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プロローグA 世界が交差した日
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「この世界こそは地獄、とはよく言ったものだな」
赤く染まった空の下、低くしわがれた声が耳に届く。
その状況を客観的に見ることができる者がいたなら、あるいは忌々しげに空を見上げる初老の男の言葉に同意するかもしれない。
が、当事者として正に命の危機にあった東条戒厳に、そんな感慨を抱けるだけの冷静さなどあるはずがなかった。
それは十二月の特別な日。救世主と呼ばれることになる赤子が誕生したとされる日。クリスマスの夜のこと。
しかし、その日世界にもたらされたのは、クリスマスを飾る純白の雪でも人々を救う神の子でもなく、ただ暴力的なまでに光り輝く破壊の柱だった。
「……手当たり次第か。全く品のないことだ」
平和を享受していようと、争いの只中にいようと、それでも明日が今日から大きく変わることはない。
そんな幻想は容易く一蹴され、街は劫火の中で瓦礫の山と化していた。
「ああ。嫌な臭いだ。人の焼ける臭いというものは」
憎悪を宿した呟きと共に男が振り向く気配が伝わってくる。
しかし、彼がどのような顔立ちをしているかは、倒壊した自宅の前でうつ伏せに倒れている戒厳には見ることができず分からなかった。
「君は、運がいいな」
そして投げかけられたそんな言葉に、死に瀕しているが故に曖昧だった思考が一瞬にして怒りに染まる。
(ふざ、けるな)
確かに光の柱が引き起こした火災によって右腕を焼き尽くされ、右目を焼かれ、祖父が建てたという一軒家の柱に両足を潰されていても尚、この地獄絵図の中で生き残っているのだから相対的に見れば運がいいと言えるのかもしれない。
(ふざけるな!)
あの光の柱の直撃を受けて欠片も残さず蒸発してしまった両親。
断面が焼け焦げた左腕だけが残った弟。
そして家の柱に押し潰されて苦しみ抜いて死んでいった姉に比べれば、生きているだけマシなのかもしれない。
しかし、それを運のよし悪しなどという単純な二元論で語っては欲しくなかった。
「いや、あるいは最悪なのかもしれないな」
そんな戒厳の感情に気づいたのか、男は言葉を翻す。
「この私に、生きて出会ってしまったのだから」
その発言を耳にして、先程の言葉が戒厳の感情を慮ってのものではなかったことに気づく。そこに込められた圧倒的な負の感情を前にして。
そして左腕に触れられる感覚と共に、戒厳は無理矢理に引き起こされた。
「見えるか?」
男に触れられた瞬間、体を蝕んでいた痛みは消え去り、それと共に意識がはっきりとしてくる。それによって左側の視界だけは確かなものとなり、男の容姿もようやく知ることができた。
白髪の混じった短い髪と顔立ちは、初老という声の印象が正しいことを告げていた。しかし、表情に刻み込まれた苦々しさのために余計に年老いて見える。
使い込まれたよれよれの白衣を身にまといながら、宝石のように輝く石がはめ込まれた杖をその手に持つ姿は、戒厳にはちぐはぐに感じられた。
「あれが、見えるか?」
静かに繰り返す男に、戒厳は彼の視線の先を追って空を見上げた。
そして、そこに浮かんでいる人の形をした影を見つけ、それに意識の焦点が合う。
と同時に、彼の言葉に感じた負の感情の矛先を知る。
「見え、ごほっがはっ」
男の問いに答えようと声を出した瞬間、喉に強烈な違和感を抱き、激しく咳き込んでしまう。
恐らく、男に触れられていなければ痛みで声など出なかったことだろう。
(あれが……)
そうしながら、戒厳の意識は空に浮かぶ人影にだけ向けられていた。
いや、それは人影ではない。
そう見えたのは、夜空を照らす紅蓮の炎のせいだ。
虚空に漂っているそれは、影などという不確かな存在ではなく実体。
人間そのものだ。
(あれこそが、全ての、元凶)
理屈を飛び越して直感する。この地獄において、今更戒厳が持つ理屈などに少しばかりも価値はない。常識的な判断など役に立つはずもない。
(あれがっ!)
