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第三話 夕星那由多は恐れがない③
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空には複数の魔導機兵。それを統べるのは漆黒騎士ゲベット。
その光景は普段の出動と大きくは変わらない。
「ゲベットだけなら、大丈夫ですよね?」
まだ戦闘には不慣れな水瀬が確認するように問うが、その声に不安の色は少なかった。
「まあ、隊長と焔先輩で互角なんやからな。うちと海保君が加われば楽勝やろ。それに今日は征示先輩も近くにおるんやし」
旋風の言う通り、これまでの戦闘経験を考えればゲベット一人など欠片も恐れる必要はない。魔導機兵はものの数ではないし、余裕ある雰囲気が生まれるのも仕方がない。
その上で茶番だの何だのという話を聞かされれば、普段通りとはいかないだろう。
しかし、さすがにこれは油断が過ぎるのではないか。
那由多の心には僅かな危惧が生じていた。
それ以上に――。
(何か様子がおかしい)
魔導機兵の隊列がいつもと違う。明らかに戦闘を主眼に置いたものではない。まるで見た目だけを重視したかのような整然とし過ぎた隊形だ。
「楽勝と言ったな。では、試してみるか?」
そして、ゲベットが魔導機兵を空に残したまま降りてくる。
「しかし、残念だが玉祈征示は抜きだ」
その言葉にハッとして後方にいる征示を振り返る。と、彼は那由多達に背を向けて、一人の少女と対峙していた。黒を基調としたドレスを身に纏った初めて見る少女だ。
「征示!」
「那由多、ゲベットに集中しろ。この子は俺一人で抑える」
そう告げつつ構えを取る征示。しかし、普段の彼とは違い、その顔には冷や汗が浮かんでいる。その姿を見て、那由多は相手の正体を察した。
(まさか、あれが魔導人形師アンナか? くっ、嫌な予感がするな)
「場所を変えるぞ」
征示の言葉にコクリとアンナは頷き、二人はこの場から離れた。
「火斂、旋風君、水瀬君。素早くゲベットを倒し、すぐに征示のサポートだ」
「了解です」「分かりました」
火斂と水瀬は即座に応答するが、旋風は征示が去った方向を心配そうに見詰めていた。
「旋風君」
「……了解や。はよ倒して先輩に合流せな」
自分に言い聞かせるように呟く旋風に頷き、那由多はゲベットを見据えた。
「そう言うことだ、ゲベット。すぐに片をつけてやる」
「できるものなら、やってみるがいい。だが――」
侮りとも取れる那由多達の言葉に対して、不気味な程に静かに告げたゲベットから漆黒の歪みが漏れ出てくる。それは魔導師にとって当たり前の光景だったが、これまでゲベットには起きなかった現象だった。
「もはや遊びは終わりだ。〈UtEznnAdnnAkUUk〉」
「はん。はったりは効かんで」
(い、いや、これは、はったりではない!?)
