星屑を紡ぐ令嬢と、色を失った魔法使い

希羽

文字の大きさ
2 / 14

第二話:灰色の公爵

しおりを挟む
 王宮のボールルームは、光と音の洪水だった。天井のシャンデリアは砕け散ったダイヤモンドのように輝き、楽団が奏でる優雅なワルツが、着飾った貴族たちの楽しげな喧騒と溶け合っている。

 そのすべてが、アークライト・グレイフィールド公爵の目には、ただひどく退屈な濃淡の違う灰色の染みにしか映らなかった。

「あれがアークライト公爵様……相変わらず、お美しいけれど、氷のようね」
「声をかけた令嬢は、皆一言で退けられたそうよ」
「無理もない。あの方は英雄だが、その代償に感情を失われたのだから」

 壁際の柱に寄りかかって立つ彼の耳に、遠巻きにする貴族たちの囁き声が届く。だが、その声も、意味を持たない雑音のように彼の意識を通り過ぎていくだけ。

 強大な魔力で王国を滅亡の淵から救ったあの日以来、アークライトの世界から色は消えた。令嬢たちの華やかなドレスも、豪勢な料理も、窓の外に広がる王都の夜景も、すべてが古いモノクロームの写真のように色褪せている。

 それと同時に、彼の心からも感情は抜け落ちた。喜びも、怒りも、悲しみも。ただ、深い静寂と、すべてに対する無関心だけが、灰色の世界を満たしていた。

(また、同じ光景か)

 社交は義務だ。

 英雄として、公爵として、この場にいることが求められている。彼はグラスの中身(おそらく上質な葡萄酒だろうが、彼にはただの苦い水としか感じられない)を無感動に喉へ流し込み、いつこの場を抜け出すかだけを考えていた。

 その時だった。

「ごきげんよう、アークライト公爵様」

 鈴を転がすような、しかし計算され尽くした甘い声が、彼の思考を遮った。視線を向けると、燃えるような真紅のドレス――彼の目には濃い灰色に見える――をまとった令嬢が、自信に満ちた笑みを浮かべて立っていた。ハノーヴァー子爵家の、セシリア。彼女のような女が何を求めて近づいてくるかなど、分かりきっている。

「……何か用か」
「まあ、冷たいお方。せっかくの夜会ですもの、少しお話し相手になっていただきたくて」

 セシリアはそう言うと、持っていた扇を優雅に広げてみせた。

 アークライトはいつものように一言で追い払おうと口を開きかけ――そして、動きを止めた。

 彼の灰色だけの世界で、ありえないことが起きた。

 セシリアが持つ扇。その縁に施された刺繍だけが、まるで暗闇に灯る星々のように、淡く、清らかな銀色の光を放っていたのだ。

(光……? 馬鹿な、色のないこの世界で、光など)

 それは幻覚ではない。チカチカと瞬くような、それでいて穏やかな光。その光を見つめていると、凍てついていた心の湖に、小さな石が投げ込まれたかのような、微かな波紋が広がった。

 何年も感じたことのない、ほんのわずかな心の揺らぎ。それは、「興味」という名の、忘れかけていた感情の欠片だった。

 彼は無意識に、その光へと手を伸ばしかけていた。

 セシリアは、アークライトの視線が自分の扇に釘付けになっていることに気づき、得意満面に微笑む。

 作戦は成功した、と彼女は確信していた。

「公爵様? この扇、お気に召しましたか? わたくしが心を込めて刺繍した、とっておきなのですわ」

 女の自惚れた声が、やけに大きく聞こえた。だが、今の彼にはどうでもよかった。

 アークライトは、数年ぶりに自らの意志で、目の前の人間に問いかけていた。その声は、自分でも驚くほど、わずかに熱を帯びていた。

「……その扇を、こちらへ」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

追放された地味なメイドは和菓子職人の記憶に目覚める 〜王子たちの胃袋を『あんこ』で掴んだら、王宮で極甘に溺愛されています〜

あとりえむ
恋愛
「起きなさい、この穀潰し!」 冷たい紅茶を浴びせられ、無実の罪で男爵家を追放された地味なメイド、ミア。 泥濘の中で力尽きようとしたその時、彼女の脳裏に鮮やかな記憶が蘇る。 それは、炊きたての小豆の香りと、丁寧にあんこを練り上げる職人としての誇り…… 行き倒れたミアを救ったのは、冷徹と恐れられる第一王子ミハエルだった。 バターと生クリームの重いお菓子に胃を痛めていた王族たちの前に、ミアは前世の知恵を絞った未知のスイーツ『おはぎ』を差し出す。 「なんだ、この食感は……深く、そして優しい。ミア、お前は私の最高のパートナーだ」 小豆の魔法に魅了されたミハエルだけでなく、武闘派の第二王子やわがままな王女まで、気づけばミアを取り合う溺愛合戦が勃発! 一方で、有能なミアを失い、裏金のカラクリを解ける者がいなくなった男爵家は、自業自得の崩壊へと突き進んでいく。 泣いて謝っても、もう遅い。 彼らを待っていたのは、処刑よりも皮肉な「全土小豆畑の刑」だった…… これは、一粒の小豆から始まる、甘くて爽快な逆転シンデレラストーリー。 あなたの心も、あんこのように「まあるく」癒やしてみせます。

