災嵐回記 ―世界を救わなかった救世主は、すべてを忘れて繰りかえす―

牛飼山羊

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第六章

戌歴九九八年・春

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○○○



開かれた目は、よく熟した葡萄酒のような、赤みがかった紫色をしていた。
「はじめまして」
瞳の色以外は、よく見知った顔をしているその人に、ノヴァは言った。
「はじめまして……?」
そう答える声も、ノヴァがよく知るものだった。
しかしその声色は、耳馴染みのあるものではない。
困惑し、怯えている。
おどおどとして、頼りない。
声だけではなく、その表情も、態度も、いつも悠然としていた彼とは、まるでかけ離れたものだった。
「起き上がれるか?」
「えっ?あっ……はい」
ノヴァの介助を受けて、彼は上体を起こす。
三年間寝たきりだったせいで、ひどくやせ細っているが、血色は悪くない。
背筋もまっすぐのびている。
(あんなにひどい猫背だったのに)
ノヴァは彼の背に手を添えたまま、思った。
(治るものなのか)
(寝たきりだったからか?)
(それとも、中身が変われば、身体の癖も変わるということなのか?)
彼を支えるノヴァの手は、冷たかった。
白く変色し、かすかな震えもあった。
「気分は?」
「えっと、悪くは、ないです」
「これを」
ノヴァは彼に眼鏡をかけてやる。
それはカーリーが身に着けていた鼻かけ眼鏡だ。
「……?」
眼鏡をかけた彼は、睨むような目つきになってノヴァに問う。
「これは……?」
「眼鏡だ。よく見えるだろう?」
「いや……?無い方がいいですね」
「……そうか」
ノヴァは彼の鼻から眼鏡を取り外した。
彼はほっと息を吐いて、目元のしわをといた。
ノヴァは眼鏡を懐に入れようとするが、手が震えて、もたついてしまう。
それでもどうにか納めると、再び彼の背に手を置いた。
「……」
彼の背は震えていた。
ノヴァの手よりも、ずっと大きく。
「横になった方が楽か?」
「あー……はい」
ノヴァは頷き、彼を再び横たえてやった。
彼は大きく息を吐いた。
「やはり気分がすぐれないか?」
「いや、そういうわけじゃないんですけど、なんかすっごい、疲れてて……」
「無理もない。その身体は、三年間寝たきりだったのだから」
「三年?!」
「ああ。その間のことはなにも覚えていないか?」
「えー……あっ、でもそういえば、なんかぼんやりと、誰かに話しかけられてたような……?なんかぜんぶがぼやけてたから、夢かと思ってたけど、現実だったんですかね……?」
「この三年間、貴君の意識は半覚醒状態に保たれていた。食事と、寝返りは自ら行っていたし、我われと簡単な会話も交わしていた」
「はあ……?よく覚えてないですけど……」
「それでいいんだ」
「……?」
彼は迷子の子どものように、不安に揺れた瞳でノヴァを見つめた。
暗がりで見れば、もとあった赤銅色に見えなくもない。
しかしその瞳は、日の下に出ても、琥珀色に輝くことはない。
まったく異なる色として、ノヴァの目に映るだろう。
「あの、おれ、なんも覚えてなくて――――なにがあったんですかね?ここ、病院ですか?あなたは……?」
「僕は、ノヴァ・ラサ」
ノヴァは彼をまっすぐに見つめ返して、答えた。
「ここはエレヴァン。貴君の魂は、異界からこの地へ、その身体へ、降ろされた」
まるで説明書を口に出して読んでいるかのように、ノヴァは言った。
「この世界を、救ってもらうために」








