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2巻
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大陸の端にあるアルザーク王国のそのまた田舎には、渓谷と湖、山に囲まれた都市があった。
渓谷には鬼が棲み宝石を蓄え、湖には美しい人魚の魔物が潜んでいると言われている。さらに山では立ち込める深い霧に惑わされ、山頂付近には辿り着けないという話だ。
その山奥に、俺シン・カミヤは来ていた。
渓谷で手に入れた宝石で一儲けできたため生活に余裕が持てたり、湖ではマーメイドが恐ろしい魔物であったため失望したりするなど、いろいろあった。そして今日は、まだ探索していない山へと足を運んでいた。
かつて、気がついたらこの異世界に来ていたときと、俺の心境は大きく変わっている。自分で思っていた以上に冒険心が強かったようで、獣の息遣いばかりが聞こえてくる危険な森にも、怯えることなく入っていけるのだ。
そんな俺がずんずんと進んでいると、ひんやりした液体が首元に触れる感覚があった。今日は雨なんか降っていないはずなのに、いったいなにが起きているのか。まさか、大型動物が俺を食おうと涎を垂らしているのではないか!?
俺がぞっとして振り返ると、俺の肩の上には、真っ黒な毛玉状のクマ――ケダマベアーという一端の魔物であるケダマがいた。すっかり涎を垂らした様子の。
……お前かよ! 汚いな!
その視線の先には、俺が腰に装着した魚籠がある。中身はキノコや山菜でいっぱいだ。
「……勝手に食うなよ?」
この食いしん坊ケダマは、なんでも食ってしまうのが特徴だ。
俺が呆れていると、くいくいと服の裾が引っ張られた。スライムの少女、正確にはマーメイドスライムが人の形に「擬態」した少女であるライムが俺を呼んでいる。
「シン。あれ」
彼女が示す先には、お腹を押さえた小鬼と、それを見守る大きな白いわんこがいた。素潜りゴブリンという種族のゴブと白狼という狼型魔物のウルフ、それから先のケダマの三体はとても仲がいい。拾い食いをしてお腹を痛めたらしいゴブを、ウルフが心配しているみたいだ。
自然の物を食って食中りって、あいつ、野生でどうやって生きてきたんだろうなあ。
これらの魔物は俺のパーティメンバーである。この世界に来たときに魔物使いとしての能力を得た俺は、スキル「主従契約」で魔物を従えてきたのだが、今となってはやつらはとても頼もしい……かどうかはともかく、大事な仲間である。
俺がゴブのところに行こうとすると、ケダマが肩からぴょんと飛び降りる。そのままゴブへ駆け寄るのかと思いきや――近くの草叢の中へと入っていった。
枝葉が引っかかるのもなんのその、小枝が折れる音を立てながら、ずんずん進んでいく。そうして戻ってきたときには、キノコを咥えていた。友情より食欲なのかもしれない。
「お手柄だ、ケダマ」
言いつつ、素早く回収する。ここに来てからケダマは随分張り切っていて、こうして何度も収穫してきてくれるのだが、放っておくとたまに我慢できず、つまみ食いをしてしまうのだ。けれど、普段の料理のほうが旨いこともあって、頻度は低いのが幸いである。
回収を終えると、俺は功労者であるケダマを撫でてやる。顔の周りにくっついているたくさんの葉を払ったり、鼻先の泥を落としたりしてやると、ケダマはぶるぶると頭を振ってから、肩の上に戻った。
俺たちはかねてから考えていたキノコ狩りに来たのだが、目的である高級食材、キノコの魔物の身を手に入れることはできずにいた。
この山はいわくつきの土地であり、人々があまり入らないこともあって、今が旬である山の幸が採られずに残っている。だというのに、運が悪く一度もマモノダケに遭遇していないのだ。
ゴブがお腹を壊したし、俺としてはそこまで無理してマモノダケを食べたいわけでもない。帰ろうかなあと考えていると、魔物たちと俺との間にある共感覚を通じてその考えがケダマに伝わったらしく、すさまじい衝撃を受けていた。
そこまで無理をしてでも食べたかったようだ。
どうしようかと考えていると、いつの間にか姿を消していたゴブが、すっきりした顔で戻ってきた。なにがあったのかは考えないことにしよう。
仲間が揃うと、俺はケダマに使用していたスキル「小型化」を解除し、元の大きさに戻してから、探索を続行することにした。