愛しいあなたは竜の番

さくたろう
恋愛
 前世で無惨に処刑された記憶を持つ少女フィオナは、今世では幼い頃から番である竜族の王に保護されて塔の中で大切に育てられていた。  16歳のある日、敵国の英雄ルイが塔を襲撃しにきたが、なんとフィオナは彼に一目惚れをしてしまう。フィオナを人質にするために外へと連れ出したルイも、次第に彼女に離れがたい想いを感じ始め徐々に惹かれていく。  竜人の番として育てられた少女が、竜を憎む青年と恋に落ちる物語。 ※小説家になろう様に公開したものを一部省略して投稿する予定です。 ※全58話、一気に更新します。ご了承ください。

双子の姉に聴覚を奪われました。

浅見
恋愛
『あなたが馬鹿なお人よしで本当によかった!』 双子の王女エリシアは、姉ディアナに騙されて聴覚を失い、塔に幽閉されてしまう。 さらに皇太子との婚約も破棄され、あらたな婚約者には姉が選ばれた――はずなのに。 三年後、エリシアを迎えに現れたのは、他ならぬ皇太子その人だった。

家族の靴を磨いていた私が、実は【神の加護を磨き上げた聖女】だった件。隣国の冷徹皇帝に「君の献身は世界を救う」と誘拐、24 執着されています

唯崎りいち
恋愛
「お前は一生、靴でも磨いていろ」 家族に虐げられ、靴を磨き続けた私。 実はその靴、磨くたびに『神の加護』が宿る聖具になっていました。 噂を聞きつけた隣国の冷徹皇帝に、出会い頭にさらわれて―― 「君は俺のものだ。24時間、指一本触れさせない」 靴を履かせてもらえず、移動は常に皇帝の腕の中!? 磨き上げた加護のせいで、皇帝の執着が神レベルに育ってしまう溺愛物語。

婚約破棄されて追放寸前だったのに、なぜか冷徹なはずの氷の公爵様から世界で一番甘く愛されています。

黒崎隼人
ファンタジー
「リゼット・フォン・ヴァインベルク! 貴様との婚約を、今この時をもって破棄する!」 卒業パーティーの夜、公爵令嬢リゼットは婚約者の王太子から冤罪を突きつけられ、全てを失った。 絶望の淵に沈む彼女に手を差し伸べたのは、『氷の公爵』と噂される冷徹な美青年、キリアン・アシュフォード。 「ならば、俺が君を娶ろう」 彼の屋敷で始まったのは、戸惑うほどに甘い溺愛の日々。 不器用な優しさに触れるうち、凍てついた心は少しずつ溶かされていく。 一方、リゼットを陥れた偽りの聖女は王宮で増長し、国に災いを招き寄せていた。 やがて真実が暴かれる時、元婚約者は後悔の涙を流すけれど――もう、遅い。 これは、不遇の令嬢が本当の愛を見つけ、世界で一番幸せになるまでの物語。 痛快な逆転劇と、とろけるような溺愛があなたを待っています。

いつか優しく終わらせてあげるために。

イチイ アキラ
恋愛
 初夜の最中。王子は死んだ。  犯人は誰なのか。  妃となった妹を虐げていた姉か。それとも……。  12話くらいからが本編です。そこに至るまでもじっくりお楽しみください。

王家契約の鍵は、婚約破棄された令嬢でした

佐藤なつ
恋愛
王家の封印を巡る陰謀に巻き込まれたのは、婚約破棄された男爵令嬢だった。 父は王弟を庇い倒れ、家は失脚寸前。 追い打ちをかけるように襲撃までされて…。 王家契約の“鍵”として認識されたロゼリアは、王弟アルヴィンと共に遺跡の真実へと踏み込む。 眠っていたのは、災厄か、救済か――

不機嫌な侯爵様に、その献身は届かない

翠月 瑠々奈
恋愛
サルコベリア侯爵夫人は、夫の言動に違和感を覚え始める。 始めは夜会での振る舞いからだった。 それがさらに明らかになっていく。 機嫌が悪ければ、それを周りに隠さず察して動いてもらおうとし、愚痴を言ったら同調してもらおうとするのは、まるで子どものよう。 おまけに自分より格下だと思えば強気に出る。 そんな夫から、とある仕事を押し付けられたところ──?

処理中です...