クレイオの箱庭

青空顎門

文字の大きさ
上 下
25 / 27

6A ケダモノ狩る悪②

しおりを挟む
「追っ手か」
「ええ……けど、減速してる? 理術師なら簡単に追い越せるのに――」
「お前は馬鹿か? 進行方向、攻撃時の向き、敵の向き諸々を考慮すれば、背後を取るのが最も有利に決まっているだろう? 奴らはこっちには不活性化結界があると認識してるんだ。間合いを保って後ろから撃つ。合理的な作戦だろうが」

 音速以上で飛べると言っても、突っ込んできた挙句、結界に捕まってその速度で地面に叩きつけられでもしたら間抜けもいいところだ。

「あ、う、うぅ」

 もっともだと思ったのか、唸るばかりのアエル。

「父さんにも、馬鹿なんて言われたことないのに……」

 そして、妙なところに不平不満を言い始める。

「文句は後にしろ。すぐに奴等の射程に入るから、攻撃を防げ」
「え? 結界で何とかするんじゃないの?」
「だから! ……いいか? 奴らは減速して間合いを保とうとしている。位置としては大体一キロ先。俺の結界はそこまで届かない。それに、全速力を出すために理術で空気抵抗をキャンセルしているせいで、結界はそもそも張れないんだよ」

 通常の状態でも前方の空気を吸い込んで圧縮し、放出することで推進力とすることで空気抵抗を減じているが一〇〇%なくすとなると理術に頼るしかない。
 その上、一ヶ月放置された道路の状態も微妙に改善しつつ走っているのだから、不活性化結界まで使用できるリソースは皆無だ。

「と言うか、既に時速二〇〇キロ程度の速度で走っているんだ。この状態で普通に話しができている時点で、理術の影響があること、つまり結界を使っていないことぐらい分かるだろう?」
「ぐっ、ぐぐ、悪かったわね」
「ああ。悪いな。その程度の判断力がないとお荷物になりかねない」
「よ、余計なお世話よ!」

 カリダとの戦闘では申し訳程度には判断力が見られたと思ったが、一戦済んで気が緩んでしまったのか色々と残念だ。
 その辺は恐らく、実戦経験のなさによるものに違いない。

「全くだ。余計な話をしてしまった。……いいか、アエル。攻撃は、この体勢のままで防げよ。さっきも言った通り、飛行は禁止だ」
「ええっ!? 狙われてるのに!?」
「態々的を増やす必要はないし、分断されたらどうする? まあ、別に俺はお前をアシハラに連れていかなくても構わないが?」
「くっ、ぐ、ぬぬ」

 確かに仇に体を預けたまま戦うというのは、覚悟がいる話だとは思う。
 しかし、アシハラに行きたいのなら、他の選択肢は合理的ではない。

「レクトゥスを本気で出たいのなら、今は我慢しろ」
「分かったわよ!」
「よし……来るぞっ!」

 戒厳が叫ぶとほぼ同時に収束された光が追い越していく。
 攻撃の理術としてレクトゥスでは最もスタンダードなのが、このレーザーだ。
 威力、射程、速度。どれを取っても全攻撃用理術中最高レベルにあり、バランスは最も優れている。
 勿論「空気中での減衰に負けない程度の威力を確保できる才能があれば」の話だが、レクトゥスの理術師ならば扱えて当たり前だ。

「それにしてもたった三人とは。まだ舐めているようだな、愚かしい」

 何本もの光が空に直線を描き、少し先の道を溶かす。
 そこを上手く避け、かつ速度を落とさないようにコースを変えつつ走り続ける。

「次は直撃コースだぞ!」

 思念波の気配から逆算した結果を叫ぶ。

「分かってる!」

 それはアエル自身も感覚で分かっていることで、彼女がそう叫んだ時には放たれた光は歪曲して空の彼方へと消えていった。

「よくやった、と言いたいところだが……アエル、反撃ぐらいしろ!」
「あ、相手に当たったらどうするのよ!」
「本当にその程度の牽制もできないのか!?」

 もしかすると圧倒的に対人戦の経験が足りない、というより単純に技術が足りないのかもしれない。

「しょ、しょうがないでしょ!? あっちの理術師もそうだけど、これだけ距離があると照準なんて正確につけられないのよ!」
「ああもう、仕方がないな――っと!?」

 理術の逆算から危険を察知し、慌てて方向を変える。
 次の瞬間、先程までの進行方向の数メートル先に光の柱が突き刺さった。あのまま真っ直ぐ突き進んでいたら、飛んで火にいる夏の虫状態だった。

