分の仔を、死んでも守った」
「……うん」
「水がほしいわ」
「すぐ、持ってくる」
アリエージュはせん盲状態にあった。
もはやまともな会話を成り立たせることはできなかった。
それでもアフィーは、一言ずつ、相槌を返した。
「私は、守り切ったわ」
「うん」
「この子のこと、ちゃんと守ったの。災嵐に飲み込ませるようなこと、しなかったの」
「うん」
「私、約束を果たしたのよ」
「うん」
「産んであげられなくて、ごめんなさい。でも、でもね、私たち、ちゃんと死ねるわ。災嵐の中に消えるんじゃない、ちゃんと、キースのところに行けるわ」
「だめ!」
アフィーは叫ぶ。
「だめ、アリエージュ!死んだら、だめ!」
アリエージュの顔に、アフィーの涙が滴り落ちる。
「……キース」
アリエージュは笑う。
これ以上の幸福はないと言わんばかりの、満面の笑みを浮かべる。

「こんなところにいたの」
「ずっと探してたのよ」
「会いたかったわ」
「一番近くにいてくれたのね」
「待っててくれたのね」
「信じてくれたのね」
「私が、災嵐をこえられるって」
「……そうよ」
「私、ちゃんと、この子を、守ったのよ」

アフィーはもはや、声を発することができなかった。
アリエージュはアフィーの頬に触れ、泣かないで、と言った。
「貴方が死んだとき、私は我慢したのに、ずるいわよ」
「これからはずっと一緒なのよ」
「三人でずっと一緒にいるの」
「本当のラプソとして、暮らすの。生きていくの」
「夢が、叶うわ」
「だから、あなたも、喜んで――――」
アリエージュの手が、アフィ―の頬から落ちる。
アフィーは咄嗟にその手をつかむ。
「アリエージュ!」
どれだけ呼びかけても、アリエージュが目を開くことはなかった。
二度と。
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