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第10章 “葵園” 施設長 豊岡敦子の話し
しおりを挟む廣田は、1人で葵園を訪ねることにした。 裁判は、審議が終わり論告求刑と判決を待つ状況で、経費をクライアントへ請求する理由がないからだ。
JR浜松駅に降り立った廣田は、タクシーで葵園に向かった。 車は、駅から40分ほど走り、浜名湖 舘山寺周辺の観光地の入り口にさしかかった。市立公園を通り過ぎ、左折し小高い山の坂を登った。 運転手は、わき道に入り坂の途中で車を止めた。そこには、三方を雑木林に囲まれた一軒の民家があった。
廣田は、4,560円の料金を支払い、いつものように領収証を受け取りタクシーを降りた。
その一軒の、民家の垣根の向こうから子供の声が聞こえ、その垣根の間に“葵園”と書かれたポストがあった。
【養護施設 葵園 施設長 豊岡 敦子(とよおか あつこ)の話し】
「弁護士さん、ですか?」
「郡上市の上田紘一さん、詢子さんをご存じですね」
「一巳君の、養父母の上田さんご夫婦ですよね」
「はい」
「上田さんからは、毎年、暑中見舞いや年賀状を頂いておりましたが、この夏、お便りがないので心配しておりました」
「その、上田さんご夫婦は、亡くなられました……」と、廣田は、事件のあらましと裁判中の状況を豊岡敦子に説明した。
「嘘でしょ。一巳君が……どうして?」
二人は、しばらく沈黙した。
「その、葵一巳君のことですが、どんな経緯で上田さんご夫婦の養子になられたのでしょうか」
「はい。私共は、民間の施設です。国と県から運営費を頂いておりますが、多くの支援者の方の寄付で何とか運営しています。 ある支援者の方から、毎年、ホテルのプールに招待していただいております。
一巳君が、7歳になった夏、子供たちを連れてそのホテルのプールに行った時のことです。 プールサイドにいたご婦人が、一巳君に駆け寄り声を掛けたんです。私は、連れ去られるのではないかと慌てて駆け寄りました。
その日は、それで何事も無かったのですが、次の日曜日に、上田さんご夫婦が訪ねて来られ『先日の子に、合わせて欲しい』とお願いされました。そのときは、お断りいたしましたが、翌週、また翌々週に来られましてね、どうしても合わせほしいとお願いされ、仕方なく一巳君に合わせたんです。
うちの子たちは、何かしらの事情がある子たちばかりです。来たばかりの頃は、どの子も表情は硬く口数も少なくなります。 一巳君は、4年経っても人見知りしが酷く、笑うことも泣くこともない無表情な子だったんです。
そんな一巳君が、名前を聞かれ素直に答えましたから驚きました。 それだけではありません。奥さんが、突然『うちの子に、なってくれないかな』とおっしゃったら『いいよ』と笑顔で答えたんですよ。 奥さんは、一巳君を抱きしめてずっと泣いておられました」
「奥さんが、『うちの子になってくれ』と、直接言われたのですか」
「はい。ふつう養子縁組は、自治体やボランティア団体からの紹介なんです。 うちの子たちは、事情があって私共の園にいるわけで、親がいても一緒に暮らせない子もいますから、急に養子と言われてもね、猫の子じゃありませんから『はいどうぞ』という訳にはいかないんですよ。
縁側いるあの子は、事情があってお母さんと一緒に暮らすことができずこの園でお預かりしています。 あそこは、あの子のお気に入りの場所で、園に続く坂道がよく見えるんです。 縁側のあの場所から、毎日のように外を眺め、お母さんが迎えに来てくれるのをじっと待っているんです」
「一巳君には、身寄りがなかったということですね。一巳君は、なぜ、ここ“葵園”に来ることになったんですか」
「それが……警察から依頼されたんですよ」
「警察からの、依頼ですか」
「はい。浜松西署から『舞阪のビジネスホテルで、母親が亡くなって連れていた子を保護しているから、引取り手が現れるまで預かってほしい』と。それが、身元がわからずじまいで……」
「身元、不明ですか」
「何でも、30(歳)くらいの母親が、ベッドの上で亡くなっていていたそうです。 隣の部屋のお客さんから『朝早くから、子供の泣き声がうるさい』とフロントに連絡があり、従業員がマスターキーで入ったそうです。 持病があったようで……母親は、そんなにいい身なりではなかったようです。バックひとつで、所持金も少なく身元がわかる物が何一つ無かったそうです。 唯一、薬局で幼児用のビスケットとジュースを買ったレシートが一枚あったそうですが、名古屋駅の地下街のものでしたからどこから来たのか分かりませんよね。 一巳君は、返事くらいしかできず名前を聞き出せなかったようです。
警察は、子連れの家出だから直ぐに見つかるだろうと言っていましたが、家出人届や捜索願に該当者が無く、結局、引き取り手が現れなかったんです」
「幼児を連れて、家出ですか」
「小さな子供を連れての家出ですから、よほどの事情が有る親子だったでしょうね。 結局、うちの園で面倒見ることになり戸籍を作りました」
「就籍の、手続きですね」
「戸籍がないままじゃ、病気になっても健康保険が使えませんからね。 苗字は、園の名前をとり、うちに来たのが十三日でしたから“カズミ”と名付けました」
「3歳と、いうのは?」
「警察の関係の、お医者さんが健康状態を確認しそれで3歳としたんです」
「そうですか」
