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第六話 3時間半
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アタシの家は北海道の札幌市にある。
東京のスタジオにはお母さんが付いてきてくれるけど、
家から新千歳空港まで車で1時間。飛行機に乗ってだいたい2時間。
羽田空港から渋谷のスタジオまでタクシーで30分。
合計して3時間半もかかるのよね。
はぁ、アタシも東京に生まれればよかった。
正直言って毎日レッスンしたいんだけど、
とにかくお金がかかる。
お父さんはプロ野球の遠征でいつも忙しいし、
お母さんも9歳の弟と7歳の弟と4歳の妹の面倒をみないといけないから、
アタシばっかり迷惑をかけていられない。
そうはいってもアタシはまだ小学6年生。
東京で1人暮らしするわけにもいかないし、
家族全員が引っ越しなんてできない。
もっと練習がしたい。
そうしないと、みんなに取り残されちゃう。
稲葉さんは北海道生まれで研修生出身って聞いたけど、
練習どうしてたんだろう。
北海道でも練習できるところがあるのかな?
今度、稲葉さんに相談してみよう。
──────────────
レッスンの後、他の子たちが帰り支度をしている隙に、
アタシは稲葉さんに近づいた。
「あの、稲葉さん、少しいいですか」
「うん、どうぞ」
稲葉さんはタオルで首の汗を拭きながら、
アタシの方を向いた。
「あの……稲葉さんって、北海道出身ですよね」
「そうだよ」
「研修生のとき、東京まで来てたんですよね。
その……どうやって練習してたんですか。
アタシ、札幌なんですけど、毎週来るのがなかなか難しくて……」
言いながら、だんだん情けなくなってきた。
東京の子はみんな毎日来られるのに、
アタシだけ月に何回かしか来られない。
それを言い訳にしてるみたいで、恥ずかしかった。
でも稲葉さんは、顔色ひとつ変えなかった。
「私も同じだったよ」
「え?」
「毎週東京は来られないから、地元でダンスレッスンに通ってた。
スタジオ探して、自分で電話して、体験レッスン行って。お母さんと一緒に」
「……自分で電話したんですか」
「うん。あの頃は中学生だったかな」
稲葉さんがふっと笑った。
「距離は関係ない。
東京にいても練習しない子はしないし、
北海道にいても練習する子はする。
咲ちゃんはどっちになりたい?」
「……練習する子に、なりたいです」
「じゃあ、札幌でスタジオ探してみて。
わからなかったら私も探すの手伝う。
ボイトレも、ダンスも、やれることは全部やろう」
「……はいっ!ありがとうございます!」
──────────────
帰りの飛行機の中で、
お母さんの隣に座りながらスマホで札幌のダンススタジオを調べた。
「どうしたの、急に」
「稲葉さんが、地元でも練習した方がいいって。
地元のスタジオ探してみてって」
お母さんがスマホの画面を覗き込んできた。
「そうね……」
少し間があった。
「咲、お母さんね、一つ聞いてもいい?」
「うん」
「本当に、アイドルやりたい?
途中でしんどくなったり、色々あると思うけど」
窓の外は真っ暗で、雲の切れ目から小さな光がぽつぽつ見えた。
札幌の街かな、それとも仙台かな。
「やりたい」
即答だった。自分でもびっくりするくらい、迷わなかった。
「うん。わかった」
お母さんはそれだけ言って、また前を向いた。
スマホを取り出して、何かを調べ始めた。
しばらくして、画面をこっちに向けてきた。
「ここ、どう? 札幌駅から近くて、評判良さそう」
「……お母さん、ありがとう」
声が、少しだけ湿った。
「体験レッスン、来週行ってみましょうか」
「うん!」
飛行機が雲の中に入った。
窓の外が真っ白になって、街の光が消えた。
でも、なんか——前より明るい気がした。
──────────────
新千歳空港に着いたのは夜の9時過ぎだった。
駐車場でお父さんが待っていた。
「おかえり」と言いながらアタシのリュックを持ってくれる。
「どうだった?」
「すごく良かった。あとね、稲葉さんに相談したんだけど——」
「ああ、聞いた聞いた。
お母さんからLINE来てた」
「うん。来週体験レッスン行くかも」
車のキーをくるくる回しながら歩いている。
「……お父さん?」
「ん?どうした?」
「いつも頼んでばっかりでごめんね」
お父さんが立ち止まって、アタシの方を向いた。
「お父さんは遠征で家を空けてばっかりだろ。
咲に寂しい思いさせてるのに、
夢の応援もできてないかなって、
ずっと気になってたんだ」
プロ野球のシーズン中は、お父さんはほとんど家にいない。
試合がある限り全国どこへでも飛んでいく。