西方霊堂の敷地内に建つ、皇族用の邸宅。
その中にある一室で、親子は膝を突き合わせていた。
「どうだった、彼の様子は?」
「想像していたより落ち着いています」
淡々と答える息子に、マルキーシェはわずかに眉を寄せた。
「どんな想像をしていたんだ?取り乱して、泣きわめくとでも?」
「これまでの渡来人がそうであったように、すぐに現状を受け入れないのではないか、と。記録ではほとんどの渡来人がはじめは我われの言葉に耳を傾けなかった、とあったので、まずとても警戒されると思っていました」
「すぐに君の話を信じたのか」
「むしろ食いつかれました。ーーーーこれまでの記録にはなかったことですが、異界へ渡ることは、あちらの世界ではよくあることなんでしょうか?」
「……どういうことだ」
「あの方は、はじめは困惑していましたが、現状と降ろした理由をお伝えしたところ、なんというかーーーー喜んでいるようでした。浮かれているというか、はしゃいでさえいるように見えました。よくあるやつだ、と。異世界転生じゃないか、と」
「……」
マルキーシェは長い袂でその顔を覆った。
ノヴァは母親が呆れているのだろうと思い、とりつくろうように付け足した。
「その態度だけを見れば軽薄な人物ですが、しかし悪人というわけではなさそうでした。協力の意志は示しましたし、少なくともいまのところ、こちらに対する不信感や敵対心は見られません」
「ーーーー彼は二十歳の、大学生の男、といったそうだな?」
「はい」
「だからかーーーーいやそれにしてもーーーー」
マルキーシェはなにかを誤魔化すように大きく咳ばらいをし、目の前に置かれた、濃い玉露を一息で飲み干した。
ノヴァはどこか平静を欠いた様子の母親を心配する。
「どこかお加減でも優れないのですか?」
「いや、なんでもない」
そうは言うものの、マルキーシェはやはりどこか落ち着かない様子だった。
平静を欠くことなどまずない、皇帝マルキーシェ・ラサが見せた動揺に、ノヴァや彼女の後ろに控える二人の側近の方が、狼狽してしまう。
「悪い結果ではありませんでした。降魂は十分成功と言えると思います」
「わかっている」
マルキーシェはもう一度咳ばらいをし、居住まいを正した。
「降魂は成功した。これまでの犠牲はなにひとつ無駄ではなかった」
「……はい」
「もうこれからは誰も犠牲にならずにすむ。我われが民を守るために殺すのは、彼で最後だ」
「はい」
ノヴァは脳裏にカーリーの姿を思い浮かべながら、頷いた。
「ーーーー違うぞ」
マルキーシェはそんな息子の内心を見透かしたように言った。
「最後の犠牲者はカーリー・シュナウザーではない。今日目を覚ました、彼だ」
「……!」
「この地を救うために、彼のあちらでの生活、人生のすべてを、我われは取り上げたのだ。彼は我われが殺したのだ。それなのに我われは、彼に世界を救えという。そのために尽力しろという。我われは、私は――――」
「陛下」
二人の側近が、マルキーシェを窘める。
「慎んでください」
「お言葉が過ぎます」
「……ここは公式の場ではない。私はただ息子と話しているだけだ」
マルキーシェはそう言って二人をあしらうと、ノヴァに訊いた。
「彼の名は、なんといった」
ノヴァは自分の前に置かれた、玉露がなみなみと注がれた湯呑に目を落とす。
「カイ・ミワタリです」
マルキーシェもまた、自身の前にある湯呑を見つめる。
空になった陶器の底を見つめる彼女の目つきは、はるか彼方を、まるで地平線の先でも眺めているようだった。
「三渡カイ、か」
マルキーシェはそう呟き、視線をノヴァに戻した。
「身体の方はどうだ」
「完全に馴染んでいます」
「確かか」
「しばらく療養してみないことには断言できませんが、まず問題ないかと。異常はどこにも見られず、感覚も通ってます。違和感はあるようですが、彼はあの身体を自身の肉体として認識し、動かすことができています。筋力が戻れば、ふつうの人間と同じように生活することが可能でしょう」
「なら、よかった」
マルキーシェは立ち上がった。
「私は朝廷に戻る。ノヴァはそのまま彼について、回復を助けてやりなさい」
「はい」
「彼が問題なく日常生活を送れるようになったら、二人で朝廷に」
「承知いたしました。ーーーーあの、ラウラ・カナリアの件は、考えていただけましたか」
「カーリー・シュナウザーの妹か」
マルキーシェは嘆息し、もう一度腰を下ろした。
「本気なのか」
「彼女は優秀です」
「まだ十三だろう」
「年齢は関係ありません。彼女の実力は、実績は、陛下もご存じのはずです」
「能力は申し分ない。私が心配しているのは、心の方だ」
「彼女は職務を全うします。私情に流されることはありません」
「その私情を持ち出しているものに言われてもな」
「それはーーーー」
ノヴァは反論することができず、閉口してしまう。
しかし引くつもりは毛頭なかった。
彼は頭を下げて、懇願した。
「私情があることは、否定しません。しかし彼女が優秀な人材であることは確かです。当代随一といっていいほどの霊能力有し、人当たりがよく、事務能力も高いです。指導者としても優れています。なにより彼女は縮地術を習得しています。これほどの適任は他にいません」
マルキーシェは嘆息し、二人の側近に視線を送る。二人は揃って首肯を返す。
「そこまでいうのなら、許そう。ーーーーラウラ・カナリアをカイ・ミワタリの付き人にすることを」
「ありがとうございます」
ノヴァは顔をあげ、安堵の表情を浮かべる。
「後悔しないな」
マルキーシェは対照的な渋面で、念を押す。
「兄の身に入った他人の世話をさせるんだぞ。鬼畜の所業だとは思わないのか」
「本人の強い希望を尊重したまでです」
「つくづくあの兄妹に甘いな。入れ込んでいる自覚を持てよ」
「贔屓しているつもりはありません」
「結果だけ見ればたしかにそうだ。君の助力で兄は死に、妹は苦難の道を歩むことになったからな」
「……」
「自分がラサであることを忘れるなよ」
「ありえません」
「それならもう誰にも犠牲を強いるな」
マルキーシェは再び立ち上がった。
「エレヴァンのために生きてエレヴァンのために死ぬ。それはラサの役目だ。他の者に背負わせてはならない。ーーーーこの地に流れていいのは、ラサの血だけだ」
「心得ています」
「ノヴァ」
「はい」
「彼を憎むなよ」
「……はい」
マルキーシェはノヴァの瞳がわずかに揺らいだのを、見逃さなかった。
しかし何も言わずに、そのまま部屋を出ていった。
あとに残されたノヴァは、誰もいない部屋で、虚空にむかって、繰り返した。
「僕は彼を、憎みません」
その声は無機質だった。
どんな感情も含まれてはいなかった。
ただ、ひどくかすれて、震えていた。
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