あの闇属性の魔力拡散光がその証だ。
今までそれが見られなかったのはゲベットが尋常ではない精密さで魔力をコントロールしていたからだけでなく、単純に余力を残して魔法を行使していたからでもあったのだ。
「〈体は風、――」
「ま、待て、旋風君!」
「――心は空〉!」
那由多の静止は届かず、旋風が身体を属性魔力化させる。
そんな彼女の先走った行動に内心で舌打ちするが、攻防一体の身体属性魔力化は初手の選択としては悪くない。相手が定型から外れようとしているのなら尚更だ。
那由多自身そう判断しつつ、いかなる魔法も即座に使用できるように自身の魔力を励起させた。それに火斂と水瀬も倣う。しかし、次の瞬間――。
『な、何でや? ゲベットに近づけへん』
旋風が戸惑いの声を上げ、それに対してゲベットがくぐもった笑い声を出す。
『何がおかしいんや!』
「近づけたから何だと言うんだ? お前の攻撃は軽い。その上、実に属性のイメージ通りの攻撃しかしない。たとえ近づけたところでダメージは少ない。何より――」
ゲベットは尚のこと侮蔑の色濃い口調で続けた。
「お前達が思う程、身体属性魔力化は無敵ではない。〈UOdIEmOnIhsUkOk〉」
瞬間的に桁違いの魔力が励起し、それと共に耳鳴りがして那由多は顔をしかめた。
『う、ああああああっ!』
「なっ、旋風君!?」
旋風の絶叫が聞こえたかと思うと、彼女は身体の属性魔力化を解除し、元いた場所に倒れ伏して気絶してしまった。
「い、一体、何が――」
「周囲に魔力の波を放っただけのことだ。だが、それ故に魔力化していた者は脳をかき回されたが如き衝撃を受けることになる」
(今の耳鳴りもその影響か。……これでは魔力化は使えない)
その上これまでの彼に関するデータが信用できないとなれば、下手な小細工はむしろ命取りになりかねない。
「火斂、水瀬君! 全力で攻撃だ!」
「了解です、隊長」「は、はい」
「〈収斂・極天光〉!」「〈爆炎、極点を穿つ〉!」「〈異質なる金属を以って剣と成す〉!」
那由多の叫びに合わせ、三者同時に最大の攻撃を解き放つ。
物理的な制約により、まずゲベットを飲み込まんばかりの光が走り、次いで相手を中心に巨大な爆炎が咲き乱れた。そして、人間の何倍もある刀身を誇る剣が爆炎ごとゲベットを真っ二つにせんと振り下ろされる。
「え?」
瞬間、水瀬が戸惑いの声を上げた。
「どうした?」
「て、手応えが、ありません」
その言葉にゲベットが攻撃を回避したと判断した那由多は、敵の姿を捉えるために即座に周囲を警戒した。
しかし、那由多の予想は外れていた。
爆煙が晴れた時、ゲベットはその中心にあって避けた気配もなく、さりとて攻撃の影響もまた微塵もないようだった。
「ば、馬鹿な」
(汚れ一つ見られない? そんな、いくら何でもあり得ない)
「その程度が全力か。本気を出すまでもなかったな。〈IrAsUkOnUkOkkIs〉」
ゲベットがつまらなそうに告げると、那由多達の周囲に黒い鎖のようなものが生じ、目にも留まらぬ速さで襲いかかってきた。かと思った時には那由多を始め、火斂や水瀬だけでなく気を失っている旋風までもが黒の鎖によって拘束されていた。
「――っ、こんなもの!」
その場に転ばされ、手足を絡め取られた状態から脱しようとするが、身動きがままならない。その上、魔力を励起させようにも変換した傍から全てどこかへと流れ出ていく。
「……手間取っているのか、アンナ。一先ず合流しろ」
もはや那由多達への興味は失せたかのように虚空へと告げるゲベット。と同時に彼の周囲に黒い渦が生じ、そこから疲弊した様子のアンナが現れた。
次いで那由多達の前に征示が降り立つ。
彼の目はこれまでにない程に鋭くゲベットに向けられていた。
「控えろ、玉祈征示。テレジア様が直々に貴様を処断なされる」
「テ、テレジア、だと?」
「お前の発言は許していない。夕星那由多」
