その紫煙が心を揺らす 

伽蓮

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第7章 キスは特製絆創膏

キスは特製絆創膏①

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 火の用心、と夜回りが拍子木を打ち鳴らしながら通り過ぎていった。妹尾は、泣き濡れた顔をワイシャツの袖口でぬぐった。
 頭が、ぼうっとする。恥ずかしくて紺野を直視できない。だが、数十年がかりで脱皮を果たしたように気分は爽快だった。
 泣き腫らした目をしばたたいた。あえて、ぴょこんとお辞儀をした。

「泣きすがってきたのが美女じゃなくて残念でしたね。でも、おかげですっきりしました。紺野さんがもしも泣きたくなったときは、貧弱な胸でよければお貸ししますよ」

「近視の人間の視線は焦点が微妙にぶれて、変にエロい。そそられて、ヤバい」

 紺野が、そう唸った。自分に枷をはめるように腕組みをしたかと思えばほどいて、天井を睨みつけた。臨界点、と舌なめずりをすると、指を添えて細いおとがいを掬った。
 仰のかされた。予想外の展開にまごついているうちに、おぼろに霞む視界にくっきりと浮かびあがったものがあった。
 それは、唇だ。煙草の苦みをまとったそれが紺野のものだと認識したのは、唇を盗まれたあとだった。
 前髪が吐息にそよぐとともに、再び唇をついばまれた。一拍おいて、さらに強めに。

「世界中の子どもに愛情と栄養を、疲れた心にはキスを」

 さしずめブレーカーが落ちた状態にあったために、驚きは遅れてやってきた。唇の輪郭を舌でなぞられたうえに、ゆるめろ、と催促がましく合わせ目をノックされてはじめて、心臓がばくばくしだした。
 妹尾がカラクリ人形なら、ここでようやくゼンマイが巻かれた。尻でいざって座面を後ろにずれた。
 もっとも紺野がこちら向きに上体をひねると、たくましい躰と肘かけに挟まれる形になって身動きがとれない。背もたれを掴んでもたもたとずり上がったところに覆いかぶさってこられて、仰向けに倒れこんだ。
 すかさず三度みたび、唇を奪われた。罵声を浴びせたものの、それは唇のあわいに虚しくくぐもり、しかも裏目に出た。
 口をあけた機に乗じて、ぬるり、と舌が口腔を侵入を果たした。
 妹尾は頭を打ち振って抗い、しかし紺野にキスされるなど現実味にとぼしい。熱があがってきて、夢とうつつの境をさまよっている中で想像の翼を広げているのかもしれない、と思えるほどに。
 髭の剃り跡が、ざらり、と口のにこすれた。それで我に返ると同時に、妹尾は今さらめいてもがきはじめた。 

「どいてください。冗談にしても悪質です」

「俺は、むずかる姪っこをあやすのが抜群に上手い。妹尾さんにチュウしたのはそいつの応用編で、言ってみれば慰め屋のデリバリーサービスだ」

「寝言は寝てほざいてください。そんな滅茶苦茶な理屈、聞いたことがありません!」

 胸板に両手をつっぱって紺野を押しのけにかかれば、その両手を左右ひとまとめに握りとられて、万歳する恰好に肘かけに縫いつけられた。
 妹尾は柳眉りゅうびを逆立てた。逆光に沈んで表情を読み取りづらい顔をめあげるとともに、事と次第によっては蹴りをみまってやるべく、利き足を胸元に引き寄せた。
 それから、わざと全身の力を抜いて油断を誘い、ところが一転して蒼ざめた。おくびにも出さなかったはずだが、一度ならず二度までも〝紺野〟をいわゆるオカズに用いたことに感づかれて、それで制裁を加えられているのでは……?

「風邪が伝染うつりますよ!」

「自分の貞操より俺の心配か。妹尾さんらしいな」

 ガムシャラに身をよじっても、縦横ともにひと回り大きな躰はびくともしない。それどころか掌で顎を固定されたところに、キスが舞い落ちた。舌に噛みついて目にものを見せてやるつもりが、下唇の膨らみを食まれると、結び目がやわらかくほどけていく。
 咄嗟に唇をとざした。だが執拗に唇をすりつけてこられたすえに根負けした。キスのひとつや二つ、減るものじゃない。勝手にしろと、ぐったりと手足を伸ばしたとたん、抱き起こされた。
 あばら骨がみしみしというほどの力で抱きしめられて、呼吸いきもできない。息継ぎをする要領で、うっすらと口を開けば紺野の思う壷。
 歯列をこじ開けた舌が、妹尾のそれを求めて口腔を泳ぎ回る。回を重ねるごとにキスは深まり、ある種、免疫ができたように抵抗感は薄れていった。
(がつがつ来るタイプっぽいのに……)
 肉食系、という物腰とはあべこべに、舌づかいは思いのほかぎこちない。うなじに添えられた手は明らかに震えていて、ファーストキスにしゃっちょこばる中学生を連想した。
 薄目をあけて紺野の様子を窺った。両眼は固く閉じられていて、洗礼式に臨む敬虔な信者という趣さえあった。
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