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第三話:一瞬の色彩
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アークライト公爵の言葉に、周囲の喧騒が嘘のように静まり返った。誰もが「灰色の魔法使い」が、ハノーヴァー子爵家の令嬢に興味を示したという事実に息をのんでいる。
当のセシリアは、有頂天だった。計算通り、いや、それ以上の結果に、心の内で歓喜の声を上げる。彼女はこれ以上ないほど優雅な仕草で、アークライトに扇を手渡した。
「ええ、公爵様。どうぞ、お手に取ってご覧になってくださいまし」
アークライトは差し出された扇を、まるで壊れ物を扱うかのように、ゆっくりと受け取った。彼の関心は、扇そのものでも、それを持つ女でもない。ただ一点、縁で淡い光を放つ銀色の刺繍にのみ注がれていた。
そして、彼の指先が、百合の花をかたどったその刺繍に、そっと触れた。
その瞬間。
世界が、爆ぜた。
――色が、ある。
灰色しかなかった視界に、奔流となって色彩がなだれ込んできた。目の前の女がまとうドレスの、目が眩むほど鮮烈な「赤」。天井で輝くシャンデリアの、溶けた蜂蜜のような「黄金色」。遠くに見える令嬢たちのドレスの、夜空の「青」や、若葉の「緑」。
一つ一つの色が、名前と意味を持って彼の脳を揺さぶる。それは、彼が失ってから久しい、あまりにも鮮やかで、暴力的なまでの情報量だった。
「――っ!」
息をのむ。色だけではない。周囲の喧騒が、ただの雑音ではなく、人々の「喜び」や「楽しさ」といった感情を乗せた音楽として聞こえてくる。心臓が、ドクン、と大きく脈打った。忘れていた感覚。生きているという、実感。
(これが……これが、私の失った世界か)
しかし、その奇跡は、儚い星の瞬きのように一瞬で終わった。
ふっと、世界から色が抜ける。つい今しがたまでそこにあったはずの鮮やかな色彩は幻だったかのように消え去り、視界は再び冷たく無機質な灰色へと戻ってしまった。
一度、光を知ってしまった後の闇が、以前よりもずっと深く感じられるように。一度、色を取り戻してしまった後の灰色は、耐え難いほどの喪失感をアークライトに突きつけた。
「……ッ」
彼は扇を握りしめ、目の前の女を射抜くような視線で見た。この女から、先ほど刺繍から感じたような清らかで穏やかな力は一切感じられない。あるのは、欲望と虚栄心に満ちた、濁った魔力の匂いだけだ。
この女が、あの光の作り手であるはずがない。
「この刺繍は、本当に、お前が?」
地を這うような低い声には、鋭い苛立ちが混じっていた。その凄みに、セシリアの顔から笑みが消え、恐怖に引きつる。
「も、もちろんですわ、公爵様……わたくしが、一針一針……」
「嘘をつくな」
アークライトは、それ以上何も言わなかった。問い詰める価値もない。
彼はセシリアに背を向けると、手にした扇を固く握りしめたまま、その場を去っていく。彼の頭の中は、何年ぶりかに得た、たった一つの強烈な願いに支配されていた。
この光の本当の持ち主を、必ず見つけ出す。
残されたセシリアと、固唾をのんで見守っていた貴族たち、そして社交界全体に大きな波紋が広がることを予感させながら、「灰色の魔法使い」は、確かな目的を持って夜の闇へと消えていった。
当のセシリアは、有頂天だった。計算通り、いや、それ以上の結果に、心の内で歓喜の声を上げる。彼女はこれ以上ないほど優雅な仕草で、アークライトに扇を手渡した。
「ええ、公爵様。どうぞ、お手に取ってご覧になってくださいまし」
アークライトは差し出された扇を、まるで壊れ物を扱うかのように、ゆっくりと受け取った。彼の関心は、扇そのものでも、それを持つ女でもない。ただ一点、縁で淡い光を放つ銀色の刺繍にのみ注がれていた。
そして、彼の指先が、百合の花をかたどったその刺繍に、そっと触れた。
その瞬間。
世界が、爆ぜた。
――色が、ある。
灰色しかなかった視界に、奔流となって色彩がなだれ込んできた。目の前の女がまとうドレスの、目が眩むほど鮮烈な「赤」。天井で輝くシャンデリアの、溶けた蜂蜜のような「黄金色」。遠くに見える令嬢たちのドレスの、夜空の「青」や、若葉の「緑」。
一つ一つの色が、名前と意味を持って彼の脳を揺さぶる。それは、彼が失ってから久しい、あまりにも鮮やかで、暴力的なまでの情報量だった。
「――っ!」
息をのむ。色だけではない。周囲の喧騒が、ただの雑音ではなく、人々の「喜び」や「楽しさ」といった感情を乗せた音楽として聞こえてくる。心臓が、ドクン、と大きく脈打った。忘れていた感覚。生きているという、実感。
(これが……これが、私の失った世界か)
しかし、その奇跡は、儚い星の瞬きのように一瞬で終わった。
ふっと、世界から色が抜ける。つい今しがたまでそこにあったはずの鮮やかな色彩は幻だったかのように消え去り、視界は再び冷たく無機質な灰色へと戻ってしまった。
一度、光を知ってしまった後の闇が、以前よりもずっと深く感じられるように。一度、色を取り戻してしまった後の灰色は、耐え難いほどの喪失感をアークライトに突きつけた。
「……ッ」
彼は扇を握りしめ、目の前の女を射抜くような視線で見た。この女から、先ほど刺繍から感じたような清らかで穏やかな力は一切感じられない。あるのは、欲望と虚栄心に満ちた、濁った魔力の匂いだけだ。
この女が、あの光の作り手であるはずがない。
「この刺繍は、本当に、お前が?」
地を這うような低い声には、鋭い苛立ちが混じっていた。その凄みに、セシリアの顔から笑みが消え、恐怖に引きつる。
「も、もちろんですわ、公爵様……わたくしが、一針一針……」
「嘘をつくな」
アークライトは、それ以上何も言わなかった。問い詰める価値もない。
彼はセシリアに背を向けると、手にした扇を固く握りしめたまま、その場を去っていく。彼の頭の中は、何年ぶりかに得た、たった一つの強烈な願いに支配されていた。
この光の本当の持ち主を、必ず見つけ出す。
残されたセシリアと、固唾をのんで見守っていた貴族たち、そして社交界全体に大きな波紋が広がることを予感させながら、「灰色の魔法使い」は、確かな目的を持って夜の闇へと消えていった。
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