ゲベットが腕を振るうと、黒の鎖が猿轡のように那由多の口に入り込んだ。闇の気配が色濃いそれはおぞましい感触を口内に与え、余りにも気色悪かった。
「た、隊長!」「夕星先輩っ!」
「お前達もだ。焔火斂、海保水瀬」
倒れ伏しているせいで、那由多には前方にいる征示達の様子しか見えなかったが、くぐもった呻き声が聞こえてきたことで二人が自分と同じ状態に陥ったことを知る。
(これでは……いや、まだ征示が、征示がいれば――)
「さあ、テレジア様」
那由多の思考を遮るように、ゲベットが仰々しく手を空に掲げた。
次の瞬間、空が瘴気のような黒い何かで覆い尽くされ、そこからゲベットを遥かに超える魔力に満ち溢れた何かが緩やかに降りてくる。それはまるで一つの巨大な天蓋が落ちてくるかのようで、那由多は恐ろしい程の圧迫感を抱いていた。
「テレジア・フォン・ヴェルトラウム……」
そんな中で征示だけがその影響を微塵も受けずに口を開く。
「まさか親玉自ら出てくるとはね。あちらのお尻にも火がついたってところかしら?」
征示の言葉に続いて、ここにいるはずのない聞き慣れた声が場に響く。
驚く間もなく、視界に見慣れたシルエットが降り立った。
それは明星魔導学院の理事長代理にして那由多の姉である模糊だった。
(姉さん!? どうしてここに――)
疑問を口にできず、那由多はただ呻いた。
そのくぐもった声に、模糊は一瞬だけ哀れむようにこちらを一瞥し、それから厳しく空を睨みつけた。
「来たわね」
その言葉に空を渦巻く闇の中心に視線を向ける。と、そこから純白の美麗なるドレスを身に纏った小柄な少女が姿を現した。
白磁のような肌に白銀の髪、そして一点の曇りもない白を誇るドレス。
そんな中で鮮血の如き真紅に彩られた瞳だけが異様で、その人形のように愛らしく整った顔に浮かぶ凄惨な笑顔を尚のこと歪で恐ろしいものにしている。
「初めまして、かな。私がテレジア・フォン・ヴェルトラウム。お前達の敵だ」
少女はそう告げると、淑女のようにスカートを摘んで一礼した。
そんな彼女を守るように、いつの間にかゲベットとアンナがその隣に控えている。
「テレジア、何をしに出てきたのかしら?」
「簡単な話だ。そこの玉祈征示には私の家臣が世話になったようだからな。敬意を表してこの私が手ずから殺してやろうと思ったまでのことだ」
「……逆の目に合わせてあげるわ。それで二五年に渡るこの戦いは終わりよ」
底冷えするような凄味を言葉に乗せ、模糊が懐から飛行補助用の魔造石英がはめ込まれた腕輪を取り出して身につける。
(姉さん、本気だ)
いつものふざけた調子を欠片も見せず戦いに臨む姿は、那由多の憧れたかつての姉そのものだった。
「ふむ。さすがに二対一は少々面倒だな」
模糊のそれだけで全てを切り裂けそうな鋭い視線を意に介さず、本当にただ面倒臭いだけとでも言わんばかりにテレジアがウンザリした声を出す。
「ゲベット、この娘を抑えろ。アンナは…………まだ回復していないか。下がっていろ」
「承知しました」「分かった」
次の瞬間、ゲベットが弾けたように模糊へと向かい、アンナは遥か後方に下がった。
「夕星模糊。前線から退いた貴様に、テレジア様の相手は務まらん」
「言ってくれるわね。なら、貴方で勘を取り戻して、そのまま大将首を取るわ。精々私の調子が出るまでは粘ってよね」
「やれるものなら、やってみるがいい。〈UtEznnAdnnAkUUk〉」
「私の魔法をあの子達のものと一緒にしないで欲しいわね。〈大収斂・一閃〉!」
模糊が人差し指をゲベットに向けた。と思った時には、その指先から人差し指程の太さの光が一筋放たれる。
(あのようにか細い光では……いや、あれは!?)
それは、先程那由多がゲベットに対して放った光とは比較にならない程のエネルギーを有していた。それ故、細い光ながら鮮明な線となって敵に襲いかかる。
しかし、ゲベットは模糊が光を放つ前に射線から逃れようとしていたらしく、肩の装甲を光線によって切断されただけだった。それでも――。
(奴が避けて、しかも届いた?)