噂によると、霧が出て山頂に行けないとのことだ。この事実を逆手に取れば、どんなに迷っても山頂とは違う方向にしか進めない。となれば、適当に進んでいてもいずれ麓に向かっていくだろう。
だから、俺はあまり迷う可能性を気にしていなかった。それに、もっと気になることがほかにある。
なにしろ、ここでは美女が出るという噂もあったのだ。もし出会えるなら、一目見てみたい。もちろん、そんなのはただの噂に過ぎないことくらい知っている。マーメイドが予想外の化け物で、一度痛い目を見た俺は、もう簡単には騙されないのである。
そんな呑気な俺たちが進んでいくと、いつの間にか前後左右、すべてが霧に包まれていた。数メートル先も見えず、木々にぶつかりそうになる。
「なんてこった……」
こんな状況では、気がついたときには周りに誰もいない、なんてことも起こり得る。俺はライムと手を繋ぎ、魔物たちと密集するようにして移動する。
折角ライムと手を繋いでいるのに、ちっともデートなんて雰囲気じゃない。
俺はそんなことを考えながら、とりあえず足を動かす。もう方向はさっぱりわからないが、とにかく進んでいけばそのうちなんとかなるだろうという、これまた安易な考えだ。
真っ白な霧を掻き分けながら行くと、向こうに人影が見えてきた。
俺たちは緊張感を高め、慎重に歩を進める。こんなところにいるのなど、野盗の類か、魔物であることがほとんどだろう。たまたま迷ってしまった人もいるかもしれないが、レアケースのはずだ。それゆえに、こちらから声をかけるわけにはいかなかった。
幻というわけではないようだ。ウルフの鋭い嗅覚が反応する。そして同時に、その影の正体が人のものではないことも判明した。
次第に、俺自身でもわかるほど臭いがきつくなってくる。
はて、この臭いは――
どこか覚えがある。なんだったかと考えていると、急に霧が晴れて視界が開けた。
そこにいたのは人型の魔物だ。緑がかった茶色の体は太く、ぶよぶよしているのが見て取れる。背は俺よりも高く、かなり大柄だ。
なにより目を引くのが、胸から上である。首と言えるようなくびれは存在しておらず、胸に直接いかつい頭が乗っているようにも見える。頭髪はほとんどない。
剥き出しになった牙は唾液に濡れており、目の周りの皮は厚く、醜悪な面構えをしている。そして鼻と耳は豚のものによく似ていた。
俺はすかさず「鑑定」スキルを使用する。
《オーク Lv8》
ATK28 DEF22 MAT4 MDF8 AGI7
【スキル】
「精力増強」
ステータスはレベルの割に高くないが、体格の差がある。油断はできない。
奴は突如現れた俺たちに動揺しているらしく、慌てて棍棒を振り上げる。
俺たちがさっと左右に分かれ、突進してくるオークに対応すると、奴は目標を俺に定めた。
大きく横薙ぎに放たれた棍棒の一撃を、バックステップで回避。剣を抜き、オークに相対する。
巨体はずんずんとこちらに近づきながら、俺とライムを睨めつけてくる……いや、違う。俺などすでに眼中にないのかもしれない。奴の視線はすでに、ライムだけに向けられていた。
彼女が小さく一歩下がり、オークが深く大きく踏み出した。心なしか、鼻息が荒い。
刹那、奴の死角からケダマが転がってきた。オークの巨体もなんのその、思い切り突き飛ばし、大木へとぶち当たる。間に挟まれたオークが呻き声を上げるなり、ウルフが飛びかかった。
血飛沫が上がる中、とどめにゴブが棍棒で殴りかかり――オークの反撃を受けて転がっていった。
「くそ、しぶといな」
どうやら、このオークはかなり丈夫らしい。皮膚が厚いのかもしれない。打撃などではあまり効果がないようだ。
ならば、俺がやるしかなかろう。
一歩前に踏み出した瞬間、ケダマとウルフがさっと左右に分かれる。瞬間、俺は炎魔法を発動し、オーク目がけて投げつけた。
ゆっくりと立ち上がるところだったオークは、回避することもできずに燃え上がり、すぐに焼け焦げていった。魔法に対する抵抗力は低いのだろう。実にあっけない最期だ。
「ゴブ、大丈夫か?」
俺が声をかけると、ゴブは立ち上がって無事をアピールする。特に問題もないようだ。こちらも中々丈夫らしい。
気を取りなおして、俺たちは再び歩き出す。
しかし……こんなオークがいることは、聞いていなかった。ほとんど目撃例がなかったのだろう。たまたま遭遇しただけである可能性もあるが、俺はどうにも引っかかっていた。