それが当たり前の生活だったから、寂しいとか考えたこともなかったけど——
「気にしてたの?」
「当たり前だろ」
お父さんがちょっと照れくさそうに笑った。
「お金のことは心配しなくていい。
北海道も東京のレッスンも続けろ。お前の夢なんだから」
「……お父さん」
「泣くなよ」
「泣いてない!」
目が熱くなったけど、泣いてない。泣いてないから。
──────────────
家に帰ったら、3人が待ち構えていた。
「おねえちゃんおかえり!!」
「東京どうだった!?」
9歳と7歳の弟が競うようにしゃべりかけてくる。
4歳の妹はよくわかってないのか、
ただニコニコしながらアタシの足にぎゅっとしがみついてきた。
「はいはい、おみやげ買ってきたから並んで!」
東京ばな奈を3つ取り出したら、わあっと歓声が上がった。
妹はまだ「とうきょうばなな」が言えなくて「ときょばなな!」と叫んでいた。
ちょっとうるさいけど、なんかほっとする。
アタシがいなくても、家はちゃんと回っていた。みんな元気だった。
それが、嬉しいような、ちょっと寂しいような。
──────────────
自分の部屋に戻って、えっちゃんにLINEした。
「ただいま! 今日もレッスンたのしかったよ!
アタシ、札幌でもスタジオ通うことにした!」
すぐに返信が来た。
「おかえり!! えっすごい!!
どんどん本物のアイドルになってくじゃん!!」
「まだまだだよ~! でも頑張る!」
「応援してるよ!!絶対なれるって!!」
えっちゃんは変わらない。
東京でも、北海道でも、どこにいても、
えっちゃんはえっちゃんだ。
3時間半かけて東京に行って、
レッスンして、3時間半かけて帰ってくる。
しんどいけど——
毎回、何かを持って帰ってこれる気がする。
東京のスタジオにはお母さんが付いてきてくれるけど、
家から新千歳空港まで車で1時間。飛行機に乗ってだいたい2時間。
羽田空港から渋谷のスタジオまでタクシーで30分。
合計して3時間半もかかるのよね。
はぁ、アタシも東京に生まれればよかった。
正直言って毎日レッスンしたいんだけど、
とにかくお金がかかる。
お父さんはプロ野球の遠征でいつも忙しいし、
お母さんも9歳の弟と7歳の弟と4歳の妹の面倒をみないといけないから、
アタシばっかり迷惑をかけていられない。
そうはいってもアタシはまだ小学6年生。
東京で1人暮らしするわけにもいかないし、
家族全員が引っ越しなんてできない。
もっと練習がしたい。
そうしないと、みんなに取り残されちゃう。
稲葉さんは北海道生まれで研修生出身って聞いたけど、
練習どうしてたんだろう。
北海道でも練習できるところがあるのかな?
今度、稲葉さんに相談してみよう。
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レッスンの後、他の子たちが帰り支度をしている隙に、
アタシは稲葉さんに近づいた。
「あの、稲葉さん、少しいいですか」
「うん、どうぞ」
稲葉さんはタオルで首の汗を拭きながら、
アタシの方を向いた。
「あの……稲葉さんって、北海道出身ですよね」
「そうだよ」
「研修生のとき、東京まで来てたんですよね。
その……どうやって練習してたんですか。
アタシ、札幌なんですけど、毎週来るのがなかなか難しくて……」
言いながら、だんだん情けなくなってきた。
東京の子はみんな毎日来られるのに、
アタシだけ月に何回かしか来られない。
それを言い訳にしてるみたいで、恥ずかしかった。
でも稲葉さんは、顔色ひとつ変えなかった。
「私も同じだったよ」
「え?」
「毎週東京は来られないから、地元でダンスレッスンに通ってた。
スタジオ探して、自分で電話して、体験レッスン行って。お母さんと一緒に」
「……自分で電話したんですか」
「うん。あの頃は中学生だったかな」
稲葉さんがふっと笑った。
「距離は関係ない。
東京にいても練習しない子はしないし、
北海道にいても練習する子はする。
咲ちゃんはどっちになりたい?」
「……練習する子に、なりたいです」
「じゃあ、札幌でスタジオ探してみて。
わからなかったら私も探すの手伝う。
ボイトレも、ダンスも、やれることは全部やろう」
「……はいっ!ありがとうございます!」
──────────────
帰りの飛行機の中で、
お母さんの隣に座りながらスマホで札幌のダンススタジオを調べた。
「どうしたの、急に」
「稲葉さんが、地元でも練習した方がいいって。
地元のスタジオ探してみてって」
お母さんがスマホの画面を覗き込んできた。
「そうね……」
少し間があった。
「咲、お母さんね、一つ聞いてもいい?」
「うん」
「本当に、アイドルやりたい?