「ば、馬鹿っ! 危なそうな奴もちゃんと防げ!」
「う、うるさいわね! 貴方だって事前に気づけなかったんでしょ!」
「お前、さっき分かってるって言っただろうが! 俺はそれを信用してだな――」

 と、罵り合っている間にまだ微妙な位置への攻撃を察知する。

「っ! 三回連続、防げ!」
「は、はい!」

 三本の光が歪んで一本は空へ向かい、二本は遠くの地面に落ちる。

「次もだ!」
「はい! って、偉そうに命令しないで!」

 文句を言いながらも素直に光を捻じ曲げるアエル。
 ようやく急造の連係も安定し始め、速度も一定に保てるようになってくる。

「しかし――」

 既に時間的な余裕はほぼないと言っていい状態だった。
 そんな状況で、三人もの理術師を引きつれていては色々と面倒だ。

(やはり潰しておくに越したことはないな)
「……アエル。やはり撃ち落とせ」
「な、そんなの――」
「懸念要素は排除すべきだ。このままだと、下手をするとテラに飛ばされるぞ」

 そうなれば戒厳も一巻の終わりだし、アエル自身ももはや裏切り者として罰せられることになるだろう。

「わ、私は――」

 一瞬だけ揺れたような声を出したアエルは、しかし、すぐにそんな自分を戒めるように固い言葉を発した。

「人殺しには、ならない。そんなのは、本末転倒じゃない。それじゃアシハラへ行く意味が、なくなる」
「……一つだけ言っておくぞ。この場で人殺しになりかねないのは、偏にお前の技術のなさのせいだ」
「それは……分かってる」
「なら、いい。まあ、お前の弱さはある程度は織り込み済みだ」
「た、試したの!?」
「さてな。次、直撃コースだ! 二連続、防げ!」

 アエルに後方の理術師へと意識を戻させながら、戒厳は一方で通信を開いた。

『サクラ』
『……はい。お兄様』

 不機嫌な声を出すサクラに、今は一先ず気づかない振りをして話を進める。

『状況は分かっているな?』
『はい』
『なら、頼んだ』
『はい。お兄様の頼みとあれば』
『お前だけが頼りだ』
『は、はい! えっと、それはともかくギリギリです。急いで下さい』

 微妙に不機嫌さが消えた代わりに焦りを多分に含んだ固い声に対し、一つ小さく頷きながら「ああ」と答えて通信を切る。

「……後一分か。スピードは落とせないな」

 時間的に小細工をする余裕はない。やはり、このまま突っ切るしか道はない。

「か、戒厳!」

 港に近づいてきたことで相手も危機感を持ったのか、レーザーが襲いかかってくる頻度が高くなり、アエルが慌てた声を出した。

「アエル。ここからはなるべく上に捻じ曲げろ!」
「わ、分かった」

 降り注ぐ攻撃を回避しつつ、道央自動車道を降りて最短コースで港へと向かう。
 再計算しても数秒も余裕がない。

「か、戒厳、まずいよ! 回り込まれた!」

 アエルの言葉通り、進行方向上空に理術師の気配が二つ現れる。どうやらカーブの手前で二手に分かれたらしい。
 港が近づいてきたため、形振りを構っていられなくなったのだろう。

「ど、どうするの?」
「このまま突っ込む」
「え、ええっ!?」

 スピードを落とさずに突き進む。
 理術師達が放つ思念波から、逆算によって一瞬後には戒厳達を囲うようにレーザーが照射される予測が警告を発するが、今は無視する。
 対してアエルは顔と体を強張らせ、全力で空気の壁を張ろうとしていた。
 しかし、追われる状態だった先程までとは違い、角度的に捻じ曲げても道路を焼き、足を止められるのは間違いない。
 勿論、対策がなければ、の話だが。