オークの臭い、どこかで嗅いだことがあるはずなんだよなあ。
いまいち釈然としないまま、霧が晴れた森を進んでいく。霧がないということは、その先には麓が待っているはずだ。
そう思うと足取りは自然と軽くなる。
俺たちは本日の探索はこれまでにして、都市へ帰ることにした。まだ日は沈んでいないし、余裕を持って街に着くこともできよう。
すっきりした視界のおかげか、俺たちはすっかり安心していた。
◇
それから進んでいく最中、オークとの戦闘が数度あった。どうやらこのあたりに多く生息しているらしい。
奴らは妙に興奮しており、俺たちを見るなり飛びかかってきた。もちろん、すべて返り討ちにしたのだが、やはり違和感が拭えない。
そして山を下っている感覚もなかった。もしかすると、山を一周するように移動していたのかもしれない。それならいつまでたっても平地に降り立つことはかなわないだろう。かといって確かめる方法はないし、今から方向を変えればまた迷ってしまうかもしれない。
どうしたものか。俺たちはすっかり困り果てていた。
こんなとき、空を飛べる魔物がいれば、すぐに麓を見つけられるのになあ。こう、ケダマに羽が生えてりゃ、それに乗って帰れるのに。
ないものねだりをしても仕方がないと、俺は気を引き締めて歩き出す。
そうして行く手を阻む草を押しのけたときのことだった。向こうから、興奮したオークの鳴き声が聞こえてきたのだ。
ただならぬ様子なので、首を突っ込めば面倒事になるのは間違いない。普通に考えれば、迂回していくべきだろう。
とはいえ、魔物を倒すのはやぶさかではない。
俺は好奇心と面倒くささを天秤にかけて、好奇心が勝った。そもそも、オークがいることからして、俺にとっては引っかかる出来事だったのだから。
危なくなれば、逃げればいいだろう。幸い、この辺はあまり見通しがよくないため、敵に追われても撒くのはそう難しくない。
素早く移動しつつ、共感覚で得られるウルフの嗅覚とケダマの聴覚を頼りに敵の様子を探る。数は二十を超えるようで、どれもオークらしき臭いだ。相手をできない数じゃない。
そして、その中にたった一つ、別の臭いがある。
視界が開けるなり、俺は一瞬で素早く状況を把握する。
オークどもの視線の先には、一人の少女。まだ成人には程遠いが、とうに幼さは抜けていた。
村娘のように簡素な貫頭衣であり華美な格好ではないが、人目を引く容姿である。
オークどもをきっと睨む瞳は、綺麗な明るい茶色。乱れた髪は黄金のように煌びやかだが、それよりさらに目を引くものがある。
耳だ。髪の中から狐の耳がぴょんと飛び出ている。
視線を下へと向けていけば、彼女の腰のあたりから大きな尻尾も生えているのも見えた。
倒れた彼女の裾から伸びるすらりとした脚の先には、草木を編んだような、足にぴったり合うサンダルに似た靴。
しかし、よく見れば、膝のあたりから脚があらぬ方向に曲がっていることがわかる。それゆえに立ち上がれないのだろう。なおもなんとか這い上がろうと地についた手は、嫋やかさに似合わぬほど泥と血にまみれていた。
実に魅力的な少女であったが、俺はふと、魔物と美女を見間違えたのだろうという傭兵たちの言葉を思い出し、少女を鑑定する。
《クーナ・ルイア Lv12》
ATK50 DEF41 MAT22 MDF36 AGI51
【スキル】
「人化術」「幻影術Lv1」
彼らの言葉とは違い彼女は魔物ではない――と言いたいところだが、「人化術」があるのが気になる。人そのものならば、人化などという言葉は相応しくないのだから。となれば、魔物だろうか。しかしそれならば、魔物名が表示されないのはなぜだろう。
が、そんなことを悠長に考えている暇はない。俺は声を張り上げた。
「ケダマ、突撃!」
少女へと近づいていくオークの群れに、一匹のケダマが果敢に飛び込む。大きなオークを三体も弾き飛ばしてなお勢いは衰えず、背後にある倒木にぶつかって跳ねた。
そのまま宙へと舞い上がって、どこかへと行ってしまったが、役目は十分果たしたはずだ。
俺とライムはウルフに乗って、オークどもへと襲いかかる。
ライムが炎を生み出しては投げ、俺は小型化したゴブを掴んで少女に一番近いところのオーク目がけて投げつける。