「確かに、他の雑魚よりはマシのようだな」
確かめるように切り取られた肩の装甲に触れ、それから静かに構えを取るゲベット。
「……少しは苦労しそうだ」
侮りの消えた彼の言葉に「それはこっちの台詞よ」と模糊が忌々しげに吐き捨てる。
ゲベットが油断している内に倒したかったのだろう。
(まずい。これでは――)
「あちらは硬直しそうだな」
その様子に視線をやりもせず、テレジアが征示の前で口を開く。
「では、こちらも始めようか」
その光景は普段の出動と大きくは変わらない。
「ゲベットだけなら、大丈夫ですよね?」
まだ戦闘には不慣れな水瀬が確認するように問うが、その声に不安の色は少なかった。
「まあ、隊長と焔先輩で互角なんやからな。うちと海保君が加われば楽勝やろ。それに今日は征示先輩も近くにおるんやし」
旋風の言う通り、これまでの戦闘経験を考えればゲベット一人など欠片も恐れる必要はない。魔導機兵はものの数ではないし、余裕ある雰囲気が生まれるのも仕方がない。
その上で茶番だの何だのという話を聞かされれば、普段通りとはいかないだろう。
しかし、さすがにこれは油断が過ぎるのではないか。
那由多の心には僅かな危惧が生じていた。
それ以上に――。
(何か様子がおかしい)
魔導機兵の隊列がいつもと違う。明らかに戦闘を主眼に置いたものではない。まるで見た目だけを重視したかのような整然とし過ぎた隊形だ。
「楽勝と言ったな。では、試してみるか?」
そして、ゲベットが魔導機兵を空に残したまま降りてくる。
「しかし、残念だが玉祈征示は抜きだ」
その言葉にハッとして後方にいる征示を振り返る。と、彼は那由多達に背を向けて、一人の少女と対峙していた。黒を基調としたドレスを身に纏った初めて見る少女だ。
「征示!」
「那由多、ゲベットに集中しろ。この子は俺一人で抑える」
そう告げつつ構えを取る征示。しかし、普段の彼とは違い、その顔には冷や汗が浮かんでいる。その姿を見て、那由多は相手の正体を察した。
(まさか、あれが魔導人形師アンナか? くっ、嫌な予感がするな)
「場所を変えるぞ」
征示の言葉にコクリとアンナは頷き、二人はこの場から離れた。
「火斂、旋風君、水瀬君。素早くゲベットを倒し、すぐに征示のサポートだ」
「了解です」「分かりました」
火斂と水瀬は即座に応答するが、旋風は征示が去った方向を心配そうに見詰めていた。
「旋風君」
「……了解や。はよ倒して先輩に合流せな」
自分に言い聞かせるように呟く旋風に頷き、那由多はゲベットを見据えた。
「そう言うことだ、ゲベット。すぐに片をつけてやる」
「できるものなら、やってみるがいい。だが――」
侮りとも取れる那由多達の言葉に対して、不気味な程に静かに告げたゲベットから漆黒の歪みが漏れ出てくる。それは魔導師にとって当たり前の光景だったが、これまでゲベットには起きなかった現象だった。
「もはや遊びは終わりだ。〈UtEznnAdnnAkUUk〉」
「はん。はったりは効かんで」
(い、いや、これは、はったりではない!?)