夜にもかかわらず夜を感じさせない程に明るく、気味が悪い程に赤く染まった空。そこに浮かぶそれを掴もうと左手を伸ばしながら、憎しみを込めて睨みつける。
「そうだ。あれが、君から全てを奪った者だ」
その肯定に、胸の内から際限なく憎悪が湧き出てくる。と共に、戒厳は悔しさに唇を噛んだ。目の前に仇がいるのに何もできずにいる自分自身に。
これまでの自身の人生において、両親の庇護の下で安穏と暮らしてきた人生において、これ程までに無力を嘆いたことは戒厳には当然ただの一度もなかった。
「君は、生きたいか? そして、己の何を犠牲にしても力を欲するか?」
男の言葉に戒厳は目を見開いた。
本当にこの状況から生を掴むことができると言うのか。あまつさえ力までも。
戒厳は訝りつつも、しかし、縋るような心持ちで男の瞳を見詰めた。
「生きることを選択しても、あるいは死よりも辛い目に遭うかもしれない。もし、君が目の前の苦しみからの解放のみを願うのであれば、このまま痛みなく眠るように逝かせてやろう」
「俺、は」
「無理に喋らなくていい。もしも生を、復讐を望むのなら、この手を掴め」
男はそう告げると左手を差し出してきた。
中空に浮かぶ全ての元凶への憎悪と生への執着。その両者を満たす可能性。絶望の闇に灯った一筋の希望の光。
この男が一体何者なのか。その問いは今の戒厳にとって重要ではなかった。
たとえこの男が悪魔だったとしても、この場で彼が発した問いに対して考えられる戒厳の回答など、たった一つしか存在していないのだから。
「さあ、どうする?」
だから、戒厳は自分の意思を伝えるために男の目をしっかりと見据え、自分に残る力を振り絞って虚空を彷徨わせていた左手で男の手を掴んだ。
「俺に、復讐のための、力を」
赤く染まった空の下、低くしわがれた声が耳に届く。
その状況を客観的に見ることができる者がいたなら、あるいは忌々しげに空を見上げる初老の男の言葉に同意するかもしれない。
が、当事者として正に命の危機にあった東条戒厳に、そんな感慨を抱けるだけの冷静さなどあるはずがなかった。
それは十二月の特別な日。救世主と呼ばれることになる赤子が誕生したとされる日。クリスマスの夜のこと。
しかし、その日世界にもたらされたのは、クリスマスを飾る純白の雪でも人々を救う神の子でもなく、ただ暴力的なまでに光り輝く破壊の柱だった。
「……手当たり次第か。全く品のないことだ」
平和を享受していようと、争いの只中にいようと、それでも明日が今日から大きく変わることはない。
そんな幻想は容易く一蹴され、街は劫火の中で瓦礫の山と化していた。
「ああ。嫌な臭いだ。人の焼ける臭いというものは」
憎悪を宿した呟きと共に男が振り向く気配が伝わってくる。
しかし、彼がどのような顔立ちをしているかは、倒壊した自宅の前でうつ伏せに倒れている戒厳には見ることができず分からなかった。
「君は、運がいいな」
そして投げかけられたそんな言葉に、死に瀕しているが故に曖昧だった思考が一瞬にして怒りに染まる。
(ふざ、けるな)
確かに光の柱が引き起こした火災によって右腕を焼き尽くされ、右目を焼かれ、祖父が建てたという一軒家の柱に両足を潰されていても尚、この地獄絵図の中で生き残っているのだから相対的に見れば運がいいと言えるのかもしれない。
(ふざけるな!)