途中でしんどくなったり、色々あると思うけど」
窓の外は真っ暗で、雲の切れ目から小さな光がぽつぽつ見えた。
札幌の街かな、それとも仙台かな。
「やりたい」
即答だった。自分でもびっくりするくらい、迷わなかった。
「うん。わかった」
お母さんはそれだけ言って、また前を向いた。
スマホを取り出して、何かを調べ始めた。
しばらくして、画面をこっちに向けてきた。
「ここ、どう? 札幌駅から近くて、評判良さそう」
「……お母さん、ありがとう」
声が、少しだけ湿った。
「体験レッスン、来週行ってみましょうか」
「うん!」
飛行機が雲の中に入った。
窓の外が真っ白になって、街の光が消えた。
でも、なんか——前より明るい気がした。
──────────────
新千歳空港に着いたのは夜の9時過ぎだった。
駐車場でお父さんが待っていた。
「おかえり」と言いながらアタシのリュックを持ってくれる。
「どうだった?」
「すごく良かった。あとね、稲葉さんに相談したんだけど——」
「ああ、聞いた聞いた。
お母さんからLINE来てた」
「うん。来週体験レッスン行くかも」
車のキーをくるくる回しながら歩いている。
「……お父さん?」
「ん?どうした?」
「いつも頼んでばっかりでごめんね」
お父さんが立ち止まって、アタシの方を向いた。
「お父さんは遠征で家を空けてばっかりだろ。
咲に寂しい思いさせてるのに、
夢の応援もできてないかなって、
ずっと気になってたんだ」
プロ野球のシーズン中は、お父さんはほとんど家にいない。
試合がある限り全国どこへでも飛んでいく。
それが当たり前の生活だったから、寂しいとか考えたこともなかったけど——
「気にしてたの?」
「当たり前だろ」
お父さんがちょっと照れくさそうに笑った。
「お金のことは心配しなくていい。
北海道も東京のレッスンも続けろ。お前の夢なんだから」
「……お父さん」
「泣くなよ」
「泣いてない!」
目が熱くなったけど、泣いてない。泣いてないから。
──────────────
家に帰ったら、3人が待ち構えていた。
「おねえちゃんおかえり!!」
「東京どうだった!?」
9歳と7歳の弟が競うようにしゃべりかけてくる。
4歳の妹はよくわかってないのか、
ただニコニコしながらアタシの足にぎゅっとしがみついてきた。
「はいはい、おみやげ買ってきたから並んで!」
東京ばな奈を3つ取り出したら、わあっと歓声が上がった。
妹はまだ「とうきょうばなな」が言えなくて「ときょばなな!」と叫んでいた。
ちょっとうるさいけど、なんかほっとする。
アタシがいなくても、家はちゃんと回っていた。みんな元気だった。
それが、嬉しいような、ちょっと寂しいような。
──────────────
自分の部屋に戻って、えっちゃんにLINEした。
「ただいま! 今日もレッスンたのしかったよ!
アタシ、札幌でもスタジオ通うことにした!」
すぐに返信が来た。
「おかえり!! えっすごい!!
どんどん本物のアイドルになってくじゃん!!」
「まだまだだよ~! でも頑張る!」
「応援してるよ!!絶対なれるって!!」
えっちゃんは変わらない。
東京でも、北海道でも、どこにいても、
えっちゃんはえっちゃんだ。
3時間半かけて東京に行って、
レッスンして、3時間半かけて帰ってくる。
しんどいけど——
毎回、何かを持って帰ってこれる気がする。
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