飛んでいったゴブは小型化を解除されるなり、思い切り棍棒を振り下ろした。いい音を立てて、オークが転倒する。
どんなもんだと言いたげに胸を張るゴブを確認しつつ、俺はウルフから飛び降り、ライムとともに炎魔法を使用してまた別のオークへと投げつける。
そのときには先のオークは体勢を立て直し、ゴブ目がけて棍棒を振り下ろさんとしていた。
「ゴブー!?」
所詮はゴブリン、先ほどは見事に決まって浮かれていたが、すぐに慌てて、右に左に逃げ場を探している。しかし、どこもかしこもオークがいて、うまく逃げることなんてできやしない。
絶体絶命のピンチにウルフが飛び込んでいくと、オークの脛を齧って引きずるように駆けていく。
友の救援にゴブは歓声を上げ、再び倒れたオークを打ちのめしていく。が、すぐにやってきた別の個体に睨みつけられると、また右往左往し始めた。
「ゴブ、潜れ!」
俺は奴に命令を出すなり、剣を抜く。そして今にもゴブを叩かんとしていたオークへと距離を詰める。
オークは大きく腕を振るった。ゴブはそれを見て真っ青になりつつも、その体がふっと消えた。いや、土魔法で素早く地面にめり込んでいったのだ。
オークの棍棒が、なにもない地面を打つ。その瞬間、俺の剣が横薙ぎの軌道を描いた。
振り下ろしたばかりのオークの腕が飛ぶ。そこは先ほどまでゴブの頭があった場所だ。
俺は安堵していた。ゴブが魔法をうまく発動できていなかったら、ゴブごと切ってしまう可能性があったからだ。しかし、なんだかんだでやってくれるだろうと信頼していたのだ。嘘じゃない……ああ、信頼しているとも。
このゴブを囮にした連携は見事に成功し、オークはやや後じさりする。しかし、俺には奴を逃がすつもりなどない。
立て続けに炎魔法を使用し、至近距離から浴びせかける。オークの絶叫が上がり、やがて倒れていった。魔法に弱いため、ほんの僅かな魔法攻撃で倒すことができるのだ。だからオークとの戦いにおいては、俺とライムが主力になるだろう。
そうこうしているうちに、ライムへと近づいていくオークが増えてきた。
「ウルフ、ケダマ、そっちは頼む」
ようやくケダマが戻ってきたところで、その二体を援護に向かわせる。ウルフは俺たちの中で一番頼りになるから、それで問題ないだろう。
ライムがせっせと炎魔法を使用するのを横目で見つつ、俺は足元の穴から顔を出して一息ついているゴブの頭を掴むと、こちらに向かってくるオーク目がけて投げつけた。
「ゴブゥー!」
ゴブの叫び声が上がる。さすがに、敵意で充ち満ちている相手目がけて飛び込むのは嫌だったようだ。
しかし、やるときはやるゴブリンなのだ。役目はしっかり果たしてくれる。
オークの頭を打ちつけるなり、そそくさと敵から離れるゴブに、相手の視線が追従するのを確認しつつ、俺は炎を投げつける。するとオークは回避することもなく燃え上がった。
そうしてオークを仕留めていくと、やがて俺の付近には敵がいなくなる。ライムたちのほうも片づいたので、一安心だ。
……いや、まだ安心はできないか。
先ほどまで少女がいたところに視線を移すと、そこには一匹の子狐がいた。少女の髪色と同じ、黄金色の体毛に包まれている。鑑定を使用すると「地狐」と表示される。
しかし、ステータスはまるきり一緒なので、先ほどの少女が人化術で化けていた――いや、先ほどの少女に化けていた魔物で間違いないだろう。
となれば、クーナというのは、種族名ではなく彼女固有の名前だろうか。
俺がじっと見つめていると、その子狐は鳴いた。
「こ……こんこんっ」
「そんなわざとらしい鳴き方する狐がいるか!」
俺が突っ込みを入れると、怯えたように尻尾を丸める。そしてなんとか逃げようとするのだが、足の怪我のせいで動けないようだ。
俺は一つ息を吐き、子狐に話しかける。たぶん言葉は理解しているから、会話は成り立つだろう。
「まあ、隠さなくていいよ。えっと、クーナちゃん、でいいんだよね?」
俺が名前を知っていることに驚きつつ、警戒した視線を向けてくる。しかし、そうしていてもらちが明かないと見たのか、人の形態を取っていく。
人化術を用いたのだろう。ふさふさの毛が衣類へと変わっていき、容貌も人に近づいていく。
そしてすっかり先ほどの少女の姿になった彼女は体を横たえたまま、俺にはっきりと告げた。
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