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一章「憧れの新世界」
29.真実_前
しおりを挟む「そっかそっか、クィントさんが言ってた“邪魔者”っていうのが誰の事か、やっと分かったよ」
二人の様子を黙って見ていた彼女が、やっと自分の出番かと言わんばかりににこりと笑って手を叩く。
呟くその表情は、たっぷりと蓄えた余裕を違えないまま。愛おしい我が子を見るように、慈愛に満ちた笑顔を浮かべている。
けれど刹那。
「セイスくんだけなら簡単だったのに。あなたが邪魔、あなたが居たら私の運命が壊れちゃう」
三日月型に笑みを形成していた桃色の瞳が、突如深紅に染まるのを見た。
「!? あの時と同じ!」
「だから――そこからどいてくれないかな!!」
ぶわりと、正面からの空気の圧を受けてセイスは後退する。これは、あの時彼女がヨシュアをモーションだけで壁まで吹き飛ばした力。あの時は分からなかったが、これは。
「ミルフィも魔術師ってことか……!」
風属性の魔法に間違いない。腕をクロスさせて風圧に耐える。けれど正直なところ、そうしなければならないだけの威力は感じなかった。それもその筈、その魔法はミルフィの言葉通り、セイスに向けられた風魔法ではなかったのだ。
それを証拠として、セイスが視界の隅に捉えていたリアの姿は、忽然と消えていた。
「リア!」
ばっと背後を振り返る。するとそこには、ミルフィによって吹き飛ばされた彼の姿があった。身廊に沿って真っ直ぐに吹き飛ばされた為何かに衝突することはなかったようだが、それでもリアはぐったりと倒れていて、セイスの頭にはあの時の情景が思い出されてしまう。
あの時と、同じ。
「セイスくん一人だったら、さっさと次に行っちゃおうって思ってたんだけどな」
その声が至近距離から聞こえて、セイスは振り返ることなく飛び退く。ミルフィはセイスが立っていた場所の真横に移動しており、この瞬間移動もまた、風の魔法の一種なのだと理解する。
「私が欲しかったモノも、ちゃんとあなたが持って来てくれた」
「お前、目的はこの剣かよ」
ちょいと指先で差されたものは、セイスが構える紅の剣。一度だってその剣身を拝んだことは無いだろうミルフィは、この剣が宝剣であることを知っている様だった。ふふ、と笑みを零して身を翻す。くるりくるりとまるで踊るかのように、緊張感なんてどこ吹く風で話し始めた。
「そうよ。この時代に来たのは、クロノアウィスを手にする為。別に良いじゃない? その剣の本当の価値を知らない人達が懇切丁寧に保管してるだけの剣なら、無くなったって問題ないでしょう?」
「そんなこと、」
「あるのよセイスくん。あなたの居た時代の人間でこの剣の価値を知っていたのだって、恐らくあなたのお父様だけ。この時代でも既に、価値は廃れてしまっているの」
宝剣の価値など問われたところでそれ以上でもそれ以下でもないが、ミルフィにとってはそうではないのだという。かつて彼の英雄レイソルトが使用したとされる剣、という以外の価値を、ミルフィは知っている。
父も、それを知っていた。だから、あんなことになってしまったのだろうか。
「その価値は誰も知らない――その筈だったんだけどね!!」
「!?」
突如、パァン! という、何かが弾ける音を聞いた。余計なことを考えそうになっていた頭を切り替える。
セイスよりも早く気付いたミルフィは自らの腕を素早く突き出し、その攻撃をガード。音の発生源は丁度ミルフィの掌付近であり、セイスとミルフィは二人揃ってそちらを見る。
「リア!」
「相手が魔術師なんだったら、先に言っておいてくれないか」
その言葉はセイスに向けられた言葉である。ミルフィに同じく片腕を突き出すように立ち尽くすリアは、よろりと覚束ない足取りでセイスの横へと戻ってきた。ミルフィの一撃をもろに食らったものの、意識を失う程ではなかったらしく、寧ろ意趣返しにと放った己の魔法がガードされたことに舌打ちを零していた。
「ごめん、俺も知らなかったっていうか……」
「肋骨をやられた気がする」
「え!? 大丈夫か!?」
「クロノアウィスの価値を正しく理解している人間が居るのは、この先面倒になる気がするの」
とはいえ、間違いなく無事ではないリアを心配するセイスの言葉を遮るようにして、ミルフィは呟いた。彼女の視線は先程からずっと、己の邪魔をしたリアへと向いている。
「セイスくんにも悪影響になるし、消えてくれないかしら」
「ふん、どこの誰だか知らないが、独りよがりなヒステリー女の戯言は聞かん」
「――じゃあ死んで」
リアの一言を最後に、ミルフィの表情から笑みが消えた。
何のモーションも見せずにふっ、と姿を眩まし、彼女が再び姿を現した先は二人の遥か頭上。その手に握られた何本ものナイフを躊躇いなくばら撒けば、その全てが二人を囲うような軌道を描き一目散に飛んでいく。風属性による誘導魔法、鋭利な銀の切っ先が、人体目掛けて飛んでくる。
その内の何本かを剣で叩き落とすことは出来たが、残りの数本がセイスの頬を掠めていき、剥き出しの頬や腕に赤く線を作り出す。リアに至っては避ける気が無いらしく、動く為に取った距離の先で急所のみを守り、じっとミルフィを見遣っている。セイスが端正だと感じたその綺麗な顔が傷付くのも厭わず、瞬きひとつせずに立ち尽くしているのだ。
「リア!」
「セイスくんは動かないで」
怪我で身動きが取れないのかも知れない。セイスがリアを助けるべく走り出そうとした刹那、一歩前に出そうとした足の動きが止まった。――否、止められた。
「!?」
(くそ、あの時と同じ……!)