「小学校の、入学までに間に合えばと家庭裁判所に申請の手続きをしました。 それからも毎週のようにご夫婦でお見えになられ、子供たちにクリスマスのプレゼントやランドセルなど頂きました。 一巳君の表情も豊かになり、それは楽しみにして『今度は、いつ来るの』と、聞くようになりました。 そして、その年の暮れに、上田さんの家族に迎えられました。これが、その時の写真がこれです」と、豊岡敦子は、アルバムを開いて廣田に見せた。
「来たときの、写真はないのですか」
「この園に来た直後は、どの子も表情が硬く笑うことはありませんし、子供たちにとって、この園にいたことは忘れてしまいたい消し去りたい記憶ですから、写真を撮り残すことはほとんどありません。 この園を出て、新しい家族の元へ行くときに家族写真を撮ります。このアルバムは、私がその笑顔の子を忘れないように、私のために残しています」
「一巳君の、身元が分かるような、何か……お守りとか着ていた服とか……」
「何も持っていませんでした。一巳君が、園に来たときの衣類はとってありますよ」
「服が、あるのですか。見せて、頂けますか」
「はい。いま、お持ちします」と、豊岡敦子は席を立った。 ほどなくし「これです」と、半ズボンとくまさんがプリントされたのシャツ、キャラクター柄の靴、パンツをテーブルに並べた。
「夏でしたからね、Tシャツと半ズボンでした。さほど上等なものではありませんね。しばらくはここでも着ていましたからくたびれていますが、シャツや下着・靴まで下ろし立てのような新しい物でした」
廣田は、上田健一の出生の手掛かりを探るようにひとつずつ手に取った。
「上田さんご夫婦も、これを見ているのですね」
「もちろん、ご夫妻にも見ていただいています」
Tシャツと半ズボンの内側に、赤い糸で“カズミ”と読める縫い付けがされていた。
「そうですか。この縫い付けは名前ですか」
「ズボンとシャツは糸で縫い付してます。パンツと靴は、マジックで私が書いたものです」
「糸で、名前を縫い付けるのですか」
「これは、一巳君が着ていたものですから他の子は着せていませんが、どの子の服なのかわかるように名前を書きます。その子が成長し着られなくなっても、服やズボンは他の子に着せられるように、うちでは糸で名前を縫い付けています。幼児期は、何かと着替えることが多いですしすぐに大きくなりますからね。 幼稚園や保育所でも、持ち物や靴や肌着に必ず名前を書きます。 一巳君が身に着けていたものには、名前が書かれていませんでしたから、おそらく一巳君は、幼稚園や保育所には行っていなかったと思いますよ。 幼稚園に行かず、一人で過ごすことが多い子には喋ることが苦手ですし、男の子には口が遅い子もいますから、お医者さんが3歳くらいだと言うのも頷けます」
「上田さんご夫妻は、これをみて何か言っておられませんでしたか」
「貴方と、同じようなことを言われました」
「この衣類は、上田さんにお渡しされなかったのですか」
「子供たちにとって、ここに居たことは忘れたいことですから、身元が分からない子には、できるだけ持たせないようにしています。小さい子は、お気に入りのおもちゃやぬいぐるみとかあり無理に取り上げる訳に行きませんし、お守りのようなものは養父母さんと相談します。 上田さんに『お持ちになりますか』と聞きましたら、奥様が『処分してくださいと』おっしゃいました……」
「処分してほしいと、言われたのですか」
「はい。処分と言われてもね……」
「そうですか……その一巳君自身は、この園に来ることになった経緯を理解していましたか」
「3歳でしたからね、なにも知らなかったと思いますよ。 いつかは話さなければならないことですが、お母さんが亡くなったことを告げなければなりませんからね。 私は、本人が訊いてきたときに話すことにしています。 小学校へは、園から通うことになりますから、黙っていても周りからいろいろ言われ事情を知りたいと思うようになります。そのときには、7歳なら7歳なりの覚悟ができますからね。
一巳君には、何も話してはおりませんでしたから、ここにいる間は何も知らないまま過ごしていたと思います。上田さんご夫婦にも、そのようにお話ししておりますからいずれ上田さんが話されることだろうと思っていました」
「どうも、上田さんご夫婦は、話されなかったようです」
「そうですか」
「上田さんご夫婦が、養子さんを迎える理由をお聞きでしたか」
「はい、遅くにできた子がいたそうですが3歳になる前に亡くされ、生きていれば一巳君くらいの歳だとそれで一巳くんを養子さんに迎えたいと言っておられました」
「改名のことは、ご存じですよね」
「季節ごとに、お便りや寄付を頂いていましたから“健一君”に改名したことは存じておりました」
「その、亡くなった実の子の名前が“健一”なんです」
「なくなった実の子と同じ名前を……あの日、プールで奥さんが『ケンちゃん』と、声を掛けたように記憶しています。その子の名前だったんですね」
「プールで、奥さんが『ケンちゃん』と、呼んだんですか」
「今、思い出しました」
「何か、あったんですか」
「たいしたことではありませんが、ここでご夫婦が一巳君と対面したとき、奥さんが一巳君を膝に抱き、シャツの襟口をめくるような仕草をしたように思います。そのあと奥さんが『うちの子に……』とおっしゃって、そのあとは一巳君を背中を抱いて泣いておられました」
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