あの光の柱の直撃を受けて欠片も残さず蒸発してしまった両親。
断面が焼け焦げた左腕だけが残った弟。
そして家の柱に押し潰されて苦しみ抜いて死んでいった姉に比べれば、生きているだけマシなのかもしれない。
しかし、それを運のよし悪しなどという単純な二元論で語っては欲しくなかった。
「いや、あるいは最悪なのかもしれないな」
そんな戒厳の感情に気づいたのか、男は言葉を翻す。
「この私に、生きて出会ってしまったのだから」
その発言を耳にして、先程の言葉が戒厳の感情を慮ってのものではなかったことに気づく。そこに込められた圧倒的な負の感情を前にして。
そして左腕に触れられる感覚と共に、戒厳は無理矢理に引き起こされた。
「見えるか?」
男に触れられた瞬間、体を蝕んでいた痛みは消え去り、それと共に意識がはっきりとしてくる。それによって左側の視界だけは確かなものとなり、男の容姿もようやく知ることができた。
白髪の混じった短い髪と顔立ちは、初老という声の印象が正しいことを告げていた。しかし、表情に刻み込まれた苦々しさのために余計に年老いて見える。
使い込まれたよれよれの白衣を身にまといながら、宝石のように輝く石がはめ込まれた杖をその手に持つ姿は、戒厳にはちぐはぐに感じられた。
「あれが、見えるか?」
静かに繰り返す男に、戒厳は彼の視線の先を追って空を見上げた。
そして、そこに浮かんでいる人の形をした影を見つけ、それに意識の焦点が合う。
と同時に、彼の言葉に感じた負の感情の矛先を知る。
「見え、ごほっがはっ」
男の問いに答えようと声を出した瞬間、喉に強烈な違和感を抱き、激しく咳き込んでしまう。
恐らく、男に触れられていなければ痛みで声など出なかったことだろう。
(あれが……)
そうしながら、戒厳の意識は空に浮かぶ人影にだけ向けられていた。
いや、それは人影ではない。
そう見えたのは、夜空を照らす紅蓮の炎のせいだ。
虚空に漂っているそれは、影などという不確かな存在ではなく実体。
人間そのものだ。
(あれこそが、全ての、元凶)
理屈を飛び越して直感する。この地獄において、今更戒厳が持つ理屈などに少しばかりも価値はない。常識的な判断など役に立つはずもない。
(あれがっ!)
夜にもかかわらず夜を感じさせない程に明るく、気味が悪い程に赤く染まった空。そこに浮かぶそれを掴もうと左手を伸ばしながら、憎しみを込めて睨みつける。
「そうだ。あれが、君から全てを奪った者だ」
その肯定に、胸の内から際限なく憎悪が湧き出てくる。と共に、戒厳は悔しさに唇を噛んだ。目の前に仇がいるのに何もできずにいる自分自身に。
これまでの自身の人生において、両親の庇護の下で安穏と暮らしてきた人生において、これ程までに無力を嘆いたことは戒厳には当然ただの一度もなかった。
「君は、生きたいか? そして、己の何を犠牲にしても力を欲するか?」
男の言葉に戒厳は目を見開いた。
本当にこの状況から生を掴むことができると言うのか。あまつさえ力までも。
戒厳は訝りつつも、しかし、縋るような心持ちで男の瞳を見詰めた。
「生きることを選択しても、あるいは死よりも辛い目に遭うかもしれない。もし、君が目の前の苦しみからの解放のみを願うのであれば、このまま痛みなく眠るように逝かせてやろう」
「俺、は」
「無理に喋らなくていい。もしも生を、復讐を望むのなら、この手を掴め」
男はそう告げると左手を差し出してきた。
中空に浮かぶ全ての元凶への憎悪と生への執着。その両者を満たす可能性。絶望の闇に灯った一筋の希望の光。
この男が一体何者なのか。その問いは今の戒厳にとって重要ではなかった。
たとえこの男が悪魔だったとしても、この場で彼が発した問いに対して考えられる戒厳の回答など、たった一つしか存在していないのだから。
「さあ、どうする?」
だから、戒厳は自分の意思を伝えるために男の目をしっかりと見据え、自分に残る力を振り絞って虚空を彷徨わせていた左手で男の手を掴んだ。
「俺に、復讐のための、力を」
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