「え?」

 次の瞬間、予測は現実にならず、アエルが間抜けた声を出す。
 前方の二人から攻撃的な思念波が消え、徐々に降下していく。
 次いで後方の一人もまた同じように地面に緩やかに降りていった。

「よし、サクラ。よくやった」
「な、何が――?」
「仲間に狙撃させた。残り二〇秒。後は船に乗るだけだ」

 港に入り、船を視界に捉える。しかし――。

「ちょ、船、出てるわよ!? しかも、飛んでる!?」

 アエルの言う通り、船は浮かび上がっていた。
 その上、海上を滑るように飛翔し、かなりの速度で遠ざかっている。

「構わない。このまま乗り込む!」

 サクラ達の判断は正しい。錨を外すだの準備を整える時間的な余裕は皆無だ。
 速やかに遠ざかる船を追いかけ、埠頭を疾走する。
 そして、ギリギリまで加速し、戒厳は全力で跳躍した。

「きゃあっ!」

 その衝撃に驚いたのか、今まで以上にきつくしがみついてくるアエル。
 そうしながら明らかに距離が足りないことに気づいてしまったのか、彼女は青ざめて目を瞑ってしまった。
 そんな彼女を反射的に強く抱き止めつつも船をしっかりと見据え、足りない距離を空間に足場を作って埋めていく。

「――え?」

 二度三度と空中を踏み締めて駆ける衝撃を受けて不思議に思ったのか、アエルが薄らと目を開ける。その時には既に船の甲板がすぐ傍まで近づいていた。

(よし、間に合った!)

 そのまま二人着地しつつ、無理矢理制動をかけて踏み止まる。

「定刻通りだな。では、一気に海洋に出るぞ」

 それと同時にそう告げた彼、アナレスの意図に気づき、戒厳はアエルを抱きかかえたまま傍の手すりに掴まった。
 直後、戒厳が乗り込むために相対速度を最小に保っていた船は一気に加速する。
 結果、一瞬にして陸地がミニチュアのように小さくなってしまった。

「時間だ。ゲートが開くぞ」

 その言葉と共にゆっくりと着水した船の上、アエルをその場に降ろして既に遥か遠方の景色の一部となった北海道へと視線を向ける。
 午前三時。作戦完了時刻だ。

「わ、わあ……」

 そこには夜明け前の暗闇をも全て取り払うかのような、眩い輝きがあった。
 少しずつ上空からオーロラのような光のカーテンが降りてくる。
 眩くも柔らかな光が、全てを抱き締めるように北海道全土を静かに包み込んだ。

「……綺麗」

 感嘆の声を上げるアエルに、内心で同意する。

(これで――)

 これで北海道は再びこの世界の元に戻る。
 それはアシハラの協力なしには決して成し遂げられないことだったが、それでも北海道は確かに日本の、この地球の一部としての名を取り戻すことになるのだ。
 その事実は、この世界に生き残る人々がこの一ヶ月に起きた変動を、その現実を受け入れるための一つの力となってくれるはずだ。

(……こればかりは綺麗ごとでは決して成し遂げられなかったことだ。規模はともかくレクトゥスとの戦争の、戦果なのだから)

 かつてあった如何なる戦争にも、そもそも綺麗ごとなど介在していなかった。
 何故なら戦争とは全て、正義を騙る悪と悪が争う醜い泥仕合に過ぎないからだ。
 それを人は既に知っている。身に染みる程に、繰り返してきたはずのことだから。
 にもかかわらず、争いはどこからともなく始まってしまうものだ。
 そうなった時、そこは既に悪だけが全てを支配する地獄と化す。
 ならば、誰かがその悪を背負わなければ日常を守ることなどできはしない。

(この輝きを得るためにそれが必要なら、誰かに悪を押しつけなければ世界が回らないというのなら。既に罪を犯した俺が悪になる)

 目の前の輝きをしっかりと目に焼きつけ、それから船の行く先を振り返って、この輝きのために逆に強められた闇を見据える。
 そうして戒厳は、これまで積み重ねた選択の果てにある自分の道を、改めて心に刻み込んだのだった。
しおりを挟む

処理中です...