あの闇属性の魔力拡散光がその証だ。
今までそれが見られなかったのはゲベットが尋常ではない精密さで魔力をコントロールしていたからだけでなく、単純に余力を残して魔法を行使していたからでもあったのだ。
「〈体は風、――」
「ま、待て、旋風君!」
「――心は空〉!」
那由多の静止は届かず、旋風が身体を属性魔力化させる。
そんな彼女の先走った行動に内心で舌打ちするが、攻防一体の身体属性魔力化は初手の選択としては悪くない。相手が定型から外れようとしているのなら尚更だ。
那由多自身そう判断しつつ、いかなる魔法も即座に使用できるように自身の魔力を励起させた。それに火斂と水瀬も倣う。しかし、次の瞬間――。
『な、何でや? ゲベットに近づけへん』
旋風が戸惑いの声を上げ、それに対してゲベットがくぐもった笑い声を出す。
『何がおかしいんや!』
「近づけたから何だと言うんだ? お前の攻撃は軽い。その上、実に属性のイメージ通りの攻撃しかしない。たとえ近づけたところでダメージは少ない。何より――」
ゲベットは尚のこと侮蔑の色濃い口調で続けた。
「お前達が思う程、身体属性魔力化は無敵ではない。〈UOdIEmOnIhsUkOk〉」
瞬間的に桁違いの魔力が励起し、それと共に耳鳴りがして那由多は顔をしかめた。
『う、ああああああっ!』
「なっ、旋風君!?」
旋風の絶叫が聞こえたかと思うと、彼女は身体の属性魔力化を解除し、元いた場所に倒れ伏して気絶してしまった。
「い、一体、何が――」
「周囲に魔力の波を放っただけのことだ。だが、それ故に魔力化していた者は脳をかき回されたが如き衝撃を受けることになる」
(今の耳鳴りもその影響か。……これでは魔力化は使えない)
その上これまでの彼に関するデータが信用できないとなれば、下手な小細工はむしろ命取りになりかねない。
「火斂、水瀬君! 全力で攻撃だ!」
「了解です、隊長」「は、はい」
「〈収斂・極天光〉!」「〈爆炎、極点を穿つ〉!」「〈異質なる金属を以って剣と成す〉!」
那由多の叫びに合わせ、三者同時に最大の攻撃を解き放つ。
物理的な制約により、まずゲベットを飲み込まんばかりの光が走り、次いで相手を中心に巨大な爆炎が咲き乱れた。そして、人間の何倍もある刀身を誇る剣が爆炎ごとゲベットを真っ二つにせんと振り下ろされる。
「え?」
瞬間、水瀬が戸惑いの声を上げた。
「どうした?」
「て、手応えが、ありません」
その言葉にゲベットが攻撃を回避したと判断した那由多は、敵の姿を捉えるために即座に周囲を警戒した。
しかし、那由多の予想は外れていた。
爆煙が晴れた時、ゲベットはその中心にあって避けた気配もなく、さりとて攻撃の影響もまた微塵もないようだった。
「ば、馬鹿な」
(汚れ一つ見られない? そんな、いくら何でもあり得ない)
「その程度が全力か。本気を出すまでもなかったな。〈IrAsUkOnUkOkkIs〉」
ゲベットがつまらなそうに告げると、那由多達の周囲に黒い鎖のようなものが生じ、目にも留まらぬ速さで襲いかかってきた。かと思った時には那由多を始め、火斂や水瀬だけでなく気を失っている旋風までもが黒の鎖によって拘束されていた。
「――っ、こんなもの!」
その場に転ばされ、手足を絡め取られた状態から脱しようとするが、身動きがままならない。その上、魔力を励起させようにも変換した傍から全てどこかへと流れ出ていく。
「……手間取っているのか、アンナ。一先ず合流しろ」
もはや那由多達への興味は失せたかのように虚空へと告げるゲベット。と同時に彼の周囲に黒い渦が生じ、そこから疲弊した様子のアンナが現れた。
次いで那由多達の前に征示が降り立つ。
彼の目はこれまでにない程に鋭くゲベットに向けられていた。
「控えろ、玉祈征示。テレジア様が直々に貴様を処断なされる」
「テ、テレジア、だと?」
「お前の発言は許していない。夕星那由多」
ゲベットが腕を振るうと、黒の鎖が猿轡のように那由多の口に入り込んだ。闇の気配が色濃いそれはおぞましい感触を口内に与え、余りにも気色悪かった。
「た、隊長!」「夕星先輩っ!」
「お前達もだ。焔火斂、海保水瀬」