研究所でもそうだった。突然身体が金縛りにあったかのように動かなくなり、瞬きすることすら適わなくなる。リアの元に行きたいのに、己の身体が言うことを利かないのだ。
これもミルフィの魔法だというのか、相手の身動きを封じる魔法。そんな魔法、歴史書の中でも語られていないというのに。
「あの邪魔者を殺すまで、そこで大人しくしていてくれる?」
「ち、くしょう……何なんだよこれ……!」
このまま黙って見ていては、あの時と何も変わらない。
勝手に連れて来られたとはいえ、元の世界に戻る術を探すこともそっちのけで外の世界を満喫していた罰だとでもいうように。目の前で誰かが苦しむ姿をただ見ていることしか出来ないなんて。
そんなの、もう堪えられない。
「セイス、クロノアウィスを使え」
身動きが取れず焦りを隠せずにいるセイスに、リアの声が届く。彼は今も無数のナイフに襲われ続けているが、その声はとても落ち着いていた。
「使えっつったって……!」
「案ずるな、貴様は動ける」
鞘に収めたままではなく、本来の剣として使用しろ。この場には既に、剣の正体を知っている者しか居ないのだ。そういった理由から使用許可が下りたのだろうが、身体が動かなければ剣を振るうことだって出来やしない。けれどリアの言い分はそんなセイスの意識を全て悟った上でのもので、その声はゆっくりと、セイスを諭すように紡がれた。
「とにかく落ち着け、冷静さを失うな」
「お喋りはもう良いかな」
ストンと地に足を付けたミルフィが、先程放ったナイフよりも一回り大きなナイフを取り出した。そのナイフの銀を一度指の腹で撫で、纏わせた魔力を駆使して大きく振り被る。
今現在宙を舞っているナイフが、避けもしないリアの命を奪わないのは、ミルフィの魔法が未熟だったからではない。あのナイフはあくまでも、身動きを封じる為だけのもの。それは、今から振るう凶器で、確実に彼の心臓を突き刺す為の包囲網。
「リア!」
「セイス、よく聞け。貴様の身体は貴様だけのものだ。だから動ける、何より貴様は、僕の剣だ」
「さようなら、邪魔者くん!!」
そう言ってナイフを放ったミルフィの楽しげな声の裏でセイスは、出会った頃から何一つ変わらない少年の声を聞いた。
「剣を抜け、セイス。――その剣は、貴様の意志に必ず応える」
刹那。
根性論だけではどうにもならなかった身体に、右手に、力が篭るのが分かった。
――いける。
リアの言葉と、咄嗟に抱いた直感。
そのどちらもを信じ、セイスは力の限りを右手一本に込め、剣のグリップを強く握った。
(もう二度と、守れないのは嫌だ)
「いけぇええッ!!」
抜刀。
長らく鞘の中に隠れていた、その輝かんばかりの紅が姿を現した。剣とは思えないその光輝は、二度目であろうと伝え聞いていた通りの、否、それ以上に美しい透き通った真紅色。本来ならば誰しもが目を奪われる代物だったが、今はそんな状況では無い。
気付くとセイスはその真紅を構え、リアの前に立っていた。ナイフの行方を慌てて目で追うと、丁度目の前にミルフィが投げたと思わしきそれが落ちている。
動けた、そして間に合った。そのことに安堵し背後のリアに視線を向けようとした、その時。
カラン。
そしてまたカラン、と。無数の落下音が辺り一面に響き、瞬時に視線を前方へ戻す。響く音の正体を探るべく音の度に視線を惑わせるが、カシャン! という大きな音を最後に、その音は止んだ。
真白い聖堂の床を覆う銀色。それは、先程まで宙を舞っていたナイフだった。
「ナイフが……」
それはもう動かない。ミルフィによって込められた魔力の残滓は、微塵も感じられなかった。
「誘導魔法はもう使えんぞ、まだやるか?」
一体どうして、理由の分からないセイスがきょろきょろと辺りを見回す間に、リアがミルフィへと問う。どうやら今の状況に驚いているのはセイスだけらしく、他の二人は先程から変わることなく視線を突き合わせていた。
「本当に邪魔」
「褒め言葉だな」
「何をしてくれたのかな。どうしてセイスくんが動けるんだろう?」
「教えてやろうか?」
「優しいんだ。もし理由があるなら、後学の為に教えてくれたら嬉しいけれど」
ミルフィから視線は外すことなく剣を構えるセイスには、半身だけずれた背後の位置に居るリアの姿は見えていない。セイスを挟んで行われる言葉の応酬に対して、ミルフィはずっと笑みを浮かべていた。
けれどその言葉を最後に、ミルフィの瞳からは紅が消え、桃色に戻った双眸がこれでもかと見開かれる。
どうやらリアは未だ、セイスの知らない隠し玉を残していたらしい。
「嘘……信じられない」
「自分だけだと自惚れた貴様の負けだ」
今度こそ、セイスは振り向く。
そこに居たリアは普段と変わらない、何の変哲もないリアだった。
目が合えば薄らと笑みを浮かべるので、どうやらその隠し玉のことを、セイスに教えてくれる気はないのだと悟る。
でも、それで良いと思った。理由なんて、特に無いけれど。
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