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二章「憧れの裏世界」
混迷_後
しおりを挟むそんなリアが生きている。彼らがどれだけ望んでも、もう二度と会うことの適わない彼が、こうして生きる時代に来てしまったことに、セイスはやっと気付いたのだ。遠くない未来、命を落とす筈の彼に自分が助けられるなんて、あってはならなかったのに。
正史に語られる過去を改変することは、英雄譚に憧れるセイスにとって……否、世界にとっての禁忌だ。どれだけ時が偉大で、残酷か。歴史書で語られる“時”の物語を読み耽った数だけそれは、セイスの身に沁みついている。
けれど脳裏に描かれるのは、陽凰宮の広場で優しく笑った彼の姿だった。
分かっているのに、それを言わず。憎まれ口を叩きながらも自分を助け、救ってくれた彼の背中を、いつか黙って見送れというのか。
『あの二人は、僕の大切な家族なんだ』
『必ず僕が、二人の元へお前を連れて行く』
(お前が“ルカ”なら、そっくりそのまま同じ言葉を返したいよ。二人にとってお前は、かけがえのない家族だった)
(俺だってお前を、二人のところに)
そんなこと、セイスに出来る筈がないのに。
「セイス殿」
視線は手元。いつの間にやら己の握り拳をもう片方の手で強く掴んでいたセイスは、名前を呼ばれはっと、その手から力を抜いた。すっかり痕の残った右手の甲、そこを軽く擦ってから、セイスは顔を上げる。
「これは私の、一個人の意見として聞いて欲しいのですが」
「はい」
「“過去を変える”って、一体何なのでしょう」
「……はい?」
そこに座るベクターの口から零れたそんな一言に、セイスはつい、素っ頓狂な声を出してしまった。突如そんなことを聞かれ、セイスは困惑しながらもその言葉の意味を考える。
「始まりの書に描かれる時の魔術師の話では、彼らが時を幾度となく遡行したことで、後の世に災いを齎したと言われている。そうでしたよね」
「はい。起こる筈だった不幸、捻じ曲げられた過去の数だけ、未来がその責任を負ったと」
「本当にそうだったのでしょうか」
ベクターの表情は無表情。相変わらずの強面が、未だ困惑状態から抜け出せないセイスを見て小さく首を傾げた。
「起こった出来事を変える為に過去に戻り、その出来事を回避したとして。それは、本当に“過去を変える”ことになり得たのでしょうか。その人物の歩んだ軌跡は、時代で見れば確かにひとつの道を二度歩き直したように見えるやも知れません。ですがその人物自身から見た道は、何度同じ道を通ったとしても、一本道でしかなかった筈です」
時を刻み、歩み、時を戻り、また歩む。傍から見れば過去をやり直す行為も、自分の視点からはひとつの道でしかない。
ただ真っ直ぐ前を見て、歩んでいることに変わりはない。それは“過去を変えた”なんて大それたことではなく、その人自身の“未来を歩いた”だけの話ではないだろうか。
「私は、団長やリア様のように、高貴な身分ではありません。ですので彼の英雄が語った時の禁忌など、正直どうでも良い。勿論、もしも私が過去の時代の迷人になるようなことがあれば、過去を変えるようなことはしないでしょう。ですがそれは過去を変えたことで、今の私が存在しなくなる可能性があるからです」
丁度その時、ベクター、と。彼の名を呼ぶ姉の声が聞こえた。セイスを呼びに行ったきり戻らない弟に対し、催促の言葉を掛けたのだろう。
ベクターは少しだけ声を大きくし、「話してるから、もう少ししたら行く」とナノに返事をする。それからふ、と笑みを零して、もう少しだけ具体的に、自分がそう思う理由を話した。
「幸運なことにも私には、変えたいような過去がない。今こうして王国軍第一師団の軍人として過ごし、姉と二人で暮らす生活が尊いのです。それを失う可能性がある行動など、私にはする価値がない」
「……そう、ですか」
「セイス殿。君がこの時代で歩む道は、決して過去などではないと、私は思います。君にとっての世界がここを過去と呼ぼうとも、これまで君の前にあったものはどれもこれも、君にとっての新発見で、素晴らしい世界ではありませんでしたか?」
その言葉を聞いてセイスは、時を経て、自分の狭い世界を飛び出し、憧れだった王都までやって来た数日間の旅を思い返した。大変だったけれど、広大な世界はこんなにも素晴らしくて。初めて訪れた王都には、世界には、こんなにも沢山の人が居るのだと。感激に目を輝かせたのは、まだまだ記憶に新しい。
ベクターは、そうして嬉しそうに笑うセイスのことをずっと見ていたのだ。セイスが王都にやって来たその日から今日まで、本当に王都が好きなのだと分かる笑顔で走りまわる彼の姿を、穏やかな気持ちで見守っていた。
「だから、この時代という“過去”を改変したいという君の気持ちを、私は否定しません。それがどんなものなのかなど、聞きません。まだ時間があるのなら、思い悩んで下さい。きっとその答えは、君が見つけなければならないことだから」
「……」
「そしてこれは、この時代に来たことを悔やむ君には腹立たしいだけの言葉かも知れません。ですが最後に言わせて下さい」
相槌すら打つことなく話を聞くセイスに、ベクターはそう前置きしてから、言った。
「それでも私は、君が迷人としてこの時代にやって来てくれたことを嬉しく思っています。短い間ですが、長らく二人暮らしだった我が家に君が来てくれて、過ごしてくれた日々は、いつも以上に明るく楽しいものでした。デイヴァにて手に入れるであろう情報が、君を元の時代に連れ帰ってくれることを祈っています」
ベクターの言葉は、“この時代に来てしまったことに罪なんてない”、“この時代に来たことを後悔しないで欲しい”、そうセイスに告げていた。穏やかに微笑んでセイスを見る彼は、セイスの全てを否定することなく、道に迷った迷子のように行き場を失くしたセイスを見守ってくれる。
思い悩む元凶そのものは解決する気配を見せなかったものの、セイスはその言葉に、どれだけ救われただろうか。自責と後悔、セイス自身の心に暗く陰を落としていた感情が、一気に払拭された気がした。
この時代にやってきたこと。その出来事自体を、その原因を作った自分自身を責めようとしていたセイスは、再びそのことを忘れていたのだ。
“無償の厚意”。この時代にだって、その暖かさが確かにあることを。ここでそれを最初に与えてくれたのは他でもない、――あの仏頂面の王子様だったことを。
「ああでも、そう簡単に行かなかった時は、また我が家にお越し下さい。この部屋は君の部屋として取っておくと、姉さんが言っていました」
後悔などしていられない。だって自分は、その思いに報いたい。悩んで立ち止まっている内に、彼の時は進んでいってしまう。だったら自分は、自分自身に出来ることを――“今”、考えなければ。
少しだけ、進むべき道が見えた気がして。セイスは「いつでも戻って来て下さい」と言ってくれたベクターに、ありがとうございますと礼を言い、笑った。
「俺、もっと悩んでみます。進む先がどうであれ、とにかく前に進む為に」
否定して立ち止まっているだけでは、問題なんて何一つ解決しない。
最初から分かっていた筈のことを、再確認出来た気がした。
気を取り直したセイスの言葉を聞いて、ベクターはゆっくりと頷く。
「元気になったようで何よりです。では、夕食にしましょう」
「はい!」
それから二人で立ち上がり、一階で待つナノの元へと向かう。ナノには遅いぞと怒られてしまったけれど、その日の夕食時の団欒には、皆の笑顔だけが広がっていた。
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