倒れ伏しているせいで、那由多には前方にいる征示達の様子しか見えなかったが、くぐもった呻き声が聞こえてきたことで二人が自分と同じ状態に陥ったことを知る。
(これでは……いや、まだ征示が、征示がいれば――)
「さあ、テレジア様」
那由多の思考を遮るように、ゲベットが仰々しく手を空に掲げた。
次の瞬間、空が瘴気のような黒い何かで覆い尽くされ、そこからゲベットを遥かに超える魔力に満ち溢れた何かが緩やかに降りてくる。それはまるで一つの巨大な天蓋が落ちてくるかのようで、那由多は恐ろしい程の圧迫感を抱いていた。
「テレジア・フォン・ヴェルトラウム……」
そんな中で征示だけがその影響を微塵も受けずに口を開く。
「まさか親玉自ら出てくるとはね。あちらのお尻にも火がついたってところかしら?」
征示の言葉に続いて、ここにいるはずのない聞き慣れた声が場に響く。
驚く間もなく、視界に見慣れたシルエットが降り立った。
それは明星魔導学院の理事長代理にして那由多の姉である模糊だった。
(姉さん!? どうしてここに――)
疑問を口にできず、那由多はただ呻いた。
そのくぐもった声に、模糊は一瞬だけ哀れむようにこちらを一瞥し、それから厳しく空を睨みつけた。
「来たわね」
その言葉に空を渦巻く闇の中心に視線を向ける。と、そこから純白の美麗なるドレスを身に纏った小柄な少女が姿を現した。
白磁のような肌に白銀の髪、そして一点の曇りもない白を誇るドレス。
そんな中で鮮血の如き真紅に彩られた瞳だけが異様で、その人形のように愛らしく整った顔に浮かぶ凄惨な笑顔を尚のこと歪で恐ろしいものにしている。
「初めまして、かな。私がテレジア・フォン・ヴェルトラウム。お前達の敵だ」
少女はそう告げると、淑女のようにスカートを摘んで一礼した。
そんな彼女を守るように、いつの間にかゲベットとアンナがその隣に控えている。
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底冷えするような凄味を言葉に乗せ、模糊が懐から飛行補助用の魔造石英がはめ込まれた腕輪を取り出して身につける。
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いつものふざけた調子を欠片も見せず戦いに臨む姿は、那由多の憧れたかつての姉そのものだった。
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模糊のそれだけで全てを切り裂けそうな鋭い視線を意に介さず、本当にただ面倒臭いだけとでも言わんばかりにテレジアがウンザリした声を出す。
「ゲベット、この娘を抑えろ。アンナは…………まだ回復していないか。下がっていろ」
「承知しました」「分かった」
次の瞬間、ゲベットが弾けたように模糊へと向かい、アンナは遥か後方に下がった。
「夕星模糊。前線から退いた貴様に、テレジア様の相手は務まらん」
「言ってくれるわね。なら、貴方で勘を取り戻して、そのまま大将首を取るわ。精々私の調子が出るまでは粘ってよね」
「やれるものなら、やってみるがいい。〈UtEznnAdnnAkUUk〉」
「私の魔法をあの子達のものと一緒にしないで欲しいわね。〈大収斂・一閃〉!」
模糊が人差し指をゲベットに向けた。と思った時には、その指先から人差し指程の太さの光が一筋放たれる。
(あのようにか細い光では……いや、あれは!?)
それは、先程那由多がゲベットに対して放った光とは比較にならない程のエネルギーを有していた。それ故、細い光ながら鮮明な線となって敵に襲いかかる。
しかし、ゲベットは模糊が光を放つ前に射線から逃れようとしていたらしく、肩の装甲を光線によって切断されただけだった。それでも――。
(奴が避けて、しかも届いた?)
「確かに、他の雑魚よりはマシのようだな」
確かめるように切り取られた肩の装甲に触れ、それから静かに構えを取るゲベット。
「……少しは苦労しそうだ」
侮りの消えた彼の言葉に「それはこっちの台詞よ」と模糊が忌々しげに吐き捨てる。
ゲベットが油断している内に倒したかったのだろう。
(まずい。これでは――)
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